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光の女神と闇の魔女

作者: 爽風

暁の女神は東の地より現る。

女神光を纏い、世界に幸福をもたらす。

若き皇帝と皇妃、かの国に光を導く。

しかし国に魔女の影が覆い、光が闇に覆われし。

若き皇帝の光の剣、闇を貫き、彼の国に光もどらん。


創世記、預言の章より





今日、一つの恋が終わりを告げた。


どこにでもあるありきたりな恋の終わり。

そう、恋人の心変わり。

よくある話。

ただ私の場合は状況が特殊なだけで。


私はここではアーシュラ(暁の女神)と呼ばれている。

この国の救済の女神として異世界から3年前に召喚された。

もともとは明日美という名前があるのだけれど、もはやそれはどうでもいいこと。その名で呼ぶ人はほとんどいないのだから。

故郷を捨てた。

家族を捨てた。

名前を捨てた。

そしてあたしはあたし自身を捨てた。

ただここに居場所がほしかったから。

ここに来てからの3年が長かったのか、短かったのかわからない。

ただ今思えばあたしは必死だっただけだと思う。

みんなの望む女神にならなければと、心を消し、感情を捨て、ただがむしゃらに走り続けた。

戦火をくぐるうちにあたしは隣を走る王に恋をした。

それは今考えれば吊り橋の理論。

非日常で、危うい状況で、心の緊張を恋と勘違いしただけだったのかもしれない。

でも…確かにあたしは彼に恋していたのだと思う。

国を思うひたむきさに。

その公平さと誠実さに。

時折見せる激情に、子供みたいな無垢な笑顔に、惹かれてやまなかった。

そして彼もあたしを求めた。

幸せだった。

まるで蜜の中を泳いでいるように。

辛いことのほうが多かったはずなのに、今思い出すとあのころのあたしはいつでも笑っていた。輝いていた。彼の隣で。

それからは彼があたしの居場所になった。

二人で平和な国の礎になろうと。

戦いのない光に満ちた世界になるようにと。

平和同盟が結ばれ、国交が樹立。

世界は近代へと動き始めた。

国づくりはこれから。

医療、福祉、教育…まだまだやることは山積していた。

各国首脳との会談。

各自治体との接見。

毎日が目くるめくように忙しかった。


そしていつだっただろう?

彼があたしを避けだしたのは。

「忙しい」そう困ったように笑って背を向ける日々。

夕食をともにしなくなった。

朝方まで部屋に戻らなくなった。


彼と最後に夜をともにしたのはいつだった?

彼と最後に笑いあったのはいつだった?

もう思い出せないくらいにあたしたちはすれ違ってしまった?


そして気が付いてしまった。

彼の視線があたしの横を通り過ぎるのを。

彼の視線は少し前の自分に向けられているものだった。

自分が受けているはずの視線だった。

愛おしさと優しさと慕情。

この世の何よりも大事で、たまらないという恋慕に満ちた優しい光の視線。

視線の先の彼女はあたし付の侍女で、この世界に来てからずっとあたしを支えてくれた人。

姉のように親友のように慕っていた。

優しくて凛としていて自慢の友人だった。

そして彼女のほうも彼のその視線に応えていた。

ただ一心にその瞳が抑えきれぬ恋情を語っていた。

信じたくなかった。

信じられなかった。

すがりたかった。

泣きわめいて彼を引き留めたかった。

行かないで。

あたしを嫌いにならないで。と


でもあたしはそれをしなかった。

だって悟ってしまったから。

ああ、恋が終わったのだと。

否、終わりなんてできていないけれど、終わらせなければいけないのだと。

だから切り出した。

彼に。

「ルシェルが好きですか?」と。

彼はその形の良い目を見開いた。そして一言「すまない。」といった。

あたしは笑った。

我慢したわけでもない。

ただ泣けなかった。泣くのは彼の腕の中だった。でもその居場所がなくなった今泣ける場所はあたしにはなかった。

だから笑うしか残されてなかった。

「誰が悪いわけでもないですから。」そういうしかなかった。

そしてあたしは彼に背を向けた。

なぜって…嫌われたくなかったから。

二人の幸せなんてこれっぽっちも願ったわけじゃない。

あたしはそんな女神じゃない。

ただ最後までいい女でいたいというプライド。

物わかりのいい女を演じれば彼が戻るかもしれないという打算。

そして責めないことで二人が良心の呵責に苦めばいいという醜い感情。

この期に及んでもまだあたしは…あきらめきれなかった。

好きだったんだと思う。

まだ好きなんだと思う。

でも、終わったのだ。

この恋が。

それだけは痛いくらいにわかっていた。


「城を出たい。」その言葉に宰相や大臣たちは眉をひそめた。

「女神ともあろう方が愛人の一人や二人にいちいち動揺するな」と。

「何をわがままを言うのだ」と。「女神として務めを果たせ」と。

だからあたしはまだ城内にとどまっている。

公式行事や国民祝賀会には笑顔で、さも幸せでたまりませんといった満面の笑顔で彼の横で手を振り続ける。

そんな偽りの中でも、彼の隣に立てることがうれしかった。

辛かったけれど、それでもうれしかった。

だから笑えるのだと思う。



「アーシュラ様お顔の色が悪いですわ。」

西の塔に移ってしばらくしてから、あたしは体の調子が悪くなった。

あたしについてくれているサラがいう。

「少し気分が悪いだけよ。」そう言って立ち上がると目の前が真っ暗になった。

こっそり医師に診てもらうとあたしのおなかに赤ちゃんがいることが分かった。

でも彼には言えなかった。

彼が困った顔をするのが怖かったから。

愛情の冷めた過去の女に子供ができたと知った時彼はどんな顔をするのだろうか。

そしてほんの少しだけ彼があたしの元へ戻るのではないかという可能性にすがりそうになり、そんな馬鹿な自分にあきれた。

この子供を盾にしてまで彼の気持ちを取り戻したいだなんてあたしは母親の資格もない。

この子は誰が何と言おうとあたしの愛のあかしだ。

その愛に打算が含まれていて、もはや恋が終わったとはいえ、あたしはこの子に恥じるような生き方だけはしてはいけないと思う。

そうしなければ、あたしの中に何も残らない。

きっと自分が生きたあかしさえ残らないだろうから。

けれど終わりはすぐそこにやってくる。




この子に対して少しでも邪な気持ちを持ったからだろうか。

見なければよかったのだ。

窓の外など。

不意に覗いた窓から見えたのは、彼と彼女。

彼がそのたくましい腕に彼女を抱き、耳元に口を寄せる。

「愛してる」と。

その口が動き、彼女が花のような笑顔を浮かべ、涙を流した。

そして二人は優しいキスを交わした。

それは半年前の自分の姿だった。

あの頃あたしはあんなふうに笑って彼の腕の中にいた。

なのに今、あたしはこんな風に泥棒のように二人の様子を盗み見ている。

不意に走る腹部への激痛。

立っていられなくてしゃがみこむと脚の間から血が伝ってくるのが見えた。

声を出そうとしたけれど息が詰まって声が出せなかった。

この姿だけは誰にも見せたくなかった。

そんな逡巡の後、あたしは意識が遠のいて行った。

遠くのほうでサラの悲鳴を聞きながら。

そして気が付くとあたしの赤ちゃんはいなくなっていた。

ストレスで流れてしまったのだとサラは泣きながら言った。

こんなことになったのにあたしは泣けなかった。

ぽっかりと穴が開いたみたいに。

泣けなかった。

ただ砂を詰め込まれたような苦しさに目を伏せるだけだった。

そしてサラに頼んだ。

「あたしの血をこの布に吸い取って燃やして。そうしてその灰をあたしにちょうだい。」

「…」

サラは何も言わずに頷くと、布を燃やしてくれた。

赤ちゃんは灰になった。

まだきっと形にすらなっていなかったあたしの赤ちゃん。

誰にも知られることなく、この世に産み落としてあげることすらできずに死んでいったあたしの赤ちゃん。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

お母さんを許してください。

もうお母さん泣かないから。

生きている間に自分のために泣くことはしないと誓うから。

だから許して。



それからしばらくして、彼女が懐妊したことが伝わってきた。

そして彼は彼女を皇妃にした。

なぜ女神ではなくほかの女を皇妃にするのかという非難を浴びながらも。

女神の祝福の儀式ということで久々に彼と彼女に逢った。

二人は光の中にあって幸せそうだった。

ただあたしが姿を現すと彼女は泣きそうな顔で目を伏せ、彼は苦々しい困ったような顔で彼女を前に立ち、かばうような視線をあたしに送った。

彼があたしが彼女に危害を加えるのではと思っていることに少しショックを受けた。

妬ましい気持ちがなかったわけじゃない。

憎む気持ちがないなんて言えない。

でもそれでもあたしはそこにいる限り女神だから。

だからここにいるのに。

そんなにあたしが目障りなら魔女に仕立てて殺せばいい。

そう思い、はっとした。

預言の中にある魔女はあたしなのかもしれないと。

あたしという魔女を排除すればきっとこの二人は祝福される。

若き皇妃と皇帝として。

彼女は皇妃として彼の隣で精一杯に笑える。





あたしは宰相を呼び出した。

宰相は若いけれど彼のためならどんなことだってできる。

それくらいに彼に心酔していた。

だから彼のためならどんな秘密も泥もかぶることができるだろうと。

「宰相殿は陛下のために何を賭すことができますか?」

「アーシュラ様。私は命も名誉も何もかもを賭しております。」

「では私の言うことを聞いて下さい。国に光を導くために魔女を排しましょう」

「魔女?」

「私です。」

「あなたは女神です。この国に光をもたらす。」

「言い伝えで魔女と女神が同一でないとどうして言い切れます?

西の魔女とはおそらく私です。

国民の崇拝は陛下から離れつつあります。

女神ではなくほかの女を皇妃にするからだと。

どんなに隠していても陛下の心が私にないことは国民にしれてきています。

今恐ろしいのは反乱分子によるクーデターでしょう。

望んだ国はこんなではなかった。この指導者は間違いではなかったのか?と。

不安定な情勢ではほんの少しの不満が暴動となり国を揺るがす。」

「その通りです。」

「だから表面上だけでも、女神と皇帝の収める国の姿を国民に知らせる必要があったと。」

「ええ。そのせいであなた様には辛い思いを。」

「いいえ。そういう気持ちはもうなくしましたから。それに陛下のために我慢したわけじゃないんです。自分の居場所と保身のため。打算もありました。」

「それでどうしてあなた様を責められましょう?それでなぜあなた様が魔女になるという話がでるのです?」

「不満をそらすのです。

実は今までの女神は偽物だったと。

本物の女神は戦争の終わりとともに天に上ったのだと。

その替え玉が城で悪事を働いている。女神の皮をかぶった魔女だと。そう噂を流してください。そのようにふるまいましょう、ついでにこの城内に救う膿も一緒にだします。

群衆とは恐ろしいもので、一つの悪者を倒そうという動きが出たとき恐ろしいほど団結力を見せるのです。

西の魔女という悪をちらつかせて、皇帝と皇妃に退治させるのです。

悪を倒す正義のヒーローは崇拝されます。」

「ですがなぜ。」

「人々は期待が大きければ大きいほど憎しみが大きくなります。信仰していた女神が実はただの女でしかも魔女だったとなれば怒りが一気に向かうでしょう。貧しさからくる不満も全部魔女という排除すべき存在に向かう。

皇帝や新しい皇妃が魔女を退治すればその不満はすべて悪の根源の魔女に向かう。

狙いはそこです。」

あたしは宰相に笑って見せた。




この方はどうしてこれほどまでに静かなのか。

この方がこの国に来たとき、まだあどけないような少女だった。

よく泣き、よく笑い、そして輝いていた。

陛下の横で。

それがいつからだろう。

こんな風にはかなくて悲しい笑顔を見せるようになったのは。

陛下は勘違いしておられる。

この方が泣かなくなったのがこの方が強くなったからだと。

そうではないのだ。

この方が泣けるのは陛下の腕の中だけだった、だから陛下が手を放した今泣ける場所などどこにもないのだ。

それでもそこに笑って立つのは私たちが強要したからだ。

女神であることを。

そして今度はこの方が魔女になることへ追い込もうとしている。

忌まわしき魔女として歴史に汚名を着せられてもそれでもそこにとどまろうとするのは陛下への執着か。

陛下は誠実こそ真なりと思っている節がある。

しかし、誠実とはえてして凶器になるということをあの方はご存じではないのだ。

なぜもっとうまく優しい嘘をつこうとなさらないのか。

いくらでもやりようはあるのに。

でも以前そのことをこの方に言うと「そんな器用な人だったらここまで好きにはならなかった」と困ったように笑っておっしゃった。

私はすべてを飲み込む覚悟をした。

このかたがすべての泥をかぶるというなら、私はその覚悟を生涯飲み込んで見せよう。

この方が望むように。



それからしばらくして国は乱れた。

女神とあがめられていた娘が実は偽物であるという噂が流れ、国民の不満は一気にその娘に向かう。

それは魔女が成りすましているからだと話が広がり、魔女は国を滅ぼすだろうという噂に拡大した。

あたしはその噂通りにふるまった。彼女に人前で辛く当たり、罵った。

初めはあたしに対して仕方ないと同情的であったが、次第にエスカレートしていくわがままに人々の心は離れていくのがわかった。

彼の視線も日に日に冷たくなるのがわかった。

この娘は本当は女神などではないと。

ただ国を乱す魔女だと。

国にとって邪魔な存在だと。

ならば排除すべきだと。

そんな声があちこちで上がった。

計算通りだった。

彼女に同情が集まればいい。

そして彼女とその子供が王家に迎えられればいい。

皇妃と皇太子として。

そして私は排除されればいい。

魔女として。

本当は女神ではなかったとして。



そしてそののち、あたしは魔女としてとらえられた。


女神の名をかたった魔女として処刑されることになった。

サラだけが最後まであたしについていてくれた。

「なぜですの?あなた様はこの国のために多くを犠牲にして立っておられるというのに。どうして魔女など…。悪はこんな風にあなたを追い詰めたこの国なのに。」

サラは優しい。

「もうあたしのそばにいるのはやめなさい。あなたまで魔女に仕立て上げられてしまう。それにこれはあたしが望んだことなのよ。もう終わりにしたかっただけなの。」

憎しみの気持ちがなかったわけじゃない。

でも…今は何も感じない。

ただ早く終わりにしたいだけ。

真実はあたし一人が知っていればいいだけのこと。

この世界の歴史に魔女という忌まわしい名が残されようとも、すべてはどうでもいいこと。



「魔女よ、最後に懺悔すべきことはあるか?」

「何もございません。」

光る剣が魔女の胸を貫き、魔女は息絶えた。

魔女の処刑には皇帝自らが立ち会った。

彼の瞳が潤んでいたことを知る者はそういない。

かつて確かに愛した女をこの手にかけたとき、彼は何を思ったのだろうか。

魔女の胸には銀のペンダントが下げられておりその中には何のものかわからぬ灰が入っていたという。


そののち皇帝と新しい皇妃は光の国と呼ばれるほどに史上まれにみる繁栄を築いたといわれている。


その陰には哀しい女神と魔女の伝説があったことを誰も知らない。

誰も知らない…。


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