ダイナミック身投げとピンクな空気
「コントラ、ビオラを回収して先に行け」
そう言ってファゴットが駆ける。
「――――ッ、茜ェェェェ!」
「はいなァ!」
パンパンパンッ────!
速い。一瞬、咲の表情が強張り、茜が両目を細めた。ファゴットはものすごく低い姿勢で疾走して9ミリ弾を避け、棒高跳びでやっと飛び越せる高さのフェンスを一息で跳び越し……
────ストンッ
またしても蒼神博士の前に舞い降りた。
「命を粗末にしようとしているところ悪いんですがね、役に立っていただきやしょう。ミスター・蒼神」
「うっ……!」
ファゴットが博士の首に腕を回して拘束する。自殺の覚悟が無視された。
「よう、ポッチャリのネーチャン」
ファゴットは蒼神博士を盾にして、不審者ペアの片方を呼んだ。
「はぁーい、なーんでしょ?」
「オレ達にゃ時間がありやせん。4、5分もすれば空爆が開始される。が、そんな状況であっても一つ聞いておきたい事がありやして」
愛想笑いを浮かべてショットガンを振り回す茜に、彼は神妙な顔つきで言った。
「正直に答えてくだせえ。ウソをついていると感じたら、即座にミスター・蒼神を突き落としやす」
「オーケー☆ オーケー☆」
茜の愉快な雰囲気からは、状況の深刻さを考慮しているようにはとれない。
「アンタ…………どっかで会ったことないか?」
ファゴットが目を細めて問う。
「部長ォ、この人もわたしをナンパしようとしてますゥ! 男性ホルモンがとっても不埒ですゥ!」
「まったく男ってヤツはッ! さっさと心の変態飼い慣らせッ!」
パンッ──!
「うおッ――!?」
銃撃とは思えない刹那のアクション。構える、狙う、引き金を引くの連動を無視したような業。ほんのわずかなスキをついて25口径が火を吹き、ファゴットの頬を銃弾がかすめ――
ダンッッッ────!!
咲、大跳躍。フェンスまでの距離が消えてしまったかのようなダッシュ!
────ストンッ
ファゴットの背後を制する気配。
(ちッ、仕方なし)
博士と密着した状態でナイフを握る手に力がこもる。立ち位置的に、人質を無傷で救う方法は無い…………普通なら。
「ちょいとムチャするぜえええええええええええええええええ――――ッッッ!!」
「よぉーし、やっちゃええええええええええええええええええ――――ッッッ!!」
ダンッ────!!
「…………マジかよ?」
ファゴットの体が背後から強烈に引っ張られ、密着していた博士から引きはがされてブワッと宙へ────全身から血の気が引く音がした。
「あっ……」
あまりの展開に蒼神博士の思考がとぶ。振り向き際に目にしたのは、咲の両腕にガッチリと拘束され、空に投げ出される人間の画。
「必殺ぅぅぅぅぅ────!! 天国からの無理心中ぅぅぅぅぅ────!!」
自分がしようとしていたことを、すぐ目の前で別の人間がやった……自らの命を捨てた。
「咲さああああああああああああああああああ――――――──ッッッん!!」
何の感情も浮き上がらなかった。衝動からその名を叫んでいた。彼はフェンスを必死でよじ登り、非常階段めがけて走り出した。
「博士ッ、ドコへ!?」
事態の展開についてこれないでいたエンプレスも走り出す。
「下です!」
今さら下りてどうする? アノ少女は決して助かりはしない。なのに……走って……何をする?
「うんしょ……うんしょ……」
ビオラを懸命に引きずるコントラの脇を、博士とエンプレスが駆け抜ける。特に動じてない茜もスキップしながら後に続く。
(これってマズイよ……な?)
ものすごい空気抵抗をその身に受けながら、落下していく男と少女。すぐに訪れるであろう結末が脳神経を麻痺させ、時間の感覚が著しく狂う。
「さて……」
半分ちょい落ちただろうか、咲部長が両腕の拘束を解き――
「邪魔なり」
ドガッ──!!
落下しながら空中で体をねじり、ファゴットめがけてドロップキック!!
「うごッ!?」
そんなバカなッ……みたいな表情でブッ飛ばされ、窓ガラスを突き破りビルの中へ投入される。で、咲の方は……
――――――――――――――――――――────────バンッッッ!!
できれば耳にしたくない、柔らかい物が尋常でないスピードで叩きつけられた音。正面玄関前のロータリーに停めてあった送迎車が拉げた。
「うわァァァァァ――――ッ!?」
PFRS中に響くアラームに続いて空から人が降ってきたもんで、車の傍に立っていた職員達が散り散りに逃げる。
(………………うぅぅぅ、こりゃヤベぇ……)
車の窓ガラスは全て派手に四散し、落下の衝撃で防犯アラームがけたたましく鳴り出す。しかし、彼女は……汐華咲はまだ生きていた。即死を免れていた。マンションの3、4階から落ちた乳幼児が、芝生と柔らかい土がクッションとなって無傷という例はあっても、この状況での生存は科学的にありえなかった。
「おえッ……!」
喉から熱いモノがこみ上げてきて大量に吐血した。インパクトの瞬間、内臓が何度も肉体の中で跳ねまわり、骨という骨がシャウトした。それでも生きている……そして、数分後。
「…………ひ、ひどい……!」
大破した送迎車の前でヘタリこみ、悲痛の面持ちで呟く蒼神博士の姿があった。自殺を試みるハズだった自分の前で、他人が先に身を投げて死んだ。一人の罪無き少女を巻きこんでしまった罪悪感で、頭の中が真っ白になっていた。いっしょに駆けつけてきた茜は彼の傍に立ち、かける言葉が思いつかずオロオロしていた。
「うっ……うぐぅ……」
止まっていた涙がまた溢れ出し、視界の中の咲が滲んでいる。その咲はハッキリしない意識の中で聞こえてきた博士の嗚咽に反応し、横目でチラっと一瞥をくれた。
ゾクゾクッ……
(あ……こりゃエエわあ~~★)
背徳的な快感みたいなモンがはしって、体のどっかにあるオヤジスイッチを近所の妖精が押した。
「ひっ……ひぐっ……ううっ!」
顔にあてた両手からもれる弱々しい声……彼はヨロヨロと立ち上がり、横たわる咲に歩み寄る。吐血して汚れた彼女の頬をおもむろに指でなぞり、優しくそっと手をそえた。
「うぅぅ……ご、ゴメン……ナサイ……」
ゾクゾクッ……!
(……た、たまらん~~★)
肉体的な痛みがもうどーでもよくなって、すぐにでもむしゃぶりつきたくなる衝動を抑制するのに必死。男性ホルモンと女性ホルモンの決闘が始まろうとしていたその時。
「ていや」
ゴンッ──
「おぐぅ!?」
不意にショットガンのケツで脳天をド突かれて、咲は廃車の天井から転げ落ちた。
「よしよし、しっかり生きてるゥ~~☆」
珍獣の死骸を突っつくみたいなカンジだ。
「……………………へっ?」
遺体を前にしてむせび泣いていたハズだったのに、遺体が元気に跳び起きた。
――――ポカ~~~~ン
「はいはい、生きとるよ……愉快にはしゃぐのは無理だけどね」
咲は廃車にもたれかかり、集中して呼吸を整えている。
「さ、咲さん……アナタの体は……何で出来ているんですか?」
もっともな質問だった。
「咲チャンの肉体は、8割がた性欲で構成されてますゥ」
ある意味人間失格。
「……博士」
「あ、はい……」
初めて聞くか細い声で咲が呼ばった。
「コレが『自殺』……ゴホッ……皮膚が裂けて、内臓が破裂して、骨は粉々……この世界から解放されるワケじゃない……ゲホッ……」
「あ……」
彼は咲の前に両膝を落とし、やりきれない表情で俯いた。
「『死』は何も感じなくなるだけ……人に魂は無く、理性は脳神経の化学反応に過ぎない……そう割り切った人間は生命の単純さに絶望し、人生を投げだす。しかし、それでも生きなきゃいけない……本能に従ってひたすら前進するしかない」
咲の言葉を受けて、蒼神博士はヘリの中で交わした会話を思い出した。
(だからボクは代わりに自分を……)
咲は言っていた。<自分の子を殺害した相手を殺しても、悪とみなされるのか?>……と。彼はそれに対し言った。<いかなる状況でも殺人は悪であり、自分が同じ立場にあっても相手を殺したりはしない>……と。そして、その状況は起きてしまった。息子は生きてはいる……が、全くの別人に造り変えられ、この世から消されてしまったとしか思えない。しかし、妻を手にかけるなんてできない。本能は確かに殺意を滲ませていたが、できなかった。だから、代わりに自分の命を断とうとした。
「ボクは……ボクは何をすればいいんでしょうか?」
5歳も年下の少女に身の振り方を乞わなければならないほど、彼は憔悴していた。
「とりあえずさ、この世知辛い世界で地道に生きていこうかね」
「で、でも……ボクは……」
「心配しなさんな。博士の身はあたし等が守るから。確実にね……グフッ」
どう見ても死にかけている少女から、どうしてそんな強気な言葉が出るのだろうか。
「あ……とにかく、医務室に運んで手当をしないと」
「へへっ……大丈夫ってワケでもないけど、心配無用。でしょ、茜?」
「うんうん、この世から深夜アニメが無くなりでもしない限り、咲チャンは死なないよ」
そんなことで死ぬんだ。
「しかし、応急処置ぐらいはしておかないと」
「う~~ん……じゃあさあ、血で汚れたからナメて」
「……はい?」
「だからァ、口の周りが血まみれでベットリするから、キレイに舐めとって欲しいワケ」
「…………はい?」
重体患者が暴挙に出た。
「痛いなァ、痛いなァ……折角命がけで助けてあげたのに、お願いの一つも聞いてくれないと、傷が腐ってホントに死んじゃうかもよォ」
根性は既に腐りきっている。
――――で。
「クソッ、思ったより傷が深いか……」
沈丁花の奇襲により負ってしまった刃傷の回復が遅く、蒼神博士と茜を追ってヨタつきながら正面玄関に到着したエンプレス。彼女が最初に目にした光景は──
ハァハァ……ハァハァ……ハァハァ……
「……はい?」
目を閉じた蒼神博士が、大破した車にもたれかかるボロボロの少女に擦り寄って、息を荒くしている。
ペチャ……ペチャ……ペチャ……
「…………はい?」
この非常事態でごく一部違う雰囲気が展開されてて、蒼神博士が咲の頬を舐めていたりする。仄かに顔を赤らめながら。
ゾクゾクッ☆ ゾクゾクッ☆
半死半生のハズなんだけど、治療中の患者さんはもうニヤニヤでフニャフニャ。すぐ傍では相方がカメラを回してたりする。
「咲チャン、どう!? 治った!?」
「………………………………濡れた★」
「うおいッ!」
エンプレスがツッコむ。その直後――