クライマックスとフィナーレ
酷評でも構いませんので、感想をよろしくお願いいたします。
朝露が輝く、うっすらと青くて透き通った朝、パンッと、乾いた音が駅のホームに響いた。
「え――――」
頬を叩かれた人物、神川八重が、呆然とした表情で言葉を漏らす。
漆のように艶やかな長い黒髪を風に揺らしながら、シュッと切れそうな真っ白の肌が、頬の部分だけ紅葉型に赤くなっていく。
「バカなこと言わないでよっ――――」
頬を叩いた張本人、蝶野美波が声を荒らげそう言った。
八重の、色付きのビー玉のように鮮やかな眼には涙の雫が浮かんでいて、やがて滑らかな肌を伝っていく。まるで、今の彼女の心情を表すかのように、八重の金色のポニーテールは風によって乱雑に宙を舞っていた。
二人から少しだけ距離を置き、柱に寄りかかっている俺――神川桜は、言葉を発さず、ポケットの中で手を固く握る。
今日だけは、無駄に長い前髪を左右にかき分けて、いつもは猫背な姿勢も、今だけはピンと伸ばして、ただ二人を見つめる。
「確かにそうだよ。八重っちが天文部に来なければ、私とさっくんは、ずっと二人きりでいられた」
「だから――私はあなた達二人の……蝶野さんと桜君の邪魔者で――――」
「違うってばっ」
そう言って、美波は八重に、勢いよく抱き着く。
「私は、天文部の部室で、この三人でいる時間が好きだったんだ。天文部なんて言ってるけど、星なんか全然見ずに、毎日放課後に集まって、三人で過ごすあの時間が……」
美波の話す声が段々と震え始めた。顔は見えないが、泣いているのだろう。
「天文部の存亡を賭けて生徒会の人達と体育祭で争ったり、山奥に合宿に行ったり、三人で学校に泊まり込んで文化祭の用意をしたり、テスト前に、八重っちが私とさっくんに一生懸命勉強を教えてくれたり――――そんな時間が、とても好きだった」
「そうね――――」
八重は、美波の背中に手を回して、優しく、美波の髪を撫でた。
「天文部の思い出は、全部私たち三人で作った物なんだよ。誰か一人欠けてたら、絶対にこんな楽しい一年は送れなかった。私たちは三人で天文部なの。だからさ、自分自身を邪魔者だなんて言わないでよ――――。居なくならないでよ――――」
美波は、八重の肩で声を上げて泣き、八重は、ただ美波の髪を優しく撫で続ける。
八重が持っているローラーの付いたトランクスが、朝日を反射していて、俺には、二人がまるで輝いているように感じた。
「分かった」
八重は、涙を浮かべながらも、微笑んで、スッと目を閉じる。
「私は、蝶野さんを不戦勝にだなんてさせない。正々堂々と勝負をつける事にする」
「うんっ」
「どっちが桜君に選ばれても、恨みっこなし、ね」
そして、八重は初めて、美波の体を自分の方へ押し付けた。
二人は、涙を流しながらも晴れやかに笑っていて、俺はそんな二人を見つめて、穏やかに笑みを浮かべる。
「桜君は、私に言いたい事はないの?」
黙って二人を見つめている俺に、八重が微笑みながら、声をかけて来た。
「いいや。俺は口下手だし、言いたい事はもう、美波が全部言ってくれたからな。まあそれに、こういう時に多くを語らないのが、男の美学ってもんなのさ」
「そういうものなの?」
「そういうもんなんだよ」
「相変わらず、さっくんは無駄に格好を付けたがるよね」
「無駄ってなんだよ」
「なーんでも。フフフ」
美波が笑い出し、それにつられて、俺と八重も笑い合う。
ああ、本当に、この三人でいるのは心地が良い。
「美波、八重」
俺は真剣な面持ちで、二人の名前を呼ぶ。
「明日、放課後に屋上で集まろう。そこで――――答えを出す」
明日、俺達のこじれにこじれた三角関係に、一つの結論が出る。
俺達の物語はクライマックスを終え、フィナーレへと向かっていく。
●
高校では、部活なんてやるつもりは無かった。
ただ、俺はアニメや漫画や小説なんかが結構好きだから、部活に興味が無いという訳では無く、というかむしろ、実際はかなり憧れていた。仲間達と紡ぐ甘酸っぱい青春ストーリーというやつを。
でも、俺は自分が、常人の何倍もめんどうくさがりで、何倍も要領の悪い人間であることを知っていたから、部活に入ったところで、大したストーリーを紡ぐことは出来ないのだと、勘づいてしまった。
だから俺は、入学して最初の一ヶ月ぐらいは、どの部活にも所属せず、ただ呆けた毎日を送っていた。
でも、ある日、廃部の危機だからと天文部に名前だけ貸すことになって、そしたら元々天文部に居た唯一の部員の八重と偶然仲良くなって、そして後から追加で俺と同様の理由で入って来たもう一人の部員の美波と仲良くなって。そんな奇跡がいくつも重なり、俺の青春ストーリーは幕を開けた。
本当に、この一年間は色々な事があった。
目標に向かって三人で協力して、時には対立して、そして最終的にはより強い絆で結ばれる、そんな流れを、もう何度繰り返したか分からない。
笑いあり、涙ありのこの一年間を、俺は一生忘れないだろう。
本音を言うならば、この関係を、これからもずっと続けて行きたいという気持ちも当然ある。でも、もう答えを出さなくてはいけない。
いくら心地が良くても、この関係を続けていては、誰も満たされはしない。
いつまでも、この曖昧な三角関係を続ける訳にはいかないのだ。
スマホの画面に表示されている、天文部の共有チャットに投稿された写真を一枚一枚丁寧に見ながら、俺は静かに覚悟を決める。
窓から入り込む、夕日のベールを通り過ぎ、俺は屋上へと歩みを進めた。
屋上では、きっともう、美波と八重が待っているはずだ。
果たして、あの二人は、どんな様子で、俺の事を待っているのだろうか。
仲の良いあの二人の事だ、談笑でもしているのだろうか、それとも、無言でけん制し合いながら俺の登場を待っているのだろうか。
いいや、それはないな。
あの仲の良い二人の事だ、きっと今も、仲睦まじくしていることだろう。
俺がどんな結論を出そうとも、あの二人がこの一年で紡いだ絆は揺るがないはずだ。
だから、俺は今後の二人の関係性など気にせずに、自分自身の心に正直になって、答えをだそう。
独りよがりだと分かっているけれど、あの二人の絆を信じて、俺の真の気持ちを結論として出そう。
俺は、屋上へと続く階段を一段ずつ噛みしめながら登って行く。
そして、一度息を大きく吸ってから、屋上へと続く扉のドアノブを回した。
扉を開くと、やはり目の前には、美波と八重が並んで立っていて、なだらかな風が、二人の体を揺らしている。
空は、雲の間から夕日が差し込む、良いとも言えるし悪いとも言える、中間の無い曖昧な天気だった。
まるで、灰色と桃色の二色に染まった、俺の青春のようだ。
「お待たせ」
俺の言葉に、二人は何の反応も示さず、ただ俺を真剣な眼差しで見つめてくるだけだった。
俺も、無駄に言葉を紡ぐことはせず、二人の前に立つ。
もう、俺達の間に、無駄な会話も、間も必要ない。
俺は二人を交互に見つめる。
俺が見つめると、二人は聖母のように優しい目を俺に向けてくれた。
この二人は、どんな展開になろうと、俺が出した答えを受け止めてくれる。
それが痛い程分かった。
「スー」
そして、俺の出した答えを読み上げるために、大きく息を吸い込む。
俺達の三角関係は、まさにフィナーレ。クライマックスだ。
――――でも、物語はいつも、予想外の形で進んで行くもので……。
「さっくん」
「桜君」
俺が答えを言う前に、美波と八重が二人して、俺を呼び止める。
「な、なんだよ」
拍子抜けするタイミングで声をかけられたことに、俺は、まるで滑って転んでしまったような気分に俺はなる。
「桜君、答えを出す前に、一つだけ聞かせて」
「さっくんは、私たちのどっちもを、異性として好きなの?」
二人が、同時に俺の事を緊張感のある目で見つめてきた。
質問の意図が分からず、俺は眉間にシワを寄せる。
そして、まともに志向がまとまらないまま、口だけが勝手に動いた。
「……えっと、正直に言うなら、確かに俺は、二人とも、異性として好きだよ――――」
我ながら、最低な事を言っている自覚はある。でも、これが俺の本音だ。
その言葉を聞いて、美波は照れ笑いを浮かべ、八重は俺から目を逸らして唇をかみしめる。全く違う反応をする二人だが、耳まで瞬時に赤くなったのは、共通だった。
「でも、二人とも好きでも、そこには優劣がある。だから、曖昧な事は言わないから安心して欲しい。俺はしっかりと答えを出す」
そう言って、俺はまた大きく息を吸い込む。
ただ、また中途半端なタイミングで、八重に止められてしまった。
「いいえ、私と蝶野さんにとって重要なのは、優劣があるという事では無くて、二人共の事を桜君が好きでいてくれているという事実なの」
「は?」
「じゃあもう、率直に言ってしまうわね」
「実は、さっくんが来るまで、私たち、二人で話し合ってね、それで決めたんだ」
八重は、美波のその言葉と同時に、大きく息を吸い込んだ。
「――――私と蝶野さん……いえ、私と美波さんは、百合カップルになることにしたの」




