第6話 ●幼少の夢
ノック音がして、聞き慣れた声がした。
リワン「姫? リワンです。宜しいですか?」
部屋に居た三人は顔を見合わせた。
アイラ「どうぞ」
入ってきたリワンは、部屋に三人が揃っていることに やや驚いた。
リワン「何だ、皆 揃ってるんだな」
エイジャ「〈ニヤニヤして〉お前こそどうした? 今日は気まずいんじゃなかったのか? あ"っ…!」
最後のエイジャの呻き声は、リワンがエイジャにさり気なく近付き、思い切り足を踏ん付けたものだった。
リワンはアイラを見て言った。
リワン「やはり体調が気になって来ました。今晩は私が付きます。
と言っても、できる事はあまりありませんが…」
アイラは恥ずかしそうに目を逸らせた。
アイラ「ありがとう」
リワン「〈目を合わせずに〉いえ…。〈リファを見て〉リファ、今晩は城に泊まってくれ。お前一人で家に置いておけない」
リファ「え? あ、はい」
エイジャ「じゃ、俺 行くわ。
〈リワンに〉あ、引継ぎ。そいつ、何回かぶっ倒れそうになってっから。フワフワするとか何とか言ってたぞ。ほんじゃな」
エイジャは出口へ向かいながら、リワンに見えない所で アイラに口パクをした。
エイジャ (や・っ・ち・ま・え!)
アイラとリファは、ギョッとして目を泳がせた。
リワンは
リワン「失礼します」
と言って、アイラの首の脈にしばらく手を当てた。
アイラの鼓動は跳ね上がったが、依然 視界はふわふわとして、寝台に手をついて上体を保っているのがやっとだった。
リワンは手を引っ込めると、傍の机に置いてある リファの持って来た薬湯を見た。
リファ「あ…、それ、目眩にと思って、今 持ってきたの」
リワン「そうか」
彼は薬湯を器に注ぐと、小指でペロリと確かめた。
リワン「姫、飲んでみて下さい」
アイラ「うん…〈器を受け取り、全て飲む〉辛っ! 甘っ!」
リファは笑った。
リファ「ごめんね。でも血の巡りを良くするのよ。それ、私もクラクラする時に良く飲むの」
アイラ「ん…、ありがとう」
リファは、器を受け取ると、部屋を出ていった。
・・・・・・・
アイラは 壁にもたれて、ぼんやりと窓から日の暮れた中庭を見た。
リワンは窓辺の近くの長椅子で、本を読んでいた。
空には白い月が昇り始め、中庭の東屋や植えられた木々に薄い影を作っていた。
柘榴の木に真っ赤な花が咲き、春の終わりの風に揺れていた。
アイラは、木々の揺れる影の中に、母の舞う影を見た気がした。
アイラ「母さま…?」
リワンは訝しげにアイラを見た。
リワン「…姫?」
アイラは 何でもないというように小さく首を振ると、白い月を見上げながら、掠れた声で 母に習った舞の詩を口ずさみ始めた。
アイラ「一歩くるり 二歩くるり
くるくるり…」
アイラは小さい頃を思い出していた。
アイラ (あぁ、あの頃は良かったなぁ…。
母さまが居て、父さまがいて。おぼろげだけど、まだ弟がいたんだっけ…)
王妃「アイラ…」
アイラは 窓から見える真っ白な月から、母の声が聞こえたような気がした。
アイラ「母さま…?」
彼女は壁に手をついて、寝台からヨロヨロと立ち上がった。
リワン「?」
リワンは不安げに彼女を見た。
アイラは、まるでリワンの声が聞こえていないようで、吸い込まれるように中庭に出た。
王妃「アイラ、"月の光"という意味よ。
真っ暗な闇を優しく照らす、そんな人になってほしくてつけたのよ」
アイラ「母さま…。私、闇を照らすなんてできないわ。
私そんな、ちゃんとした人間じゃないの。
むしろ、私自身がドロドロの闇みたいよ。
他を照らすなんて、それどころじゃないの!」
すぐ後ろから付いて来ていたリワンが、不安になって話かけた。
リワン「姫? 誰と話しているのですか? …少し混濁しているようですね、戻りましょう」
白い月は、なおも話しかけてきた。
王妃「アイラ、あなたは何者なの?」
アイラ「私…? 分からないわ。敵国に送られる奴隷かしら」
王妃「あなたは踊り手でしょう? 踊りなさい」
アイラ「踊ってる場合じゃないんだって…!」
王妃「あなたがあなた自身である時に、他を照らすことができるのよ」
アイラ「別に、照らしたいなんて思ってないもの! 照らされたいのは むしろ私よ!
半月後にここを追い出されるっていうのに、誰か私に希望を与えてよ!」
王妃「つべこべ言わず、おやりなさい。今!」
アイラは仕方なく、眉をハ(は)の字にして、先ほどの舞の詩を もう一度口ずさみ始めた。
ゆっくりと両腕を翼のように広げ、満点の星空に そのもの言う指先を据えた。
アイラ「一歩くるり 二歩くるり
くるくるり
背骨は吊られて またくるり
手は背から生える翼
脚は溝落ちから下 水鳥さん…」
月に照らされたアイラの舞は、ぼうっと白く光り、どこか この世のものとは思えないように見えた。
不思議な事に、彼女はこの体調の中、くるりと回る足元も安定していた。
リワンは、惚けたように、アイラの舞に魅入っていた。
リワン (どこかへ飛んでいってしまいそうだな…。そうだ。あの舞も、もう見納めか…)
リワンは、出会った頃にこの中庭で見た、小さなアイラの舞を思い出していた。
するとどういう訳か、今まで感じた事の無い激しい焦燥感が襲ってきた。
"手放して良いのか? まだ目の前に居るんだぞ"
そんな言葉が聞こえてきた。
リワン (何をバカな…! 良いも悪いも、俺にどうこうできることじゃない…!)
リワンはかぶりを振って、自らに反論した。
砂を含んだ乾いた冷たい夜風が、アイラの細い足首をさらった。
アイラはふと翼を下ろし、月光の下に見える愛しい人をまっすぐに見つめた。
リワンも、まっすぐにアイラを見つめていた。
木々の揺れる音が消えて、まるで時間が止まったようだった。
アイラ (あぁ、もう ここには居られないんだわ…)
アイラがそう思うと、再び時間は動き出した。
砂混じりの冷たい夜風が、リワンの美しい金色の髪を揺らしたのを見た所で、彼女の世界は暗転した。
リワン「!」
誰かが、身体を揺さぶっている。
起きたいのに、どうしても起きられない。
アイラは沈んでいく意識と戦い、必死に目を開けようと試みたが、敢えなく敗れた。
遠くで、大好きな人が 自分の名前を呼んでいる声が聞こえた。
が、それもやがて、何も無くなった。
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● 長い長い、夢を見た。
アイラ〈四歳。短い黒髪を、後ろで一本のおさげにしている〉が城の中庭で母に舞を習っている。
王妃である母〈二十四歳。黄色の肌に茶色の瞳、黒髪を後ろで一本のおさげにしている。薄紫色のジャンパースカートを着ている〉より少し遅れて、アイラが真似をする。
弟 ゼダ〈二歳。黒髪に黄色の肌、茶色の瞳。顔が姉とよく似ている〉が、姉の舞を見ながら、その傍で弦楽器をピンピンと楽しそうに弾いている。音は全く合っていない。
王妃「
一歩くるり 二歩くるり
くるくるり
背骨は吊られて またくるり
手は背から生える翼
脚は溝落ちから下 水鳥さん
掌から散らすのは
花か夢か星屑か
指先は遠くを通ってを翻し翻し
見えない足跡を
引いて描いて かき消して
指先一つ
目線一つに意思持って
一歩くるり 二歩くるり
くるくるり
背骨は吊られて またくるり
〈笑って〉そうそう、上手よアイラ」
アイラは 母に褒められて、嬉しそうに満面の笑顔を見せた。
アイラ「うへへへぇ」
ゼダ「姉たま じょうず、じょうず」
ゼダは小さな手でパタパタと拍手をすると、にっこりと笑った。
アイラ「ゼダもね」
ゼダ「〈満面の笑み〉うへへへへぇ」
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ゼダが、迎えに来た江国の役人に手を引っぱられている。
アイラは弟の反対側の手を離そうとしない。母王妃は立ち尽くして泣いている。
ゼダ「〈泣きながら〉姉たま!」
アイラ「どうして?! どうしてゼダをつれて行くの?!」
王〈四十六歳〉「ゼダは江国の皆さんが育ててくれるんだよ」
アイラ「どうして?!」
王「平和の為なんだ」
アイラ「何で?!」
王「〈目が赤くなっている〉アイラ、駄々をこねないでくれ。私も辛いんだ。あ、たた…〈胃を抑える〉」
王妃「〈夫に寄り添い〉あなた…」
アイラ「いや! ゼダはアイラの弟だよ! つれて行かないで! 父さまも母さまも、どうして助けないの?! ゼダ!!」
アイラは、がしりとゼダに抱きついた。
アイラ「ゼダはアイラの弟だから、ねえさまが守ってあげる!」
ゼダ「姉たま…〈しゃくりあげながら〉怖いよぉ!」
アイラ「〈ぎゅっと抱きしめながら〉ゼダ、ずっと一緒よ」
江の役人『困りましたなぁ』
父王は仕方なく、アイラの小さな両腕を掴んだ。
アイラ「父さま?! 何するの!」
その隙に、江の役人がゼダをアイラから引き離し、抱っこした。
ゼダ「姉たま! 姉たま!!」
アイラ「ゼダ!! いや! 絶対やだ! 離して!!」
アイラは、泣きながら父の腕に噛み付いた。
王「あた!」
アイラは父の手が弱まった隙に、ゼダを追いかけて走った。
が、今度は 城に常駐する江国出身の役人リュウが、アイラを捕まえた。
アイラは、リュウの腕の中でジタバタした。
アイラ「離して! ゼダ! ゼダ!!」
ゼダ「姉たまーっ! 母たまーっ! 父たまーっ!」
ゼダは江の役人に抱っこされながら泣き叫んでいたが、角を曲がった所で見えなくなり、やがて声も聞こえなくなった。
アイラ「ゼダーーっ!!!」
・・・・・・・・・・・・
数日後、中庭の東屋に 小さなアイラがぼんやりと座っている所へ、母がお盆を持ってやって来た。
王妃「アイラ、ほら、棗椰子と甘いヨーグルトよ。
あなた、甘い物 大好きでしょ?」
アイラは、母が来ると険しい顔になった。
アイラ「……。」
王妃「アイラ?」
アイラ「どうしてなの? どうして父さまも母さまも、ゼダを渡しちゃったの?」
母は、小さな娘の非難に打ちひしがれた。
王妃「アイラ…。四つのあなたに、話して分かるかしら…?」
アイラ「〈疑惑を含んだ瞳で〉父さまと母さまは…、味方じゃないの?」
王妃「味方よ…。それなのに 本当に…、変ね…」
母は涙ぐむのを必死に堪えた。
アイラは 母の後ろから父が来るのを見ると、険しい顔をして、何処かへ駆けて行ってしまった。
王妃「アイラ…!」
王「どうした?」
王妃は夫を振り返ると、たまらずその肩を借りて泣いた。
王妃「どうしてゼダを渡したのか、って。私達は味方じゃないのかって、アイラが…。
私の…、かわいいゼダ…! ゼダを…! 渡してしまうなんて…!」
王は、肩を震わせ しゃくりあげる妻を抱きしめ、微かに項垂れた。
王「すまない…。お前に…、こんな思いをさせて…」
王妃は 夫の腕の中でハッとすると、手の甲で涙を拭った。
王妃「ごめんなさい…。この国の王家にどんな運命が課せられているかは、分かっていた事だったのに…。
〈泣き崩れて〉私は…、大丈夫です」
王妃は、言葉とは裏腹に、溢れる涙を止める事ができなかった。
王は再び妻を腕の中に抱き、背中をさすった。
王「無理をするな」
王妃はしゃくりあげながら言った。
王妃「あなた、あの子、ゼダが行ってしまってから、殆ど何も食べていないわ…」
王「うむ…」
王妃「一人でぼんやりしてばかりで…」
王「そうだな…」
王妃「何か…、何か食べさせないと…」
王妃は夫の胸から離れ、また手で涙を拭うと、夫の顔を見た。
王妃「誰か…、年の近い子供が居ないでしょうか…。
私達や大人には疑念を抱いているようですし…。
遊び相手ができたら、少しは元気になるんじゃないかしら…」
王「そうは言ってもなぁ。姉の子供達も異国に取られてしまったし、残った男の子達も、どうもあいつとは気が合わんようだしなぁ。
この前も、取っ組み合いの喧嘩になって 怪我をさせて、姉から苦情が入ったばかりだし…」
王妃「そうでしたね…。アイラは気性が荒いですからね…」
王「そうだ! 先だって、遠縁のリヤンが、十年ぶりに西国の留学から帰って来たんだった!
向こうで結婚して子供を二人設けて、確か、上の子は七歳、下の子はアイラと同じ四歳と言っていた。
奥方は向こうの人らしいが、子供達は、言葉はリヤンが教えていて、喋れるらしい」
王妃「まぁ…」
王「二人とも、リヤンに似て 穏やかな性格と聞いた。その子達に会わせてみるか」
王妃「そうですね。気が合うと良いのですが…」
王妃はやっと笑顔をのぞかせた。
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数日後、父王は、医官のリヤン〈三十四歳、黒髪、茶色の瞳、黄色の肌。理知的で穏やかな性格〉と、その妻ミーナ〈二十七歳。金髪に白い肌、緑の瞳。見た目に合わず、姉御肌で気の強い性格。代々 武将の家の娘〉と、子供を二人連れて、アイラがぼんやり座っている中庭の東屋にやって来た。
リワン〈七歳。長めの金髪ボブ、緑がかった瞳、肌は黄色〉「姫様、はじめまして。リワンともうします」
妹のリファも、兄の後ろに隠れて 恥ずかしそうに挨拶した。
リファ〈四歳。兄と良く似ている。金髪を後ろで一本の三つ編みにしている。肌は白く、人形のように可愛い。ピンクのジャンパースカート〉「はじめまして、リファです。おめにかかれてこうへいです」
リワン「こうえい、だろ?」
リワンは、妹の耳元でこそっと言った。
リファ「あっ!」
アイラは、二人の兄弟を 羨ましそうに、そして寂しそうに見て、お辞儀をした。
アイラ「……。はじめまして。アイラです」
アイラは二人をじっと観察した。
アイラ「二人とも、お母さまと同じ金色の髪と緑色のお目々なのね。
お人形さんみたいで、二人ともとってもきれいだね」
リワン「ありがとうございます」
リワンは品良く微笑んで言った。
リファ「ありがとう」
リファも、兄の後ろで恥ずかしそうに微笑んだ。リワンがまた妹に耳打ちした。
リワン「ございます、だろ?」
アイラ「ううん、いいの。普通にお話しして?」
リファ「じゃあ、アイラだから、アイちゃんね!」
リワン「こら、リファ!」
アイラ「ありがとう! リ…ファ?」
リファは兄の後ろで、恥ずかしそうににっこりと微笑んだ。
リファ「そうよ」
久々に子供らしい笑顔を見せるアイラの顔を見て、両親は嬉しそうにリワン達の両親に会釈をした。
リワン達の両親もそれ程 恐縮せずに、ごく自然体で会釈を返した。




