第5話 買い物
アイラと母は、ジン達と街の偵察から帰った日の午後から、早速 創作に取りかかった。
中庭の東屋で、親娘は振付を考え始めた。
エイジャとチェンは離れて座り、午後の乾いた風に吹かれていた。
<その夜>
アイラの部屋にコンコンとノック音がした。
アイラが戸を開けると、毛布を持った母と、チェンが後ろに立っていた。
王妃「私、この一週間はあなたの部屋で寝るから、宜しくね」
アイラ「えっ? そうなの?! 嬉しい!」
チェン「王妃様、何かありましたら隣の部屋におりますので。おやすみなさいませ」
王妃「えぇ、ありがとう。おやすみなさい」
チェンは部屋の前に座るエイジャを見流すと、去って行った。
エイジャ (気持ち悪りぃやつ…)
王妃は娘の部屋に入ると、長椅子に横になり毛布を被った。
王妃「今日の進み具合なら、あと六日で完成しそうね」
あと六日と聞いて、アイラは自分の寝台に入りながら 悲しく目を伏せた。
アイラ「うん…」
母は娘の顔を見ると、 ほんの一瞬 自分も落ち込んだが、明るく言った。
王妃「ね、どうしよう! 私 振り 飛んじゃったら!」
アイラ「母さまが振りが飛ぶとか、あるの?」
王妃「あんまり無いかな」
アイラ「でしょ?」
夜の静けさの中、蝋燭の灯がチラチラと揺れた。
親娘は一緒に居られる幸せを噛みしめていた。
アイラ「消すね?」
アイラが枕元の明かりを消すと、窓からの白い月の光が部屋を朧げに照らした。
母はまた娘に話しかけた。
王妃「ねぇアイラ」
アイラ「ん?」
王妃「あなたも もう十三だから、そろそろ好きな人でもいるのかしら?」
アイラ「い…、いるよ」
アイラはもっと時があるのなら白状しなかったが、母との時間もあと僅かなので、話せることは話したかった。
王妃「リワンでしょ」
アイラ「!」
王妃「フフフ、見てれば分かるわ。リワン、素敵よね。文句無いわ。ちょっとだけ頭が硬そうだけど」
アイラ「そこがいいのよ! 真面目で誠実、エイジャとは大違いだわ。私、結婚するならリワンのお嫁さんになりたい。他の国になんか行きたくない」
王妃「ん…。じゃあ、できるだけ私が草馬で長生きしないとね」
アイラ「? どうして?」
王妃「もし私が死んでしまったら、今度はあなたをよこせと言ってくるわ」
アイラ「!」
王妃「そうならないように私 頑張るから、心配しないで リワンへの恋を楽しんで」
アイラ「?! リワンと恋をしていいの?」
王妃「んー…、"あぁ、好きだな"って思う所までね。その切ない思いを知ることが、舞の表現の厚みになるわ」
アイラ (芸の肥やしね…。母さまらしいけど…)
アイラは がっくりきて、密かにため息をついた。
アイラ「母さまも…、私はリワンと結婚できないと思う?」
王妃「多分ね…。〈微笑んで〉リワン真面目だから、逸脱してくれないでしょ?」
アイラ「逸脱? どういうこと?」
王妃「やってはいけないと分かっていても、あなたを選ぶ、ってこと」
アイラ「あぁ…。じゃあカルファは…、逸脱してまでも 母さまを好きだったんだね」
王妃「その分…、あの人の順調な人生を台無しにしてしまったわ…。何もかも奪って、沢山の人に迷惑をかけた。どうしたら良かったのか、あの人にどうやって償ったら良いのか、今でも分からないの…。リワンを…、そんな目に遭わせたくないんでしょ?」
アイラ「う…ん…」
アイラは目を伏せた。
王妃「…リワンには伝えたの? 向こうは何て言ってるの?」
アイラ「何度か伝えてるけど、私には大事な役目があるからダメって、取り合ってくれないの。私のこと、好きなのか嫌いなのか、分からない」
アイラは しゅんとして黙った。
母は、悩める娘のしょんぼりした顔を見て、微笑んだ。
王妃「ねぇアイラ、希望を捨てちゃダメよ。私の実家、見たでしょ? あそこからこの城へ入って、王様のお兄様方が次々に亡くなられて、思いがけずあなたのお父様が王様になられて、その宴で舞った私が求婚されて、どういう訳か あのボロ屋で育った私が王妃になることになったわ。愛も…、思いがけず知ることができた…。〈寂しそうに微笑んで〉そして今度は、また思いもよらずに、敵国へ行くことになった…。人生、何があるか分からないびっくり箱よ」
アイラ「うん…」
アイラは草馬と聞くと胸が締め付けられるようで、毛布を頭まで被った。
母は、毛布に潜り込んでしまった娘を見ると、窓の月の光を見ながら愛しそうに微笑んだ。
王妃「父さまのことは…、嫌い?」
アイラ「嫌い」
母は困ったように笑った。
王妃「確かにちょっと変わった所もあるけど…。でもお父様は、この小さな国を守ろうと一生懸命なのよ。アイラ、あなたがお父様の立場に立ったら、もっと できないかもしれないじゃない」
アイラ「そう…かな?」
王妃「実際に自分がやってみたら、見ているより難しいものよ。余裕が無くてイライラしたり 冷たい物言いになったりするけど、あなたのお父様は暖かい人よ」
アイラ「分かってるけど…。父さまは…、私達を駒として見てるよ。どう利用できるか、って…」
王妃「それも…、仕方なく そうならざるを得なかったのよ。自分の本音を押し殺している内に、いつのまにかそういう思考回路が身についてしまって…。二つの大国のどちらに付くか、その他の異民族だって居て、何十年何百年で、国が興っては消え、消えてはまた興る…。民を守りたいけれど、力関係によって、言いなりにならざるを得ない。苦しい立場よ。だから、あなたにも酷い言動になる時もあるかもしれないけど、できるだけ、許してあげて?」
アイラ「……。父さまが苦しいからって、私が酷い扱いを受けて我慢するのは、違うと思う」
母は目を丸くして、こんもりとした娘の毛布を見た。
王妃「〈嬉しそうに〉どうして…、あなたはそんなに自分を確立できたのかしら…?」
アイラ「……。良い所も悪い所も、全部あなたはあなたって、母さまいつも言ってくれるじゃない」
王妃「そう…だった?」
アイラ「そうだよ。いつだって丸ごと、私を認めてくれたよ」
王妃「そう…」
母は、自分のやってきた子育てを前に、うるりと目を潤ませた。
アイラ「でも何かもう、父さまには 何もかも腹が立つの!」
王妃「〈笑って〉それは、あなたが大人になりかけている証拠だわ。ちゃんとそんな時期が来てくれて、私 嬉しい」
アイラは不機嫌に黙り込んだ。
朝の視察、午後の舞の稽古の疲れで、アイラはいつの間にかストンと眠りに落ちてしまった。
母は、娘がいきなり寝息を立て始めたのを聞くと、長椅子から這い出して、娘の寝台にそろそろと歩いて行った。
頭まで被った毛布を剥がしてみると、娘は赤ちゃんの頃と同じ顔をしていた。
王妃「あなたの寝顔を、この目に焼き付けておきたい。私の幸せ…」
母は娘に頬擦りをして 何度も頬や額に口付け、宝物のように抱きしめた。
王妃「もっと…、あなたを傍で見守っていたかったわ…。リワンへの恋の行方も、見届けたかったな…」
母は娘を抱きしめて、苦しそうに窓の白い月の光を見た。
・・・・・・・・・・
<翌日の朝>
草馬人がうろつく二階の広間で、アイラは父に願い出た。
草馬の将は居なかった。
王「何ィ?! 食料配給に同行したいだと?」
アイラ「はい。午前中は母さまと舞を作っているから、午後から手伝いに出たいの」
王「あた…たた…」
王は胃をさすった。
ナザル (オイオイ。まだ江の残党も街には潜んでるのに。何かあったらどうするつもりなんだ…)
側で聞いていたナザルは、半目になって心の中で突っ込んだ。
アイラの斜め後ろに跪くエイジャは、眠そうにあくびを噛み殺した。
リワンがまだ復帰しない為、あまり まともに寝ていなかった。
ナザル (あいつも殆ど機能してねーし…)
ナザルは、横目でエイジャを見た。
遠巻きに聞いていたスレンが、ジンに耳打ちした。
スレン『あの娘…、何て言うか、単純なんですね』
ジン『……。』
隣の王座で聞いていた王妃は、遠慮がちに口を開いた。
王妃「あの…、できることなら私も…、行きたい…です…」
王妃の声は、最後の方は消え入りそうだった。
王妃の後ろに控えるチェンは、表情は崩さなかったが、 目は"オイオイ"と言っていた。
王は口を開けたまま黙った。
タルカン『それみろ。お前が甘やかすから、図に乗っただろうが。人質のくせに』
スレンの反対側に居たタルカンも、ジンに耳打ちした。
ジン『……。』
王はやっと我に帰ると、いきなり怒鳴った。
王「ダ…、ダメに決まっておろうが! 特に王妃よ、其方は大事な身柄であろう。城で大人しくしていてくれ!」
王妃「〈俯いて〉は…い…。申し訳…ありません…」
アイラはムッとして、口をへの字に曲げた。
アイラ「どうしてよ! 父さまは街の様子を見てないからそんな事言えるんじゃない!」
ジン達三人は、父に噛みついたアイラを 驚いて見た。
王「何をぉ? お前は黙っとれ! 何も分かっとらんくせに!」
アイラ「分かってないのはそっちでしょうが!! 今から見て来たら良いわよ! 上に立つなら、まず真っ先に現場なり前線に出てから言ってよね!」
王「何だとぉ?!」
王は王座から立ち上がった。
王妃「あ、あなた…!」
王妃も立ち上がり、後ろから夫の手を引いた。
エイジャは眠そうな目を開け、面白そうに親子喧嘩を観戦し始めた。
ジン『…すごいな…』
スレン『はい…』
タルカン『……。』
アイラ「椅子に座ってても、本当の事は分からないわ! 上に立つなら、自分も最前線に立って、同じ目に遭ってみることよ!」
王「司令塔が前線で討ち死にしてどうする! もっと大局的な目で見んか! 少しの犠牲で多くを得られれば、それに越したことは無かろうが!」
アイラ「自分が痛い目見ないから、少しの犠牲とか言えるのよ! 自分がその犠牲になるなら、そんな命令 絶対出さないはずだわ。他人事なのよ。座ってゲームをしているだけだわ! 草馬には 母さまじゃなくて父さまが行ったらいいのよ! 駒になってみろっての!」
スレン『おぉ…』
ジン (……。)
王「何をぉ?!」
王は妻の手を振り切って、娘の方へツカツカと歩いて行くと、アイラの髪を両手で引っ掴んだ。
王「何も分からんで口だけ一丁前に、こ…のバカ娘が!!」
アイラ「イタッ! 痛いって! 何すんのよ!!」
アイラも父の薄くなった髪を引っ掴んだ。
エイジャは、止めもせずに主人の後ろから面白そうに観戦していた。
ナザルは半ばうんざりしながら親子の間に割って入り、二人を引き分けた。
ナザル「姫、街にはまだ江人が多く居ます。何かあったらどうするんですか」
アイラは、また口をへの字に曲げた。
エイジャは喧嘩が収まり、つまらなそうにあくびをした。
ジン「……。」
ジンは腕を組み、やれやれと小さく息をついた。
・・・・・
<翌日>
朝のまだ涼しい風が吹く中、中庭の東屋で親娘は宴に出す舞の練習をしていた。
エイジャとチェンは、例によって離れて座っていた。
エイジャは、こっくりこっくりと朝から居眠りをしていた。
言伝があって二人を探していたジン達三人は、暫く親娘に見惚れた。
スレン『へぇ? あのじゃじゃ馬っ娘、踊りは上手なんですね』
ジン『みたいだな』
王妃はジン達に気付いて、会釈した。
ジンはスレンとタルカンを置いて、親娘に近付いて行った。
アイラは目を逸らして俯いた。
ジン「美しいですね。見惚れてしまいました」
王妃「ありがとうございます」
王妃は嬉しそうに目を伏せた。
ジンは、不安そうに俯いたアイラを見て言った。
ジン「行けますよ」
アイラ「え?」
アイラは顔を上げてジンを見た。
ジン「街の手伝い。お二人で。但し、城の前の中央広場だけですけど」
アイラと王妃は、目を丸くしてジンを見た。
ジン「ちゃんと、どちらの許可も貰いました。その代わり、お二人に何かあったら、私の首が飛びますから、指示には従って貰いますよ? ナザルさんにもついて来て貰います」
アイラ「…!」
王妃「ありがとうございます…!」
ジンは軽く微笑むと、踵を返して行ってしまった。
アイラは、ジンの背中を見送った。
アイラ (何あの人…。どうして優しいの? 草馬人のくせに…)
去り際、冷たそうな男が、舌打ちをしてアイラを睨みつけていった。
アイラは怖くて目を逸らすと、また眉根を寄せて俯いた。
・・・・・・
その日の午後から、親娘は中央広場へ手伝いに出るようになった。
王妃と王女が 市民に混ざって作業をしているとの噂はすぐに広まり、市民は一目見ようと広場にやって来た。
二人が食糧を運んだり配ったり、その他 諸々の作業をしている姿を見て、恐ろしい草馬の支配下に置かれてすっかり怯えていた市民は、大いに勇気付けられた。
アイラと王妃には、沢山の護衛が付いていた。
移動する時は、ジンが先頭、スレンが最後尾で、アイラの斜め前にナザル、斜め後ろにエイジャ、王妃の斜め前にタルカン、斜め後ろにチェンが付いていた。
チェン『どうして王妃様にジンさんが付かないの?』
チェンは食糧を配る王妃の後ろで、タルカンに話しかけた。
タルカン『腕は俺の方が上だ』
チェン『あらそうなの。私、強い男って好きよ? 仲良くやりましょ?』
タルカンはチェンを目の端でチラと見ると、無視した。
チェンは可笑しそうにクスクスと笑った。
配る食糧はすぐに無くなった。
アイラ「ごめんね、また明日来るから…」
子供も大人も、アイラと王妃の近くに居るジン達 草馬人に怯えて、文句も言わずそそくさと散って行った。
アイラ (すぐに無くなってしまうな…。でも今 私ができることはこれ位だわ…)
アイラは市民達と一緒に、片付け作業にとりかかった。
・・・・・・・・
リワンが復帰してきたのは、週の中盤を過ぎた頃だった。
王妃との舞の稽古が終わった頃、リワンは主人の元へやって来た。
彼は少し疲れているように見えた。
アイラは遠目で すかさずリワンの姿に気付くと、全速力で走って行った。
エイジャは あくびをしながら、後ろからタラタラとついて行った。
アイラ「リワン! おはよう!」
アイラの見えない尻尾がブンブンと振られているのが、腹心の二人には見えた。
リワン「おはようございます。姫、お休みを頂いて、ありがとうございました。エイジャ、すまない…。寝てないだろ?」
エイジャ「あー、むしろずっーと中途半端に寝てるような…。リファ大丈夫なのか?」
リワン「…死んだ」
アイラとエイジャは、リワンの言ってる言葉の意味が分からなかった。
アイラ「…え?」/エイジャ「…は?」
二人は暫く固まっていたが、エイジャがやっと言葉を継いだ。
エイジャ「え…? だって、え? あいつ…そんなにまずかったの?」
リワン「急に悪くなって…」
エイジャ「ウソ…だろ…?」
エイジャはなぜか、酷い衝撃を受けている自分に気が付いた。
アイラは驚きの余り、目を丸くしたまま言葉が出てこなかった。
リワン「それで…」
アイラ・エイジャ「……。」
二人は呆然と立ち尽くしていた。
リワン「その後、生き返った」
エイジャ「……は?」/アイラ「……。」
アイラとエイジャはまた、リワンの言っている意味が分からなかった。
エイジャは暫くすると、リワンが からかっているのだと思い、酷く腹が立った。
エイジャ「お前さぁ、そういうのやめろよ。いくらなんでも、言っていい冗談とそうじゃないのがあんだろが」
リワン「からかってない。本当だ。俺も母も、リファが息を吹き返した時は、こっちの心臓が止まるかと思った」
アイラとエイジャは、口を開けたままだった。
リワン「リファが言うには、ここではない世界で、俺がリファの止まった心臓を何度も圧迫して蘇生して、腹を開いて損傷箇所を元通りに縫ったらしい。俺の思い描いている世界が本当にあると言っていた」
アイラ「……。」
エイジャは、はたと首を傾げた。
エイジャ「……。あいつ…、頭おかしくなっちゃったんじゃねーの?」
リワン「俺も初めそうかなと思ったんだが、注意深く観察していても、他に妙な事は言っていないんだ。ただ、一旦消えた脈が戻って来た事だけは確かだ。戻ってからは、信じられない位 順調に回復している。恐らく、王妃様の送別の宴にも、運べば来れると思う。別の世界で治してきたらしい…」
エイジャ「……。」
エイジャは首を傾けたまま、無表情で言った。
エイジャ「俺…、お前は現実的なやつだと思ってたんだけどな…」
リワン「全くだな。一つも理解できないし、一つも信じられない」
エイジャ・アイラ「……。」
エイジャは、リワンの緑がかった目を、疑心暗鬼になって まじまじと見つめた。
エイジャ「リファが死んで、お前とミーナさんが現実逃避の為に二人ともおかしくなったのか、お前だけおかしくなってこんな作り話をしてるのか、それか、お前の言う通りリファが本当に生き返って、リファだけおかしくなってるのか。あー、やべぇ、誰がどこまで正気なのか分かんねーんだけど。すんげぇ怖ぇ。人が信じられねーって、怖すぎるな…」
リワン「三つ目の、本当に生き返って、リファだけおかしくなっている、だ」
リファはおかしくなっていなかったが、その選択肢が一番近かった。
エイジャ「だったら余計、ありえねぇ」
リワン「全くだな」
アイラ「お…脅かさないでよ、リワン。リファが、し…死んだなんて…!」
リワン「いえ、でも報告としては、それが事実でして…、あ…」
アイラは、うるうるとなった目を見られまいと伏せた。
リワン「…すみません。確かに、結論から先に言うべきでした。心配おかけして、申し訳ありません…」
アイラは首を振った。
アイラ「リファが無事で…、良かったよ…!」
リワン「はい」
エイジャ「じゃあ俺、今日 非番な。寝倒すわ」
リワン「あぁ。ゆっくり休んでくれ」
・・・・・・
<その日の午後>
アイラ達が街の手伝いに出ると、政変があって間もないというのに、強かな商人達が、ポツリポツリと城の前の中央広場で露店を広げ始めていた。
アイラ「わぁ…」
親娘は、交易路をはるばるやって来た異国の品々に目を奪われた。
ジン「…帰りに見て行きますか?」
タルカン『おい! 甘やかすなと…』
アイラ「見たい」
タルカン『なっ…』「〈アイラを冷たい目で睨みつけて〉第一王女よ、調子に乗ると…」
アイラは怖くて、俯いてリワンの後ろに隠れた。
ジン「まぁ…、城のすぐ近くだから大丈夫だろ」
タルカン『おいジン、お前のその甘さは命取りだぞ!』
ジン『〈ポリポリと頭を掻きながら〉分かった。タルカン、お前の忠告には いつも助けられてる』
タルカン『〈グッと口をつぐむ〉……。フン!』
王妃「〈言いにくそうに〉その…」
ジン「?」
王妃「〈娘を見ながら〉もし…、時間が余れば…」
タルカンは図々しいとばかりに目を細め、王妃を睨みつけた。
王妃は俯いてチェンの後ろに半身を隠した。
ジン「〈笑って〉余らせましょう」
リワン「……。」
リワンはジン達をよく知らないので、草馬人三人の人柄を注意深く観察していた。
アイラ達が作業に励む間、この日も噂を聞きつけた市民が、一目王妃や王女に会おうと、人だかりができ始めた。
王妃は笑顔で皆に手を振った。
アイラは恥ずかしそうに目を泳がせていた。
護衛達は人だかりに警戒を強めた。
タルカンはチェンに、彼女にだけ聞こえる声で話した。
タルカン『もしも今、この王妃が倒れたら…』
チェンはピクリと片眉を上げた。
チェン『……。滅多なことを』
タルカン『仮に、だ。王妃が倒れ 草馬との同盟が崩れれば、江は小躍りして碧沿を取り返しに来るかな』
チェンは表情を変えずに、前を向いたまま聞いていた。
チェン『……。王妃さまが倒れれば、アイラ姫が草馬に行くことになる。草馬との同盟に問題は無いわ』
タルカン『だが、次の同盟で使える手駒が無くなるな』
チェン『次の同盟?』
タルカン『碧沿が また江に翻る時さ』
チェン『…草馬人のくせに、面白い事を言うのね。陥落させて早々に、奪還される事を考えているの?』
タルカン『古から何度も繰り返して来た事だ。
江は、碧沿の正統な王位継承権の王子を取っている。成長したら、傀儡として君臨させたいと狙っている筈。それに王女も取っている。どちらもこの要衝の王位に就ける。
碧沿が草馬に落ちた今、王妃と第一王女が草馬に渡れば、碧沿は江に翻れなくなる。渡る前に排除すべきだ』
チェンは前を向いたまま聞いていた。
チェン『……。なぜ、そんな話をあたしに?』
タルカンは、チェンの切れ長な漆黒の瞳を不敵に見た。
タルカン『フン…。あの人だかりに江の残党が居たらどう考えるかを、考えてみただけだ』
チェンは瞬きをした。
チェン『……。では、こんなことやっている場合じゃないわね』
タルカン『誰が考えてもそうだ。〈ジンを見る〉』
チェン『〈タルカンの視線の先を追って〉優しい男、好きよ?』
タルカン『あいつは男には興味ない』
チェン『〈笑って〉つれないこと』
老夫「王妃さまよぉ、草馬に行かれるんだってなぁ?」
老夫が王妃から食糧を受け取りながら言った。
王妃「はい。和平の楔になって参ります。おじいさん、どうか元気で長生きして下さいね」
老夫「儂で変われるなら変わってやりてぇがなぁ。まだお若ぇのにお可哀そうに…」
王妃は、老夫に溢れるような笑顔を向けた。
ジン (……。あの王妃、人が良すぎるな…。それに美しすぎる…。草馬に来て、それこそ長生きできるだろうか…)
ジンは、薄い茶色の瞳で王妃をじっと見つめた。
・・・
作業が終わり夕方が近付くと、アイラと母は 中央広場にポツポツと出ている露天を見て回った。
ジンを先頭に、護衛が親娘の周りを固めている。
親娘は、装飾品店の前に足を止めた。
母はジンに遠慮がちに聞いた。
王妃「あの…少し見ても良いですか?」
ジン「〈振り返って〉どうぞ」
親娘は、目をキラキラとさせて物色を始めた。
スレン『凄いですよね、女の人って』
ジン『ん?』
スレン『何を買うか決めてなくて、買い物するのが』
ジン『見るのが楽しいんだろ』
スレン『決めてから買いに行けば、早いじゃないですか』
ジン『だから、買い物を早く終わらせる気は初めから無いんだって。買い物自体が目的なんだよ』
スレン『えっ! 時間 無駄じゃないですか?』
ジン『女って…、話すのもそうだろ? 買い物とか、話すのとか、それ自体が楽しいみたいだぜ?〈笑う〉』
ナザル『〈思い当たって うんざりした顔で〉あぁ…、確かに』
ジン『〈可笑しそうに〉お宅もですか?』
ナザル『話が長いから、途中で"結論は?" って聞くと、"もういい!"とか言って、いつも機嫌悪くなるんですよ…』
ジン『あぁ、そりゃマズイですよ。別に全部 真面目に聞いてなくて良いんですって』
ナザル「え、でも聞いてないで生返事してると、"聞いてる?!"とか言ってきません? 日々 抜き打ちテストですよ』
リワン (あの奥さん、そんな喋るようには見えなかったのに…。ナザルさんの前では また違うのかな…)
リワンは、太り過ぎのナザルの妻を思い出した。
ジン『ポイントだけ聞いときゃ良いんじゃないですか?』
ナザル『ポイント?! ポイントってどこですかね?!』
ジン『んー、直前の言葉を繰り返すとか…』
チェン〈吹き出す〉
ナザル『いやいやいや。それだとウチのカミさん、私の事バカにしてるとか言い始めますよ』
ジン『でも逆に、カミさんが何も喋らなかったら、家の中静まり返って怖くないですか? 箇条書きで喋って、以上 報告終わり、とか言われたら、ちょっと俺 考えちゃいますよ…。あのペラペラ無駄に喋ってるの、安心します』
ナザル『いや、俺、箇条書きが良いかも。だって、ずっと喋ってるんですよ? いついつに隣の奥さんがどうしたとか、その前に何があったとか、どう思ったとか、永遠。疲れてる時は本当に、必要な事以外 喋らないでほしい…。どの話が重要なのか、分からない。どうしてあんなに細かくて並列なんですかね?』
ジン『まぁ…、思考回路が違うんでしょうね。向こうも、どうして結論を聞いてくるのかとか思ってるんでしょうけど』
チェン『女は会話で信頼を確認するのよ』
ナザル『じゃあアレを念仏だと思って聞くしかないのか…。〈両手に顔を埋めて 情けない声で〉あぁ、俺やっぱ無理! あんな甲高い声でずっーーーと念仏とか、俺には耐えられない! 拷問だって! 今度から、早く寝たいから箇条書きで言ってくれって、頼んでみる』
ジン『確かに高い声でずっとはキツいですよね…。あぁ! じゃあ、話長いと思ったら、言うと喧嘩になるから、身振りはどうです?〈両手の人差し指同士をクルクルと回す〉』
ナザル『〈人差し指をクルクル回しながら〉ウチ、ずっと回しっぱなしですよ』
チェン『じゃあ、話は食事の間にしよう、って時間を区切れば良いんじゃないの?』
ナザル『なるほど、時間縛りか! それやってみよう!』
スレン『え…、女の人って、そんな何か違うんですかね…』
ナザル・ジン『〈眉間にシワを寄せ〉別の生き物だ』
リワン (そうかな…?)
ナザル『リワン、お前んちは母ちゃんとか妹、喋らないのか?』
リワン『ウチは…、母は まさにその箇条書きタイプでして…。妹の方はちょこちょこ喋りますけど、彼女もどちらかと言えば箇条書きタイプですし…。各自報告が済むと、会話が続かなくて、食事中 よく咀嚼音だけになってしまうんです。誰か適当に喋り続けてくれたら、会話を探さなくて良いから、気が楽なんですけど…』
スレン『各自報告!』
ジン『へぇ! そんな女もいるのか!』
ナザル『交換してほしい…』
リワン『でも、母はナザルさんが好きになるような、一般的な女性ではないと思いますよ? ウチは父が一番穏やかで、会話も豊富です』
ナザル『へぇ? 家庭って色々だよな…』
スレン『あ、やっと終わったみたいですね』
親娘は、金色や薄い黄色のガラスのビーズで できた、お揃いの首飾りをつけていた。
王妃「お待たせしました」
アイラ「〈リワンに〉見て見て! お揃いで買ったの! 素敵でしょ?!」
リワン「綺麗ですね。お二人の衣の色と良く合っています」
アイラ「でしょ! さすがリワン〈ホクホクと上機嫌〉」
既婚者二人は、リワンを"コイツやるな"という目で見た。
ジン「さぁ、じゃあ行きましょうか…あ…れ?」
親娘は、今度は香油の露店の前で足を止め、商品に釘付けになっていた。
ナザル「待て待て、まさかあれ、端から全部嗅ごうってんじゃないだろうな?!」
ジン「恐らく、そのまさかですね」
スレン「すこい…! また当てのない買い物!」
タルカン『やってられるか! 俺は先に帰るぞ! バカバカしい!』
ジン『あ、おい! タルカン!』
タルカンは一人、先に帰って行った。
チェン「あらあら、気が短い事。仕事ほっぽり出しちゃって…」
リワン「材料に何を使っているか少し興味があります。僕も見てきます」
チェン「あたしもー」
ナザルは、うんざりしてリワンとチェンを見送った。
ジンは腕を組んで笑った。
親娘は、あれが良いこれが好きと比べながら、香油を嗅いで回った。
リワンも、端から嗅いで回った。
リワン「これは柑橘系…、うーん、恐らくレモングラスをベースに、ちょっとスパイシーな…、ジンジャーかな?」
アイラ「この匂い、爽やかで好きだわ! これにする!」
王妃「うん。良い匂いね」
ナザル「どれでも良い匂いだろうに…」
せっかちなナザルは、耐え難い待ち時間に独りごちた。
スレン「本当てすね」
アイラ「お待たせしました」
ナザルは げんなりした顔を隠さなかった。
アイラは、早速購入した香油を少し手に取り、髪につけてみた。
リワン「良い香りですね。これなら、恐らくリファでも私でも似た感じのを作れますよ。リファに嗅いでもらえば、目の色を変えて作ってくれると思います。元気になれば…」
アイラ「うん。二人ともすごい」
リワン「〈笑って〉すごいというか、性分というか…。リファにとっては、作る過程が面白いんでしょうけど」
ナザル「うわ、チェン、なんだその匂い?!」
チェン「ウフ、良いでしょ。誘惑の匂いなんだって」
ナザル「冗談だろ…」
ナザルは遠い目をした。
ふと、後ろの方から芳醇な香りが漂ってきた。
酒の露店がすぐ後ろにあった。
王妃は匂いのする方を見つめたが、諦めてまた前を向いた。
ジン「…良いんじゃないですか? 一杯くらい」
王妃「あ…、いえ…」
ジンは酒屋の方へ足を向けると、一人分だけ注文して王妃に手渡した。
ジン「〈アイラに〉酒以外も置いてあれば良かったですね」
アイラ「え…? だ、大丈夫です」
スレン「あーぁ、僕も勤務中ちゃなけれぱなぁ」
ジン「帰ったら飲め」
スレン「〈口を尖らせて〉はーい」
酒の露店の前には簡易な腰掛けがあったが、残念ながら他の旅人が数人座っていた。
ナザルはチラリと腰掛けを見たが、王妃はナザルを見て、とんでもないというように首を振った。
王妃「何か…、私一人すみません…」
ジン「昼酒は最高に美味いですよ」
王妃はクスリと笑うと、遠慮無くグビグビと飲んだ。
ナザル (うはぁ、良い飲みっぷり…)
アイラ (母さまがあんなに豪快に飲む所、初めて見た…。城ではもっと、おしとやかなのに…)
チラチラとのぞく天真爛漫な本来の王妃を見て、周りの者は目を丸くした。
それは、王妃になる前の、ユエだった。
王妃「ぷはぁ! 本当ですね! 昼間に外で飲むお酒がこんなに美味しいなんて、生まれて初めて知りました。こんな事なら、もっと早くからやっとけば良かったわ!」
ジンは可笑しそうに笑った。
アイラ「そんなに美味しいの? 私も飲みたい!」
王妃「ダメ。大人になってから」
屈託なく笑う王妃は今が女盛りで、ほろ酔いで頬も赤くなり、この上なく美しかった。
一同は王妃に見惚れた。
アイラ「母さま、何か…綺麗だわ」
王妃「そう? ありがとう。娘にそんな事言ってもらえるなんて、今日は本当に良い日だわ。皆さん 本当にありがとう。こんな状況なのに、娘とお買い物ができて、お酒まで飲めて、本当に楽しかったです。〈ほろ酔いで娘を抱きしめて〉一生忘れない」
アイラ「うん。私も…」
ナザル「さ! 今度こそ帰りましょう!」
一行が酒屋を後にして歩き始めると、座っていた二、三人の旅人も立ち上がった。
酒屋「毎度ー」
後ろで店主の声がした。
その足音が後ろから近付いて来たと思うと、前を行くジンとナザルは振り返り、同時に叫んだ。
ジン『スレン!』/ナザル「リワン!」
キィン!
言った時には、王妃の斜め後ろに居たチェンは、後ろから来た一人の剣を早くも受けていた。
キィン! キン!
あとの二人の剣を、リワンとスレンが受けた。
前方から更に三人、旅人の格好をした男達が、すれ違いざまに剣を抜いた。
露天がポツポツと出る中央広場は、にわかに騒然とした。
前方のジンとナザルが一人ずつ剣を受けた間から、前からの三人目の刺客が王妃に向かって振り上げた。
王妃「!」/アイラ「母さま!」
チェン「!」
チェンは自分の相手を一旦蹴ると、後方から王妃の前へ出て、前から来た刺客の剣を受けた。
キィン!
王妃「チェン!」
チェンに蹴られた後方の刺客は素早く立ち上がり、王妃の背中に振り上げた。
アイラ「母さま 後ろ!」
王妃「〈後ろを振り返って〉!」
アイラは母の腕をぐいと自分の方へ引っ張った。
ほろ酔いの母は足がもつれて、その場に前屈みにこけた。
男の振り上げた剣は、王妃の前に居たチェンの背を斬るはずだった。
アイラ「チェン!」
アイラは咄嗟に、男に横から体当たりをした。
ナザル「バ…!」
男はもろともしなかった。
アイラは即座に首を掴まれ、へし折られんばかりに一気に締め上げられた。
アイラ「…っ…は…」
アイラの足が宙に浮いた。
リワン・ナザル「!」/王妃「アイラ!」
母の金切り声が聞こえた。
刺客「死ね!」
意識が遠のく中、刺客の声が聞こえ、剣を胸に突き立てられたのが見えたその瞬間、アイラに生暖かい血飛沫が飛んだ。
痛くはなかった。
前方に居たジンが いつの間にか横へ来て、刺客の首を貫いていた。
同時にナザルも、アイラの首を絞めていた刺客の腕を斬り上げ、アイラの身体を抱き寄せて確保した。
アイラの首には、斬られた男の腕が、生温かい大量の血を流しながら まだぶら下がっていた。
アイラは血まみれになり、気を失った。




