表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂漠の月(第一部 碧沿)  作者: kohama
第二章 春
42/44

第3話 属国

結局 二晩をリワンの家で過ごし、碧沿へきえん草馬そうまに落ちてから三日目の朝に、アイラ達は城に戻ることにした。

リヤン宅は城の北側の湖畔にあるため、東西、南に広がる街の様子は分からなかったが、武装集団に牛耳られてしまった為か、辺りは異様に静かだった。

時折 遠くから悲鳴が聞こえて来て不気味だった。



朝 家を出て行く時、アイラはリワンが仕事を優先しようとするのを断った。

アイラ「リワン、リファとおばさまについててあげて」

リワン「ですが…」

アイラ「エイジャがいるから大丈夫よ」

その言葉を聞くと、リワンはムッとした。

リワン「そうですか…。まぁ…、近いですしね…」

リワンはねたように目を伏せた。

アイラ「?」

アイラは目をパチパチとすると、いつの間にか ミーナと同じ位の背丈になったリワンの顔を、下から覗き込んだ。

リワン「何でもありません。ではこんな時に申し訳ありませんが、お言葉に甘えさせて頂きます」

リワンは不機嫌になって言った。

アイラ「う…ん…」

エイジャはその様子を、両手を頭の後ろで組んで、後ろの方でニヤニヤして見ていた。

アイラ「おばさま、お世話になりました。お大事に…。あの、剣を教えて頂くのは…」

ミーナ「あぁうん、落ち着いたらね!」

アイラ「…はい…」

アイラはまた、話をかれてしまった。


・・・・


城の裏門まで、朝の湖畔をエイジャはアイラの数歩 あとについて歩いた。

エイジャは前を歩くアイラの、この所 大人の身体つきになりつつある、腰のくびれから尻のラインに目が釘付けになっていた。

エイジャ (悪かねーな…)

彼は顎を撫でながら思った。

ついでに彼は、おととい期せずして目にすることになった、アイラの膨らみつつある胸も思い出した。

エイジャとしては初めて見る異性の身体で、興味津々なお年頃の所へ来て、それは目に焼きついていた。

彼は一人、生唾を飲み込んだ。



朝日が湖面に小さくキラキラと反射していた。

前を歩くアイラが、ポツリ、ポツリと話し出した。

アイラ「リファ、大丈夫かな…」

エイジャ「んあ? あー。生きてたろ?」

エイジャはアイラの尻ばかり見て、てんで上の空だった。

アイラ「うん…。でも…、苦しがってたから…」

エイジャ「あー。ま、あいつがついてりゃ大丈夫なんじゃねーの?」

アイラ「ん…」

アイラはトボトボと歩を進めた。


アイラ「母さま達は…、大丈夫かな…」

エイジャ「さぁな。〈ニヤニヤして〉城の中 全員 草馬人になってたりして。ケケケ」

アイラ「!」

アイラは泣きそうな顔で振り向いた。

エイジャ「は? 冗談だよ。何 真面目に聞いてんだよ! ナザル達が居るから、流石さすがに全滅はねーだろ」

アイラ「ん…」

アイラは心配そうな顔で、また前を向いて歩き始めた。

エイジャ (…んだよ、そんな顔しなくても良いだろが…)


エイジャはピンと閃いた。

エイジャ「な、俺が教えてやってもいーんだぜ?」

アイラ「? 何を?」

エイジャ「剣だよ剣。強くなりたいんだろ?」

アイラ「え…」

アイラは目を見開いて、またエイジャを振り返った。

エイジャ「その代わり…」

アイラ「その代わり?」

エイジャは下心が顔に出て、鼻が膨らんでいた。

エイジャ「触らせろ」

アイラ「…? 何を?」

エイジャ「胸とか尻とか」

アイラ「……。」


アイラは一瞬、言われている意味が分からなかったが、エイジャがセクハラ発言を ぶん投げてきた事に気が付いた。


バチィン!!


アイラは、同じ位の背丈のエイジャに、全体重をかけたビンタを打ち放った。

エイジャ「ふがっ?! いてっ?! いってぇっっ?! 何だよ! 何もぶっ叩くことねーだろが?!」

アイラ「最っ低!! ゲス野郎! あんたなんて、こないだの草馬人と同じだわ…! あ…れ…?」

アイラは、涙が込み上げてきた。

まだ彼女の傷は生傷のままだったが、エイジャにはそれが分からなかった。


エイジャ「は?! え? 何?!」

エイジャは、アイラが唐突に泣き出したように見えて困惑した。

アイラは胸をひくつかせながら濡れた瞳でエイジャを睨みつけると、また前を向き、たまらずに走り出した。

エイジャ「え?! オイ待てよ! 分かったよ、触らねーから! 待てって! そんなキレるとこじゃなくね?」

エイジャは、怒らせてしまった主人あるじを走って追いかけた。



古びた裏門まで来ると、アイラはエイジャに手首を掴まれた。

エイジャ「おい! あんま離れんなよ!」

アイラはギョッとしてエイジャの手を振り払った。

アイラ「触らないで!」

エイジャ「はぁ?! 尻とか胸じゃねーだろが!」


こちらに走ってくる足音が近付いてきた。リワンだった。

アイラ「リワン…?」

エイジャ「ゲロ、最悪」

エイジャは顔を歪め、目を細めた。



リワンは息を切らして二人のそばまで来た。

アイラ「…どうしたの?」

リワン「やはり、仕事は投げ出したくありません。この状況で城の中だってどうなっているか…。幸いリファは今 落ち着いていますし、また後で戻らせて頂きます。〈アイラの目がうるうるしているのを見つけて〉…どうしたのですか?」

アイラ「……。」

アイラは無言で目を逸らした。

本当は、エイジャのセクハラ発言をそのままポンと報告して良かったのに、アイラは口に出すことができなかった。

何だか、そのような扱いを受けた事を言ったら自分が負けたようだし、そんな些細な事とも思ったし、エイジャも不名誉で可哀想かななどとも思って、とにかく口にする事にハードルがあった。


リワンはエイジャを睨んだ。

エイジャ「ちげーって! 何もしてねーって!」

リワン「じゃあ、どうしてこうなってる!」

エイジャ「剣を教えてやる代わりに胸と尻触らせろ、っつったらこいつ泣き出してよぉ、大袈裟じゃね? お"っ?!」

聞き終わる前に、リワンはエイジャの股間を思い切り蹴り上げていた。

リワン「〈エイジャの胸ぐらを掴んで〉お前というやつは、おとといの今日で、この無神経が!」

エイジャ「ちょ…待てって! だから、触るのやめるって言ったんだって! それなのにまだヘソ曲げてやがって…がっ?! タ…タマはよせ、あ"っ?!」


アイラは、エイジャはバカだけど正直者で良かったと心から思った。

アイラが言い切れないのを良いことに、無かったことにする男だっているだろうにと思った。

アイラはリワンの袖を引っ張った。

アイラ「もういいよ。剣は…教えて欲しいから…」

リワンはエイジャをドサっと落とし、驚いてアイラを見た。

エイジャは地面でくの字になった。

リワン「剣を…? 習うですって?! エイジャに?!」

アイラはコクリと頷いた。



リワンは、またムッとした。

リワン「だったら、僕が教えますから!」

アイラとエイジャは、目をパチパチしてリワンを見上げた。

アイラ「え…? い…いいよ、リワンはただでさえ医官のお勉強で忙しいんだから…」

リワン「〈エイジャを指して〉こんなのに任せられませんよ!」

エイジャ「どんなのだ、コラ」

エイジャはやっと立ち上がると、服をはたきながら言った。

リワン「盛りのつき始めた犬に、理性が付いてないようなのだ!」

エイジャ「盛りって…、オメーなんて真っ盛りだろが!」

リワン「お前と違って理性がある!」

エイジャ「はぁあ?! それってただのムッツリスケベってだけだろ!」

リワン「ムッツリと節操が無いのとでは、雲泥の差があるんだよ!」

アイラ (リワン…、ムッツリスケベなの?)

アイラは眉間に皺を寄せた。

エイジャ「なーにが雲泥の差だよ! どっちも一日中"やりてー"って思ってる事に変わりはねーだろが!!」

アイラ (そうなの?!)

リワン「お前と一緒にするな!」

エイジャ「いーや! 俺には分かるね! 俺はもう、女の事 考えてる時間 勉強してたら、学者になれる自信がある!」

リワン「だったら学者になってみろ!!」

エイジャ「だから、女の事考えてる時間 勉強してたら、つったろが!!」


アイラ「で…でも…」

男子二人は下らない論争から、はたとアイラの方を見た。

アイラ「リワンにはこれ以上、負担をかけたくないの。医官に…なるんでしょ? お勉強、大変じゃない」

エイジャ「どうせ俺は暇人だよ」

リワン「じゃあ、せめてウチの母に習って下さい。コイツはダメです」

エイジャは またカチンときて、コキッと首を曲げた。

アイラ「だって…、ミーナおばさま あんまり取り合ってくれな…」

リワン「話、つけときますから」

リワンは仏像のような顔になって、厳然と言った。目が、仏像みたいで怖かった。

アイラ「そ…う…?」

リワン「良いですね?」

アイラ「う…うん…」

うんとしか、言えない感じだった。


・・・・


古びた裏門を入り緩やかな坂を登っていくと、至る所にまだ片付けられていないごう兵の遺体がゴロゴロ転がっていて、辺りは血生臭かった。

アイラ「うっ!」/エイジャ「おえっ!」

二人は無惨に殺された遺体に、吐き気を催した。

リワンはアイラの背中をさすってやった。

エイジャ「お前…、よく平気だよな。うっ!」

リワン「慣れってあるものなんだな…。俺、あれを元通り繋ぎ合わせて、なぜ生き返らないのか、知りたいんだ…」

リワンの緑がかった涼しげな瞳の奥に、探求心の炎が静かに揺れていた。

アイラ・エイジャ「……。」

アイラとエイジャは眉をひそめて、不気味な生き物を見るようにリワンを見た。


三人は裏口からコソコソと城の中へ入ると、そこには いかつい草馬そうま兵が闊歩していた。

三人は壁から顔をのぞかせて、城の中の様子を見た。

城の中も、至る所に血が飛び散ったままだった。

エイジャ「うわ…、大丈夫コレ? 武装勢力に占拠されちゃったってやつ?」

リワン「碧沿へきえん人も居る。全滅はしていない」

エイジャ「いや、全滅してたらここで引き返すし」

アイラ「母さま…」

アイラは心配で胸が痛んだ。

リワン「王族は拘束されているんじゃないでしょうか…。執務室か二階の広間か…。外のバルコニーの方から回りましょう」

アイラ「うん…」


・・・


草馬兵の目を縫って一階の中庭から外の階段を登り、階段に身を隠したまま二階のバルコニーの奥を見ると、広間が見えた。

遠目に、父と母が王座に座っているのが見えた。

二人の後ろには各々の護衛や、ナザル達 近衛隊員も見えた。


アイラ「母さま! 父さま! 皆も。良かった、無事だわ…!」

アイラは胸を撫で下ろした。

エイジャ「さて、どうやって会うか」

広間にも その手前のバルコニーにも、草馬兵が沢山立っていた。

アイラ「このまま行ったらダメかしら?」

エイジャは階段の陰から、革の服を着た目付きの怖い草馬兵を見て言った。

エイジャ「何か…、出てったらその場でぶっ殺されたりして…? お前の母ちゃん、わざわざお前の事 隠したんだろ? 無駄にすんなや」

アイラ「ん…」

リワン「従者の服に着替えましょう。俺達も。医務室の服を借りて、広間に薬湯を持って行くとか…。一旦 一階へ降りましょうか」

アイラ「うん」



三人は、身をひそめていた階段を降りようと、後ろを振り向いた。

ところに、男が一人立っていた。

草馬人だった。

アイラ・リワン・エイジャ「!!」

三人は心臓が止まりそうになった。

男はいつからそこに立っていたのか、薄い茶色の深い瞳で三人を穏やかに見上げていた。


エイジャとリワンは、咄嗟に剣を抜いた。

男は右の首から頰にかけて、刺青いれずみがあった。

アイラ達は三人とも、なぜか彼をどこかで見た事がある気がした。



男は三人を見上げ、微笑んで言った。

ジン〈三十三歳〉「近衛隊員を二人を連れているとなれば、あなたは失踪した第一王女とお見受けする。〈アイラのピンクのジャンパースカートを見て〉衣は碧沿ここの湖と同じあおと聞いているが…、〈笑って〉この状況下で、子供だけで三日もどこをほっつき歩いていたのか…。任せる方も任せる方だ。ですが、渦中を離れていたのは英断でしたね。今 お帰りですか?」

刺青の男は、流暢な碧沿へきえん語で可笑しそうにそう言った。


リワンとエイジャは一瞬目を合わせ、剣を構えた。

アイラは吸い込まれるように、精悍な醤油顔の男の 深い瞳を見た。

アイラ (この人…、どこかで会った事がある気がする…)

アイラは不思議と、その男が悪い人間ではない気がした。

アイラ「あ…の…」

アイラは震える足で、前に一歩進み出た。

リワン・エイジャ「!」

エイジャ「バカ! お前また…」

言いながら、エイジャはアイラを自分の背中へ押し込んだ。

リワンも咄嗟にアイラの手首を掴んだ。



刺青いれずみの男は微笑んで首を少しかしげると、アイラに言った。

ジン「お父上とお母上の元に戻りたいのですか? 良ければ、安全にお連れしますよ? もう決まりましたらから、あなたを隠した意味はあったでしょう」

アイラ「決まった? 何が決まったの?」

ジン「我々の国へ来て頂く人です」

アイラ「…! それって…」

ジン「……。大事な事は、直接 お聞きになることですね。さぁ、行きましょうか」

男はそう言うと、階段をこちらへ向かって登って来た。



エイジャ・リワン「!」

二人の護衛は、アイラを背にして剣を構えた。

三人は階段の隅に張り付いて、男がすぐそばを通り過ぎるのを、身を固くしてやり過ごした。

男は可笑しそうに三人を見流しながら通りすがり、二階のバルコニーへ出た所で、階段の方を振り返った。

バルコニーに居た草馬兵達は、階段から上がって来た刺青の男を認識し、軽く頭を下げた。



三人は階段に留まったまま、ヒソヒソと話し合った。

エイジャ「信用できるかよ。突き出されるだけじゃね?」

リワン「……。」

アイラ「つ…、ついて行ってみよう? あの人、悪い人じゃない気がする…」

エイジャ「何で分かるんだよ?! 草馬人だぞ?!」

アイラ「何となく…」

エイジャはため息をついた。

リワン「だが、殺そうと思えば、今できたはずだ」

エイジャ「……。」


三人はそろそろと階段からバルコニーへ姿を現した。

バルコニーに居た草馬兵達は、ハッとして三人を見た。

消えた第一王女が帰って来たと、皆 認識した。

アイラは、先頭に立っていたエイジャの服の裾をそっと掴み、自分が先頭に立つと、やや距離を取って刺青の男の後ろへ来た。

男は三人がついて来たのを見ると、何も言わずに、また前を向いて歩き出した。



刺青いれずみの男はある程度のポジションに居るらしく、アイラ達は荒くれ者の草馬兵達に指一本触れられずに、広間の奥へ入って行くことができた。

バルコニーの方から近付いてくる娘を見つけると、王妃はハッとして王座から立ち上がり駆け出そうとした。が、近くに居た草馬兵が動くなと手で合図をしたので、娘がこちらに来るまで首を伸ばして待った。


アイラ「!」

アイラは王座の前に立つ母を見ると、刺青の男を追い越して掛けて行き、母に抱き付いた。

二人の護衛も、主人あるじの後ろに走って続いた。

少年二人は、追い越しざまに、男の顔をじっと見た。

男はやれやれといったていで、走って行った子供達の後ろからついて来た。


アイラ「母さま!!」

王妃「アイラ!! 良かった! 無事だったのね!」

母も娘も涙ぐんでいた。

王座に座った父も、そっと安堵の息をついた。


ナザル「姫、ご無事でしたか…!」

ナザルが寄って来て、アイラに声をかけた。

アイラ「ナザル!」

ナザル「〈リワンとエイジャに〉お前達、ご苦労だったな。人手の無い中 良くやってくれた」

リワン「いえ…」

エイジャも軽く頭を下げた。

王妃の護衛チェンは、王妃の王座の後ろからニッコリと笑った。

リワンとエイジャは王座を前に、アイラの後ろにひざまずいて控えた。



王妃は、娘の青く腫れた頰に気付いて、途端に不安な顔になった。

王妃「これは…どうしたの?」

アイラ「な、何でもないの…」

アイラは目を背けた。


リワン「……。おととい、隠れていた所に草馬兵が来て、襲われました。大変申し訳ございません」

王「殴られただけか?」

母は心配そうに娘を見た。

リワンとエイジャも、前に居る主人あるじに目をやった。

ナザルも、刺青の男もチラリとアイラを見た。

アイラ「……。」

アイラは黙り込むと、コクリと頷いた。

リワン「その…、多少…、乱暴を受けましたが…」

言いにくそうなリワンの説明を、王は静かに引き取った。

王「分かった。二人とも娘をよく守ってくれた。礼を言う」

リワン「いえ…、そんな…」

リワンは申し訳無さそうにうつむいた。


王は、胃をさすりながらどっこいしょと立つと、草馬の隊長らしき男に話しかけに行き、皆の方へ向き直った。

王「伝えたい事がある。生き残った皆を集めてくれ」


・・・


暫くすると、城の碧沿へきえん人達が二階の広間に集まった。

その外側を、草馬兵達が取り囲んでいた。

王「皆 よく集まってくれた。既に聞き及んでいると思うが、草馬帝国は今回の遠征で、西域 三十ヵ国を併合したそうだ。我々小国が対等に扱われる事は難しいだろう。誠に遺憾だが、我々は今後、草馬の属国の一つとなる」

碧沿人達は皆、厳しい表情で王の話を聞いていた。


アイラ「属国…?」

アイラの口から漏れた言葉に、そばに居たリワンが声をひそめて言った。

リワン「独立国と言っても、名ばかりになるということです」

アイラ「…? だって…、前だってごうに牛耳られていたじゃないの」

リワン「支配を受ける相手が変わったって事ですね。でも、草馬は江より何というか…、滅茶苦茶なので…。これからは治安が悪くなると思いますよ…」

エイジャ「あいつら見てりゃ、大体ノリが分かんだろ。残虐非道よ」

エイジャも声をひそめてアイラに言った。

アイラ「…!」



王「草馬帝国は服従の証に、各属国に王の妻か子供を差し出せと要求している」

アイラは はたと固まった。

アイラ (子供って…、もう私しか居ないじゃない…! 私が…行くの…?! 残虐非道へ…?)


王「我が国からは、王妃が行くことになった」

アイラ (………。)

アイラは また固まった。


一同はざわめいた。

リワンとエイジャも、思わず王妃を見た。

そしてその後、何を言い出すか分からぬ主人あるじの顔を急いで見た。



王妃は王座から立ち上がると、穏やかに話し始めた。

王妃「皆様、王妃の座をお預かりしてから十五年間、長らくお世話になりました。何もかも全て、皆様のおかげです。こうして今、この国のお役に立てる事を誇りに思います。向こうでも碧沿へきえんの平和と幸せをいつも思っておりま…」

アイラ「やだ!!」


広間の一同は、目だけ動かしてアイラを見た。

エイジャ (それ来た!)

リワンとエイジャは、案の定という顔でアイラを見た。

ナザル (オイオイ! ぼーっとしてないで黙らせろ、後ろの二人! また何言うか分からんぞ!)

ナザルは、もはやトラウマとなっているアイラの数々の奇行の為に、後ろで控えるエイジャとリワンをジリジリとして見た。



王「アイラ、気持ちは分かるが、もう決まったことだ」

アイラ「決まった…? か…、母さま どういうこと? だから私だけで行かせたの? やだよ! 私、そんなの認めないから!!」

王妃の後ろに控えるチェンは、わずかに片眉を上げた。

草馬の隊長「認めない、とな! ク…、ハハハ。第一王女は随分と偉いのだな」

草馬の隊長は皮肉たっぷりに言った。


ジン「……。」

刺青いれずみの男は、アイラの近くで黙って聞いていた。

ジン (何だ この王女、随分と危なっかしいな。空気が読めないのか…?)


王妃「アイラ、ごめんね。でもまだ時間があるわ。ねぇ、二人で一緒に…」

アイラ「やだ!! やだやだやだやだ!! 絶対だめ!!」

アイラは母の前へ飛んで行くと、母の両腕を掴み、ガシガシと揺らしながら子供のように言った。

王「アイラ、お前もそろそろ子供ではない。国の状況が分からない訳ではなかろう」

アイラは、父をキッと睨みつけた。

反抗期が始まっていた。

アイラ「じゃあ父さまが行けば良いじゃない!! 何で母さまなの?! 私達の事を駒としか見てないくせに! 父さまが行ってよ!!」

王「!」

父は、グサリと胸を刺されたような気がした。


草馬の隊長は吹き出した。

草馬の隊長「できの悪い子供を持つと大変だな? 同情する」

王妃「アイラ! 何てこと言うの! 王様が一番お辛いのよ!」

アイラ「そんな訳無いじゃない! 一番辛いのは、行かされるほうに決まってるじゃないの! ゼダもキュンも、今頃どんな目に遭ってるか…! 今度は母さまを売り飛ばすって言うの?! カルファなら…! カルファならそんなことしないわ! あの人なら、どんな事したって自分の奥さんを守る! 父さまは のうのうと王座に座って…」

王妃「おやめなさい!」

ペシンと、アイラの頰は音を立てた。

リワン・エイジャ (あ…)

後ろの護衛二人は、口がいたままになった。


アイラは打たれた頰を押さえて暫く固まった。

そして驚いて母を見た。

母の目には涙がいっぱいに溜まっていて、ポロポロとこぼれた。

アイラ「母…さま…?」

アイラの目にも、みるみる間に涙が溜まってあふれた。



リワン・エイジャ・ナザル「……。」

三人は暗礁に乗り上げた展開に、うつろな目で親娘おやこを見ていた。

チェン「……。」

チェンはまた僅かに片眉を上げたが、ポーカーフェイスを崩さなかった。


王妃はハッとした。

王妃「アイラ…! ご…、ごめんなさい。あなたが辛いのは分かっているわ。あぁ泣かないで…! あなたの笑った顔だけ、覚えていたいのよ…!」

王は一人息を吐くと、消沈した声で グダグダになった場を閉めた。

王「……。王妃の出発は一週間後だ。各自 準備を頼む。以上だ」

広間に集まった碧沿へきえん人達は、アイラ達 親娘おやこを横目で見て、さわさわしながら散会した。


アイラは また立ち尽くしていた。

アイラ「…い…、一週間…? ですって…?!」

リワンとエイジャは、主人あるじの動向に、後ろでハラハラと目を動かした。



王妃は娘を優しく抱擁し、娘に見えない所で 自分の涙を手の甲で拭きながら、娘に言った。

王妃「ねぇアイラ、まだあと七日あるわ。何しましょうか? あぁそう、街に出て一緒にお買い物でも行きたい所だけど…この状況だし…。

そうだ、ねぇ、最後の宴で二人で一緒に舞いましょうよ。今日の午後から、早速作らない?」

アイラ「……。」

アイラは母の抱擁を受けながら、立ち尽くしたまま呆然と母の言葉を聞いていた。

王妃「本当はもっと…、あなたが大人になるまで もう少し…、あなたの成長を見ていられると思っていたんだけど…。急に…、こんな事になっちゃって…。まだ歳若いあなたの元を離れる私を、どうか許して頂戴…」


アイラは呆然としたまま母の抱擁を解き、いっぱいに涙を溜めた目で母をじっと見ると、いきなりダーッと広間の外へ向かって駆け出して行った。

エイジャ「あっ! 待てって!」

エイジャとリワンが続いた。

アイラは、広間の外側を取り囲む草馬兵に簡単に捕まった。

アイラ「触らないで!」

アイラは金切声を出して、熊のような草馬兵相手に脇腹へ蹴りを入れた。

リワン (うわ…)

エイジャ (あのバカ…)

リワンはちょっと目眩がして、追いかけながら眉間を押さえた。


アイラ「離して! 全部あんた達のせいよ!! 人の国へ押し入ってきて、家族を引き離すなんて、同じ人間のすることじゃないわ!」

王妃「アイラ!」

ナザル「〈ため息〉」

ナザルも、エイジャとリワンの後ろから、アイラの方へ小走りに掛けて行った。

アイラは後ろ手にひねり上げられ、王女のくせに地べたに取り押さえられた。

アイラ「離して! バカぁあああああ!! みんなみんな大嫌いよ! わあああああああ! うっ! ううっ! うわああああああああ!!」

この三日の恐ろしさやら悔しさやら悲しさやら、全て入り混じって、アイラは声の限りに大声で泣いた。

王は頭を抱え、大きくため息をついた。


刺青の男は目を丸くして、半ば可笑しそうに、地べたに取り押さえられている気性の荒い王女を見た。

ジン (……。すごいのが居るな…)



刺青の男は草馬の隊長の所まで行くと、何か話した。

隊長『フン! 勝手にしろ!』

刺青の男はまた王座の近くへ戻って来ると、王と王妃に言った。

ジン「ジンと申します。明日の朝、街へ視察に出ます。今時分 買い物はできないでしょうが、娘さんと散歩位はできるでしょう。あの子の機嫌が直っていれば、明日 声をかけて下さい」

王妃「は…い…」

王妃は濡れた瞳を丸くして、ジンを見た。

取り押さえられたのにまだジタバタと暴れるアイラの方へ行き、離してやるよう言っているジンの背中を、王と王妃は驚いて見つめた。



・・・・・



その夜、王の寝所で、王と王妃は互いに背を向けて 同じ寝台で寝ていた。

二人とも全く眠れなかった。

月が、白く高く上がっていた。

王妃「あなた…」

王「ん…」

王妃「アイラのこと、宜しく頼みますね」

王「あぁ。全く、あいつは小さい頃から きかん気が強くって、手に負えん!」

王妃「〈笑って〉本当ですね」

王「手を焼きっぱなしだ」

王妃「でも、あの子の舞だけは本物ですよ。私が保証します」

王「知っとる」

王妃「〈微笑んで〉そうでしたか…。なら…、良かった。〈目を伏せて〉あの子も…、いつか何処かの国へ取られてしまうのなら、あなたは一人ぼっちになってしまいますね」

王「お前達の苦しみを思えば、何てことはない。今朝 アイラが言った通りだ」

王妃「あなた…。今日のあの子の言葉は、傷付いているからですわ。いつかの私のように…。間に受けないで下さい…」

王「……。」

王妃「でも、あの子が…、あの子の好いた人と結ばれたら、どんなに良いでしょう…」

王「そう…だな…」

二人とも、諦めたように目を伏せた。


王妃「あなた…」

王「ん?」

王妃「お礼を…、言っていなかったので…」

王「礼?」

王妃「はい。十八の頃、あなたが舞い手の私に声をかけて下さった日から、私の人生は目まぐるしく変わりました」

王「あぁ」

王妃「あなたと結婚してからの十五年間、あなたは側室も取らず、私などを王妃にして下さって…、娘ができて、息子ができて…。……。(愛を知って…。) 本当に、幸せでした」

王「……。そうか。それは良かった」

王は妻に背を向けたまま そっと目を伏せ、奥歯を噛み締めた。

王妃「ありがとうございました」

王「……。」

王妃「…あなた?」


王は妻に背を向けたまま、ポツリと言った。

王「礼など要らん」

王妃「え?」

王「お前を守れず 敵国に渡すしかない男に、礼など言ってくれるな。かえって辛い」

王妃「それは…、あなたのせいではありませんから。気にしないで下さい」

王妃は微笑んで言うと、夫の方へ寝返りを打ち、彼の背中に額を付けた。

夫は何も言わなかった。

王妃は、夫が泣いている事を悟った。


王妃「あなた、明日からの一週間は、目一杯アイラと過ごそうと思うんです。あの子、母親っ子だから、私が居なくなったらどうなってしまうか心配です。まだまだ母親が必要な年頃なのに…」

王「あぁ」

王妃「私、あの子との幸せな思い出を、沢山詰め込んで行きたいんです。夜も、あの子の部屋に眠るつもりです。ですから、あなたと過ごす夜は今夜で最後と思っているのですけれど、…良いですか?」

王「…分かった。あとは全てあのバカ娘にくれてやる」

王妃「〈笑って〉そんなに言わないで下さいな。可愛い可愛い私達の娘じゃありませんか。あの子は自分の意見をしっかり持って、嫌な事は嫌と言える、自尊心の高い子ですよ」

王「それが怖い」

王妃「ふふ…、本当に…。処世術を身につけていってくれないと…。あのままだと、いつか誰かの逆鱗に触れて、殺されてしまいます…」

王妃は困ったように言った。

王「全くだ」


王妃は夫の背中に頬擦りし、背中にくっついた。

夫の肩が震えていた。

王妃「あなた…? 大丈夫ですか…?」

夫はいきなり振り返ると、妻を力の限り抱きしめた。


王「ユエ! 行かないでくれ! 頼む! 俺のそばに、ずっと居てくれ! 俺が死ぬまで、ずっと…!」

ユエは驚いたが、やがて身体を緩め、夫の背中に手を回し、トントンと優しく叩いた。

ユエ「あなた、今夜はあなたの為に…、あなたの為だけに踊りますから。見て、下さる?」

王は腕を緩めた。ユエは夫の腕をすり抜け、月の登った明るい窓を背に、スッと立った。


ユエ(

白い月が登れば

優しいあなた

今夜の事を思い出して下さいな

時は過ぎゆくものではありません

いつまでも朽ちずに

そこにあり続けるのですよ

目を閉じればいつだって

今日この時に戻って来られます


赤い月が登れば

暖かいあなた

結婚した頃を思い出して下さいな

あの頃は何もかもが初めてで

二人とも右も左も分からなかった

降って湧いた責任に

毎日押し潰されそうでしたね


黄色い月が登れば

大好きなあなた

子供が生まれた頃を思い出して下さいな

あなたが父となり 私が母となり

あなたと私の可愛い可愛いヒナ達を

この腕に抱いた感動を

どれ程の満足と幸せを

あなたと共にしたのかを


月の登らぬ暗い夜は

可哀想なあなた

私はあなたのことを思います

あなたが変わらずこの城で

元気に過ごしていることを

目に映るのは真っ暗闇でも

心の中で光を照らします

遠い遠いこの地のあなたが

同じ空を見上げていると思って)



ユエはひとしきり舞った。

舞い終わると、夫はそばまで来て妻を抱きしめた。

ユエは夫の肩に頭を預けた。

窓から、明るい白い月が見えた。

王「すまない…。すまないユエ。力無い私を、許してくれ…!」

ユエは夫の胸の中で、首を振った。


王は妻の顔を両手で捉えると、唇にささくれ立った親指を沿わせた。

それは、あのボンクラとか"うらなり"などと言われ続けた若い頃、密かに憧れて憧れて、憧れ続けた、光る舞い手の唇だった。

王は躊躇ためらった。

王 (この唇は…、あの男のものだ)

王は、全ての愛と祈りをこめて、妻の額に口付けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ