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砂漠の月(第一部 碧沿)  作者: kohama
第一章 幼少
38/40

第38話 ユエ

アイラが気がつくと、医務室の土色の天井が見えた。

エイジャとリワンが両隣の寝台に寝ていた。

エイジャ「ん? お、気付いた。お前さぁ、何かその振り切っちまうの、どうにかならねーの? もう少し力残したら? いっつも最後までわーって使い切って、後始末こっちじゃん」

アイラ「……。」

アイラは、ぼんやりして天井を見上げた。

身も心も、酷い無力感に溺れそうだった。



ナザルが、リワンの隣の寝台に上半身裸になってうつ伏せで寝ていた。

リファがその逞しい背中に、ペタペタと丁寧に軟膏を塗っていた。

アイラは寝たまま顔を横へ傾けると、ナザルのその青黒くなった背中を見た。


入口から、随分と太った若い女性が入って来ると、ちょこちょこと挨拶をしながらナザルの寝台の横に腰掛けた。ナザルの奥さんらしかった。

奥さんが座った椅子は、ミシミシときしんで壊れそうだった。

エイジャ「え、太りすぎじゃね?」

エイジャが思わず口にした言葉に、リワンはそばにあった中身を飲み終わったヤシの実を手に取ると、アイラを通り越して思い切り投げつけた。

ヤシの実は、エイジャの頭にスコーンと命中した。

エイジャ「って!?」

ナザル夫妻は、大人だからエイジャの失言を聞こえなかったことにしてくれた。



奥さんは心配そうに、酷い打撲の夫の背中を見ていた。

ナザル「わざわざ来なくて良いのに…。もうすぐ臨月だろ、腹の子に何かあったらどうするんだ」

エイジャ (えっ?! 子供入ってんのか! 丸いから全然分からなかった! おっと!)

エイジャは口の前に手を当てると、こちらを睨むリワンを見ながら 今度は口を滑らさないで良かったと思った。

奥さん「えぇ。でも…、怪我したって聞いたから…」

ナザル「そういう仕事だから…。死ぬような事はできるだけしないから大丈夫だよ。心配するな」

奥さん「えぇ…」

ナザルの奥さんは、大柄な見た目によらず、控え目で清楚な人柄のようだった。

夫への愛が、そのぷよぷよとした身体からにじみ出ていた。


アイラは、仲睦まじい夫婦を見た。

アイラ (奥さん、ごめんなさい。アイラ、あなたの大事な人を傷付けてしまったんだね。悪い子だな…。でも、黙っているなんて、できなかったよ。どうしたら…良かったの…?)


ナザルを見るアイラの両頬を、静かに止めどもなく涙が伝った。

ナザルは、アイラが自分達を見て泣いている事に気付いた。

夫の視線の先を見て、奥さんも気付いた。

ナザル「姫、あなたのせいではありません。庇ったのは、私が決めた事です。仕事ですから、気にせんで下さい」

奥さんも、アイラを見てニッコリと笑った。

その笑顔は豚さんに似ていたが、大変にチャーミングだった。

アイラは、なぜナザルが彼女を好きなのか、この優しい笑顔だけで分かるような気がした。


アイラ「ううっ…、ごめんなさい…。うっ…うっ…、みんな ごめん…ね…」

リファ「アイちゃん…」

敗北感と無力感、挫折と屈服が、七つの彼女に焼き付けられた。

アイラは、毛布を頭まで引っ被ると、声を殺して泣いた。


アイラ (あんなに頑張ったのに、何もできなかった…。

あぁ、力が欲しい…!

あんなやつらの言いなりにならなくて良いだけの、力が…!

父さまの嘘つき! 愛なんか、あんな時 一つも役に立たないよ!)



この日の午後、アイラの父は釈放され、無事に城に帰って来た。

アイラの家族は、また 父と母とアイラの、三人になった。



・・・・・・・・・・・・・・



子供が連れていかれてから数週間が経過しても、王妃の心の水面は なかなか治まらなかった。

彼女は心ここに在らずで、連れていかれた子供や、失った恋人の事を思い出したらしい時は、苦しそうに胸を押さえて息をしていた。

とても公務に出られるような状態ではなくなっていた。


アイラ「母さま? 母さまってば! ねぇ、見てた?」

アイラは母の部屋へ、舞い手の見習いで習った振りを見せに来ていた。

エイジャも、部屋の入口近くに寄りかかっている。

ナザルもこの日は王妃の様子を見ようとついて来ていて、入口近くの椅子に座っていた。

母の反応はいつも薄く、ぼんやりしたままだった。

王妃「……。」

アイラ「ねぇ、母さまってば…」

アイラは長椅子に寄りかかって座っている母へ寄り、両手で母の膝を揺らした。

王妃「アイラ…、お願い、話しかけないで…。考えられないの…」

母は煩わしそうに頭を振った。


アイラ「そんな…。だって、キュンやゼダやカルファの事は考えてるんでしょ? ねぇ、アイラがいるじゃない! 母さまにはまだ、アイラがいるじゃない!」

王妃はアイラを見るとまた涙ぐみ始め、アイラを抱きしめた。

王妃「あなたまで失ってしまったら、どうしよう…!」

エイジャ (失うものがあるってのも、大変なんな…。俺なんてなーんもねーけど…)

エイジャは鼻をほじった。


王妃「あなたまで失ったら…!」

母はまた、胸に手を当てて浅い呼吸を繰り返し始めた。

アイラ「母さま?」

王妃「空気が…、空気が足りないわ…! ア…アイラ…! お願い、外へ連れて行って…!」

アイラ「えぇっ?! む、無理だよ…」

エイジャ「すんませーん」

エイジャが戸を開けて、飯屋で何か注文するみたいに廊下に控える護衛を呼んだ。

護衛「いや、外にお連れした所で、気を失われてしまうだけで…。お前、リヤンさんを呼んで来てくれ」

エイジャ「っす」

エイジャは走って行った。


アイラ「母さま、外に行ったって、また倒れちゃうよ。リヤンおじさまが来るまで待とう?」

王妃「はっ、はっ、ここは狭くて…。お願い、外へ…。空気が…吸えないから…!」

護衛「ダメです。もう何度もこのパターンだったんですから」

護衛は首を振った。


王妃「はっ、お…、お願い…! はっ! く、苦しい…! 空気が…ある所へ…!」

いつの間にかそばに来ていたナザルが、心配そうに王妃を見て言った。

ナザル「じゃあ、俺がお連れしてみていいか?」

護衛「良いですけど…、結果は先程言った通りですよ?」

ナザル「あぁ」


ナザルは、王妃と肩を組みながら彼女を中庭へ連れ出した。

<回想>

カルファ「王妃様のこと、頼んだぞ」

<回想終わり>

ナザルは、必死に息を吸い込もうとする王妃を見ながら、カルファの言葉を思い出していた。

ナザル (カルファが生きていると密かに伝えたら、王妃様の心は救われるのだろうか…? いや、そんな事、俺の一存で伝えていいことじゃない…!)

王妃はキューキューと大きく呼吸したかと思うと、案の定 意識が飛んだ。

護衛「やっぱり…」

そばで見ていた護衛は、ため息をついた。

ナザルは王妃を抱きかかえた。

アイラは、運ばれて行く母を見て、小さな胸を痛めた。

アイラ (アイラがいるのに…! 母さま、アイラがいるじゃない…!!)


・・・・・


リヤン「心因性のものだな…」

もう何度目か分からない程 呼ばれたリヤンが、王妃の首の脈を診ながら言った。

リワンとリファも くっついて来ていた。

リワン「はい…」


リファ「心が落ち着く薬湯も、なかなか効きませんね」

リヤン「そうだな…。傷が癒えるまでは ゆっくり休むのが一番だが、そういつもいつも安眠薬を飲ませ続ける訳にもいかないし…」

リファ「はい…」

リヤン「後悔しているなら、時間を巻き戻せるといいな…」

アイラ「え?! そんな事できるの?」

リヤン「心の中でね。もう一度、生き直すんです。また来ます」

リヤンは部屋を出て行った。



・・・・・・・



午後になって、リヤンは再び王妃の部屋に来ていた。

丁度 お茶の時間だったので、リヤンは香りの良い薬湯を持って来ていて、王妃に勧めた。

王妃は、ぼんやりとお茶を口にした。

リヤンも、のんびりとお茶をすすった。


リヤン「柘榴ざくろが、咲きましたよ」

王妃「……。」

王妃は、窓の外を眺めた。

リヤンは、王妃の様子を見た。

部屋には また沈黙が流れた。



リヤン「後悔…しておいでなのですか?」

王妃「……。」

リヤン「もしも時間が巻き戻せるなら、どこまで戻したいですか? ゆっくりで良いので…」

王妃は煩わしいとばかりに、ゆっくりと頭を振った。

リヤン「すみません、今はまだいけませんね。ゆっくりお休み下さい」

リヤンはそう言うと、部屋を出て行った。



王妃は一人、寝台の上に身を起こしたまま、風に揺れる白いカーテンをぼんやりと見た。


ユエの母「ユエ? ユエ? まぁた踊ってたのかい? 早く袋を納屋から持って来て頂戴な」

明るく可笑しそうな母の声が、揺れるカーテンから聞こえた。

王妃「母ちゃん…?」

夕焼けの綿花めんか畑のあぜ道に、懐かしい母の姿が見えた。


ユエ「はーい」

小さなユエは、納屋から大きな麻袋を何枚も持って来た。

袋を頭の上に持ち、鼻歌を歌いながら くるくると回った。

母「全くこの子ったら、隙あらば踊るんだから。少しは落ち着いてほしいもんだね」

ユエ「だって、風が吹いたら草がカサカサ揺れるのよ。素敵! 私も風に揺れるの!」

母「はぁ〜あ、ったく誰に似たんだか。あぁそうか、あんたの父ちゃんがいつも農作業しながら歌ってたから、あんたも音楽が好きなのかもしれないね」

ユエ「え? そうだったの?」

母「そう。上手だったんだけどね、ずっと聞かされてると、うるさいんだよね。で、うるさい、って言うと、"えっ、俺の声、聞き苦しい? 下手かな?"なんつって気にちゃってさ、一々 繊細なの。何だか知らないけど、一人で納屋にこもって、勝手に歌も作ってたよ。これが結構いい歌でさぁ!」

母はカラカラとまた明るく笑った。

ユエ「へぇ!」


・・・・・


ユエは、小さな頃を思い出していた。

ユエの母は、ユエを連れて綿花農家に働きに来ていた。

父は居なかった。

なぜ居ないのか母は話してくれなかったが、母はいつも明るく、父の話をこうしてちょくちょく小出しにして聞かせてくれた。


ユエは音楽が好きだった。

街で楽師達が奏でていると、彼女は必ず足を止め、身体で拍子を取りながら、母に手を引っ張られるまでそこに居た。

ユエ (この世の中で一番素敵なものは、音楽だわ! 私、あの世界の中で生きて行きたい!)

七つになるユエは、心に決めた。

が、どうしたら良いか、さっぱり分からなかった。

いつも彼女の目の前にあるのは、大きな綿花を入れた袋と、毎晩帰って来る、母と二人だけの小さな家だけだった。


ユエ「母ちゃん、ユエ、踊り手か楽師になりたい」

ユエは母に告げた。

母「うん…。ああいうのは、どうしたらなれんのかねぇ? 誰かに習わないとならないんだろうねぇ? 弟子入りさせてもらえんのかねぇ?」

母は特段、反対しなかった。

ユエ「ねぇ、明日仕事が終わったら街に行こうよ。楽師さんに聞いてみるから」

母「そうだね」



思い立ったが吉日の親子は、早速次の日 仕事が終わると、街へ出て楽士に話しかけてみた。

寡黙そうな中年の楽士は言った。

彼は元来 口下手なのか、何か言う前に独特な間があり、その言葉はヌメヌメしていた。

楽士「…踊り手と楽士、どっちがいいの?」

ユエ「え? えっと…えっと…、踊り手!」

楽士は、ユエを上から下まで見た。

楽士「…まぁ、見目も悪くないしな…。そしたら、城の踊り手の見習いに入ったら良いよ。酒場の踊り手は、身体も売らないといけないから。城の踊り手でも、落目おちめになると、酒場に来るけどね」

ユエ「?? ふーん? じゃあ、そうする! どこに行ったらいいの?」

楽士「…城の下働きを募集する時があるから、それでまずは城に入りなよ。その後、城の中で踊り手を見つけて、どうすればいいか聞いてみたら?」

ユエ「うん! ありがとう楽士さん!」

楽士「…まぁ、言っておくけど、楽な道ではないよ?」

ユエ「だって、綿花のあの大きな袋を運ぶのだって、楽じゃないもの」

楽士「…うーん、そういう大変さじゃないんだよなぁ、客商売ってのはさ…。ま、やってみたら? おっと、そろそろ始まるな。お嬢ちゃん、幸運をな。お母さんも」

ユエ「うん!」

母「ありがとうございます」

楽士は立ち上がると、自分の定位置へと歩いて行った。


帰り道、母と手を繋ぎながらスキップするユエは、意気揚々として言った。

ユエ「母ちゃん! 教えてくれて良かったね! 明日は 城に下働きが無いか聞きに行こうよ!」

母「そうだね。思い立ったが吉日、善は急げだ!」

ユエ「うん!」

母は、道が見えて希望に目を輝かせている娘を、嬉しそうに見た。



ゴミゴミと人が行き交う往来の前方から、キャラバンがこちらへ向かって進んで来た。

母は、通りすがるその長い隊商を、行き過ぎてからも振り返って見ていた。

ユエ「母ちゃん? 何か珍しい積荷つみにがあった?」

母は笑った。

母「ん? いや。何処から来たのかなと思ってさ。あの積荷つみにを売っている国はさ、どんな国なのかな、とか、さ…」

ユエ「ふーん?」

ユエは、母の楽しそうな笑顔を見上げた。


・・・


翌日の仕事終わりに、ユエと母は早速、下働きが無いか城へ聞きに行った。

タイミング良く 今 っているとのことで、ユエは無事に下働きに入れることになった。

明日から仕えるという前の晩、母と一緒の狭い寝台で、ユエは温かい母の胸に頭を押し付けた。

母は娘を優しく抱きしめた。

ユエ「母ちゃん、ユエが一緒に綿花を摘まなくなったら、寂しい?」

母「母ちゃんは、あんたが幸せだなぁ って感じてるのが、一番嬉しい。だから、寂しくないよ」

ユエ「うん!」


城の下働きに入ると、今度はまた幸運にも、ユエはすんなりと踊り手の見習いに入る事ができた。

まるで、何かが導いているのではないかという位に、全てがトントン拍子で進んだ。

一月ひとつき前には 考えもしなかった展開だった。



踊り手の見習いになっても、ユエは相変わらず家から城に通っていた。

狭い寝台に親子で寝ながら、母は娘に言った。

母「ユエ、夢が叶って良かったねぇ」

ユエ「何言ってんの母ちゃん! これからだよ! ユエ、踊り手の一番手になるよ。そしたら、母ちゃんを宴に呼ぶから来てよね!」

母「ありゃあ、そりゃ楽しみだねぇ」

母は明るく笑った。


それからユエは、日暮れに帰って来ると、小さな家の中で 習って来た舞いを母に披露するようになった。

母はいつも

母「いいねぇ、いいねぇ」

と家事をしながら楽しそうに見ていた。



ユエは才能を存分に活かし、あっという間に出世して行った。

十三になる頃には、彼女は既に 光るように舞うようになっていた。

ユエは忙しくなり、実家通いをやめ、城に住むようになった。

母は一人で暮らすようになったが、娘が何かにつけてちょこちょこと帰ってくるので、相変わらず明るかった。


出世頭となったユエは、一通りの辛酸も舐めた。

同期や先輩の嫉妬を一身に受け、靴の中にガラスの屑が入っていたこともあった。ユエは、靴を血に染めて踊った。踊りの中で所々、痛みでバランスを崩してしまう箇所もあった。

青い目の護衛「!」

ユエがやっとの事で踊り終え、びっこをひき 泣きべそをかきながら裏へ引っ込むと、何も言わずに包帯を渡してくれる若い護衛が居た。

ユエ「あ…、ありがとうございます!」

ユエは涙を腕でさっと拭い、輝くような笑顔で礼を言った。

護衛は、軽く会釈して去って行った。

ユエ (応援してくれる人もいるんだから…!)

ユエは唇を噛んで、折れそうになる心を奮い立たせた。


ユエの衣装が破かれていることも、一度や二度ではなかった。

ユエはよく、破れた衣装を縫うのを手伝ってくれと実家に帰って来た。

母は、ビリビリになった衣装を見て心配した。

母「あんた…! もしかして、いじめられてるのかい?」

ユエ「仕方ないわよ。追い越されたり、私ばっかり贔屓ひいきされたら、きっと苦しいわ。このビリビリは、その人の心の中なのよ」

母「そうかい…」

娘は短い時間を縫っては、とにかくよく実家に帰って来た。

今度は何が盗まれただの、客に尻を触られたので席を立ったら、それでも笑って酌をしろと席に戻されただの、城の役人までやらしいことを言って来るだの、ひとしきり愚痴をまくし立てては、また出て行った。



ユエは十六になると、小さい頃の約束通り、母を宴に招待した。

この頃は、娘は忙しいのと、さほど困った事も無いようで、あまり実家に帰って来なくなっていた。母が娘に会うのは久々だった。

母は客席から、娘の成長を眩しく見た。

娘は、嫉妬の嵐を既にくぐり抜け、今は良い仲間に囲まれているようだった。

宴の会場には、娘をそっと助けてくれる護衛もいた。

母 (あぁ、良かったなぁ…。ありがとさんです)

母は、涙ぐんだ。


宴の帰り道、娘の成功が嬉しくて少しだけ飲みすぎた母は、暮れていく空を見上げた。

母 (毎日あんなにそばで眠っていたのに、何だか遠くに行っちゃったなぁ…。もう手が届かないよ…)

母は、あんなに嬉しかったのに、いきなり寂しくなった。

暗い小さな家に一人帰り着くと、母は胸が苦しくなった。

母「あぁ、私の子育ては、終わったんだ…。ご苦労さん」

母は一人 自分に呟いた。寂しかった。



母は、狭い部屋に一人居るのが息苦しくて、たまらず外に飛び出した。

ユエ「母ちゃん? どうしたの?」

家の前には、娘が立っていた。

母は、夢を見ているのかと思った。


娘の後ろには、さっき宴の席で娘を助けてくれていた、まだ若い青い目の護衛が居た。

護衛「それでは私はこれで。明日 来る時は、明るいから大丈夫ですね?」

護衛は、影のように静かな声で言った。

ユエ「はい。わざわざありがとうございました」

護衛「いえ。では、失礼します」

若い護衛は事務的に言うと、去って行った。



母「あ…、あんた…、どうしたんだい? まだまだお客さんの相手があっただろ?」

ユエ「今日は、母ちゃんが寂しがってると思って、抜けさせてもらって来たの。ね、私が出世しててびっくりしたでしょ? 遠くに行っちゃったって思ったでしょー? ふふふふふー!」

ユエはイタズラっぽく笑うと、いきなり母に抱きついた。

母「…! な…、何だいそりゃ! そんな訳無いだろ? 母ちゃんはいつだって、一人でも楽しくやってけるんだから。さ、仕事に戻りな」

ユエ「今日はもう抜けるって言って来たからいいの! 護衛の人も帰っちゃったし。ねぇ、母ちゃん、ベッド、まだ二人で寝れるかな?」

母「はぁ?! 無理だよ無理!」

ユエ「やってみなきゃ分からないって!」


その晩、母と子は狭いベッドでギュウギュウになって寝た。

母は、娘に毛布を掛けて安心した。

娘が赤子の時は、夜中にふと起きて、毛布からはみ出ていないか見たものだった。

ユエは、積もり積もった話を怒涛のように話した。

踊りの事、仲間の事、師匠の事、城の事、やらしいお客さんの事、変わったお客さんの事、失敗した事、嬉しかったこと、怒られたこと、褒められたこと、隣の国まで行って踊った事、隣の国のこと、砂漠の旅のこと…。ユエは真夜中になるまで、狭い寝台の中で話し続けた。

母は幸せだった。

母の相槌が途切れたので、ユエがふと見ると、いつの間にか 母は眠っていた。

ユエは昔やったように、温かい母の胸に自分の頭を押し付けた。

母の胸板は心なしか、昔より薄く軽くなっているような気がした。

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