第17話 切符
エイジャ「あー、クソ…。いってぇなぁ…」
夜中の内に診療所から抜け出したエイジャは、また元居た路地裏に戻って来ていた。
一眠りして朝には起きるつもりだったが、怪我が彼の身体に眠りを要求し、起きた時には昼近くになっていた。表通りでは、商人達がひしめき合って行き来している。
エイジャ (あー、やっぱ抜けて来なきゃ良かったかなぁ、せっかくメシ食えたのに…)
エイジャは、リファの光るような笑顔を思い出した。
エイジャ (いや、ダメだ。あんな所に居たら、俺、どうにかなっちまう。
けどなー、この身体じゃ、盗みもまたしくじりそうだし…)
エイジャ「どうすっかなー」
彼は、路地裏から見える狭い青空を見上げながら、状況の割にあっけらかんと呟いた。
その時、表通りから顔馴染みの、まだ若い土工が路地に入って来て、声を掛けてきた。
土工「おいエイジャ、今から水路の泥運び できるか?」
エイジャ(クソ…、せっかく仕事が来たってのに…)「いや、今は怪我してて できねぇ」
土工「へぇ? お前が怪我なんて珍しいな。どうした?」
エイジャ「……。別に…、何でもねぇ」
土工「ふーん…?」
若い土工は他を当たりに、人の行き交う表通りへと また消えて行った。
エイジャ「あーあ。腹へったなぁ…」
エイジャは仕方無く、ギシギシと痛む身体で立ち上がり、人通りの多い表通りにノロノロと出て行った。
通りには、様々な国の衣服の人々が行き来し、家畜を売りに行く商人なども通っていた。
エイジャは、癒えていない痩せっぽっちの小さな身体を往来に揉まれ、時々苦痛に呻きながら歩いた。
エイジャ (そろそろ昼飯時か…。あの羊の商人、飯食うだろな…。よし、いっちょ声かけてみるか。座って羊の番 位ならできんだろ)
エイジャは痛む身体を押して 羊商人に追いつき、勇気を出して声をかけた。
エイジャ「お兄さん、そろそろ飯時だけど、俺、お兄さんが飯屋に入ってる間、家畜の番するよ? 慣れてんだ。どう?」
羊商人は、まるで相手にしないように手を振った。
その後もエイジャは、家畜を連れた商人を見ると 声をかけてみたが、ことごとくダメだった。
エイジャ「くそ、ダメか…。何でダメ?」
エイジャが家畜商人の後をつけて飯屋に入る所を見ていると、彼らはその大きな"荷物"を預ける事のできる、厩のある飯屋に入って行くことが分かった。
エイジャ ( なるほどな、あの荷物を預けられる行きつけがあるのか。そりゃそうだよな。どこの誰か分からない俺じゃ、家畜を盗んで行っちまうかもしんねーしな…)
エイジャは、ぐらりと目眩がした。
エイジャ (あぁ、これだけでもう へとへとだ…。とりあえず、ここは人が多すぎてダメだ…! )
エイジャは埃っぽい往来を抜け出し、疲労困憊しながら、やや開けた水路の側まで来ると、崩れるように座った。身体中が痛み、熱も上がってきたようだった。
彼は、ここでも家畜を連れた商人を見たが、もう声を掛けに行く元気が無かった。
エイジャ(字が書ければなぁ…。首から看板下げて、座ってられるのに…)
エイジャはそう思うと、水路の脇に 横向きになって寝転んだ。
焦点の合わない視界に、乾いた地面が広がる。
エイジャ (俺…、もうダメなんかな…)
エイジャは思った。そして、少しだけ悲しくなった。
エイジャ (ハッ! 何悲しくなってんだよ! 暗っ! 俺が死んだ所で、俺 困んねーし! 別に全部…、どうでもいーし…)
エイジャは疲れて目を瞑った。水路の心地良い水音が聞こえた。
エイジャ(水の音って良いよな…。何か…落ち着く…。
あぁ、俺にもチャンスが欲しいな…。盗みなんてしなくても暮らしていけるだけの…、〈リファやリワンを思い出して〉あいつらと対等に渡り合えるだけの、チャンスが…!)
エイジャは朦朧とする中で、ピンクのジャンパースカートの女の子の事を思い出した。
エイジャ (あの子…、可愛かったな…。〈笑って〉そうだ、可愛かった。あの人形みたいな金髪を思いっ切り引っ張ったら、どんな顔すんだろな? 気が弱そうだったから、泣くんかな? ハハ! 泣かしてみてぇ!)
エイジャは目を瞑ったまま、ニヤニヤと妄想して笑った。
カポカポという馬の蹄の音が近付いて来て、男が二人、近くに腰掛けて話し始めた。
馬は足元の砂を蹴り、風下に居るエイジャに もうもうと砂埃がかかった。彼は全く唐突に、その砂埃の中で運命の切符を拾った。
男1「城で兵を募っているそうだな」
男2「あぁ。江がこの国の軍を増やしたいんだろ。西の方の制圧に行かされるんじゃねーか?」
男1「…俺、行ってみようかな…。」
エイジャが目を開けて、密かに さっとその金色の瞳を向けると、それは、気弱そうでひ弱そうな二十歳前後の男だった。袖からのぞくその腕は日に焼けていたが細く、身体も 服の上から見てもポキっとすぐ折れてしまいそうな貧弱さだった。
男2「やめとけやめとけ! お前なんか首がいくつあったって足りねーよ!」
相方の男は、その貧相な男に比べると割合に恰幅が良く、歳も少し上のようだった。彼は髭を蓄えた浅黒い顔にシワを寄せながら、さもけったいな風にたしなめた。
男1「…そうだよなぁ。……でもなぁ…。」
エイジャは 横で聞こえる会話に、神経を集中した。
でも、何だ。
こんな気弱そうでひ弱そうな男が、すぐ殺されてしまうかもしれないのに やろうというのだ。
でも、何だというのだ。
男1「…三食 メシが食えるって話なんだよなぁ…」
その言葉を聞いた途端、エイジャはすっくと立ち上がった。
横の二人は、何事かと驚いた風だったが、彼らのことなど もうどうでも良かった。
エイジャは 痛かったはずの全身に力がみなぎり、熱っぽい身体に鳥肌が立った。
彼は目を見開いて、まるで雷に打たれたかのように、スタスタと城の方へ向かって歩き出した。
エイジャ (メシ! メシ!! メシ!!! 腹が減った! このままじゃ俺は、腹が減って死んじまう。メシさえ食えれば、どうとでもなる! そうだ、メシさえ食えれば、何だってできる!!)
エイジャは、この砂漠の小さな国の殆どの志願者がそうであるように、食事が出るという唯それだけの理由で、城の兵舎の門を叩いたのだった。
・・・・・・・・・
アイラ「え? 今日は付いて来てくれないの?」
アイラはいつものように、昼下がりに 兵舎へナザルを呼びに来ていた。
ナザル「そうなんすよ。王様から、新兵の選考に行って来いって言われてて…。今日は大人しく城の中で遊んでて下さい」
アイラ「えーっ…。〈パッと表情を明るくして〉アイラもしんぺいのせんこう、見にいく!」
ナザル「は?! いやいや、選考会場は遊びに行く所じゃないんで」
アイラ「だって今日、リファ達 街の診療所の日だから、いないんだもん…。つまんないもん」
ナザル「いやいやいや、兵の選考なんて、姫にはそれこそつまんないっすよ! 女の子が見るようなもんじゃねーっす。人形遊びでもしてて下さい」
アイラ「えーっ! アイラ、おりこうさんにする!」
ナザル「ダメです! 王妃様とご一緒に居たらどうです?」
アイラ「今日は、お隣の国のお客さんが来るって…」
ナザル「あー。じゃあ一人で遊ぶとか、誰か他の人とでも遊んで貰って下さい!」
アイラ「……。」
アイラはゼダガエルを両手でぎゅっと抱きしめ、口を尖らせて黙った。
アイラ (ふくしんを探したいのに…)
ナザルは、口をへの字に曲げたアイラを見ると、怪訝な顔をした。
ナザル (あの顔は納得してないな…。また何かやらかすんじゃないだろうな…)
彼は不吉な予感がしたが、
ナザル (ま、城の中に居れば大丈夫だろ)
と思い直し
ナザル「着いてきちゃダメですよ? ほんじゃ」
とジロリとアイラを見て釘を刺すと、行ってしまった。
アイラは頬を膨らませ、ナザルの背中をじっとりと見つめた。
アイラは、コソコソとナザルの後を付けて行った。
一度 ナザルが怪訝そうな顔で振り返ったので、アイラはサッと柱の陰に隠れた。
アイラは青緑色のジャンパースカートを見て思った。
アイラ (これじゃ、せんこうかいじょうに行っても、ナザルに見つかって追い返されちゃうな…。もう少し目立たない格好にしないと…)
アイラは、側の壁に麻袋が積んであるのを見た。それは、壁や地面と同じ色だった。
すぐ横に袋を閉じる縄と、それを切る為のナイフがあるのも見つけると、彼女はナイフを手に取り、麻袋を一枚拝借した。袋の底の方の綻びた所を切って広げ、それを被って、開けた穴から頭を通した。
アイラ (よし! これで目立たない。ナザル、どこ行ったんだろ? みんなの掛け声がするから、あっちかな?)
アイラは小走りで かけて行った。
通りすがる兵が目を丸くして見るので、アイラはにっこりと笑って通り過ぎた。
彼らは、アイラがおかしな格好だったし、急いでいるようだったので、何か事情があるのだろうと思った。
アイラが選考会場である練兵場に出ると、そこには小さな男の子から老人まで、様々な男達が集まっていた。木の棒を持って来ている者もいた。
壁や地面の色に同化していたアイラは、隅の方をコソコソと進むと、人目につかない物陰にそっと座った。そこは"かぶりつき"の位置だった。
練兵場の中央では、二人の男が戦っていた。
トドメを寸止めにしないで、故意に相手を怪我させた場合は、不合格となっていた。
勝敗に関係なく、戦った二人ともが合格の場合もあれば、二人とも不合格の場合もあった。
アイラ (ふーん…?)
あんまりヨボヨボしたおじいさんが落とされた。
おじいさん「頼む! 下働きでいい! 食糧でも煉瓦でも、何でも運ぶから!」
審査員の兵「今回は見送りですが、状況が迫って来たら、またお願いするかもしれません。それまで元気でいて下さい。頼りにしています」
おじいさんはしょんぼりとして、杖をついてゆっくりと出ていった。
アイラは何だか切なくなって、おじいさんの背中を見送った。
アイラが審査員の方を見ると、その中にナザルが居た。彼は、いつもアイラ達と一緒にいる時よりも、真剣な顔をしていた。
アイラは、次に出て来た子を見て驚いた。
アイラ (あの子…、私と同じ位なのに…。それに痩せてる…。ん? 何か…フラフラしてる…?)
志願者を案内する係の兵は、エイジャを見て言った。
案内係「おいお前、具合が悪いならやめとけ。下働き希望だとしても、遊びじゃないんだぞ」
エイジャ「〈はぁはぁしながら〉大丈夫だ」
エイジャは眼光だけは鋭く、練兵場の中央を 金色の目で見据えて言った。
エイジャと一緒に戦うのは、彼の次に並んでいた、一般的な体格の中年男性だった。木の棒を持って来ていた。
アイラ (えぇ?! 子供同士でやらないの?! あんなのであの人に叩かれたら、あの子、折れちゃうよ…!)
アイラは心配になったが、
審判役「始め!」
審判役の声がかかった。
エイジャ (あぁ、くそ! 身体さえちゃんと動けば、こんなオッサン どうにか丸め込めるのに…。もう少し治ってから来れば良かったか…? いや、それだと募集が終わってたかもしれない。今しかない…!)
エイジャは朦朧とする視界で、相手を見上げた。
相手の男は、持ってきた棒を地面に放ると、エイジャに近付き、ひょいと抱き上げようとした。
エイジャは、ゆらりと揺れるようにして、どうにか逃げた。
男は何度も何度もエイジャを捕まえようとしたが、エイジャはその度に のらりくらりと逃げて、捕まらなかった。
審査員の一人が口元を上げて呟いた。
審査員「フッ。あの子、何だか猿みたいだな。体調が悪そうなのに」
ナザルは強面を崩さずに見ていた。
エイジャは徐々に、男が放った棒の近くに来ると、それを拾い、男の膝の裏を目がけて、今の力の限りに振った。
男「おっ?!」
男は膝カックンして間抜けによろめいた。
表情を崩さなかったナザルの口元も上がった。
ナザル (へぇ? 抜群の身体能力の上に、賢い…)
が、相手の男は、よろめいた事で 怒りと羞恥のスイッチがカチンと入ったようで、
男「この…! ガキだと思って手加減してやってれば…!」
と言いながら、至近距離に居るエイジャの棒をひったくり、エイジャの肩目がけて思い切り振り下ろした。
エイジャ「あ"…っ!!」
アイラ (!!)
アイラは思わず、痩せたその男の子の方へ向かって、飛び出していた。
アイラ (折れちゃう! 折れちゃうよ!!)
エイジャの呻き声が聞こえ、審判役は
審判役「そこまで!」
と言った。
にもかかわらず、男は怒りが収まらないようで、もう一度、棒を振り上げた。
見ている者達は戦っている二人に意識を集中していたが、突然、横の方から麻袋を被った子供が飛び出して来たので、皆 目を丸くした。
棒が振り下ろされる瞬間、アイラはエイジャの上に滑り込んだ。
アイラ (折れちゃうよ!)
次の瞬間、彼女の背に 思い切り棒が振り下ろされ、アイラは悲鳴をあげた。
エイジャ (は? 誰だよコイツ。俺を庇って何か得なことでも…あんの…か…よ…)
エイジャは遠のく意識の中で思った。
審判役は、男とエイジャ達の間に入り、物理的に止めに入った。
審判役「止めだ!」
男はやっと我に帰ったようで、突然横から出てきた 目の前の麻袋の子供を、眉をひそめて見た。
審判役も、審査員も、周りの者達も、皆 麻袋を見た。
アイラは、背中に今までに感じた事の無い痛みを感じながら、庇った男の子を見た。彼は気を失っていた。
アイラ「ねぇ、大丈夫?! ねぇ! ねぇってば!?」
アイラは小さな手で、もっと小さな 痩せっぽっちのエイジャを揺さぶったが、ぐったりとして反応は無かった。
審判役「君…、女の子か…? …どうしてこんな所にいるんだ?」
審判役は、アイラの事を驚いて見た。彼は、この麻袋が まさかここの王女だとは思わなかった。
審査員席で見ていたナザルも、横から出て来た子供がアイラだとは、夢にも思わなかった。志願者の中にイタズラな子供が紛れていたのだろうと思った。
審判役がアイラの麻袋をスポッと脱がせ、中からゼダガエルを抱いた青緑色のジャンパースカートが出て来た時、ナザルはサーっと血の気が引いた。
ナザル「……。」
彼は頭の回転が速い方だったが、しばらく何もわからなかった。
ナザル (えっ?! 姫?! …えっ? 何で?!)
彼は青くなった。
そして次の瞬間、予想される全ての悪い事態が、彼の頭を駆け巡った。
15話も割り込みで書きました。




