7話 初めての戦闘にて、
メインストリートを行き交う人々の間をするすると通り抜けて、私たちは城下町を出ました。
「わぁーっ……」
アンペラーツの城下町から伸びる一本の道筋に、その周りを埋め尽くすように青々と茂っている草原。馬車を引きながらゆったりと歩んでいる旅人達。ゆらゆらと草原を躍らせる淡い風。
大きく息を吸い込みます。肺に滑り込んでくる冷んやりとした空気が気持ち良いです。
「んんーっ……完璧です!!」
「えっと……何が?」
そんな、小さい子供相手にどうして良いか分からなくて困ったような顔をしないでください。
「もちろん、この光景の全て、に決まってるじゃないですか!」
ここの全ての風景が、ゲームのレジェワンにおけるアンペラーツの城下町から一歩踏み出た時のフィールドと一致しているのです。いえ、決して風景だけではありません。だってほら、そこの道行く旅人なんて、あの髪色にあの服装ですよ……!?
地毛なのでしょうか、あんなに落ち着いていて自然な黄緑色の髪を見るのは人生初ですっ。服装はいかにも魔法使いといった感じの白いローブで、よく見るとその手には先端に大きな紅い玉の付いた杖が握られています。
はわあぁ……! これぞ正に、麗しきレジェワンワールド……!
今まで見たこともないような絶景を前にしてうっとりと心を奪われている最中、隣から感動を遮る一つのため息が。
「は、はぁ……まぁそれは良いとして、なぁ、かのこ。さっきから、ずっと疑問に思っていたんだけど……」
ルートさんが何か言おうとした、その刹那。
「あっ!!」
突然、草原の一部が大きく揺れて、『それ』は凄まじい跳躍力で宙を舞っていました。
そして、軽々と私達の目の前に降り立ちます。
気が動転して何が起こったんだかよく分からない私とは対照的に、彼はいつも通りマイペースに、
「ん? あぁ、魔物じゃないか」
なんて、のんびり抜かしていました。何だか、気が抜けちゃいます。
ルートさんのマイペースっぷりに呆れて落ち着いた私は、もう一度、冷静にそれを見つめました。
薄汚い灰色の体毛に覆われたその姿は、まるでネズミにそっくりです。目つきの悪い、金色の鋭い瞳。獲物を仕留める為の、大きな牙。体長は大体、私の半分程でしょうか。巨大ネズミ、という表現が一番しっくりきます。
そして……どうやらこのネズミと私は、宿命の敵同士という運命を背負っているようです。
「お前は、ネズリンじゃないですか……!」
もちろん、テレビ越しでの。あぁ、レベル神設定時のこいつとは何度死闘を繰り広げてきたことか。ネズリンのくせに、ロト様を何度もわずらわせるなんて……! おこがましいにも程がありますよ、全く。
とはいえ、通常レベルのネズリンは所詮ただのザコ。
しかし、レジェワンにおける最弱キャラ……のはずなのに、実際にこうして見てみると案外恐ろしいものですね。思いっきり威嚇していますよ。毛並みはツンツンと逆立っていますし、目はギラギラと光っています。
ルートさんは落ち着いた様子で、手に鞘をかけたままネズリンを鋭い目つきで見ていました。
「さっき聞きそびれたが、かのこ。お前、武器は持ってるのか?」
…………武器?
「そんなバイオレンスな物、さっきまで日本の平凡な女子高生だった私が持っているわけないじゃないですか……って、ええええええええええ!?」
「お、おいっ!? 来るぞ!?」
彼の声で振り向いた時にはもう既に、遅かったのです。
真ん前には、汚泥色の牙をむき出しにして、獲物を見つけた時の猟奇的な瞳をした魔物の姿。
思考回路はショート寸前。
「キーッ!!」
「危ないっ!!」
ネズリンの 頭突き! かのこは ダメージを くらった!
「ぐはっ」
端目には、地を蹴って駆け出すルートさん。
目の前が、真っ暗になりました。
*
渾身の力で、地面を蹴り上げた。けど、ダメだ。もう間に合わない。
走り出した時には既に、ネズミがかのこに飛び掛っていて、そいつの頭突きがもろにかのこの腹部に直撃する寸前。魔物の頭突きがクリーンヒットした瞬間、かのこの大きな瞳の瞳孔は驚いたようにカッと開いて、小柄な身体は花の茎が折れるかのようにクの字に曲がる。そのままその勢いで草原にぶっ倒れそうになったかのこを慌てて支えようとしたら――
「は……?」
思わず、口から間抜けな声が漏れた。
「キキーッ!!」
ネズミの威嚇に、危うく思考停止しそうだったところを現実へと引き戻された。と、とにかく落ち着け、俺。今は、次に俺をターゲットにしようとているあの魔物にだけ集中するんだ。
汗ばむ手で鞘に手をかけなおした、次の瞬間。
奴が、今度は俺に飛び掛ってきた。それとほぼ同時に愛用の大剣を鞘から滑らせる。腕にかかるずっしりとした、けれど心地の良い重量感。長年共に歩み寄ってきた、俺の大事な相棒。
逆立つ毛並み。大きな汚泥色の牙。そして、蛇のそれにも似た金の瞳。
迫ってくるそれらは、一秒毎に、より明確に、よりリアルに、俺の目に写る。
今だ。
直感がそう叫んだ瞬間、迷うことなく剣をふるっていた。
目の前で、魔物が両断されていく。
綺麗に真っ二つになった魔物から赤い飛沫が散ることはなく、代わりに毒々しい紫色の液体が剣から滴り落ちた。しなしなと地に落ちた魔物の死体からは、少ししてすぐに泡のような黒い光がじわじわと湧いてきてそれを包み込んでいく。そして、完全に球体の黒い光となったそれは、天へと昇っていく途中で泡がはじけるように霧散した。
「はぁ……」
……こんなザコに慎重になるなんて、らしくねぇ。
まぁ、目の前であんなことが起きれば、誰だって少しは動揺するよな。
「あれ? 目の前が、真っ暗です。もしかして私、また他の異世界に召喚されちゃうんでしょうか……?」
……できれば、俺の勘違いってことにしておきたかったんだけどな。
かのこが、俺の目の前で棺になっちまったことだなんて。思わず額を押さえる。
「それにしても、棺が喋るなんてすごくシュールだな」
「もしかして……その声はルートさんですね!」
棺が喋ってる……しかも、もろかのこの声のまんまで。物凄く違和感があるな。
しかし、よくよく見ると高級そうな棺だな。
黒を基調とした棺で、周りに金の細いラインが走っている。棺の真ん中には黄金色の十字架が光っていた。
って、んなことはどうでもいいんだよ。
「一体何したんだよ、かのこ……。冗談か何かか?」
「何が起きたのか聞きたいのは私の方ですよ! 私は今、一体全体どういう状態になっているんですか? ネズリンが私に飛び掛ってきて、そこから何も覚えていなくって……気付いたら目の前が真っ暗だったんです」
当の本人が全く状況を分かっていないのか。んー……まぁ、それなら仕方ねぇか。
俺は小さくため息をついてから、あの時、俺の目の前で起こった事実をそのまんま話した。
「かのこ、聞いて驚くな。お前はな……さっき、ネズミの攻撃をくらったすぐ後、棺になっちまったんだ」
あの時、俺は何度も自分の目を疑った。
かのこがもろにネズミの攻撃をくらった、次の瞬間。そのまま草原に倒れるかと思いきや、かのこは草原に崩れ落ちる寸前に棺になっていた。
俺の言葉を聞いて、黒い棺はカタカタと震え始めた。
かのこ、棺の中で怯えてるのかな。そりゃぁ、自分が棺になっちまっただなんて聞かされたらいくらかのこでもショックだよな。でも、かのこには怯えてるとこ悪いんだけど、これはちょっとした怪奇現象だな。
「マ、マジですかぁっ!? も、もももももしかして、それって黒の清潔感溢れる棺で周りに金のラインが入っていたりしませんか?」
……震えるほどの、興奮だったらしい。声のトーンとか明らかに跳ね上がってるし。ははっ。かのこ、お前自分の状況分かってんのか……?
あれ、ちょっと待てよ? かのこは今、何も見えてないんじゃなかったか?
「その通り……だけど、何でそんなことが分かるんだ? かのこ、今真っ暗で何も見えてないじゃ……」
途中で言葉が途切れた。
カタカタカタカタ。震えがどんどん大きくなっていく棺を見て、軽く引きつったからだ。……これ、絶対ホラーだよな。
棺の震えが最高潮に達して、思わず俺も身震いしそうになった瞬間、棺から感嘆のため息が漏れた。
「はわわぁ……! ……見たいっ、見たいです!! 私にも見せてくださいっ、リアル棺を!!」
「は、はぁ……?」
かのこの興味は、自分が棺になってしまったことよりも完全に棺そのものに向いたようだ。今、そこにかのこがいたら今は大きな黒目を爛々と輝かせているところだろう。
かのこ、お前、棺になっちまったんだぞ……? なのに、そこには微塵も動揺せずむしろこの状況を楽しんですらいるって……。もはや逞しいとかそういう問題じゃないと思うんだが。
「それは……! 恐らく、レジェンドワンドにおける、状態異常【死亡】になってしまった人が強制的に入れられてしまう棺です。ゲーム上では、戦闘不能状態を意味しています」
「【死亡】状態? それって……ものすごく、やばいんじゃないのか?」
顔から血の気が引いていく。大きな岩で頭を殴られたかのようだった。
つまりそれって……かのこは死んじゃったってことなのか? 俺の目の前で、あんな雑魚ネズミごときに?
足から急に力が抜けて、俺はへなへなと崩れ落ちるようにしてその場に座り込んだ。
「いえ、そこまで危険な状態ではありません。少なくともこの棺の中にいる間は安全なようです」
安全、その言葉に耳がピクリと反応した。
「……じゃぁ、まだかのこは生きてるってことなのか?」
「うーん……厳密に言えば、生と死の間をふらふらとさまよっているといったところでしょうか。ただ、棺が無理矢理こじ開けられたりしない限り安全なのは確かだと思います。まぁ、真っ暗で何もできないしちょっと不便ですけどね」
少し不満げなかのこの声、でも最後の方はほとんど聞こえていなかった。
……良かった。本当に、良かった。
俺はもう、二度とあんな思いには耐え切れない。
「ルートさーん? もうっ、ちゃんと聞いているんですか?」
ハッと我に返った。あぁ、またやっちまったのか。俺の悪い癖だ。
気持ちを切り替えるように、俺は明るく装った。
「なぁ、かのこ。俺は、これからどうすれば良い。どうやったら、お前を助けられるんだ?」
「えっ? うーんと、確か……そうだ、教会です! レジェワンの世界では、教会の神父様に頼むと【死亡】状態になった仲間を復活させることができます。だから、教会の神父様に聞いてみれば、何か分かるかもしれません!」
「教会……? じゃぁ、とにかく行くぞ!」
ようやく忌々しいテストが終わって、更新することができました(*´▽`*)
でも実は、一週間後にはもう期末テスト三週間前だったりするのですorz