4話 ついに来ました……酒場デビューの時が!
今、私はロト様が使命を授かった全ての始まりの国、アンペラーツ国の空気を肌で実感しています。
何でそんなことになったのか、
結論から言えば私はこれっぽっちも納得していないのにソレイユ王が無理やり話をまとめて、旅に出ろという命令の名の元に私を城から追い出したというのが正しいでしょう。
大まかに、ソレイユ王の話はこんな感じでした。
とにかく第一には、その伝説の杖を封印したという宝箱の鍵を一刻も早く探し出してほしいということ。もちろん、伝説の杖を狙って最近動き始めたという怪しい輩よりも先に。
そして、その三つの鍵を集めるために渡されたもの、それがわずかな資金と食料、そして古の地図。この地図は、約2000年前に描かれたもので特殊な魔法がかかっているのだそうです。何でもこの地図は、ある一定の距離までその鍵に近づくと鍵の位置を光で示すらしいのです。これは王家にのみ伝わる機密で、鍵を今一度集めなければならないという緊急事態が起きた時のために用意されたものなのだそうです。
つまり、簡単に言えば各地を片っ端から訪れて地図の反応を待つしかないというわけですね。
ある程度聞き流しながらも要点はきっちり押さえている私、流石です。
そして、
『お前が、勇者の血を受け継いでいるからだ』
結局あの後、いくらその言葉の意味を私が尋ねてもソレイユ王は微笑んではぐらかすばかりでした。
それでもめげずに何度も何度もしつこくしていたら、最後には王のこの極めつけの一言でした。
『とてつもなく不満そうな顔をしているが、どちらにしろお前はもう私の望みを叶えるまで元の世界へは帰れないのだ。お前をこの世界に召喚するのも中々苦労したが、お前を元いた世界に送り返すのはそう簡単にはいかない。杖の力を借りなければ難しいだろうな』
そもそも、私に選択権というものが始めから無かったようです。これ、明らかにおかしいですよね!?
そもそも、朝まではいつも通り美緒と登校中だったんですよ?
今日だって、ごくごく普通の平凡な日常の一介に過ぎなかったはずなんですよ??
それが何を間違えたのか、いきなり立派なお城へ連れて行かれてお前は勇者だの何だのってゲームの主人公しか言われないようなことをサラリと言われて「はい、分かりました」だなんて、簡単に納得できるわけがないじゃないです。
頭の中ではぶつぶつと文句を垂れ流すものの、このわけの分からない状況を完全に否定できない自分がいたこともまた事実でした。
だってこの世界、私が愛していたともいえるレジェンドワンドの世界に本当にそっくりなんですもの。ソルブ王がソレイユ王だったりとか、細かい違いはあるにせよそれを除けば完璧です。
正に、実写版レジェンドワンドといった感じなのです。
首を伸ばして、辺りを見回しました。
城から伸びる、真っ直ぐで大きな一本道の脇には商店街のように色々なお店が立ち並んでいます。人通りはとても多く、がやがやと賑わっています。メインストリート、とでも言うのでしょうか。
ベーコンを焼いたような匂いのただよってくる料理店。派手な服ばかり置いてある服屋。旅人には必須な宿屋から武器屋、防具屋まであります……! 私の知っているアンペラーツ城の城下町とは多少お店の配置が違っているものの、ほぼ変わっていません。
かのこ、感動で胸がいっぱいです!!
ネガティブになってばかりではしょうがないですもの、理由は何にせよせっかくこの世界に来られたんですから少しくらい楽しんだっていいですよね?
感動で胸を震わせているところで、ふと歩みを止めました。
数ある魅力的なお店の中でも、一軒、どうしても気になるお店があったのです。
「酒場……」
木造建築で温かみを感じるお店の上にかけられた黄ばんだ看板には、ビールのマークが描かれています。
ぎゅっと、小さく手を握り締めました。
ついに……ついに、私にも異世界の酒場デビューの時がやってきたのです……!!
私、前々から憧れていたんです! いや、未成年なんでお酒は飲めませんけどね。けど、雰囲気を楽しめるだけで十分ですよ、きっと。あっ、ちなみに酒場に憧れがあるのは異世界限定です。だって、日本の酒場のイメージってお腹の下がちょっと出ているおじさん達が顔をでれでれに真っ赤に染め上げて、ちゃんと呂律の回っていないたどたどしい言葉のくせして無駄にでかい声で怒鳴ってるイメージがあるものですから……。私の偏見ですかね?
とにかく。
木の板でできている年季の入った床に壁、気が利く人の良さそうなしっかり者のマスター、カウンターに集う旅人たちの笑い声……考えただけでも心が弾むじゃないですか。
がやがやとした騒がしさと楽しそうなイメージを想像しながら、私は何の迷いもなく酒場という名の楽園の扉を開きました。
店中に充満したアルコールの匂い、カウンターでわいわいと賑わう旅人らしき人たち、すらりとした長い足のバニーガールさん。
そこに広がっていたのは、私の想像していた通りの光景でした。
「いらっしゃいませー……おやおや? もしかしてお一人ですか?」
うさぎの耳をひょこひょこと揺らして近づいてきたのは、綺麗なバニーガールのお姉さんでした。背が高くてスタイルの良いバニーガールさんは、背のちょっぴり小さい私に合わせてかがみます。
……正直、羨ましいです。
「はい!」
すると、何故かバニーガールさんは眉間にしわを寄せて困ったような顔をしました。
「うーん……困ったなぁ。ここはね、君のようなおちびちゃんが一人で来て良い場所じゃないのよ」
「いえ、私はお酒は飲みません」
「いや、そういうことじゃなくって……13歳未満は出入り禁止なの」
1、13歳……!?
「……17歳ですけど、何か?」
「えっ!? し、しししし、失礼しましたっ!!」
確かに私は標準サイズよりすこーし小さいかもしれませんけど、スタイルだってちょびーっと幼児体系かもしれませんけど……!! まさか小学生並だと思われていただなんて……!!
ありえない、ありえない、ありえないですーーっ!!
すっかりふくれっつらになった私は、カウンターの横に追いやられて隅の方でこじんまりとしていたある物に気が付きました。
これは……ピアノのようですね。
気になって少し近づいてみたら、長い間使われていなかったのか、可哀想なことに薄くほこりが被っています。ポケットから引っ張り出したハンカチで、それを丁寧にふき取ってやりました。うわぁ……ハンカチが真っ黒です、思わず顔をしかめてしまいました。
急に、それを弾きたい気持ちがこみ上げてきました。ひどく、懐かしい感覚。
「マスター、ちょっとピアノをお借りしますね」
「えっ、ちょ、ちょっと待ってくださいお客さん!!」
ふーんだっ、仮にもお客様の私を小学生扱いした酒場のマスターの言うことなんて聞きたくもありません。
私はマスターの言葉を完全に無視すると、そのまま椅子に座ってそっと鍵盤の上に手を置きました。そのまま引き込まれるように片足をペダルの上へ重ねます。確かめるようにぎこちなく人差し指で一音鳴らすと、小さな音ではありましたがそれはぽーんと突き抜けるように響きました。
目を閉じました。楽譜も、手の動きを見る必要も、ないですから。
そのまま私の手は、美しい黒と白のコントラストの上で踊るように。
指先から奏でられ始めたのは、寂しく、哀しい旋律。この曲を初めて聴いたその時、私はこの曲に一目惚れをしました。あれ、一聞き惚れっていうんですかね? まぁ、いいや。それはもうベタ惚れでしたよ。
もの悲しい曲調なのに、聞く人にどこか包み込むような優しさを感じさせるから不思議です。
最初はたどたどしかったものの段々感覚を取り戻してきて、気付いたら私は全てを昔の感覚に委ねていました。
自然に手がはずみ、音が連なり重なって曲となってゆくのです。まるで、昔の私に体を乗っ取られたかのように。この空間が自分の音で満たされて、彩られていく感覚はたとえようのない快感です。
徐々に周りの騒がしい話し声や雑音が遠のいていって、世界は私とピアノだけになっていました。
何も考えずに頭を真っ白にして、ピアノに溶け「ドガシャーン」込んでいくように、なぞるように鍵盤を鳴らします。自然に頬が緩「ひっ……ひぃ!!」むのが分かりました。私はこの、ピ「ク、クレス!! お前、何やって……」アノを弾いている時の感覚が大好きです。ゲームの次くらいに。
……ん? 何だか騒がしいような……と、現実に引き戻されそうになったその時でした。
「おい、そこのピアノ弾いてる奴!」
いきなり大声で怒鳴られて体がびくつきました。突然、現実に連れ戻されてピアノの音が不自然に止まります。
即座に声の飛んできた方向へ体を向けようとしたら、何者かに首根っこをがっしりと捕まれて阻止されました。緊急事態発生、緊急事態発生。
「な、何なんですかあなた!! 手を離してくださいっ!!」
「その手を止めるな。俺の気が済むまで弾き続けろ、お前に拒否権は無い」
文字通り、私の命が見知らぬ何者かの手に握られてしまいました……! 勇者かのこ、早速大ピーンチ!!
……ってユーモラスに言ってみたものの、これって実はものすごーくヤバイ状況ですよね? 冷や汗が頬をつたります。
しかも、心なしかじわじわと首を掴む力が強くなっているような……。うぅぅ……これじゃぁまるで、にぼしを泥棒してお魚屋さんにとっ捕まえられた猫みたいな扱いです。いや、泥棒猫でもこんなひどい扱いは受けないかも……。っていうか私、何も悪いことしてないのに……。
……ん? そうですよ。私は、悪いことなんてしてないんです。
それなのに……ここでおずおずとピアノを弾くなんて、なんだか悔しいです!
もしも、ロト様が今の私の状況だったら……彼ならきっと、
「私は……可憐な乙女にいきなりデンジャラスな真似をするような糞野郎のために演奏するなんてできま」
痛っ。
首にちくりと痛みが走ります。
「しょ、しょうがない野郎ですねっ! か、勘違いしないでくださいよ……? どうしても私の演奏を聞きたいっていうから仕方なく弾いてやらないこともないだけなんですから!」
……ロト様ごめんなさい。やっぱり命は惜しいです。
今思えば、あの時の私にほんの一寸ばかりの断る勇気があればこんなことにはなっていなかったでしょう。
いや、こんなことにはなっていなかった代わりにもっと酷い目にあっていたかのもしれませんけど。
それにしても、この状況はあんまりではありませんか?
「ううぅ……ま、まだですか……?」
「まだ」
……そんな、即答しなくても。
あれからかれこれ三時間位は経っています。ほら、ここに着いた時には青々しく広がっていた窓の外の空も、すっかりみかん色に染まっていますもの。
この三時間、一秒たりとも私の音が鳴り止む時はありませんでした。
しかも、少しでも手を抜いて弾こうとすれば、私の首を絞める忌々しい手の力が強まるのです。手は長い間休みもなく弾き続けているせいでとっくに疲れきっているというのに、命の危機におびやかされているせいで弾くことを止められません。かのこはもう、心身共にぼろぼろです。
言っておきますが、比喩なんかじゃありませんよ?
一体、何なんですか? そもそも、私の命の危機を脅かしているのは何者なんですか? 明らかに只者ではなさそうです。声は澄んでいてとっても魅力的なのに。
大体、私の奏でるピアノの音が素晴らしく感動的だったっていう理由だけでどうして私がこんな目に逢わなきゃならないんですか? 誰がどう考えても理不尽過ぎるでしょう。
しかし、小心者……ではなく可憐な乙女の私が、そうやってぶつぶつと愚痴を垂れ流していられるのは頭の中だけでした。
「ふにゅぅ……もう、限界、です……」
私の手が不覚にもピアノの上でへばろうとした、その時でした。
「クレス、その辺にしとけ」
凛とした、涼しげな声が響いたのは。