scene2
二話目を載せてみます。
どうか、よろしくお願いいたします。
咎野がルシアン・ドルネスとしてこの世界に再び生を受けて、はや十年。
今日も変わらず平和な朝が訪れる。
下で作っているであろう料理の良い匂いに誘われるかのように、目を開けた。
うつろな目を擦りながら、ゆっくりと体を起こした。
慣れた手付きで寝巻から着替え、服に袖を通し、そのまま静かに部屋を後にする。
下の台所へ降りると、一人の女性が鼻歌を交えながら朝食の準備をしていた。
「おはようございます。母様」
「おはよう、ルシアン。今日も一人で起きてこられて偉いわね」
そう言い暖かな笑顔で振り返るのは、ルシアンの母セリナである。
「ちょっと待っててね?もうすぐできるから」
「では、何かできることはありますか?」
「お手伝いしてくれるの?じゃあ、そこのフォークとナイフを並べてくれる?」
高い所にあったフォークとナイフを手に取ったセリナは、嬉しそうにルシアンに渡す。
それを受け取ったルシアンは、椅子に登り、丁寧に並べていく。
朝食が完成し、セリナが「よし!」と後ろを振り向く。
そこには、テーブルの上に綺麗に並べられた食器が目に映り、セリナは一層喜んだ。
「ありがとう!ルシアン!」
そう言ってセリナは優しくルシアンの頭を撫でる。
《そうか…これが、母親の…》
前世では幼少の頃から天涯孤独の身であった彼にとって、母親から頭を撫でられるという行為自体初めての経験だったが、不思議と悪くない感覚だった。
「さ、冷めないうちに食べちゃいましょ!」
皿に料理を盛りつけ、テーブルに配膳した二人は席に着き、手を合わせて祈りの言葉を述べる。
「主よ、今日も私たちに食物をお恵みくださりありがとうございます。今日も主への感謝を忘れずに、いただきます」
「今日も母様の朝ごはんは美味しいですね!」
「ルシアンにそう言ってもらえるだけで作った甲斐があるわ。ありがとう」
これは、お世辞ではなく本心から出ている。
実際に初めてセリナの料理を食べた時、ルシアンは、あまりにも自分好みの味付けに衝撃を受けていた。
これが所謂おふくろの味というヤツかと、感慨深い気持ちになったのを、数年経った今でも鮮明に覚えている。
「たまには父様も一緒に、母様の美味しい朝食を食べたいですが…」
「…そうねぇ…」
そう言ったセリナの目は、さっきまで優しさで満ち溢れていたのとは打って変わり、笑顔は見せているものの、その目の奥からは、寂しさが滲み、小さなため息をついた。
その様子を見たルシアンは、セリナが気丈に振舞っていた事に気がつく。
「すみません。わがままを言ってしまい…」
「…謝らないで、ルシアン」
セリナは再びルシアンに溢れんばかりの優しい笑顔を向け、ゆっくりとルシアンの頭に手を伸ばして優しく頭を撫でる。
「母様だけじゃ…寂しい?」
「そんな事はありません!ただ…」
「…ただ?」
ルシアンは言葉に詰まってしまった。
前の自分ではありえなかった事に動揺していたのもあるが、それだけではない何かが邪魔をして、言葉にできない。
そんな我が子の姿を見たセリナは、そっと席を立ち、ルシアンの方へと向かう。
ルシアンの後ろに立った後、優しく彼を抱きしめる。
「ごめんね、ルシアン。あなたの前では出さないようにはしてきたつもりなんだけどね…」
ルシアンを抱きしめた、その細く美しい両手は微かに震えていた。
こんな時どうしたらいいのかが、彼には分からない。
様々な思いが駆け巡る中、無意識のうちに気がつけば母の手を優しく握る。
すると、少しだけセリナの震えが収まった気がした。
セリナは彼を抱きしめていた手を解き、再びルシアンの前にかがむ。
その表情は、少しだけ目元を赤く腫らしながらも、いつもの暖かな笑顔だった。
「…父様がいなくて寂しいのは本当。でもね、父様がいなくても私には、あなたがいる。賢くて──とっても!優しい自慢の子。ルシアンがいてくれるだけで、母様は頑張れるのよ。だから…」
そう言ってセリナは、再び彼を正面から優しく抱き「ありがとう」と柔らかな声でそっと呟く。
だが、彼の両手はその感情を受け止めることしかできなかった。
いつも帰りが不規則な父が、今日はいつ帰ってくるのだろうか。
そんな戸惑いだらけの朝の空気を打ち破るかのように、玄関のドアがガチャリと開く。
扉の向こうから現れた男は、肩まで伸びた美しい銀髪を揺らしながら歩み出る。
鋭さを持った眼はどこか覇気がなく、疲労の影が出ていた。
普段留守にしていることの多い父、リュグだ。
羽織っていたジャケットを玄関で脱ぎ、そのまま無言で台所の椅子へと腰掛けたリュグは、何か考え込むかのように、だんまりを決め込んでいた。
しんとした空気を裂くようにして、突如リュグは声を荒らげる。
「……何故だ…くそっ!!」
そう言い放つ声と、伏せられた目線に無力感が伝わってくる。
重苦しい空気が流れる台所に、静まり返る一家。
こんな時、どうするのが正解なのか分からないルシアン。
その場に立ち尽くす少年は、この気まずい雰囲気をどうにかしようと試みる。
だが、言葉が出ない。
必死に何かを言おうとするが、ここでも詰まってしまう自分にルシアンは、小さな拳に段々と力が入っていく。
この世界に来て初めて得た家族という存在。
三十数年間、家族が居なかった彼にとって、五年は余りにも短すぎるのだ。
どうしようもなくなったルシアンは、一言──「あ…」とだけ声にした。
か細い少年の声がリュグの耳に届き、声の方に目をやる。
目の前に映っていたのは、固く握りしめた拳を震わす息子の姿だった。
はっとしたリュグは周りを見渡す。
そこで皆が暗い表情をしている事に初めて気が付き、偶然にも台所にあった鏡に映る情けない自分が映っている。
リュグは片手で頭を抱え、ボソッと呟く。
「バカだなぁ…俺は」
ぽつりとその言葉が出た瞬間、リュグの今まで抑えていた感情が一気に爆発した。
そして、目の前のルシアンに謝ろうとしたその時。
「…父様…ごめんなさいする相手が、違いますよ…」
固く握りしめた拳をゆっくりと解き、ルシアンが指差した先は。
「……セリナ」
椅子からゆっくりと立ち上がり、セリナに向かい合う。
「…その…ごめん…」
罪悪感からか、少し俯きながら言葉を絞り出す。
リュグの言葉を聞いたセリナは、俯く彼の顔を覗き込んで「ちゃんと!私の、目を見て!!」と語気を強める。
そんな彼女の目元を近くでよく見ると、化粧で隠しているのだろう。目元がほんのり赤く腫れているのが見えた。
今度は逃げてはダメだと、逸れそうになる自分の視線を、セリナに向け、口を開ける。
「…ごめん。あの時、誓ったのに…。君に…そんな思いをさせてしまっていたとは…」
そう言ったリュグの顔は、精悍だった顔つきが台無しなほどにぐちゃぐちゃになっている。
セリナはそんな彼の顔を見て、少し呆れたような顔で「……全く、貴方って人は」と、言い微笑んだ。
優しい微笑みに、思わずリュグはセリナを抱き寄せた後、また感情を爆発させる。
それにつられるようにセリナも、今まで我慢してきた感情が溢れ出してしまっていた。
《やれやれ、この夫婦は…》
両親の心のわだかまりが解け、ルシアンの口元も思わず緩む。
それと同時に、彼の中にあった戸惑いはどこかへと消えていたのだった。
──数日後。
いつもと何ら変わらない平穏な朝がやってくる。
いつもと同じようにベッドからゆっくりと抜け出そうと、目を開けようとした、その時。
バタンッと部屋の扉が勢いよく開き、よく通る声が響く。
「朝だぞ、ルシアン!!」
「…父様…何度も言ってるじゃないですか…。僕は一人でも起きられますって…」
「いやぁ、分かっているつもりなんだがなぁ…つい、な?」
自身のスケジュールを見つめ直したリュグは、家族との時間を以前よりも多くし、家族サービスに勤しんでいる。
ルシアンへの溺愛度が増した事以外は、良い方向へと歩み始めていた。
「母様の料理が冷めないうちに、降りてくるんだぞ?それと、今日はルシアンにとって、大事な話があるから、早めに来るように。いいな?」
そう言い父は部屋を後にする。
静けさが戻った部屋で「…ふぅ」と小さくため息をつくルシアン。
「……全く。子供というのも大変です」
言葉こそ呆れた感じだが、その表情は出た言葉とは裏腹に、微かに緩んでいた。
身支度を終え、朝食を食べる為に階段を下っていくと、台所の方からは、聞いているこっちが恥ずかしくなるほどに惚気た声が漏れている。
「ちょっ!リュグってば、そんなんじゃ、料理出来ないわよ」
「そんなこと言って。セリナもまんざらでもないんだろ?」
「もう、リュグったら…」
「…父様!母様!」
あまりにも見てられなかったルシアンは、我慢の限界を迎え、割って入る。
「仲良くなってくれたのは嬉しいですけど…その…恥ずかしいです」
「ごめんなさい」と両親は気まずそうにルシアンに謝り、気を取り直して、三人で食卓を囲み、朝食をとった。
食べ進んでいると、ルシアンが切り出す。
「そういえば、父様?先ほど僕にお話しがあるとか言ってましたけど」
「ああ、ルシアンも十歳だろ?そろそろ魔法適性検査を受けさせないといけない時期だから、今日行こうってこと」
「検査ってどんなことをするんです?」
「至って簡単だぞ。ルシアンは水晶玉があるから、それに手をかざすだけ。それだけで属性から才能まで分かるんだ」
「それはいいけど、肝心の予約って取れてるの?」
「まぁ、何とかな」
「ねぇ、父様。その魔法適性検査って受けなきゃいけないんですか?」
「絶対ではないんだが。けど、後々の進路の可能性を知るためにも、受けておいても損はないぞ」
父の言い分も一理あったが、せっかく異世界に来たのだからという事で受ける選択をしたルシアン。
さっさと朝食を取り終え、支度を済ませて、両親の待つ馬車へと乗り込む。
道中、新聞を手に取るリュグは、少し顔をしかめる。
「どうかされたのですか?」
「…南方領で、また亜人との小競り合いがあったみたいだ。幸いにも規模はそこまで大きくないそうだが…」
「こっちはあんまり亜人がいないからいいけど…ちょっと心配ね」
「俺らの東方領には、過激派の亜人がいないのも救いだな」
どこの世界に行っても諍いというものは絶えんのだなと少し複雑な気分になり、ルシアンは、高揚した気分が萎えてしまった。
何とも言えない中で馬車に揺られること、一時間。
ようやく目的地の魔法適性検査場へと到着した。
古びた病院のような外見に、入り口にでかでかと看板の存在感が目を引く。
リュグが馬車を降り、受け付けを済ませてきたが、まだまだ順番的にも時間がかかりそうだと言う。
リュグは、ちょうど近くに彼の学校時代の親友である小領主の家があるのを思い出す。
どうせなら久しぶりに顔を見ようと先に連絡を入れておき、お邪魔させてもらうことにした。
再び馬車に揺られること二十分程。
その小領主が住む村へと到着する。
馬車のカーテンをチラッとめくると、自分の生まれ育った長閑な田畑が多い村とはまた違った風景が目に映る。
活気ある商店の人々の声や、嗅いだことのない美味しそうな匂いに心が躍るのを隠せない。
そんな我が子を見たリュグは、ルシアンの後ろから手を伸ばし、わしゃわしゃと頭を撫でる。
「良かったら、後で一緒に回るか?」
「…いいんですか!?」
「いいじゃない。私も見てみたいし♪」
「決まりだな」
そうして一行は、目的地の小領主の家へと到着した。
自分の家とは違い、それなりに大きく豪華で凝った作りに思わず見惚れるルシアン。
馬車を降りると、使用人が数人、出迎えに現れた。
初老の好々爺っぽい使用人が軽く一礼を済ませ「お話はパシェット様から聞いております。お荷物はお預かりします。どうぞ中へ」と案内される。
荷物を他の使用人に預け、中へ入る。
応接間へと案内された一行は、出された茶菓子を頂きながら小領主パシェットを待つ。
程なくしてひょろりと背が高く、短い茶髪に整えられた顎ひげが印象的な男性が姿を現した。
「やぁ、久しぶりだね。リュグ」
「久しぶりだな。…少し痩せたか?」
「…まぁ、その、色々あってね…」
そう言った後、僅かに目を伏せ、一瞬チラッと奥に飾ってあった肖像画を見る仕草をリュグは見逃さなかった。
即座にルシアンの方へ向き「父様たちも後で行くから、先に外で遊んで来なさい」と耳打ちし、何か事情がある事を察したルシアンは元気よく返事をし、庭へと駆けていった。
正直、何かはあったんだろう。
しかし、今自分は子供だしここは大人たちに任せようと、いざ庭に出た。
が、特にしたいこともなかったので、ゆっくりと庭を散策することに。
そこへ、庭の奥からカンッ、カタンッと固く乾いた木を叩く音が耳に届く。
近づいてみると、自分と同い年くらいの良い具合に日に焼けた少年が、一人で剣の練習をしているのが見えた。
《…ほう。あれがこの世界の剣術か?足さばきといい、見たことがない所作ばかりだな》
前の世界では剣道やフェンシングを嗜んでいたこともあり、少年の見たことのない剣術に思わず釘付けになっていた。
茂みの中でしばらく夢中になっていると、自分の方に大きな虫が飛んできて、思わず「わっ!」と叫んでしまうルシアン。
その声に気が付いた少年と目が合い、少年がゆっくりと近づいてくる。
「…大丈夫?」と少年が手を差し伸べ、その手をルシアンは取った。
「ありがとうございます」
「別にいいけど…こんな所で何してたの?」
「あはは、ちょっと…」
「もしかして、今日来るお客さんの?」
「はい、息子のルシアンです」
「やっぱり!」と少年の表情が一気に明るくなる。
だが、その気持ちはルシアンにとっても同じだ。
「俺は、ラキリス。まぁ、見ての通り、パシェットの一人息子だ」
ラキリスは軽い自己紹介をした後、スッと再び手を差し伸べる。
それに応じようとルシアンも手を差し伸べ、軽く握手を交わした。
「ルシアン…は、いくつ?」
「十歳です」
「俺、十一歳!一つ俺の方がお兄さんか」
この世界に来てから同年代とは無縁の田舎で育ったルシアンにとって、一つ上のお兄さん的な存在の登場は、この上なく嬉しかった。
心も明るくなった気分だ。
その後、二人は意気投合し、自分たちのことなどを語り合っているうちに、大人たちの問題もどうやら解決したようだ。
気がつけば魔法適性検査の順番の時間も近づいていたので、一行は村の散策を後回しにし、本来の目的地へと、再び馬車を走らせるのだった。
この後に訪れる残酷な運命の始まりを、一家はまだ知らない。
いかがだったでしょうか?
ちょっと穏やか過ぎるかもですが、楽しんでいただければ幸いです。