召喚失敗! 初恋の幼馴染を召喚してしまいました
フォルカ侯爵家の庭には魔法陣を敷き詰めたタイルの色で表した舞台がある。
今日、この舞台の上で後継者を決める勝負が行われる。
長女のベアトリスは十八歳。質素な乗馬服に身を包み、藍色の長い真っ直ぐな髪を一本の三つ編みにしていた。髪と同じ青でも少し紫がかった瞳で相手のダニエルを睨みつけていた。
後妻の息子ダニエルはフォルカ家の長男でベアトリスの一歳下。父親似の茶色の髪に母親似の美しい顔をしていた。そのまわりを母親とその親族で固めている。父親もそのそばに立っていた。
婿養子として、フォルカ家に入ってきながら、母が亡くなると、すぐに再婚した父親にベアトリスは嫌悪しかなかった。
この家は母の家。父やダニエルたちには渡さない。
「では、ダニエル様」
ダニエルが舞台に上がる。じゃらじゃらと魔力増強のために身につけている魔石が音を立てた。
「フォルカ家の嫡男、ダニエルが命ず、ワイバーンよ。来れ!」
両手を上げたダニエルの前、舞台の中心が光りだす。ベアトリスは父親の魔力が合わせて注ぎ込まれているのを感じた。
光が消えると共にワイバーンが現れた。
「フレア。お前の名はフレアだ」
ギャォー。ワイバーンが叫び声で応えると、ダニエルの前に頭を下げた。
わっとみんなが拍手する。
「おめでとうございます。」「さすが、ダニエル様」
もう、勝ったかのようにまわりが騒ぎ立てる。
「お待ちください。今の召喚は不正があります」
ベアトリスが口をはさむと、ダニエルが鼻で笑った。
「僕に勝てないと思って、言いがかりをつけるのはやめてもらえないかな」
「そうだ。自信がないなら辞退しろ。女のくせに後継者として名乗り出るなど、ずうずうしい」
父の言葉にベアトリスは唇を噛んだ。ダニエルが可愛いばかりについ、魔力を支援したのではない。父は最初からダニエルを後継者とするために動いている。
「自信はあります。実力で勝ち取って見せましょう」
そう、勝てばいい。
ダニエルがワイバーンを連れ、舞台から降りると、ベアトリスは代わって舞台に立った。
「フォルカ家の正統なる後継者、ベアトリスが命ずる。強きものよ、来れ」
ワイバーンと戦っても勝てる相手を。
限界ギリギリまで魔力を注ぎ込む。
光が強くなるが、まだ、何も現れない。そんなはずはない。ダニエルより私の方が実力は上。でも、ワイバーンより強い生き物って何? さすがにドラゴンを召喚するには力が足りないと思う。
お願い。誰か。私を助けて。一瞬、脳裏によぎったのは幼馴染の姿だった。
来れ! 来い!
魔力を注ぐにつれ、光が収束する。
突然、その光が消えた。
中から現れた姿はワイバーンに比べて、ずいぶん小さい。
失敗か。
でも、待って。そのシルエットはよく知っている。
召喚の光をそのまま宿したような明るい金髪。すっきりとした鼻筋。凛々しい目元。
不思議そうにあたりを見回した。
「ビー?」
ベアトリスをビーと呼ぶのは幼馴染のフェルナンドだけだ。第一騎士団の制服を身につけている。
「ご、ごめんなさい。間違えて召喚してしまったみたい」
人を召喚するなんて、ありえない。
「間違えただと、この恥さらしが」
父親が声を荒げる。
「まあ、これで僕の勝ち、フォルカ家の後継者は僕ということですね」
ダニエルが勝ち誇ったように言うと、フェルナンドの額に皺が寄った。
「お前が後継者? 馬鹿な。召喚獣で勝負するんじゃなかったのか」
隣の領でフェルナンドの母はベアトリスの母と仲が良かったので詳しい。
「魔獣を召喚できなかったのに?」
「勝った方が後継者。だから、勝てばいいんだろう。そこのトカゲに」
フェルナンドがワイバーンを指差した。
「ああ、勝てるものならね」
「よく言った」
フェルナンドはベアトリスの前にひざまずいた。
「ビー、君に勝利を捧げよう」
「何、無茶なことを言ってるの。相手はワイバーンなのよ」
「俺が負けると思っているのか。ただ、頼めばいい」
そうだ、フェルナンドはいつでも自信たっぷりだった。何でもできる嫌味な男。小さい頃はよくイジワルされた。湖でみんなと泳ぐのに断られたり、リボンをつけたら、取られたり。それに召喚士になんかならなくてもいいじゃないか、ビーには向いていない、そんなことばかり言われた。それでも、危ない時はいつも守ってくれた。悲しい時は一緒にいてくれた。ベアトリスの初恋だった。
「お願い、フェル。勝って」
ベアトリスの口から、昔、呼んでいた愛称がするりと出た。少し目を見張ったフェルナンドはサッと立ち上がった。
「よし、フレア。舞台に上がれ」
ダニエルの言葉にワイバーンはノシノシと舞台に上がる。ダニエル派の人は退避し、そのまわりに魔法障壁が張られた。
「召喚獣は敵には容赦ないぞ」
ダニエルが嬉しそうに言った。ベアトリスを嘲笑っている。
「やれ」
ベアトリスはまだ退避していないのに、父親は言った。ワイバーンはいきなり、ブレスを吐く。一般的な炎だ。
「父様!」
ベアトリスはショックを受け、動くことができなかった。父親がダニエルだけを大事にしていることはわかっていた。でも、自分のことを死んでもいいとまで思っていたなんて。
「勝つと言っただろ」
ベアトリスの前にフェルナンドがするりと出た。ベアトリスの目には軽く剣を振るったように見えたが、それだけで炎が真っ二つに割れ、散っていく。
「何をしている。やってしまえ」
ダニエルがヒステリックに叫ぶ。
すぐにワイバーンは空に飛び上がった。
「俺の首にしっかり捕まって」
フェルナンドは左腕でベアトリスを抱き上げた。ベアトリスは思い切ってフェルナンドの首に手を回した。
「私がいたら、邪魔じゃない?」
「大丈夫だって」
ワイバーンは爪を広げ、急降下してきた。フェルナンドは右半身を前へ出し、下からすくい上げるように剣を走らせた。
ギャアー。
両足首を斬られたワイバーンが着地できずに舞台に倒れる。血しぶきを撒き散らしながら、バタバタと羽ばたいているところにフェルナンドは近づくと、今度は剣を振り下ろした。あっけなく、ワイバーンの首が転がった。
「つ、強すぎる」
つぶやいたのは誰だったのか。
「さ、後継者が決まりましたね」
フェルナンドの言葉にダニエルが顔を真っ赤にして怒鳴った、
「こんなもの、やり直しだ。召喚ミスした方が勝つなんて」
「ミスじゃありませんよ。ベアトリスの望み通りですから」
そう言って、フェルナンドがウインクした。
「そ、そう。ワイバーンに勝てる者など、フェルナンドだけでしょう」
フェルナンドは満足そうにうなずいた。
確かにあの時、ベアトリスが助けを求めた相手はフェルナンドだった。
「父様、私の勝ちです。後継者は私だと認めてください」
フェルナンドはベアトリスを抱いたまま、父親に近づいた。ベアトリスは手を伸ばし、父の横に立つ執事の手から書類を取ると、父親に突き出した。王家に出す後継者指名書だ。
「さあ。私の名を書いてください」
父親がブルブルと首を振った。
「あなた、そんなことを許してはだめ」
義母が父の肩にすがりついた。
「俺は召喚獣なので敵には容赦ないんだよな」
フェルナンドはぼそりと言った。剣を抜いたままだし、ワイバーンの血が服だけでなく、フェルナンドの顔にまで飛び散っている。
そして、フェルナンドが軽く剣を振ると、剣についていた血が父たちに飛んだ。
「ワイバーンをけしかけたのは死罪に相当する」
フェルナンドが言うと、父はガタガタ震え出した。
「けしかけてなんかいません。ちょっと声をかけるタイミングを間違えただけで」
「そういうことにしてやってもいいが」
フェルナンドが書類の方へ顎をしゃくった。父がブルブルと震えながら、後継者指名書にベアトリスの名前を書く。その紙を取り上げると、フェルナンドはベアトリスに手渡した。
「おめでとう、ビー」
「ありがとう」
パラパラと拍手が起きた。ダニエル派の中からもう、ベアトリスにすり寄ろうとする者がいるらしい。
「こ、こんなこと」
何か言いかけた義母にフェルナンドが剣を突きつける。
「ひっ」
そのまま倒れるところを父とダニエルが支えた。
「大丈夫か?」「まずは部屋へ」
大騒ぎしながら、ダニエル派はみんな去って行った。
「巻き込んでしまってごめんなさい」
ベアトリスはフェルナンドに頭を下げた。
「お仕事中だったんでしょう。フェルナンド様が抜けて困ってるんじゃ」
むっとした顔でフェルナンドは腕を組んだ。
「何だよ。俺の呼び方」
「え?」
「召喚獣なんだから、フェルって呼べよ」
「フェル」
そう呼ぶと、フェルナンドの機嫌が良くなった。
召喚獣は最初に呼んだ名前で絆が結ばれるけど、フェルナンドともそうなってしまったのだろうか。
「まあ、ただの訓練中だったから、まわりには迷惑をかけていない」
「よかった」
本当の戦闘中や護衛中に一人消えたら、洒落にならない。
「それにしても、俺を召喚するなんて、よっぽど俺のことが好きなんだな」
「まさか」
自分の気持ちがバレたら、何と言われるかわからない。ベアトリスはできるだけ、平静な顔を作った。
「それより、おろしてちょうだい。重いでしょ」
緊張が解けて、ずっと、抱かれたままだったことに気づいた。このままではドキドキしているのがバレてしまう。
「いや、軽い軽い。もうちょっと、肉をつけた方がいいんじゃないか」
そう言いながら、フェルナンドはそっとおろしてくれた。
やはり、私の体は貧相だろうか。義母のような女性らしい体型じゃないし。
「それより、ワイバーンを見事倒した召喚獣に何かご褒美はくれないのか」
「何がいい? 私があげられる物なら何でもあげるけど」
フェルナンドは顔を手でおおった。
「ビー、お前、わかってるのか。そんな危ないこと、誰にでも言うんじゃない」
「え? フェルにしか言わないよ」
「俺のこと、信用してるってことか」
「ううん。わかってる? 今は召喚士の私には逆らえないんだからね」
フェルナンドは大きくため息をついた。
「お前が何もわかっていないことがよーくわかった」
「え、何よ?」
「まあ、しばらくはビーの護衛だな」
「召喚契約は解除できるよ」
「馬鹿か。お前の家族たちは諦めるようなタイプじゃないだろう。だから、俺が守ってやる」
「嬉しいけど、フェルに迷惑をかけたくない」
「気にするな。その代わり、全て終わった後で褒美はもらうぞ」
「わかった」
「まずは手付けだ」
フェルナンドの顔が近づく。きれいな顔で見惚れてしまうけど、これって。
「ま、待って」
召喚士の命令だ。フェルナンドの動きがピタリと止まった。ベアトリスはドキドキする胸を押さえて言った。
「本当にありがとう」
そして、素早くフェルナンドの頬にキスをすると、逃げ出した。
残されたフェルナンドはその場にしゃがみ込む。
「ビーから、ビーからキスされた。やっぱり、召喚獣でいる間に告白すれば。いや、召喚獣の内は何を言っても、本気にされないかもしれない」
それから、フェルナンドは我に返って全力でベアトリスの後を追いかけ始めた。