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こっちの世界は灰色です。それでも私は元気です。  作者: オーシマ
第2章:森の向こうで、何かが起きているみたいです
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昨日は、ほとんど寝てた。やっぱり疲れてたんだと思う

 布団の中で目を覚ますと、外はもう明るくなっていて、たぶん昼前くらいの時間だった。


 昨日は、一日中寝て過ごした。


 やっぱり、自分で思っていたより、ずっと疲れていたんだと思う。体も、気持ちも。


 頭では、ちゃんと覚悟していたつもりだった。


 でも実際に、命が危ない状態の人たちを目の前にしたら、その覚悟なんて、全部吹き飛んでしまった。


 とにかく必死で、怖いとか無理だとか考える余裕もなくて、ただ動いて、ソリを引いて……がむしゃらだった。


 「……はぁ」


 ひとつ、ため息をついた。布団の中でぐるっと寝返りを打ったところで、コンコン、と控えめなノックの音が聞こえてきた。


 「カエデさん、起きてますか?」


 エレナさんの声だ。


 「……起きてますー。どうぞー」


 寝起きの声でそう返すと、カチャリと静かに鍵を開けて、エレナさんが部屋に入ってきた。


 いつものように凛とした立ち姿。でも、わたしの顔を見ると、少しだけ表情が和らいだ。


 「……おはうございます。きちんと休めましたか?」


 「うん。昨日はずっと寝てたから……もう、大丈夫」


 体も、気持ちも。まだ少し重たいけど、それでもちゃんと立てそうだった。


 エレナさんはわたしの隣に腰を下ろし、真っ直ぐにこちらを見つめた。


 「寝起きかと思いますが、まずは報告です。あの日、カエデさんが運んでくれた三名の重傷者――全員、意識を取り戻しました」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がじんと熱くなる。


 安心したのか、緊張がほどけたのか、気がつくと目に涙が浮かんでいた。


 「……ほんとに、よかった……」


 声が震えて、うまく言葉にならなかった。


 「命に別状はないとのことです。カエデさんが迅速に運んでくれたおかげですよ」


 「……うん。ほんとに、間に合ってよかった」


 あのときは、ただ怖くて、必死で、無我夢中だったけど――


 それでも、やるべきことはちゃんとやれたんだと思う。




 「それと、もうひとつ。今回の作戦、実は他のエリアでも想定より多くの負傷者が出てしまいました」


 「え……?」


 その言葉は、少し意外だった。


 街とギルドが共同で準備した作戦。


 綿密に計画されていたはずだし、戦力の配置や対応もしっかり検討されていたはずだ。


 それなのに、予想を超える負傷者が出たというのは――何か、計画外の事態が起きたということ?


 「……そんなに、大変だったんだ」


 「はい。ただ、カエデさんの区域は被害が最小限に抑えられました。物資支援としても、救護対応としても、あなたの働きは“十分以上”だったと、ギルドも評価しています」


 「そっか……」


 ちゃんと、役に立てたんだ。


 誰かの力になれたことが、素直にうれしかった。


 でも、ふと――あの三人の傷のことを思い出す。


 皮膚の裂け方。血のにじみ方。


 ウルフの牙で噛まれたようなものとは、少し違っていたような気がする。


 どちらかというと、何か大きくて重いものに叩きつけられたとか、踏み潰されたような――そんな印象だった。


 「……あの三人、ほんとにウルフにやられたのかな」


 ぽつりと呟いたわたしに、エレナさんは少し目を細めて問い返す。


 「どうして、そう思ったんですか?」


 「……なんとなく、なんだけどね。傷が……ちょっと、違う気がして。あと――その……あのとき、近くに、大きな鹿みたいな魔獣がいたの」


 その瞬間、エレナさんの目がわずかに見開かれた。


 「……遭遇したんですか?」


 少しだけ声の調子が変わる。驚きと戸惑いが、表情の奥ににじんでいた。


 わたしは、そっと目を伏せて、小さくうなずく。


 「その魔獣、報告の内容からして――おそらく“ロウ・エルク”です」


 「ろう……えるく……?」


 聞き慣れない名前に、思わず聞き返してしまう。


 「“鹿型の魔獣”の一種です。今回は他のエリアでも目撃されていて、いずれも“襲われた”という内容ばかりでしたので……カエデさんが無事だったのは、本当によかったです」


 そう言って、エレナさんは少し表情を緩め、安堵の笑みを見せた。


 「ただ、本来のロウ・エルクは非常に穏やかな性質で、危害を加えなければ、人を襲うような魔獣ではないんです」


 「でも、実際に人を襲ったんだよね……?」


 「ええ。ですから、今回の個体については――“何らかの理由で狂暴化”し、ウルフたちはそれから逃れるために森に入り込んだ、と街とギルドは見ています」


 わたしが運んだあの三人も、きっと、あのロウ・エルクにやられたんだろう。


 でも――


 「……わたしが遭ったときは、じっとこっちを見つめているだけで、襲ってくるような気配はなかったんだよね」


 あれが本当に狂暴化した魔獣だったのなら、なぜあの時、わたしには何もしなかったのか。


 「どうして……でしょうね」


 エレナさんが小さく首をかしげながら、ぽつりとつぶやく。


 ……実は、一つだけ、心当たりがある。


 「わたし……ロウ・エルクに話しかけたの」


 その言葉に、エレナさんが少し驚いたように目を見開く。


 「森の中で、ロウ・エルクがじっとこっちを見てて……『何もしないから、どうか襲わないで』って、声をかけたんだ」


 言いながら、あのときの記憶がよみがえる。


 震える声。胸の奥が詰まりそうなほど、必死だった。


 「そしたら、返事……みたいなものが返ってきた気がして」


 「……返事、ですか?」


 エレナさんが戸惑うように聞き返す。


 「普通の唸り声だったんだけど、それがただの音じゃなくて……『襲わないよ』って、そんな“気持ち”だけが、直接伝わってきたような感覚だったの」


 わたしは胸の前でネックレスをそっと持ち上げて見せる。


 小さなガラス管の中で、魔石がかすかに光を灯している。


 「それで、あれからずっと考えてて……たぶん、これのせいじゃないかと思うんだよね」


 「なるほど……ですが、本当にそんなことが? それって、あくまで“言語”を翻訳する魔法器ですよね?」


 エレナさんの声には、疑問がにじんでいて、半信半疑という感じ。


 「うん、そうなんだけど。でも……あのとき感じたのは、ただの思い込みとか妄想って感じじゃない気がするの」


 あの場にいたときのことを、もう一度頭の中でなぞる。


 怒りと、悲しみと、そして――まるで夢の断片みたいな、映像の記憶。


 「……ロウ・エルクは、何を伝えてきたんですか?」


 エレナさんの声が、少しだけ緊張を帯びる。


 完全に信じてはいないけれど、それでも、ちゃんと知ろうとしてくれている。そんな声だった。


 「すごく……怒ってて、悲しんでた。それから、村……みたいな風景を、見せられた気がするの」


 「村、ですか……」


 わたしは、頭の中に浮かんだ光景を、慎重に言葉へ変換していく。


 「柵に囲まれた何軒かの家と、畑もあって、人が暮らしてるって感じだった。でも――建物は壊れてて、畑も荒れてて、誰もいなかった」


 「……それって……」


 エレナさんが小さく呟く。


 「きっと、あのロウ・エルクにとって、すごく大事な場所だったんじゃないかな。それを誰かに壊されて……悲しくて怒ってるんじゃないかって、そう思ったの」




 わたしの話を聞き終えると、エレナさんは少しだけ眉を寄せて、考え込むように黙り込んだ。


 しばらく沈黙が続いたあと、ゆっくりと口を開く。


 「……森のさらに南。今回、ウルフが流れてきたとされている方向に――小さな村があります」


 「……えっ?」


 思わず声が漏れた。


 自分で言い出しておいてなんだけど、まさか、村が本当に存在するなんて。


 「村って、ほんとにあるの? 街の外に、人が住んでるの……?」


 気がつけば、わたしは身を乗り出していた。


 だって、この世界じゃ、マナドームの内側でしかまともに暮らせないはずで――


 「はい。街ほど大きくはありませんが、“小型のマナドーム”を使って、少人数で街の外に暮らしている人たちがいます」


 あ――と、思い出す。


 先日の作戦のとき、医官のおじさんのテントに展開されていた、あの小さなドーム。あれも、きっと同じ仕組みなんだ。


 「ただ、設備も限られますし、外敵や魔素汚染のリスクも高くなりますね」


 「どうしてそんな場所に、わざわざ住もうとするの?」


 素朴な疑問に、エレナさんは少しだけ表情を曇らせた。


 「特定の資源を採取するためであったり、街とは異なる文化を守るためであったり……。理由は、人それぞれです」


 ……村が、ある。


 それも、ウルフやロウ・エルクが来たとされる方角に。


 わたしは、ゆっくりと口を開いた。


 「もし、ロウ・エルクがわたしに伝えた映像が、その村で……誰かに壊されて、悲しくて、怒ってるとしたら……」


 エレナさんは、黙ったままわたしを見つめていた。


 疑っている目じゃない。何かを、確認しようとしているような――まっすぐな視線。


 やがて、ぽつりと静かに言った。


 「……にわかには信じがたい話ですが……ネックレスの“制作者”に、話を聞いてみませんか?」


 「制作者……?」


 わたしは少し考えてから、口を開いた。


 「……作った人は分からないけど、くれたのは、ニコラ様だよ」


 その瞬間、エレナさんの表情がぴたりと固まる。


 「……領主の、ニコラウス様ですか?」


 「うん。こっちに来たときに貸してくれて、その後、そのまま持ってていいって」


 少し沈黙が流れたあと、エレナさんはふっと息をついて、わずかに苦笑した。


 「……何とか、面会の約束を取り付けてみましょう」


 「えっと、その……できれば、アイリも一緒に来てもらえないかな。魔法器のことなら、一緒に話を聞いてほしくて」


 「そうですね。私から推薦しておきます。ニコラウス様も、きっと理解してくださるでしょう」


 その言葉に、わたしはそっと、ネックレスへと手を伸ばした。


 ……もし、本当に、ロウ・エルクと“話”ができるのだとしたら。


 わたしは、どうすればいいんだろう――。

カエデ「もしほんとに“話せる”なら……今度はもっとちゃんと聞いてあげないといけない。そんな気がする」

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