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こっちの世界は灰色です。それでも私は元気です。  作者: オーシマ
第1章 新しい街で、わたしの毎日が始まりました!
2/3

病院のベッドから、おはようございます

 ゆっくりと目を開けた瞬間、見慣れない天井が目に入った。

 白くて、清潔そうで――けど、どこか冷たい。


 ああ、病院。そう思ったところで、じわりと肩に鈍い痛みが走る。


 同時に、肩から胸元にかけて、何か硬いもので包まれている感覚。

 そっと首を動かして確認すると、肩には白い包帯がきっちり巻かれ、その上から板のようなもので固定されていた。


「……そっか、わたし……噛まれたんだっけ……」


 けっこうしっかり噛まれたんだった。

 ぼんやりした頭でそんなことを思い出していた、そのとき――


 


 ――ない。


 


 急に心臓が、どくんと跳ねた。


 胸元に手をやる。

 何度触れても、いつもそこにあったはずのネックレスが、ない。

 あの、翻訳装置が。


「……っ、え、うそ、どこ、どこ……!?」


 反射的に起き上がる。肩が痛む。でも、それどころじゃなかった。


 あれがなきゃ、わたし、この世界で誰とも話せない。助けも呼べない。命綱なんだ。


 血の気が引いていくのがわかる。手が震える。息が浅くなる。


「どこ!? どこにやったの!? うそでしょ、なんで……っ」


 ベッドから転がり出て、枕元、シーツの下、床の隙間――

 棚の上も中も、引き出しも、手当たり次第に探しまくる。


 焦りすぎて、ぶつけた肩がずきんと痛む。それでも止まらない。


 怖い。怖い。わたし、これがないと……!


 そのとき、静かにドアが開いて、背の高い白衣の男性が入ってきた。

 おじいちゃんみたいな優しげな顔をしているけど、わたしの姿と部屋の様子を見て目を丸くし、何か話しかけてきた。


「……ッ! なに、言ってるかわかんない……!」


 言葉が、通じない。


 わたしはぐしゃぐしゃな顔のまま、ネックレスをかけるジェスチャーを必死に繰り返す。

 首元を示して、焦った目で男性を見上げる。


「これ! あの、キラキラの! ネックレス、わたしの、翻訳……!」


 男性はハッと気づいたように「ああ」と呟き、白衣のポケットから小さな木箱を取り出す。


 そして、その中から――あった。ガラスの中に青く光る宝石。わたしの、ネックレス!


「っ……!」


 受け取る手が震えて、うまく引き取れない。


 それでもどうにか首にかけ、おそるおそる見上げると、目の前の男性は心配そうにわたしの目を見て、優しい声で言った。


 


「大丈夫かい? ごめんね。貴重なものに見えたから、こちらで預かっておいたんだよ。君が暴れる前に渡すべきだったかな」


 


 言葉が、わかる。


 心が、一気にほどけていくような感覚。

 声にならない安堵が喉から漏れる。


 返事もできずに数秒かけて呼吸を落ち着けている間、男性は笑顔のまま待っていてくれた。


「すみません、わたし……なんか、すごく焦っちゃって」


「いいんだよ。その反応を見て、よっぽど大切なものだってわかったからね」


 ほほえみの深い優しい笑顔だった。やわらかくて、あたたかい感じ。


 あらためて散らかりまくった部屋に目を向け、申し訳ない気持ちになる。


 軽く促されてベッドに座ると、さっきまでの混乱が嘘みたいに、体の重さが戻ってきた。肩が、少しずきずきする。


「だいぶ痛むかい?」


「うん、ちょっとだけ。でも、耐えられないほどじゃ……」


「そっか。わかってると思うけど、ここは病院で、私は医官だよ。じゃあ、容態の説明をしようね」


 そう言って、医官は小さな丸椅子を引いて、ベッドのそばに座った。


 そして、ゆっくり、今のわたしの状況を話してくれた。


 昨日の清掃作業中に、魔獣に襲われて……搬送されたのは、日が暮れる少し前。


 すぐに傷の治療と、魔素による汚染の検査が行われた。


 傷口から魔素が侵入していたけれど、投薬処置によって体内の魔素はすでに排出されているらしい。


 魔素による汚染は「軽度」。薬で完治可能なレベルで、後遺症もないとのこと。


「そっか……よかった……ほんと、助かった……」


「それと、肩の骨――けっこう深く噛まれていてね。砕けていたんだ。でも、ちゃんと固定して治療も済ませたから、心配はいらないよ」


「……砕けて……たんですか……?」


 わたしは、包帯ごしの肩を見下ろす。


 医官はもう一つ、わたしの装備についても話してくれた。


 あのとき、マナパックのランプが赤く光っていたのは、パックの防御機能が作動していた証だという。


「通常の作業員用には付いていない機能だよ。領主様からの特別支給品だったそうだね?」


「うん……はい。外に出たいって言ったら、準備してくれて……」


「そのおかげで助かったね。狼型だったんだろう? あれがなければ、肩ごと食いちぎられていただろうね」


 ぞくり、と背筋が震える。

 あのときの衝撃と、重たい圧力、痛み。そして、服の内側に染みていった血のぬるさ――

 全部が一瞬で思い出されて、思わず口をつぐんだ。


 ……それでも、助かった。ちゃんと生きて、こうしてここにいる。


「ほんと、ありがとうって、早く伝えたいです。いろんな人に……」


「うん。きっと伝わるよ」


 医官は穏やかな口調で微笑んだ。まるで、何人もの“助かった顔”を見てきたかのように。


「……あの、わたしと一緒にいた子、あの子は無事なんですか? 小さくて、フードをかぶってて……アイリって子です」


「君と一緒に運ばれてきた子かな? 足にかなりの傷があったし、外での事故だったからね。本当は一日入院させたかったんだけど――」


 そこで医官は肩をすくめる。


「どうしても帰るって聞かなくてね」


「えっ、なんで……」


「妹が家で待ってるから、ってさ。一人にはさせられないって。だから足の処置だけして帰したよ。明日にはまた来るようにって言ってあるし、君が目を覚ましたことは、そのときに伝えておくよ」


 わたしは胸を撫でおろした。


「……そっか、足……。でも無事でよかった……」


「とにかく、今は安静に。若いからね、回復は順調だし、治りも早いさ。明後日には退院してもいいよ」


「でも、そんな……え、骨、砕けてたんですよね? 二日で退院していいんですか!?」


 思わず声が裏返ると、医官はくすっと笑って、いたずらっぽく言った。


「うん。若いって素晴らしいね」

「は、はい……」

「さて、それじゃあ私は失礼するけど、なにか不安があればすぐに呼んでいいからね」


 椅子を戻しながら、医官が立ち上がる。その背中に声が重なる。


「それから、後で誰か部屋の片付けに来させるよ」

「……あ、はい……すみません」


 わたしはお辞儀をして、医官のおじさんを見送った。

 部屋に静けさが戻り、ほっと息をついた後、胸元のネックレスにそっと触れる。


 ……やっぱり、これがないと、わたし、なにもできないんだな。


◆◇◆◇◆◇



 医官が去ってしばらくして、ぽかんとしたまま、わたしはベッドにぼーっと座っていた。


 ……退院、二日後って、本当に大丈夫なのかな。

 骨、砕けてたって言ってたのに。


 包帯越しにそっと肩をさすりながら、そんなことを考えていると――


 コンコン、と控えめなノック音がして、病室のドアがゆっくりと開いた。


「失礼するよ」


 静かで、でもどこか芯のある声だった。


 そう言って入ってきたのは――

 あのとき、こっちの世界に連れてこられたときに会った、この街の領主だった。


 背筋をまっすぐに伸ばした金髪の男性。ぴしっと整えられた身なりに、上質そうな生地の上着。


 その後ろには、渋い顔つきの執事と、寡黙そうな軽装の衛兵が一人ずつついている。


「……領主、様……?」


 思わずそうつぶやくと、彼は軽く手を振りながら、静かに部屋に足を踏み入れる――

 ――が、その足が一瞬だけ、ぴたりと止まった。


 その視線の先を追うと、病室の床一面に、シーツ、枕、棚の中身、タオル、包帯の空き箱……

 とにかく、さっきわたしがぶちまけたすべてが広がっていた。


 ひどいありさまだ。


 後ろの付き添いの人たちも、ほんの少しだけギョッとしたような顔をしていたと思う。


「あ、あのっ! ちがうんです、これはその、ネックレスがなくて、わたしパニックになっちゃって……!」


 わたしは慌てて言い訳を並べる。

 領主さんは少し目を丸くしたけど、すぐにくすっと笑った。


「そうか……なら、仕方ないかもしれないな」


 怒るでも、呆れるでもなく、まるで“ちょっとした悪戯を見逃す”ような、そんな優しい声音だった。


 でも、それよりも――ちゃんと“わかってくれてる”感じがして、すごく安心した。


 そのやり取りの間に、執事の人が静かに丸椅子を引き寄せ、軽く礼をして領主の男に差し出す。


「ニコラウス様」


「ああ、ありがとう」


 軽いやり取りをして、ニコラウスと呼ばれた彼は、渡された椅子に腰を下ろすと、わたしの目を見て、改めて言葉を紡いだ。


「体の具合はどうだ? 無理はしていないか?」


「はい、あの、肩がちょっと……でも、もう大丈夫みたいです。明後日には退院していいって、医官の方が……」


「それは何より。君が大怪我をしたと聞いて、飛んできたんだ。驚かせてしまってすまない」


「え……わ、わたしのために……?」


「ああ。顔を見ずにはいられなかったのと、少しだけカエデと話がしたかったからな。体がつらければ、無理はさせないけど」


「あ、いえ、少し痛むだけなので、大丈夫です……はい……」


 この人が、街のいろんなことを決めてる偉い人――なのに、ぜんぜん偉そうじゃなくて。


(……うう、なんか、すごい人なのに……優しすぎて逆に緊張する……)


 わたしは体を少し起こし直して、軽く姿勢を正す。

 包帯の肩がぴりっと痛んだけど、それでも、話を聞いてくれるというのは、ちょっとだけ嬉しかった。


「事故のことは……聞いているよ。きっと、怖かっただろう」


 ニコラウス様は、絞り出すような声で、静かにそう言った。


「こんな形になったのは……本当に、申し訳ないと思っている」


 ニコラウス様のまなざしは、まっすぐで、真剣で――責任を背負う人の、それだった。


――この人は、わたしが別の世界から来たことも、帰れなくなったことも、全部知っている。


 そしてその責任が自分にあると言って、たくさんの特別な援助をしてくれている。


「今回の治療費も、俺の負担で手配させてもらっている。心配する必要はない」


「……ありがとうございます。でも、やっぱり……わたし、勝手なこと、しちゃいましたよね。あのとき、すごく迷惑もかけたし……用意していただいたマナパックがあったから助かったけど、危ないのに飛び出したりして……」


 わたしが申し訳なさそうにそう言うと、ニコラウス様はふっと小さく目を細めた。


「確かに、危険だった。だが、小さな子どもを守る咄嗟の行動だったと聞いている。……君のしたことは、勇敢だった。人を守るために動いた。その気持ちは、俺は誇っていいと思う」


「……でも、心配、かけちゃいましたよね」


「まぁ、な」


 くすっと笑いながら、ニコラウス様はわずかに肩をすくめる。

 その後ろに控える衛兵が、静かに立ったまま、目を逸らすことなくこちらを見守っているのが視界の端に映る。


「本音を言えば、外で働くこと自体、やっぱり心配なんだ。だから、今からでも……もし気が変わったなら、うちに来ないか? 領主邸なら安全だし、生活のことは全部面倒を見るよ」


 その優しさに、思わず胸がぎゅっと締め付けられた。

 わたしのことを、そこまで――


 少し気まずくなって、つい目線をそらす。

 すると、さっきまで床に散らばっていたはずのタオルや箱が、いつの間にかすっかり片付けられていた。

 ニコラウス様と話している間に、執事の人が静かに整えてくれていたらしい。


 ――ありがたくて、あたたかくて、でもちょっとだけ、申し訳ない。


 ニコラウス様と話していると、ふと考えてしまう。

 この人、なんでもかんでも背負い込んじゃう。

 そんなふうに見えて、苦しそうで、ちょっと心配になった。


 わたしのこと、そんなに背負いすぎないでほしい。わたしは、ちゃんと――


 


「……わたし」


 口から自然にこぼれた言葉は、自分でも少し驚くくらい、しっかりしていた。


「ちゃんと、生きてます。こっちで」

「だから、大丈夫、です」


 ぽつりと、そう言った。


 ニコラウス様は、驚いたようにしばらくじっとわたしを見て、

 それから、ほんの少しだけ目元をやわらげて、小さくうなずいた。


「……そうか。それを聞けて、嬉しいよ」


 その一言で、また胸の奥がじんわりとあたたかくなる。


 そのとき、控えていた執事さんがそっと一歩前に出て、小声で何かを伝えた。


「……そろそろ時間か。悪いな、少しだけ公務を抜けてきたんだ」


 そう言って、ニコラウス様が立ち上がりドアの方へと向かうと、執事さんと衛兵の人も静かにその後に続いた。

 執事さんはわたしに軽く会釈し、衛兵は最後まで無言のまま。


「そうだ。俺のことはニコラでいいよ。親しい友人は、みんなそう呼ぶんだ」


「え、ええっ!? あ、でも……そんな、さすがに……えっと……じゃ、じゃあ、ニコラ様……?」


 わたしが困ったようにそう呼ぶと、ニコラ様はまた笑った。

 すぐ隣でそのやりとりを見ていた執事さんが、なんとなく“やれやれ”といった顔で微笑んでいるのが見えて、なんだか恥ずかしくなった。


「その“様”も、そのうち取れるといいな」


 そう言って、片目だけでウィンクしてみせる。


 いたずらっぽく笑ったその顔に、どこか肩の荷が下りたような、晴れやかな表情が浮かんでいた。


「いつでも領主邸においで。娘も、君に会いたがるだろうから」


「え……娘さん、いたんだ……」


 思わずつぶやいたその一言に、ニコラウス様は肩をすくめて笑い、

 執事さんは再度わたしに軽く会釈すると、静かにドアを閉めた。


 その音が優しく響いたあと、部屋に残ったのは、少しの寂しさと、それ以上のあたたかさだった。


 


――なんだか、大丈夫な気がする。わたし、ちゃんと、この世界でも、生きていける。

カエデ「肩より、ネックレス失くしたときのほうがマジで死ぬかと思った……」

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