市場で、買い物をするよ!
数日ぶりに、ぽっかりと予定の空いた朝だった。
今日はエレナさんが工房で、アイリに「武器の取り扱い」について授業をしている。妹のユイも一緒にそっちにいるはずだから、わたしは久しぶりにひとり。こういう時間って、なんだかそわそわしてしまう。
「うーん……とりあえず、洗濯でもしよっかな」
気になってた布団カバーと、溜めに溜めた洗濯物をまとめて抱える。忙しかったわけじゃないんだけど、なんとなく後回しにしてた洗濯物の山。そろそろやっつけないと、着るものがなくなっちゃう。
洗濯機は、アイリが作ってくれた特注品。絵とか図で説明しながら、細かく注文して、その通りに作ってもらった。
日本の家電みたいにスイッチ一つで動くし、ちゃんと水を入れて、排水して、脱水までしてくれる。内部の構造はこっちの技術なんだけど、使ってるときはそんな感じ、全然しない。
ふたを開けて、カゴにたまった洗濯物と洗剤をバサバサと突っ込んで、ボタンを押す。
洗濯が終わるまでのあいだ、台所でちょっとだけ料理の実験をしてみる。
こっちの料理は、けっこう美味しい。素朴な味が多いし、野菜も香りが強くて、スープにするといい風味が出る。でもやっぱり、わたしとしては――あの味が恋しいのだ。
そう、日本の料理。
なかなか再現は難しいけど、わたしのちょっとした趣味になっている。たとえば、簡単な炒め物なら、それっぽくできてる。塩味の焼きそばっぽいものも作れた。
でも、やっぱり「それっぽい」どまり。
この世界で手に入る食材は、日本よりもずっと少ない。そもそも調味料が、岩塩と胡椒くらいしかない。砂糖はあるけど高いから、たくさんは使えない。味噌や醤油もないし、何より――お米と卵がないのが、わたしには致命的すぎる。
「……たまごかけご飯、食べたいなぁ」
思わずつぶやいたその一言が、空しいくらいに響いた。
あの、ちょっとぬるっとした白身の食感とか、とろっと混ざった黄身のコクとか――想像するだけで、お腹が鳴りそう。でも、ないものはない。仕方ない。
卵があっても、生で食べられるのか怪しいし。
今日は、お肉と野菜を塩と胡椒で煮込んで、ポトフみたいにしてみる。
……コンソメ味がないので、ただの塩胡椒煮込みになったのは言うまでもない。
そうしてる間に、洗濯が終わる電子音が“ピッ”と鳴った。
ふたを開けて、脱水まで終わった洗濯物を、カゴにぽいぽい放り込み、そのままベランダに出て、ぱたぱたと洗濯物を干していく。
風は涼しくて、空は高くて、遠くの方から子どもたちの笑い声も聞こえる。
「……コンソメって、自分で作れるのかなぁ」
そんな独り言をこぼしたときだった。
向かいのパン屋さんの窓から、おばさんと目が合う。
「おはよー、カエデちゃん。お洗濯?」
「うん、おばさんも、おはよー!」
手をひらひらと振って挨拶を返す。
そんな何気ない一瞬で、わたしもこの街の仲間になれたような気分になってくる。
洗濯物を干し終えて、ちょっとだけ部屋の片づけをして、それから――今日は市場に行くことにした。
冷蔵庫の中が少し寂しくなってきたのもあるけど、なんだかんだで市場は好きだ。いろんな人がいて、知らない野菜や見たことのない料理なんかも並んでて、ぶらぶら歩くだけでも楽しい。
手提げのカバンを肩にかけて、家を出る。
市場の通りは、いつものように人が行き交っていて、空気には香辛料と炙った肉の香りが混ざっていた。
「今日は……あ、これ美味しそう。こっちのも、面白い形してるなあ」
並んでいる野菜は、だいたい日本でも見たことがあるものだけど、たまに知らないのも混じってる。紫色の細長い大根みたいなやつが気になって、ちょっと高かったけど一つ買ってみた。
「これ、どうやって食べるの?」
「焼くといいよ。皮は固いから剥いたほうがいいけど、中は甘くてとろっとしてておいしいよ」
「へえ、ありがと!」
こうやってお店の人に聞くと、たいていちゃんと教えてくれる。この市場にも何度も通ってるから、向こうもわたしの顔を覚えてくれてるらしい。
でも、なんとなく――前に来たときより、品数が少ない気がする。
というか、最近になってどんどん品数が減ってきてて、値段も少しずつ上がってるような……。
「すみません、最近ちょっと少ない……? 気のせいかな」
思わず聞いてみると、おばさんが困ったように笑いながら教えてくれた。
「南の森の封鎖が、まだ続いてるんだよ。それで街道も使えなくて、いろんな荷が入ってこないのさ」
「え……まだ封鎖、続いてたんだ……」
南の森といえば、わたしが二度ウルフに襲われた、あの場所だ。
もう二か月も前の話。ウルフの異常発生を受けて、森と街道を封鎖して調査を始めた――って聞いてたけど、まさか、まだ終わってなかったなんて……。
そう思っていると、おばさんが小声でこっそりと話してくれた。
「……あんまり大きな声で言うことじゃないんだけどね。最初の調査隊が、街に戻らなかったらしいんだよ」
「えっ!? 戻らなかったって、それって……」
「一応は“消息不明”ってことになってるけどさ。街の外で、もう二か月くらいでしょ? まぁ……そういうことよ」
思った以上に深刻な話に、胸の奥が少しざわついた。
「新しい調査隊を組むのも、慎重に人を選んでるんだと思うよ。ま、しばらく待ってれば、品揃えもそのうち戻るんじゃないかねぇ」
「そう、ですね……」
雰囲気を変えるように、おばさんがふっと声を変えて言った。
「それはそうと、カエデちゃん。卵、欲しがってたでしょ? 今日は最後の一個、取っておいたよ」
そう言ってカウンターの下から小さな箱を取り出してくる。
木くずが詰められたその中に、コロンと転がる一個の卵。
見た瞬間、それまでの不安や胸騒ぎなんてどこかに吹き飛んだ。
ずっと欲しくて、でも流通が少なくてなかなか手に入らなかった、貴重な卵。何軒回っても売り切れで、諦めかけていた。
「カエデちゃん、いつも買い物に来てくれてるからね。特別に一個だけ取っておいたよ。買っていくでしょ?」
「買います! おばさん、ありがとう!」
ずっと探してた卵が、ようやく手に入った。
ずっと売り切れで、何軒回っても空振りだったのに――まさか今日、突然手に入るなんて。嬉しさで思わず笑顔になってしまう。
たった一個の卵だけど、何の料理にしようかな。
目玉焼き? 卵焼き? 親子丼はさすがに無理かな……。
オムライスは――ああ、お米がないんだった。ケチャップも。
……あれもこれもって思い浮かぶけど、材料が足りなすぎる。そもそも、調味料も限られてるし。
うーん、せっかく手に入ったのに、どう使うかめちゃくちゃ悩むなぁ。
――せっかくだし、みんなで一緒に食べようかな。
こっちに来て、初めて手に入った大切な一個。
だからこそ、大切な友達と一緒に食べようって思えた。
他の具材でかさ増しすれば分けられるし、うん。やっぱりそうしよう。
そう思って、他にも野菜とお肉をいくつか買い込んで、カバンを持ち直す。
帰り道、肩に下げたカバンの重さと一緒に、気持ちもちょっとだけ軽くなった。
わたしの足は、自然とアイリの工房の方へ向かっていた。
◆◇◆◇◆◇
「こんにちはー」
扉を開けて中に入ると、ちょうど授業の終わり際だったみたいだった。
エレナさんは資料を手にしてこちらを振り向き、少し驚いたような顔をしている。
奥の椅子に座っていたアイリは、やや疲れ気味の顔で、それでもわたしを見てほっとしたように微笑んだ。ユイは、すっかり飽きて退屈していたらしく、わたしの姿を見た途端に飛び上がる。
「カエデねえちゃん! おかえりなさーいっ!」
「ただいまー。ちょっといいものが手に入ったから、来ちゃった」
そう言って、買い物カバンから卵の入った木箱を取り出し、そっと机の上に置く。
ユイが食い入るように覗き込んで、ぱっと表情を輝かせた。
「わあっ、本物の卵!」
その反応に、エレナさんが目を丸くする。
「……カエデさん、以前から卵を探していましたよね? なかなか手に入らないと……」
「うん。市場のおばさんが一個だけ取っておいてくれたんだ。せっかくだから、みんなで食べようと思って」
エレナさんはその卵に視線を落とし、少し躊躇うように言った。
「でも……いいんですか? せっかく手に入ったのに、皆さんで分けたら、ほんの少しになってしまうのでは」
たしかに、普通に目玉焼きでも作ったら、四等分じゃ一口ずつになっちゃう。
でも、わたしは少し得意げに笑って答えた。
「一個でも、みんなで食べられる方法、ちゃんとあるよ! アイリ、キッチン借りてもいい?」
胸を張って言うと、アイリがくすっと笑って頷いた。
「ふふっ。じゃあ、わたしはお茶を用意するね」
「うん。ありがと!」
「では、お昼休憩にしましょうか」
エレナさんも柔らかくうなずいて、アイリと一緒にテーブルの上を片づけ始める。
ユイはというと、期待に目を輝かせながら元気よく言った。
「やったー! あたし、おなかぺこぺこー!」
工房の奥の小さなキッチンで、わたしはさっそく調理の準備に取りかかった。
材料は、ジャガイモと卵。それから、ちょっとのお肉と塩と胡椒。
まずジャガイモを茹でて、熱いうちに皮を剥いて潰す。
完全に潰さずに、少しだけ塊を残すのがわたしの好みだ。
そこに卵を割り入れて、ざっくりと混ぜ、細かく刻んだ塩漬け肉を加える。
このお肉は基本は保存用なんだけど、火を通すとじゅわっと脂が出て、香ばしい匂いがする。
卵とジャガイモの素朴な味に、しょっぱいお肉がアクセントになったらいいな。
最後に、ほんの少しの塩と、ちょっと多めの胡椒で味を調える。
それをフライパンに平らに広げて、ひっくり返しながら両面をじっくり焼けば、わたし流“ジャガタマ焼き”の完成。
ジュウッ……と焼ける音と香ばしい匂いが立ち上り、気分も自然と弾んでいく。
ふわっと広がる香りに、アイリの目がぱちっと見開かれる。
そして、フライパンの中をのぞき込みながら、驚いたように声を上げた。
「今日のも、見たことない料理だけど……いい匂い。すっごいおいしそう!」
「でしょー! もうちょっとで出来るから、楽しみにしててよ!」
わたしも思わずテンションが上がって、ちょっとはしゃいだ声が出てしまう。
そう答えると、アイリもにっこりと笑う。
嬉しさと感謝が混ざったような、優しい表情。喜んでもらえそうでよかった。
ほんとは、ケチャップ……せめてトマトでもあれば、もっと美味しくできるんだけど。
でも、今はこの材料だけでも十分だ。
もう一つのコンロでは、パンを軽く焼いておく。表面をカリッとさせれば、食感のバランスも良くなるはず。
少し間をおいて、アイリがふっと声を落とす。
「……でも、カエデおねえちゃん、ありがと。卵、ずっと欲しがってたのに……ユイと、みんなにも分けてくれて」
「えへへ、せっかくだしね。どうせなら、みんなで食べたほうが美味しいと思って」
「……うん。すっごく嬉しい」
アイリはそっとお茶のポットを持ち上げて、またにこっと笑うと、小さく手を振ってから先にキッチンを出ていった。
完成したジャガタマ焼きを四つに分けて、焼いたパンの上にのせ、みんなの待っているテーブルに並べていく。
香ばしい匂いが立ち上り、ユイは大喜びだ。
全員の前に配り終えて、「どうぞ」と促す。
「いただきまーす!」
ユイはさっそくぱくっと口に運び、目を輝かせた。
「すご! おいしい! ほくほくしてる!」
続いてアイリも一口食べて、柔らかく微笑みながらうなずく。
エレナさんは一口かじってから、しばらく味を確かめるように口元に手を添え、ゆっくりとつぶやいた。
「とても素朴な味なのに……驚くほど美味しいですね。この調理法、わたしは初めて見ました。カエデさん、どこで覚えたんですか?」
「えっ? あ、えっと……」
ちょっとだけ間を置いて、わたしは微笑みながら答えた。
「故郷の家庭料理、かなあ。お母さんが、よく作ってくれてて」
「……なるほど。とても温かい味がします」
エレナさんはそう言って、もう一口、丁寧に噛みしめていた。
「カエデおねえちゃんが作ってくれる料理は、見たことないやつばっかりだけど、いつも美味しいんですよ」
アイリがそう言うと、なんだかちょっと照れくさい。
わたしもジャガタマパンを一口かじる。
数か月ぶりの卵が、じんわり体に染み渡っていく。
塩と胡椒だけの素朴な味付けだからこそ、卵のまろやかさがしっかり引き立つ。
少しだけ入れてみた塩漬け肉もアクセントになっていておいしい。
思わず、ほんの少しだけ涙が出てしまった。
そっと目元に手をやって、慌ててごまかすようにぬぐう。
「また作って!」
無邪気な声に、思わずふっと笑みがこぼれる。
もう食べ終わったユイが、元気よく言う。
「うん。卵が手に入ったらね」
今度はどんな料理にしようかな――そんなことを考えるだけで、ちょっとわくわくしてくる。
たった一個の卵だったけど、こうしてみんなで分け合って、笑いながら食べられた。
量は減っても、幸せは何倍にも増えたような気がした。
カエデ「お米はともかく、醤油くらいあってもよくない? うろ覚えだし、再現もあやしいけど……」




