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こっちの世界は灰色です。それでも私は元気です。  作者: オーシマ
第2章:森の向こうで、何かが起きているみたいです
14/20

市場で、買い物をするよ!

 数日ぶりに、ぽっかりと予定の空いた朝だった。


 今日はエレナさんが工房で、アイリに「武器の取り扱い」について授業をしている。妹のユイも一緒にそっちにいるはずだから、わたしは久しぶりにひとり。こういう時間って、なんだかそわそわしてしまう。


 「うーん……とりあえず、洗濯でもしよっかな」


 気になってた布団カバーと、溜めに溜めた洗濯物をまとめて抱える。忙しかったわけじゃないんだけど、なんとなく後回しにしてた洗濯物の山。そろそろやっつけないと、着るものがなくなっちゃう。


 洗濯機は、アイリが作ってくれた特注品。絵とか図で説明しながら、細かく注文して、その通りに作ってもらった。


 日本の家電みたいにスイッチ一つで動くし、ちゃんと水を入れて、排水して、脱水までしてくれる。内部の構造はこっちの技術なんだけど、使ってるときはそんな感じ、全然しない。


 ふたを開けて、カゴにたまった洗濯物と洗剤をバサバサと突っ込んで、ボタンを押す。


 洗濯が終わるまでのあいだ、台所でちょっとだけ料理の実験をしてみる。


 こっちの料理は、けっこう美味しい。素朴な味が多いし、野菜も香りが強くて、スープにするといい風味が出る。でもやっぱり、わたしとしては――あの味が恋しいのだ。


 そう、日本の料理。


 なかなか再現は難しいけど、わたしのちょっとした趣味になっている。たとえば、簡単な炒め物なら、それっぽくできてる。塩味の焼きそばっぽいものも作れた。


 でも、やっぱり「それっぽい」どまり。


 この世界で手に入る食材は、日本よりもずっと少ない。そもそも調味料が、岩塩と胡椒くらいしかない。砂糖はあるけど高いから、たくさんは使えない。味噌や醤油もないし、何より――お米と卵がないのが、わたしには致命的すぎる。


 「……たまごかけご飯、食べたいなぁ」


 思わずつぶやいたその一言が、空しいくらいに響いた。


 あの、ちょっとぬるっとした白身の食感とか、とろっと混ざった黄身のコクとか――想像するだけで、お腹が鳴りそう。でも、ないものはない。仕方ない。


 卵があっても、生で食べられるのか怪しいし。


 今日は、お肉と野菜を塩と胡椒で煮込んで、ポトフみたいにしてみる。


 ……コンソメ味がないので、ただの塩胡椒煮込みになったのは言うまでもない。


 そうしてる間に、洗濯が終わる電子音が“ピッ”と鳴った。


 ふたを開けて、脱水まで終わった洗濯物を、カゴにぽいぽい放り込み、そのままベランダに出て、ぱたぱたと洗濯物を干していく。


 風は涼しくて、空は高くて、遠くの方から子どもたちの笑い声も聞こえる。


 「……コンソメって、自分で作れるのかなぁ」


 そんな独り言をこぼしたときだった。


 向かいのパン屋さんの窓から、おばさんと目が合う。


 「おはよー、カエデちゃん。お洗濯?」


 「うん、おばさんも、おはよー!」


 手をひらひらと振って挨拶を返す。


 そんな何気ない一瞬で、わたしもこの街の仲間になれたような気分になってくる。




 洗濯物を干し終えて、ちょっとだけ部屋の片づけをして、それから――今日は市場に行くことにした。


 冷蔵庫の中が少し寂しくなってきたのもあるけど、なんだかんだで市場は好きだ。いろんな人がいて、知らない野菜や見たことのない料理なんかも並んでて、ぶらぶら歩くだけでも楽しい。


 手提げのカバンを肩にかけて、家を出る。


 市場の通りは、いつものように人が行き交っていて、空気には香辛料と炙った肉の香りが混ざっていた。


 「今日は……あ、これ美味しそう。こっちのも、面白い形してるなあ」


 並んでいる野菜は、だいたい日本でも見たことがあるものだけど、たまに知らないのも混じってる。紫色の細長い大根みたいなやつが気になって、ちょっと高かったけど一つ買ってみた。


 「これ、どうやって食べるの?」


 「焼くといいよ。皮は固いから剥いたほうがいいけど、中は甘くてとろっとしてておいしいよ」


 「へえ、ありがと!」


 こうやってお店の人に聞くと、たいていちゃんと教えてくれる。この市場にも何度も通ってるから、向こうもわたしの顔を覚えてくれてるらしい。


 でも、なんとなく――前に来たときより、品数が少ない気がする。


 というか、最近になってどんどん品数が減ってきてて、値段も少しずつ上がってるような……。


 「すみません、最近ちょっと少ない……? 気のせいかな」


 思わず聞いてみると、おばさんが困ったように笑いながら教えてくれた。


 「南の森の封鎖が、まだ続いてるんだよ。それで街道も使えなくて、いろんな荷が入ってこないのさ」


 「え……まだ封鎖、続いてたんだ……」


 南の森といえば、わたしが二度ウルフに襲われた、あの場所だ。


 もう二か月も前の話。ウルフの異常発生を受けて、森と街道を封鎖して調査を始めた――って聞いてたけど、まさか、まだ終わってなかったなんて……。


 そう思っていると、おばさんが小声でこっそりと話してくれた。


 「……あんまり大きな声で言うことじゃないんだけどね。最初の調査隊が、街に戻らなかったらしいんだよ」


 「えっ!? 戻らなかったって、それって……」


 「一応は“消息不明”ってことになってるけどさ。街の外で、もう二か月くらいでしょ? まぁ……そういうことよ」


 思った以上に深刻な話に、胸の奥が少しざわついた。


 「新しい調査隊を組むのも、慎重に人を選んでるんだと思うよ。ま、しばらく待ってれば、品揃えもそのうち戻るんじゃないかねぇ」


 「そう、ですね……」


 雰囲気を変えるように、おばさんがふっと声を変えて言った。


 「それはそうと、カエデちゃん。卵、欲しがってたでしょ? 今日は最後の一個、取っておいたよ」


 そう言ってカウンターの下から小さな箱を取り出してくる。


 木くずが詰められたその中に、コロンと転がる一個の卵。


 見た瞬間、それまでの不安や胸騒ぎなんてどこかに吹き飛んだ。


 ずっと欲しくて、でも流通が少なくてなかなか手に入らなかった、貴重な卵。何軒回っても売り切れで、諦めかけていた。


 「カエデちゃん、いつも買い物に来てくれてるからね。特別に一個だけ取っておいたよ。買っていくでしょ?」


 「買います! おばさん、ありがとう!」


 ずっと探してた卵が、ようやく手に入った。


 ずっと売り切れで、何軒回っても空振りだったのに――まさか今日、突然手に入るなんて。嬉しさで思わず笑顔になってしまう。


 たった一個の卵だけど、何の料理にしようかな。


 目玉焼き? 卵焼き? 親子丼はさすがに無理かな……。


 オムライスは――ああ、お米がないんだった。ケチャップも。


 ……あれもこれもって思い浮かぶけど、材料が足りなすぎる。そもそも、調味料も限られてるし。


 うーん、せっかく手に入ったのに、どう使うかめちゃくちゃ悩むなぁ。


 ――せっかくだし、みんなで一緒に食べようかな。


 こっちに来て、初めて手に入った大切な一個。


 だからこそ、大切な友達と一緒に食べようって思えた。


 他の具材でかさ増しすれば分けられるし、うん。やっぱりそうしよう。


 そう思って、他にも野菜とお肉をいくつか買い込んで、カバンを持ち直す。


 帰り道、肩に下げたカバンの重さと一緒に、気持ちもちょっとだけ軽くなった。


 わたしの足は、自然とアイリの工房の方へ向かっていた。




 ◆◇◆◇◆◇




 「こんにちはー」


 扉を開けて中に入ると、ちょうど授業の終わり際だったみたいだった。


 エレナさんは資料を手にしてこちらを振り向き、少し驚いたような顔をしている。


 奥の椅子に座っていたアイリは、やや疲れ気味の顔で、それでもわたしを見てほっとしたように微笑んだ。ユイは、すっかり飽きて退屈していたらしく、わたしの姿を見た途端に飛び上がる。


 「カエデねえちゃん! おかえりなさーいっ!」


 「ただいまー。ちょっといいものが手に入ったから、来ちゃった」


 そう言って、買い物カバンから卵の入った木箱を取り出し、そっと机の上に置く。


 ユイが食い入るように覗き込んで、ぱっと表情を輝かせた。


 「わあっ、本物の卵!」


 その反応に、エレナさんが目を丸くする。


 「……カエデさん、以前から卵を探していましたよね? なかなか手に入らないと……」


 「うん。市場のおばさんが一個だけ取っておいてくれたんだ。せっかくだから、みんなで食べようと思って」


 エレナさんはその卵に視線を落とし、少し躊躇うように言った。


 「でも……いいんですか? せっかく手に入ったのに、皆さんで分けたら、ほんの少しになってしまうのでは」


 たしかに、普通に目玉焼きでも作ったら、四等分じゃ一口ずつになっちゃう。


 でも、わたしは少し得意げに笑って答えた。


 「一個でも、みんなで食べられる方法、ちゃんとあるよ! アイリ、キッチン借りてもいい?」


 胸を張って言うと、アイリがくすっと笑って頷いた。


 「ふふっ。じゃあ、わたしはお茶を用意するね」


 「うん。ありがと!」


 「では、お昼休憩にしましょうか」


 エレナさんも柔らかくうなずいて、アイリと一緒にテーブルの上を片づけ始める。


 ユイはというと、期待に目を輝かせながら元気よく言った。


 「やったー! あたし、おなかぺこぺこー!」




 工房の奥の小さなキッチンで、わたしはさっそく調理の準備に取りかかった。


 材料は、ジャガイモと卵。それから、ちょっとのお肉と塩と胡椒。


 まずジャガイモを茹でて、熱いうちに皮を剥いて潰す。


 完全に潰さずに、少しだけ塊を残すのがわたしの好みだ。


 そこに卵を割り入れて、ざっくりと混ぜ、細かく刻んだ塩漬け肉を加える。


 このお肉は基本は保存用なんだけど、火を通すとじゅわっと脂が出て、香ばしい匂いがする。


 卵とジャガイモの素朴な味に、しょっぱいお肉がアクセントになったらいいな。


 最後に、ほんの少しの塩と、ちょっと多めの胡椒で味を調える。


 それをフライパンに平らに広げて、ひっくり返しながら両面をじっくり焼けば、わたし流“ジャガタマ焼き”の完成。


 ジュウッ……と焼ける音と香ばしい匂いが立ち上り、気分も自然と弾んでいく。


 ふわっと広がる香りに、アイリの目がぱちっと見開かれる。


 そして、フライパンの中をのぞき込みながら、驚いたように声を上げた。


 「今日のも、見たことない料理だけど……いい匂い。すっごいおいしそう!」


 「でしょー! もうちょっとで出来るから、楽しみにしててよ!」


 わたしも思わずテンションが上がって、ちょっとはしゃいだ声が出てしまう。


 そう答えると、アイリもにっこりと笑う。


 嬉しさと感謝が混ざったような、優しい表情。喜んでもらえそうでよかった。


 ほんとは、ケチャップ……せめてトマトでもあれば、もっと美味しくできるんだけど。


 でも、今はこの材料だけでも十分だ。


 もう一つのコンロでは、パンを軽く焼いておく。表面をカリッとさせれば、食感のバランスも良くなるはず。


 少し間をおいて、アイリがふっと声を落とす。


 「……でも、カエデおねえちゃん、ありがと。卵、ずっと欲しがってたのに……ユイと、みんなにも分けてくれて」


 「えへへ、せっかくだしね。どうせなら、みんなで食べたほうが美味しいと思って」


 「……うん。すっごく嬉しい」


 アイリはそっとお茶のポットを持ち上げて、またにこっと笑うと、小さく手を振ってから先にキッチンを出ていった。




 完成したジャガタマ焼きを四つに分けて、焼いたパンの上にのせ、みんなの待っているテーブルに並べていく。


 香ばしい匂いが立ち上り、ユイは大喜びだ。


 全員の前に配り終えて、「どうぞ」と促す。


 「いただきまーす!」


 ユイはさっそくぱくっと口に運び、目を輝かせた。


 「すご! おいしい! ほくほくしてる!」


 続いてアイリも一口食べて、柔らかく微笑みながらうなずく。


 エレナさんは一口かじってから、しばらく味を確かめるように口元に手を添え、ゆっくりとつぶやいた。


 「とても素朴な味なのに……驚くほど美味しいですね。この調理法、わたしは初めて見ました。カエデさん、どこで覚えたんですか?」


 「えっ? あ、えっと……」


 ちょっとだけ間を置いて、わたしは微笑みながら答えた。


 「故郷の家庭料理、かなあ。お母さんが、よく作ってくれてて」


 「……なるほど。とても温かい味がします」


 エレナさんはそう言って、もう一口、丁寧に噛みしめていた。


 「カエデおねえちゃんが作ってくれる料理は、見たことないやつばっかりだけど、いつも美味しいんですよ」


 アイリがそう言うと、なんだかちょっと照れくさい。


 わたしもジャガタマパンを一口かじる。


 数か月ぶりの卵が、じんわり体に染み渡っていく。


 塩と胡椒だけの素朴な味付けだからこそ、卵のまろやかさがしっかり引き立つ。


 少しだけ入れてみた塩漬け肉もアクセントになっていておいしい。


 思わず、ほんの少しだけ涙が出てしまった。


 そっと目元に手をやって、慌ててごまかすようにぬぐう。


 「また作って!」


 無邪気な声に、思わずふっと笑みがこぼれる。


 もう食べ終わったユイが、元気よく言う。


 「うん。卵が手に入ったらね」


 今度はどんな料理にしようかな――そんなことを考えるだけで、ちょっとわくわくしてくる。


 たった一個の卵だったけど、こうしてみんなで分け合って、笑いながら食べられた。


 量は減っても、幸せは何倍にも増えたような気がした。

カエデ「お米はともかく、醤油くらいあってもよくない? うろ覚えだし、再現もあやしいけど……」

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