行方不明者:柚原 楓(15)
行方不明者を探しています。
氏名:柚原 楓
年齢:十五歳(中学三年生)
身長:百五十三センチほど
体型:細身
髪型:肩にかかるくらいの黒髪
服装:失踪時は中学校の制服姿
どんな些細なことでもかまいません。何かご存じの方は、ご連絡をお願いいたします。
◆◇◆◇◆◇
――目が覚めて、ベッドの中でスマホを開く。
アラームを止めるついでに、メッセージアプリを立ち上げた。それが毎朝の流れになっていた。
表示された画面には、楓とのトーク履歴がそのまま残っている。
『どこにいるんだよ』
あの日の夕方に送った、最後のメッセージに、既読が付くことはない。あの日からずっと。
……また今日も、夢じゃなかったんだな。
アプリを閉じて、のそのそと布団から出る。頭は重い。けど、それも慣れた。
楓が――妹がいなくなって、一か月ほどが経過した。
リビングに入ると、父さんが新聞を広げながらテレビを見ていた。
すぐ横には、空になった茶碗と味噌汁椀。すでに朝食は済ませているらしい。
テレビの画面では、人気タレントの離婚報道にスタジオの芸人たちが笑い合っている。
次はアイドルグループの熱愛スキャンダルらしい。
父さんはリモコンを手に、ニュース番組を何度も切り替えている。
もしかしたら、まだ楓に関する報道があるかもしれない――そんな期待を、まだ少しだけ引きずっているように見える。
……でも、どの局も似たような話題ばかりで、胸の奥が、少しだけ締め付けられる。
こっちはまだ、妹が帰ってこないっていうのに、そのことが、まるで何でもないみたいに思えてきて、なんだか気分が悪くなった。
別に誰かが悪いわけじゃない。でも、あまりに世界が普通過ぎて。
俺が椅子に腰を下ろすと、父さんは新聞を畳んで立ち上がり、スーツの袖を直して、玄関に向かう。
「……今日も、母さんのこと見ててやってくれ」
振り返らずに、それだけを俺に伝えて出ていった。
それから母さんが俺の前に朝食を並べてくれる。
ご飯と味噌汁、焼き魚、小鉢。
三人分――母さんと、俺と、それから、楓の分。
母さんは楓の席にも、いつものように朝食を置く。
小さなお椀のそばには、小さなメッセージカードが添えられている。
『楓ちゃん。帰ってきたら、温め直して食べてね』
短くて優しいその言葉が、食卓にぽつんと置かれていた。
「樹くん、今日は、学校の方から回ってみましょうか」
そう言いながら、母さんは鞄にチラシを詰め始めている。
手元は慣れているはずなのに、どこかぎこちない。
食事をしているあいだも、母さんはずっと、鞄の整理をしていた。
俺と母さんは、毎日こうして聞き込みに出かけている。
学校の周辺、駅前、近所の公園……あの日、楓が通ったかもしれない場所を、手あたり次第に。
もう何度も同じ道をたどっているけれど、それでも、じっとしてなんていられなかった。
朝食を食べきって、立ち上がると、母さんはすでに準備を終えていて、俺の準備を待っている。
一人では行かない。そう、家族で決めていた。
「……行こう、母さん」
俺が声をかけると、母さんは小さくうなずいた。
そして俺と並んで、静かに玄関を出た。
学校の近くから始め、駅の周辺、公園やコンビニ……何度も歩いた道を、もう一度辿る。
俺は、目の届く範囲で母さんと少し離れ、別々の方向で聞き込みをしていた。
「……あの、すみません。この子……見かけたりしてませんか」
チラシを差し出す俺に対して、大抵の人は困った顔で首を振る。
ときどき、舌打ちされることもある。
そのたびに、心の奥で何かが削れていくような気がした。
ふと、少し離れた場所で母さんが声をかけた相手が、手を振り払うような仕草をしたのが見えた。
「……あんたねぇ、知らないって言ってるだろ。気持ちはわかるけど、こう毎日来られると迷惑なんだよ」
母さんは一瞬きょとんとした顔をして、それから、小さく俯いた。
慌てて駆け寄って、母さんの腕をそっと取った。
「……すみません。ほら、母さん、行こう」
母さんは何も言わず、小さく頭を下げて、それから一緒にその場を離れた。
その後も何度か場所を変えて、声をかけて回ったけど、返ってくる言葉は変わらない。
「……そろそろ、家に戻ろうか」
俺がそう言うと、母さんはまた、小さく頷いた。
本当は、無理に頑張らなくてもいいって、伝えたかった。
けれど、そんな言葉で母さんは救われないと、わかっていた。
家に戻ると、玄関の中の空気はひんやりと静かだった。
俺たちは何も話さず、靴を脱いで、リビングに向かう。
ただいまも、おかえりも、誰の口からも出なかい。
鞄を置いてから、母さんは無言のままキッチンに立った。
冷蔵庫の中を覗き込み、「卵……買ってこないとね」と、小さく呟く。
楓が卵料理が好きで、毎日なにかしら一品は入れるようにしていたのを、母さんは今も変えていなかった。
昼食には、また三人分のお皿が並べられた。
一つは俺の分。もう一つは楓の分として用意されたもので、母さんは朝に準備した楓の分の朝食を温め直して食べる。
テレビでは昼の情報番組が流れている。
朝とほとんど変わらない内容で、芸能ニュースやコメンテーターの軽い笑い声が響いている。
さっきと同じだ。
食べ終えると、母さんはまた鞄を開いて、チラシを取りだす。
折れ曲がっていた端を指で丁寧に直しながら、午後の聞き込みに出かける準備を進めている。
俺も洗い物を終え、テーブルを拭いていたときだった。
カタン、と玄関のほうから軽い音がした。
「俺が見てくるよ」
郵便か、と思って見に行くと、郵便受けには一通の封筒が差し込まれていた。
花の絵が描かれた、可愛い感じの封筒には、差出人も宛先も何も書かれていない。
持ち上げると、中には何枚かの紙が入っているような感触がする。
……なんだこれ
不審に思ったが、不思議と捨てる気にもならず、開いて中を確認する。
中から出てきたのは、数枚の手書きの文章が書かれた便箋だった。
誰かの日記のような内容。整った字で、柔らかく綴られている。
なにかの、イタズラかとも思った。
けれど、その文字を見た瞬間、呼吸が詰まった。
……楓の、字だった。
俺は手紙を握ったまま、勢いよく玄関を飛び出した。
家の前、通りの両側、電柱の影――誰かの気配を探して周囲を見回す。
……けれど、そのどこにも人の気配はなかった。
辺りを探しに行こうかとも思ったが、でもまずは、手紙を抱えて家に戻り、母さんの元へ駆け寄った。
「母さん……!これ……!」
母さんは手紙を受け取って、書かれた文字を見た瞬間に目を見開いた。
しばらく黙って読み進めて、やがて、両手が震えはじめて、静かに涙を流し始めた。
その手紙には、楓がこことは別の世界で経験したことが、日記のような形式で綴られている。
その日のこと、出会った人、少しだけ怖かったこと、でも大丈夫だったこと。
怪我をしたことも書いてあって、思わず心臓が跳ねたけれど、すぐに元気になったらしい。
友達もできて、その子と一緒にご飯を食べたり、おしゃべりしたり――そんな、他愛もないけど、確かな日々のこと。
そして、最後にはこうあった。
――こっちの世界でも、私は元気です。
普通に考えれば、突飛でありえない話だ。
でも、手紙に触れたとき、不思議と確信した。
これは間違いなく、楓が書いたもので、内容も事実だと。
……ただ、――これは楓自身が送ったものじゃないと思う。
どんな手段で届いたのかもわからないのに、なぜか、そうだとしか思えなかった。
まるで、誰かが楓のことを、俺たち家族に知らせようとしてくれている。そんな気がした。
とにかく、楓は俺たちの知らない遠くにいて、もう――帰ってこられない。
それは、悔しくて、寂しくて、どうしようもなく悲しかった。
……でも、楓は向こうでも元気に生きている。
ちゃんと、ご飯を食べて、笑って、誰かと一緒に過ごしてる。
それがわかったことは、ただただ嬉しかった。
――午後の聞き込みには、結局行かなかった。母さんも俺も、今日はもういいかなって思えたから。
その代わり、母さんはずっと、手紙を抱くようにして座っていた。
夜になって父さんが帰ってくると、母さんは無言で手紙を差し出した。
父さんも、黙ってそれを受け取り、最後まで読み終える。
それから、ふう……と静かに息をついて、目を伏せたまま、ぽつり、ぽつりと涙をこぼしはじめる。
震える背中を見て、俺は気づいた。
――父さんは、ずっと平静を装っていたけど、本当は誰よりも悩んでいたんだ。
考えて、考えて、どうにもならなくて、それでも「父親」として崩れるわけにはいかなかった。
そんな父さんが、今、楓の無事を知って――ほんの少し、つきものが落ちたような顔をしているように見えた。
――多分、家族の中でいちばん泣いてたのは、父さんだった。
もう声を聞くことができなくても。
それでも、想いが届くことは、きっとある。
その想いが、ほんの少しでも、誰かの救いになるのなら――




