あるドイツ人
東條英機は回想する。
あれはまだ陸軍次官だった頃のことだ。
ドイツ人記者、ゾルゲと短時間の会談をしたことがある。近衛首相の紹介状とドイツ大使館の手前、断ることもできず、オフレコという条件で受けた。
「ドイツに造詣が深いと聞いておりますが、どのような点に惹かれるのですか?」
ゾルゲはにこやかに、しかし一切の曖昧さを許さぬ目をしていた。
「明治以来、我が国が法制と軍備を学んできた相手です。ドイツ語は、当時の士官が最初に学ぶべき外国語でした。勤勉さ、合理性。言葉を通して彼らの国民性にも好感を持つようになりました。」
ゾルゲはうなずいた。ノートには何も書かず、視線だけが静かに泳いでいた。
「1920年代のドイツをご存知だと聞いております。敗戦と革命、幻滅はされませんでしたか?」
「むしろ、あの未曽有の混乱の中でなお秩序を失わなかった国家の骨格に感銘を受けました。あの国は必ず再興するだろうと、確信を持ちました。」
ゾルゲは少しだけ笑った。その笑みの意味は分からなかった。
その後、彼は巧妙に国際情勢と日本陸軍の派閥について探りを入れてきたが、私は通り一遍の一般論で答え続けた。ただで情報をくれてやる義理はない。
ゾルゲはふと袖のカフスボタンを撫でながら、慎重に言葉を選ぶように言った。
「ヒトラー総統と国防軍との関係について、どのようにお考えですか?」
私は答えを急がず、水をひと口飲んでから言った。
「国民を動員し、社会を総力戦体制に転換するには、カリスマの存在とそれを支える政府と軍の協力が必要です。ヒトラーはその意味で非常に巧妙な政治家だと思います。」
ゾルゲは口元に微笑を浮かべたが、目はまったく笑っていなかった。
「なるほど。では、あの男を国防軍が“利用している”とお考えですか?それとも、すでに“支配されている”と?」
私は眉を上げたが、即答はしなかった。
「あなたは学者のように問いを立てますね。……軍が政治家を利用するつもりで近づき、いつの間にか政治家に引きずられていく構図は、どの国でも見られる現象でしょう。その逆の関係も。要は、最後に決定権を持つのが誰か、です。」
ゾルゲの言葉には一拍の間があった。「閣下のような方が日本の陸軍の中枢にいらっしゃるなら、我がドイツも安心です。」
私はにこりともせず、静かに返した。
「ゾルゲさんは随分と近衛閣下から評価されているようですが、近衛閣下は最近、一部の新聞記者の間で“日本のヒトラー”と呼ばれているのをご存じですか?」
ゾルゲの目に、わずかに嘲りの色が浮かんだのを、私は見逃さなかった。
まるで、「お前はその喩えを本気で信じているのか?」とでも言いたげな眼差しだった。
「閣下は、その評にどうお考えですか?」
とゾルゲが聞き返す。
私はつまらなそうに言った。
「近衛閣下は人心掌握に長けておられるとは思いますよ。ただ、日本にはミイラ取りがミイラになる、という諺があります。」
ゾルゲはゆっくりと顎に手を当てて、言葉を探すように沈黙した。
「なるほど。それは……私にとっても興味深い観察です。」
言葉は穏やかだったが、その声には皮肉でも同意でもない、分析者としての冷徹な視線がこもっていた。
別れ際に彼が言った言葉だけが耳に残っている。
「閣下のような理解者を得て、ヒトラー総統もさぞお喜びでしょう。」
礼儀正しい言葉。だがその言葉の下に隠れた、冷ややかな揶揄と洞察は、私にも分かった。
“この男、本当にただの記者なのか?”
そんな疑念が心の奥で微かに点滅したが、すぐに打ち消した。
[終わり]
ゾルゲはドイツ人でソ連のスパイである。1930年代に記者として日本の権力機構に浸透し、1941年日本対ソ攻撃せずという貴重な情報をソ連に送った。スパイとして逮捕され1944年処刑される。陸軍にも浸透し情報を取っていたとされる。当時の陸軍次官、大臣だった東條英機とゾルゲが接触した記録はないが、接触していたとしても不思議はない。東條英機の政治的リアリティと権力構造への理解を評価する良い機会だったろうし、それは日本権力機構の分析、誰が日本政府の政策決定に影響力を持っているか分析していたゾルゲにとって極めて重要な情報だったのに違いない。筆者としては表面的礼節の下で戦われる冷徹な情報戦を描いたつもりである。
東條は権力構造に敏感でドイツにおけるナチスと国防軍の暗闘の力関係を正確に把握しているし、近衛首相を利用しているのは我々陸軍だと嘲ってさえいる。しかし質問に答え続ける単線的思考の自覚がない。
例えば「最近は温泉行ってないな」という思い付きからから、「ドイツの温泉では今でもパンツを履いたまま入りますか?」と雑談し続け、こいつは馬鹿だとドイツ人に思われる方が、政治家としての凄味ではないか。
私はドイツ人から「あんたドイツ人みたいだね」と言われるよりは「あんた馬鹿だろう」と言われた方が余程安眠できると思う。