手を繋ぐ
用意してもらった薬草茶を飲み、胃に優しそうな野菜のポタージュを食べた。
食べ終わると数名の侍女がやってきて、ラーチェルを寝衣から新しいドレスへと着替えさせてくれた。
ドレスはラーチェルへの贈り物であり、オルフェレウスから着替えを手伝うように頼まれたのだという。
甲斐甲斐しく顔や体をふいてもらい、オルフェレウスの瞳と同じ色の青いドレスに着替えて、髪を整えて貰う。
やや癖のある赤味をおびたブルネットの髪をゆるく編まれて、花飾りが飾り付けられた。
オルフェレウスが戻ってくると、侍女たちは礼をして去っていく。
使用人に身の回りの世話をしてもらうことに慣れているラーチェルではあるが、慣れない場所でというのはどうにも、落ち着かない。
オルフェレウスの顔を見ると、安堵した。
「オルフェ様、何から何までありがとうございます。私……あなたにひどい姿を見せました。お恥ずかしい限りです」
「ひどい姿とは?」
「酔って、寝乱れた姿です。髪も、ぐちゃぐちゃだったでしょう? 恥ずかしいので、忘れてくださると嬉しいのですが」
「これから、毎日見る姿だ。忘れたりはしない。それに、ひどい姿ではないな。無防備で愛らしい姿だ」
「オルフェ様は、からかうのがお上手です」
そんな風には見えないのに、案外冗談を言うのだろうか。
恐縮しながら、少しだけ拗ねるようにラーチェルは呟いた。
ラーチェルよりも彼はずっと大人だ。聖騎士として清廉に生きてはいるのだろうが、女性をあしらう冗談の一つや二つは、さらりと口にできるものなのかもしれない。
「私は冗談は好まない」
「申し訳ありません」
「謝罪は禁止だ、ラーチェル。私は君に怒ってはいないし、怒るようなこともない」
「はい。……つい。オルフェ様は、私よりもずっと立派な方なので、恐縮してしまうようです。気をつけますね」
確かに、会話を交わしている相手が謝ってばかりいたら、話をしづらくなってしまうだろう。
ラーチェルは、オルフェレウスは怒っていないし、口調に感情の起伏はないけれど、不機嫌なわけでもないのだと心の中で確認して、気持ちを入れ替えて微笑んだ。
「ドレス、ありがとうございます。オルフェ様の瞳と同じ、空を閉じ込めたような青色で、私はとても好きです」
「気に入ってくれたようでなによりだ。昨日の今日で新しく仕立てるようなことはできなくてな。城には保管されている誰も着ない服が山のようにある。それは今朝、選んだ」
「ありがとうございます。とても早起きなのですね、オルフェ様」
「あぁ。そうだな。俺の寝衣を着た君をもう少し見ていたかった気もするが、ドレスもよく似合う」
寝衣では馬には乗れないしなと、オルフェレウスは言って、ラーチェルの手をひいて椅子から立たせた。
きっと今の言葉も嘘ではないのだろう。
淡々と事実を告げてくれているのが、過剰に褒められるよりもずっと嬉しく、くすぐったかった。
城の中をオルフェレウスと並んで歩いていると、ちらちらと城で働く者たちの視線がラーチェルに注がれた。
毎日のように登城して働いているラーチェルにとって、城とは職場である。
今まではこんなことはなかったのだが、昨日のラーチェルとオルフェレウスの顛末については、皆が知るところになっているのだろう。
もしくは、オルフェレウスがとても目立つというだけかもしれない。
王弟にして、騎士団長であり、背も高く体格もよく、いつも不機嫌そうで顔立ちは怖いが、整っている。
ただでさえ目立つ彼が、はじめて女性を連れて歩いているのだ。
相手は誰かと見てしまうのは普通なのだろう。
ラーチェルが野次馬だとしても、相手は誰かしらとやはり視線を向けてしまっていたはずだ。
「手紙を出したとき、騎士団には数日の休暇を伝えて、兄上にも後日挨拶をすると伝えた。結婚をするからには、色々と準備があるからな」
「国王陛下への挨拶が先なのではないでしょうか」
「兄上よりも、君の両親への挨拶が先だ。それが順序というものだろう」
「オルフェ様は……とても真面目でいらっしゃいますね」
「君も真面目だろう」
「私は、オルフェ様ほどではないかと思います。オルフェ様に相応しいような女ではないのです」
気になっていたことを告げると、オルフェレウスはラーチェルに手を伸ばした。
そして、やや強引にラーチェルの手を握る。
革手袋をした大きな手にすっぽりと手を包まれるようにされて、ラーチェルは体温があがるのを感じた。
人前で手を繋ぐようなはしたないことを、ラーチェルは今までしたことがない。
ルドランとは一年間婚約をしていたが、節度のある関係だった。
具体的には、時々食事をして、二人きりの時は少しだけ触れられることがあった。
といっても、オルフェレウスほどではないがラーチェルにも信仰がある。
男女の契りは結婚の誓いをしてからだと考えていたので、頬に触れられたり、腰に触れられたりした程度だ。
こんな風に人前で肌に触れあうようなことは、していない。
「君が私に相応しいか否かは、私が決めることだ」
「オルフェ様……そうですね。ごめんなさい、間違えました。あなたに相応しい女になれるように、努力するのが正しいですね」
「君は君のままで十分だ」
繋がれた手は、離れることがなかった。
オルフェレウスはラーチェルの夫として振る舞ってくれているのだと感じた。
それが彼の信仰であり、覚悟であるのだと。
(私も、慣れていかないと。オルフェレウス様にこの人と結婚してよかったと、思っていただけるような女にならないといけないわね)
過去は忘れて、前を見ろと言われているのだと感じた。
ルイのこともナターシャのことも、ルドランのことも。
全ては過去だ。
引きずり続けていては、オルフェレウスに失礼だろう。
「オルフェ様」
「何だ?」
「……私は、あなたに本当に恥ずかしい姿を見せてしまいました。ですから、もう恥じらうようなことはなにもないのだと思いました。これから、きちんとあなたの妻になれるように頑張りますので、よろしくお願いします」
握られた手を握り返してオルフェレウスを見上げると、彼は眉を寄せて、ラーチェルから視線を逸らした。
何か悪いことを言ったのだろうかと、首を傾げる。
けれど、やはり怒っているというわけではなさそうだった。




