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欺瞞の終息



 聖なる傷薬の効能は、既に騎士団の怪我をした騎士たちに使用して確認済みだった。

 折れた骨などには効果がないが、皮膚の傷ならすぐに塞がる。

 火傷や皮膚のただれなどにも同様で、その効果は目を見張るほどだ。


 自信はあったが、令嬢たちの皮膚が爛れなどが嘘のように癒えてよかった。

 ほのかに香るバニラの甘い香りもとてもいい。


 聖なる木を大量に伐採することができないので、どうしても値段は高価になってしまう。

 だが、いいものができた。


「ありがとうございます、ラーチェル様」

「ごめんなさい、ラーチェル様」

「ナターシャ様と一緒になって、ラーチェル様の研究発表会を失敗させようとしました、私たち」


 令嬢たちがラーチェルに頭をさげて、口々に謝罪をした。

 

「わかっていてやっていたんです」

「ナターシャ様の傍にいると、なんだか特別になれるような気がして」

「人よりも優れていると、勘違いしそうになって」


 妖精令嬢の仲間になると、自分も特別だと感じることができるのか。

 ラーチェルはナターシャの友人だが、傍にいても自分が特別と思ったことは一度もない。

 そもそも──特別とはなんだろう。

 人より優れているということだろうか。

 それの何が大事なのか。多くの人に好かれることが大切なのか。

 

 もちろんラーチェルは、自分の関わった商品が皆に愛されたら嬉しい。

 それはその商品が自分の子供のように可愛いからだ。

 だからといって、ではそれを作ったラーチェルを好きになって欲しいわけではない。


 たとえば好意も、それから愛も。

 愛情を抱けるただ一人の相手から、気持ちを返して貰えたらそれで十分だ。


 あぁ──でも。

 ナターシャと共にいたラーチェルは、劣等感を感じていた。

 裏を返せばそれは、優越感と同じか。

 だとしたら、令嬢たちと自分もそう変わらないのかもしれない。


 友人だから仲良くしなければと考えて、阿り、遠慮して、生きてきた。

 ──その結果がこれだ。


「わ……私は悪くないわ! ラーチェル様が生命の木に何か細工をしたのでしょう、私が失敗するように! そもそもルイの領地から香木を盗んだのはラーチェル様だわ!」


 ナターシャは完全に、一人だった。

 それでも瞳に涙を浮かべてラーチェルが悪いと言い募る。


「ナターシャ、私は香木を盗んでいない。ルルメイアさんに頼んで売買契約も結んで貰っているわ。もう嘘はやめて」

「嘘なんてついていないわ、研究棟の権力に負けて強引に契約を結ばされたのです……ひどい……っ」

「強引に契約に運ぶようなことはしないわ。研究棟はルーディアス陛下……王家の直属の施設です。私たちの素行は、ルーディアス陛下の御名に関わることですから」


 もうこれ以上は、どれほど言葉を紡いでもナターシャの旗色は悪くなるばかりだろう。

 実際目の前で、ナターシャの香水で怪我人が出ているのだから。

 ナターシャが一言罪を認めれば、もうそれで終わりになる筈。

 できれば穏便にこの場をおさめたいラーチェルを片手で制して、オルフェレウスがナターシャの前に立つ。


「ラーチェル、話しても無駄だ。王城の敷地に毒を持ち込み、令嬢たちに怪我を負わせた。一歩間違えれば命にかかわることであり、王への弑逆、暗殺に繋がりかねない行動だ。ナターシャ・オランドル。その身柄を騎士団長オルフェレウス・レノクスの名において拘束する」


 確かにオルフェレウスの言う通り、そのつもりがなかったとしても、明らかな毒を持ち込みこのような人の多い場所で使用するなど、甚大な被害が出かねない行為だ。

 ナターシャにしてみれば、ただの子供染みた嫌がらせにしか過ぎなかったのだろう。

 それでも、起こってしまった。

 令嬢たちの肌は爛れ、毒の原因に気づかなければ命の危険さえあった。

 知らなかったとはいえ──罪は、罪だ。


「そ、そんな……っ、ひどい! オルフェレウス殿下はラーチェル様の夫ではありませんか! ラーチェル様を庇うため、ラーチェル様の罪を告発する私を拘束しようとしているのです!」

「私は、嘘が嫌いだ。ナターシャ、たとえ私がラーチェルの夫だとしても、そこに罪があるのなら公平に判断するのが私の役目。今の言葉は、私への侮辱だな」

「……っ」


 ガタガタとナターシャは震え出した。

 誰かに助けを求めるように周囲に視線を走らせるが、皆がナターシャに怯えた瞳や、侮蔑の瞳を向けている。


「すまない、遅れた! すっかり始まっているか? 俺のミーシャの出番は……おぉ、どうした、何があった?」


 そんな中、場違いに明るい声が響く。

 ざわりとざわめく会場の人々が、波が岩にぶつかり裂けるようにして二つに分かれて道をつくる。

 その道を悠々と歩いてくるのは、ルーディアスだ。

 ルーディアスはドレスでおめかしをした可愛らしい少女を連れている。

 少女のあとから、優しそうな男性が歩いてくる。


「お姉さん!」


 少女がラーチェルに駆け寄った。

 ラーチェルの服の中から顔を出すと、エルゥが嬉しそうに少女の肩に乗って額をその顔にすりつける。


「アナベル! どうしてここに?」

「王様が、一緒に行こうって連れてきてくれたの」

「恐れ多いことに、陛下が視察に来てくださり……ラーチェル様とオルフェレウス様が娘や村を助けてくださったことを話したら、研究発表会に是非来て欲しいと言ってくださったのです」


 レイモンドが困り顔を浮かべる。

 かなり強引にルーディアスに誘われたのだろう。

 突然国王陛下が現れて、共に王都に行こうなどと言われたら、誰だって恐縮する。

 レイモンドは大変恐縮しているようだった。

 オルフェレウスは沈痛な面持ちで「兄上は立場を分かっていない」と呟いた。


「いや、中々強情でな。自分たちのような者がそんな場所には行けないと言う。研究発表会は誰でも見に来ることができる上に、生命の木が取れる村の者だ。せっかくだから、見学に来るべきだろう?」

「お姉さん、私、お姉さんとお兄さんのおかげでとっても元気になったの! ありがとう!」

「あぁ──ならば、ちょうどいい」


 オルフェレウスは一瞬その冷酷な無表情に、口角だけ吊り上げるというとても悪い顔をした。

 

「レイモンドは、件の生命の木がある村の村長だ。ラーチェルは強引に村から生命の木を奪ったか?」

「え……? とんでもない! ラーチェル様はアナベルの命の恩人です。神聖な森や生命の木を大切に扱うことを約束してくださいました。村人たちはラーチェル様に皆、感謝しています。だから売買契約も喜んでさせていただきましたよ」

「どうにも、疑いを持っている者がいるらしくてな。騒動の最中に来てくれたこと、感謝する」


 がくりと、ナターシャが床に膝をついた。

 真っ青になって震えるナターシャに手を差し伸べようとしたラーチェルを、オルフェレウスが止める。


「ナターシャ・オランドル。妖精令嬢などと言われて少々図に乗っていたようだが、本物の妖精の姿を見るといい」


 オルフェレウスが目配せをすると、静かに状況を見守っていた舞台上のリュシオンが、優雅に両手を広げた。


「せっかくの研究発表会に、無粋な横やりが入ってしまったようだ。さぁ、見てくれ! 麗しの妖精、ミーシャ王妃のお姿を!」


 リュシオンの呼びかけと共に舞台の奥から軽快な足取りで、ミーシャが現れる。

 オルフェレウスと似たデザインのドレスだ。

 薄いライトブルーとレモングリーンのオーガンジーを重ねたスカートは、歩くたびにふわふわと揺れる。

 華奢な肩からは羽のようなレースがのびている。

 愛らしい顔立ちも、白い肌も華奢な体も、全てが相まってそれはまさしく、妖精──。


 混乱していた会場内の人々の視線が、ミーシャに釘付けになる。

 そのあまりの愛らしさに、美しさに、ナターシャの存在は霞んでしまう。


「お集りの皆さん、ごきげんよう」


 ミーシャは堂々とした仕草で、礼をした。


「本来私はこういった場に出るのは得意ではないのです。けれど、大恩あるラーチェルのため、恥ずかしながら……新製品の紹介をさせていただきます……!」


 ドレスを皆に見せるように、ミーシャはくるりと一回転をした。

 そして、両手に円柱形の瓶に森の木々の模様が緑色の硝子で丁寧に描かれたものを取り出した。


「服飾府の誇る新進気鋭のデザイナー、リュシオンのドレスに合わせて、深い森と生命の美しさを表現した香水をラーチェルがつくりました。踊る妖精のドレスと、命の香水です。森に溢れる様々な命の営みとそこにある安らぎを表現しています」


 甘やかなバニラの香りにシナモンの香りが深みを与えている。


「是非皆様、試供品をお試しください。素晴らしいですよ」


 ミーシャは微笑んで、礼をした。

 どこからともなく、拍手の音が聞こえる。


 本物の妖精だ。

 偽物とは違う。

 何が妖精令嬢だ──と、侮辱の言葉がナターシャに向けられた。


 やがて広がっていく拍手の中で、ナターシャは頭を抱えて泣きじゃくっていた。



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