新製品のお披露目
ナターシャは口をハンカチでおさえて、不気味なものを見るような目で首や手首がただれた令嬢たちを見ている。
「どういうことだ?」
「妖精令嬢の香水のせいで、怪我をしたらしいぞ」
「なんだって?」
騒ぎに気づいた会場にいる者たちが、困惑した表情を浮かべる。
ナターシャは自分に向けられる懐疑や非難の視線に気づいたように、大きな瞳に涙を浮かべた。
「わ、私はなにもしていません……っ、ラーチェル様が妙な言いがかりをつけてきただけなのです! そうだわ、ラーチェル様が何かしたに決まっています、きっとそう!」
「怪我をした方々はこちらに! もしナターシャの香水が皮膚についたというかたも私の元に来てください! 他の方々は離れて!」
ナターシャのことなど、もう構っていられない。
彼女は無事なようだった。
おそらく、香木に混じった淀みの鈴蘭の分量はさほど多くない。直接肌に触れなければ、気化したものを吸ったとしても多少不快になる程度のものだろう。
「全く、毒を香水にするなんて、とんだド素人ですね」
「ラーチェル、よく気づいたわ。淀みの鈴蘭の毒なら解毒できる。ヴィクトリス、浄化薬は持っている?」
「持っていませんね」
「アベルは?」
「ないよ。あーあ、せっかくのラーチェルの晴れ舞台なのに、余計なことをして」
ヴィクトリスとルルメイア、アベルが人混みをかき分けるようにしてラーチェルの元にやってくる。
「エルゥ、浄化は……」
『できないよ。ごめんね。僕が助けたいと望まないと、力を使えないんだ。僕、この人たちを助けたくない』
「何故ですか?」
『ラーチェルの悪口を言ってた。嫌な人たち』
エルゥは冷めた声でそう言って、ラーチェルの白衣のポケットの中に潜り込んでしまった。
「痛い、助けて……っ」
「気分が悪いわ……っ」
「死ぬの、私……?」
「大丈夫です、死んだりしません。まずは解毒をして、それから皮膚ですね。リュシオン様、私の鞄が舞台袖に」
「これだな、ラーチェル」
「──オルフェ様!」
鞄を持ってラーチェルの元に素早くやってきたのは、控室で準備をしていたはずのオルフェレウスだった。
リュシオンがデザインした衣装を着て、髪を降ろしている。
白を基調にした、華やかな軍服である。
布地には青い薔薇の刺繍がされている。片掛けの薄絹を幾重にも重ねたようなマントは蝶の羽を模していて、動くたびに内側から発光をしているかのように青く輝いた。
オルフェレウスの姿に、皆がざわめく。
あれがオルフェレウス殿下か──と。
けれどオルフェレウスはどんな姿をしてもオルフェレウスだった。
手早く鞄の中から浄化薬を取り出して、ラーチェルに手渡す。
ヴィクトリスやルルメイアも薬を手にして、顔や首に徐々に広範囲に爛れが広がっていく令嬢たちの腕に薬液を注入していく。
「体の中の毒はこれで浄化されました。もう大丈夫です」
泣きじゃくる令嬢の腕をアベルやオルフェレウスが抑えつける。
手早く全員の注射を終えて、ラーチェルは安堵の息を吐いた。
体の毒が消えれば、これ以上爛れが広がることもないだろう。
けれど──。
「顔は……っ、腕は、治らないの!?」
「このままじゃ、生きていけない!」
「ナターシャ様のせいだわ……っ、ナターシャ様のせいで!」
令嬢たちの命は無事だ。
しかし、浄化薬では皮膚の爛れは治らない。
体を巡る毒を浄化したところで、一度爛れてしまった皮膚や、それから切り傷や火傷もだが、それが癒えるには長い時間がかかるのだ。
「ひどいわ、こんなの……っ」
「誰か、ナターシャ様にも香水をかけて頂戴!」
「同じ目に合わせて! あの女の顔を、爛れさせて!」
悲しみは憎しみに変わっていく。
ヴィクトリスが成分分析をすると言って預かった香水に、令嬢たちは手を伸ばした。
「駄目ですよ。これは毒です。毒とわかっているものを渡せません。それに、自業自得じゃないですか」
「そうだわ。調香府の研究発表会では香水をつけてこない。常識よ。それなのに、こんなに臭い匂いを振りまくなんて」
ヴィクトリスをルルメイアやアベルが庇う。
ナターシャは怯えて泣いている。もう誰も、彼女に近づかない。
「私は悪くないわ、私のせいじゃない!」
「誰かのせいかどうかは、今は問題ではありません。落ち着いて。大丈夫です!」
混乱する状況の中、ラーチェルはひときわ大声をあげた。
明るい笑顔で、自信に満ちた表情で。
背筋を伸ばして──隣に立つオルフェレウスを手で示した。
「大丈夫じゃないわ、こんな顔で……こんな肌で、どうやって生きていけばいいの……?」
「嫌よ、死にたいわ……っ」
「その女を殺して、私も死ぬ……!」
広範囲に肌が爛れた令嬢たちが、はらはらと涙をこぼした。
ラーチェルは、オルフェレウスにモデルをしてもらい、紹介をしようとしていた新製品を、オルフェレウスの胸ポケットから取り出した。
それは、片手サイズの小さな瓶に入っている。
香水ではなく、軟膏である。
ガラス瓶ではなく、ブリキ缶にした。持ち歩くときに割れてしまわないように。
ブリキ缶には、大樹の絵が描かれている。
「こちら、生命の木で作りました傷薬です。生命の木は良い香りがするだけではなく、傷を塞ぐ効能もあると調べていたらわかりました。兵士の方々の傷を癒やし、香りで心を癒やすように」
ブリキ缶の中には、薄桃色をしたねっとりとした軟膏が入っている。
ほのかに優しく香るバニラは、ナターシャの作ったものよりもずっと品がよい。
缶を開くと広がる優しい香りに、会場の中に残っているきつい香水の香りが和らいでいく。
「名前は、聖なる傷薬です。効果は調香府が保証します!」
ラーチェルは令嬢たちの爛れた皮膚に、軟膏を塗った。
生命の木の癒しの力はすさまじく、村人たちが神聖なものとしてあつかっていたのも頷ける。
ただ、彼らは使用方法を間違えていて、ただ木を切って燃やし香りを嗅ぐだけだった。
そうではなく、その成分を軟膏にすることで、その効果は発揮されるのである。
傷薬を塗られた令嬢たちの皮膚が、元のつるりとしたものに戻っていく。
それを見ていた人々は、感嘆の声をあげた。




