婚礼の儀式
研究発表会の準備と並行して、婚礼の儀式の準備も行っていた。
慌しい一週間が過ぎ、気づけば儀式の当日。
ルーディアスの提案のもと、城の礼拝堂で行う婚礼の儀式は、蓋を開けてみれば当初の予定よりもずっと規模の大きい派手なものとなっていた。
それもそのはずで、オルフェレウスの晴れ舞台とあっては騎士団の者たちの出席は当然として、ルーディアスやミーシャ、城の要職の者たちや側近たち。
それからクリスタニア家の者たちや、研究棟の者たちが勢ぞろいしている。
招待状を出したので、ルイとナターシャも参列していた。
ルイはいつもどおり穏やかな笑みを浮かべており、その隣に並んだナターシャはまるで挙式の主役のように輝いていた。
ラーチェルは母が用意してくれた婚礼着に着替え、髪を整えてもらっている。
たっぷりと布の重ねられた白のドレス、レースのヴェール、薄桃色の薔薇の飾り。
オルフェレウスの瞳と同じ色合いのサファイアの首飾り。
着飾るのは嫌いではない。今までに何度も煌びやかなドレスを着てきた。
けれど──婚礼着というのは、格別に美しく感じられる。
白とは清純。純潔の証。王国では、白いドレスを着るのは婚礼の時だけである。
婚礼の儀式とは、女神ルマリエの前で永久の愛を誓う行為だ。
比翼の愛の前に女神ルマリエの祝福はもたらされる。
最近は──その信仰も形骸化していっているが、オルフェレウスは信仰心があつく、貴族たちも建前上は敬虔な信者ばかりである。
礼拝堂の前方には、クリスタニア家の面々や、国の要職にある貴族たちが居並び、ルイとナターシャも参列している。
その後ろに研究棟の面々や、それから騎士たち。
入りきらなかった騎士たちは、礼拝堂の前に整然と並んでいた。
ラーチェルは祭壇のある檀上で、オルフェレウスと並んでいる。
婚礼着を着たオルフェレウスは品がよく、美しい。
まっすぐ伸びた背中や長い足、逞しい体に、白を基調にしてマントや装飾品で飾り付けられた王家の婚礼着がよく似合っていた。
「我が弟オルフェレウスと、クリスタニア家の才媛ラーチェルの婚姻、大変喜ばしく思う!」
神官の代わりに、聖典を持って、ルーディアスが儀式の言葉を告げる。
聖典に書かれた形式的な言葉とはまるで違う。恐らくは即興の思い付きだろう婚礼の儀式の言葉に、オルフェレウスの眉間に皺が寄った。
ラーチェルは今の今まで緊張していたのだが、その様子を見た途端に、一気に肩の力が抜けた。
ルーディアスはどこにいてもルーディアスで、オルフェレウスもどんな場所でもオルフェレウスだ。
「今日は二人のために集まってくれて感謝する! 俺もオルフェも家族には散々苦労をさせられたが、俺がミーシャと結ばれて安らぎを得られたように、オルフェもきっとラーチェルと共に生きることで幸福と安寧が得られるだろう!」
ルーディアスの高らかな声を聞いて、参列者から啜り泣きの声があがった。
オルフェレウスとルーディアスの過去を知っている者たちも、この場には多くいるのだろう。
ラーチェルも鼻の奥がつんと痛むのを感じた。きゅっと唇を引き結び、我慢をする。
せっかくの化粧が乱れてしまうから、泣くわけにはいかない。
今日は喜ばしい日なのだから、ずっと笑顔でいたい。
「先日、オルフェとラーチェルはとある村を穢れから救った。そして、そこで我が国を守護する聖なる獣と出会った。それは偶然かもしれないが、二人の婚礼が、二人の愛がこの国にさらなる幸福をもたらすと、俺は信じている!」
ルーディアスの声と共に、ちょこんと、エルゥが祭壇の上に現れる。
小さなエルゥが炎の尻尾を揺らすと、それは蒼炎の蝶となって礼拝堂の中をひらひらと飛んだ。
奇跡の光景に皆が息を飲み、ある者は感動して涙を流し、ある者は深々と頭をさげた。
「オルフェ、ラーチェル。二人は夫婦として固い絆で結ばれた比翼となり、女神ルマリエの御前において、変わらぬ永久の愛を誓うか?」
今までとは違う厳かな口調で、ルーディアスが問う。
「オルフェレウス・レノクスは、ラーチェル・クリスタニアを妻とし、そこがたとえ絶望の谷でも、茨の道だとしても、愛という光を胸に共に手を取り合い歩んでいくことを誓います」
オルフェレウスはラーチェルの手を取ると、低くよく響く声で告げた。
「ラーチェル・クリスタニアも、オルフェレウス様に変わらぬ永久の愛を誓います」
ラーチェルはオルフェレウスの手を握り返して、ヴェールの下で微笑む。
生涯ただ一人の、特別。
共に人生を歩んでいく、一人だけの伴侶。
そんな相手が自分にできるとは──つい、数週間前は想像もしていなかった。
男運のなさに嘆いて、自分の立場がみじめで、自棄になって酒を煽った恥ずかしい出会いをしているとは考えられないほどに、今は、オルフェレウスに恋をしている。
「では、誓いの口づけを」
オルフェレウスがラーチェルのヴェールをあげる。
真剣な眼差しに見つめられて、ラーチェルは目を閉じた。
唇が重なり、離れていく。
割れんばかりの拍手と歓声が礼拝堂に溢れた。
ミーシャに手を引かれてやってきたシエラから花籠を受け取り口に咥えたエルゥが、ぱたぱたと飛んで、オルフェレウスとラーチェルの頭上から花びらをひらひらと舞い散らせた。
その後の式典は、儀式の厳粛さとは打って変わって祭りのような賑わいをみせていた。
騎士たちによる楽器の演奏が行われ、クリスタニア公爵の懇意にしている楽団や踊り子、役者たちによる歌劇が披露された。
シエラはエルゥを抱いてひらひらと走り回り、ミーシャが笑いながらそのあとを追いかけている。
ルーディアスはオルフェレウスに酒を飲めとすすめて、オルフェレウスの部下たちも彼を取り囲んだ。
嫌そうな顔をしているオルフェレウスの隣で、そんな彼らのやり取りを微笑ましく見ていたラーチェルは、ナターシャに腕をひかれた。
「ラーチェル様、おめでとうございます。いつものように今日は話しかけることができなくて、ラーチェル様が急に遠い存在になってしまったようで、寂しいです」
「ナターシャ……今日は来てくれてありがとう」
「当然です。私たち、幼馴染ではないですか」
ラーチェルは笑顔が崩れないように気をつける。
ナターシャはいつもと変わらない。オルフェレウスから聞いたナターシャの悪意が嘘のようだ。
ルイは、知らないだろう。
ナターシャが何を考えているのかは分からないが、二人の仲を壊したくはない。
オルフェレウスにナターシャは痛い思いをさせられたようだから、今日は顔を見せないかと思っていたのだが。
「ラーチェル、おめでとう。今日の君はとても綺麗だね。幸せそうで、僕も嬉しい」
「ありがとうございます、ルイ」
「それにしてもラーチェル様、凄いですね。オルフェレウス様の心を射止めただけでなく、女神様の御使いまで傍においているなんて。きっとルドラン様は悔しがりますよ、ラーチェル様と結婚しておけばよかったって」
「そんなことはないわ。それはもう、終わったことだもの」
過去の婚約者の名前を口にするナターシャを、ルイは「その話はよくないよ」と、珍しいことに咎めた。
「ごめんなさい。つい。ところでラーチェル様、ルイの領地で香水の素材を手に入れたのですよね?」
「ええ、そうよ」
「それはどんなものなのですか?」
「生命の木といって、とてもいい香りがするの。その地域の人々にとっては神木だから、大切に扱うつもりよ」
「そうなのですね」
「ラーチェル、こちらに」
ナターシャと話していると、ラーチェルはオルフェレウスに呼ばれた。
挨拶をしてオルフェレウスの傍にいくと、体を引き寄せられる。
オルフェレウスはラーチェルの耳元で「あの女とは話す必要はない。それに、ルイ殿と君が言葉を交わしていると、妬ける」と囁いた。




