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エルゥの奇跡



 ルアルアの香木の枝をいくつかと幹を削ったものをいくつか、ラーチェルは持ち帰らせてもらうことにした。

 肩に乗っているエルゥは『そんなものが欲しいの?』と言いたげに、不思議そうに首を傾げている。


「エルゥとはもう、お話しができませんか?」

『できるよ。でも、この体だと疲れちゃうからあんまりしないだけ。人間は木を食べるようになったの?』

「香水として使用するのです。でも……エルゥの眠る森にある木なのですから、香りの他にも効能がありそうですね」


 採集を終えて急いでレイモンドの元へと帰る。

 今にも倒れそうな顔をして出迎えてくれたレイモンドと共にアナベルの部屋へ向かった。


「ご無事でなによりでした、お二人とも。アナベルの病気の原因は分かったのですか?」

「えぇ。分かりました。大丈夫です、すぐによくなります」

「本当ですか!?」


 ラーチェルは鞄から注射器をとりだした。

 浄化の薬が入っているそれをアナベルに打てば、体にまわっている毒が解毒されて、きっと元気になるだろう。


 しかし──。


「私、子供に注射を打ったことがないのです……」


 アナベルの細い腕を前にして、手が止まる。ラーチェルは医師でも薬師でもない。

 浄化薬の使用方法は練習しているが、それは人形を相手にして、である。

 小さな子供に使用したことは一度もない。

 細い腕のどこに血管があるのか、きちんと刺さるのか、自信がない。

 

「私が替わる。この体格なら、三分の一の量でいいだろう」


 すぐさまオルフェレウスがラーチェルから注射器を受け取った。

 手早くゴム管を上腕に結ぶと、腕を伸ばしてアルコール綿で消毒して、ぷすりと僅かに浮き出た血管に刺した。

 注射器を僅かにひくと、中に血液が混じる。

 ゴム管を外して薬液が的確に三分の一ほど注入されたところで、注射器をアナベルの腕から外して、傷口をアルコール綿で押さえた。


「騎士様は、医術の心得が?」

「多少は。軍に所属しているので」


 レイモンドが心配そうに尋ねる。オルフェレウスは静かに頷くと、抑えていた傷口にガーゼをあてて軽く包帯を巻いて止めた。

 苦しげだったアナベルの顔色が、頬が、徐々に薔薇色に戻っていく。

 アナベルは体中に濡らした薬草を貼り付けていたが、「冷たい」と小さく呟いたので、レイモンドは慌ててそれを外し始めた。


「アナベル……!」

「おとうさん……?」


 アナベルの瞼がぱちりと開き、不思議そうに小さな声で呟いた。

 レイモンドは泣きながら、優しくアナベルの小さな体を抱きしめた。


「すまなかった、お父さんのせいだ……! お母さんが亡くなって、お父さんは落ち込んでばかりで、お前から目を離していたから……! お前は、お母さんに会おうとして森の奥へ行ったんだろう?」

「違うの。ごめんなさい」

「違うのか?」

「うん。……お父さんが悲しい顔をしているから、お母さんを連れ戻さなきゃと思って。森を抜けて、山に登って、死者の国にいってしまう前に、帰ってきて欲しいって……お父さんのために」


 アナベルは、母の死を受け止めていたのだろう。

 受け止められなかったのはきっと、レイモンドだったのだ。

 だから、そんな父のために、幼い少女は森へ一人で入った。


「でも……途中でお腹がすいて、喉も渇いて。生命の木がたくさんある場所で、美味しそうなクワの実を食べたの。そうしたら、苦しくなって」

「以前、オルフェ様が討伐したシビレカガシの毒が、土地を穢していたのです。そのせいで、植物にも魔物の毒性が付与されていました。毒のせいで、アナベルさんは嘔吐と発熱の症状がでていたようですね」

「よかった、アナベル……! 無事で……! 全てはラーチェルさんと騎士様のおかげです」


 レイモンドは何度も深々と礼をした。

 ラーチェルの肩からエルゥが飛び降りると、アナベルの前にちょこんど座る。

 それから──何度かぱちぱちと瞬きを繰り返して、口を開いた。


『レイモンド、アナベル。あなたたちよりも先に死者の国に向かってしまって、ごめんなさい』


 優しい女性の声で、エルゥは話す。

 レイモンドは「ベルカ……」と呟いて、アナベルは「お母さん!」と、嬉しそうにエルゥの体を抱きあげる。


『レイモンド、寂しがり屋なのはわかるけれど、しっかりしてちょうだい。アナベル、お父さんをよろしくね。愛しているわ、ふたりとも』

「……ベルカ、あぁ、ベルカ。すまない、僕が頑張らなくてはいけないのに……」

「お母さん。いつか、会えるよね?」

『ええ、きっと。ずっと先がいいわ。ずっと先、あなたたちが幸せな人生を送った先で、待っている』


 エルゥは疲れたように目を閉じて、アナベルの手の中ですやすやと眠り始める。

 レイモンドは何度も「ベルカ」と名前を呼んで、アナベルはエルゥを抱きしめて「お母さん、大好き」と、大粒の涙をこぼした。


 静かにその奇跡を見守るラーチェルの手を、オルフェレウスが強く掴む。

 ラーチェルはその手を握り返して、いつもの無表情な横顔に視線を送る。


 オルフェレウスは何を考えて、どう感じているのだろうか。

 彼も、亡き母の声が聞きたいと思っているのだろうか。




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