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ぬくもりとの出会い 1



 ◇



 格好が、つかないな──と、オルフェレウスは宿の自室のベッドに座り、嘆息をした。


 隣の部屋にはラーチェルが寝ている。

 壁に触れて、先程部屋の出口でぶつけた額を壁にこつんと押しつけた。


 隣の部屋にラーチェルがいる。それだけで、体は思春期の少年のように熱を持つ。

 先程触れたラーチェルの華奢な体の感触や唇に残る薄くきめの細やかな皮膚の感触、涙の味が思い出されて、密やかな吐息をついた。


 赤く染まった頬が、こぼれおちる大粒の涙が──とても綺麗だった。

 それ以上に、激しい独占欲や支配欲を煽られて、いっそこのまま──オルフェレウスの抱えている彼女への執着を知らせないままに、食べてしまおうかと思った。


 理性で感情を飼い殺してきたが、それも限界を迎えそうになっている。


 ラーチェルが抱いてくれている好意を感じると、鉄壁だと思っていた理性が、簡単に崩れていく。

 ただでさえ、浮かれていたのだ。

 今も、浮かれている。


「……ラーチェル。……ずっと、君が」


 その名を堂々と呼べることの幸福を。感情を伝えられることの幸福を、オルフェレウスは噛みしめる。

 そこにぬくもりがあるわけではないのに、彼女の気配を探るようにしばらく壁に触れていた。


 笑った顔も怒った顔も、悲しい顔も戸惑う顔も、全てが愛らしく美しく輝いて、オルフェレウスの網膜を熱情の炎で焼いた。

 思慕は隠さなくてはいけないと感じていた。自分のような男に想われるのは、彼女の不幸だと。


 ラーチェルは、もっとまともな出自の男と結婚をして、幸せになるべきだ。

 ずっとそう考えていた。


 ──常に、死が、両手を広げて暗く深い穴の中へと落ちてくるようにと誘っていた。


 あなたは生まれてはいけなかった。

 あなたは罪深い。

 マチルダ様に申し訳ない。

 私はなんて、間違ったことを。

 このままでは女神様に顔向けできない。

 オルフェレウス──私と一緒に、死にましょう。


 口を開けばそんなことしか言わない母の元から、国王の足は遠のいた。

 マチルダの死は国王の母への執着から、国王を正気に戻したのだろう。


 死でもって、国王に抗議したのだ。王妃はその気高さを家臣たちから賞賛されて、母の存在は問題であるということが明るみに出た。


 元々、王妃派の侍女たちや使用人たちから快く思われていなかったのだ。

 当然である。王国では、浮気は罪。姦淫罪は重罪だ。


 国王は例外であったが、人々の心証というものが変るわけではない。

 国王は不遇の身にあった母を哀れみ、金をつぎ込み離宮を建てた。母のために湯水のように金を使い、政も疎かにしていた。


 本人にはその自覚はなかったのだろうが、客観的に見てみれば、母は国王をたらしこんだ悪女だったのだ。


 国王の足が遠のくと、母は更に塞ぎ込むようになった。

 そしてオルフェレウスが十三歳の時に、母が死んだ。衰弱による病死──と、表向きはなっている。

 しかし、そうではない。


 オルフェレウスは母の最後の言葉を知っている。


「──マチルダ様に、お詫びをしたい。私も、同じ苦しみを味わう必要がある」


 病死と毒殺はよく似ている。

 きっと母は、マチルダが使用したものと同じ毒を飲んで、死んだのだろう。


 母の死後、オルフェレウスの周りは国王やルーディアスを引きずり下ろして、オルフェレウスを担ぎ上げようとする者たちであふれた。

 

 混乱をおさめるためか、それとも兄弟での諍いを避けるためか、オルフェレウスは城の中から出されることになった。


「お前にはしばらく、クリスタニア公爵家で身を隠してもらう。公爵は私の友人だ。変わり者でな、権力にまるで興味がない。お前のことを頼んだら、別に構わないと言っていた」


 久々に顔を見せた国王──父は、オルフェレウスを心配するでもなく淡々と言った。


「芸術を好んでいて、それ以外のことには関心がない。だから、お前を預けられる。場合によってはお前を公爵の養子にしてもいい」


 おそらく父は、オルフェレウスが邪魔なのだろう。

 母のことは愛していたのだろうが、それが醒めてしまえば、オルフェレウスは己の罪の象徴でしかない。

 勝手なことを言う父に、オルフェレウスは恨みも憎しみも感じなかった。


 これは罰だ。

 罪深いから罰を受ける。

 王妃やルーディアスは、自分や母がいなければ苦しむとなどなかった。


 ──母と一緒に死ぬべきだった。


 そんなことしか、考えられなくなっていた。


 オルフェレウスは従者に連れられて、密やかにクリスタニア家に届けられた。


 出迎えてくれたクリスタニア公爵や奥方は、オルフェレウスにまるで興味がないようだった。

 正確には、オルフェレウスの不幸に、全くと言っていいほど興味を示さなかった。


 昔から知っている親戚の子を預かるような気やすさでオルフェレウスを受け入れ、「いらっしゃい」「自由に過ごしてくださいね」と、ただ、それだけを言ったきり、何も詮索してこなかった。


 城では、誰も彼もがオルフェレウスに同情か、敵意か野心や憎悪を向ける。

 けれど、クリスタニア家にはそれがない。


「君は遠縁の子だと、皆には適当に話をしている。君も適当に過ごしなさい、オルフェ君」

「部屋にこもってもいいし、庭で遊んでもいいわ。私たちには二人子供がいて、長男のアンゼルと、長女のラーチェル。アンゼルはあなたと同い年、ラーチェルは七歳。アンゼルは図書室で本ばかり読んでいて、ラーチェルは庭やら林を歩き回っているわ。会うこともあるかもしれないわね」


 クリスタニア夫妻は、オルフェレウスに家族を紹介しなかった。

 罪深い子供と自分たちの子供が関わることが嫌なのだろうと、勝手に想像して、それはその通りだと塞ぎ込んだ。


 生きているだけで、誰かに迷惑をかける。

 女神の教えに背いた、罪の子だ。


 だから──死ななくてはいけない。

 死ななくては。

 でも、どうやって。

 

 毒、か。


 しばらくは、部屋にこもっていた。

 食事は部屋に運ばれてくるが手をつけることはなく、清潔な部屋のベッドに膝を抱えて座り込み、ぶつぶつとどうやって死ぬべきかと、呟き続けていた。



 


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