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悪女と悪魔



 二度の成功で、ナターシャは万能感で満たされていた。

 ルイは簡単に騙すことができた。ラーチェルの父親も、踊り子や女優や芸術家に金を渡して愛人として囲っているのだと、ナターシャの母は言っていた。

 確かにクリスタニア公爵にはそういう噂が絶えない。


 ルイにそのことも伝えると、余計にラーチェルの男漁りについての信憑性が増した。

 ルドランもそうだ。

 ルドランの場合は元々好きな相手がいたのも幸いして、少しだけ背中を押せばすぐにラーチェルを裏切った。


 男なんてみんな同じ。ナターシャの可憐な美貌を前にすれば鼻を伸ばすし、少し瞳を潤ませて、それから大粒の涙をこぼせば簡単に信用してくれる。


 オルフェレウスもそうに違いない。

 夜会で助けてくれた男にさえ裏切られるラーチェルの、絶望に彩られた顔を見るのが楽しみで仕方なかった。


 ラーチェルはナターシャよりも幸せになってはいけないのだ。

 ナターシャはラーチェルよりも幸せにならなくてはいけない。

 

 王国の教義では離縁ができないのが口惜しい。もしそれができれば、ルイなどは捨ててなんとしてでもオルフェレウスを自分のものにするのに。


 まさか国王陛下を王妃から奪うことなどできないが、オルフェレウスならば独身で、何よりも華がある。

 難攻不落の悪魔と呼ばれる騎士団長からただ一人愛されるとしたら、皆はきっとナターシャを褒め、尊敬し、羨むだろう。


 ナターシャは、ルイには友人のところに遊びに行くと嘘をつき、王城へと向かった。

 馬車の御者や従者たちには「ラーチェルから秘密の相談を受けているの。ラーチェルと会うことは、ルイには内緒にしていて」と伝えておいた。


 ナターシャは騎士団本部に向かい、騎士の一人に声をかけるとその腕にそっと触れた。


「オルフェレウス様に大切なお話があるのです。できれば二人きりで会いたいと、お伝えくださいますか? 中庭で待っておりますので」


 騎士は顔を赤くしながら、何度も頷く。

 ナターシャに触れられると、どの男も同じような反応をする。

 そういえばルイは違う。いつも同様に穏やかだが、必要以上に褒めたりしないし狼狽えたりもしない。


 幼馴染だからなのか、それともルイがただ単につまらない男だからなのかはわからないが。


 中庭の庭園で待つナターシャの元に、オルフェレウスはややあって現れた。

 お願いした通り一人きりである。

 女性を近づけないという噂も聞いていただけに、来ないという可能性も少し考えていたが、第二王子殿下といえども所詮は男だ。


 一人で訪れたオルフェレウスに、ナターシャは遠慮がちに礼をした。

 オルフェレウスを間近でじっくり観察するのは初めてだが、常時不機嫌そうな怖い顔は、よく見るととても整っている。

 

 国王ルーディアスが太陽のような美形だとしたら、オルフェレウスは月のような美形である。

 どこか影があり、その顔からは清廉さと上品さと冷たさが滲んでいる。


 上背のある立派な体躯に軍服がよく似合っている。

 きっちりオールバックにした金の髪は艶やかで、青い瞳は涼しげだ。

 何から何まで、オルフェレウスはルイよりも優れていた。


(ラーチェルがこんな素敵な人と結婚なんて、許せないわよね)


 オルフェレウスを目にすると、余計にその思いは強くなった。

 お願いした通り一人でやってきたオルフェレウスを前に、ナターシャは逡巡するように視線をさまよわせて、沈黙した。


「何の用事ですか、オランドル夫人」

「オルフェレウス様、お忙しいところ呼び出してしまってごめんなさい」

「謝罪は要りませんので、要件を先にどうぞ。手短にお願いします」


 冷たい声で、オルフェレウスが言う。

 頑なな男がナターシャにだけ愛を囁くというのはきっととても気分がいいだろう。

 そんな態度をとっていられるのも今だけだと思いながら、ナターシャは悲しげに瞳を曇らせた。


「ラーチェル様のことです」

「ラーチェルがどうしましたか」

「ラーチェル様は男漁りが激しいという噂、オルフェレウス様はご存じですか?」

「さぁ。知りませんが」


 ナターシャは胸の前で両手を組むと、祈るようにオルフェレウスを見上げる。

 瞳はうるみ、今にも涙がこぼれ落ちそうになっている。

 ナターシャはいつでも泣くことができる。自分が不遇だと思うだけで、涙腺が勝手に緩むのだ。

 幼い時からずっとそうで、泣けば皆、ナターシャのいうことを聞いてくれた。


「オルフェレウス様は、女神と国王陛下に忠誠を誓う聖騎士様でいらっしゃいます。それなのに、ラーチェル様のような浮気性の方と結婚をするなんて、私はとても心配で」

「ラーチェルが浮気性?」

「ええ、そうなのです。本当は黙っていたかったのですけれど、どうしても伝えなくてはと思いまして。ラーチェル様は友人ですから、悪口を誰かに言うなんて、嫌なのです。けれど、オルフェレウス様が不幸になるのをわかっていながら、見過ごすことができなくて……」


 ナターシャは、そこでさめざめと泣いてみせた。

 オルフェレウスは静かにナターシャの様子を見ている。何も言わないことで、余計に興味を持ってくれているのだと感じることができた。


「ラーチェル様は昔から、不特定多数の恋人との逢瀬を楽しんでいらっしゃって……その悪癖を知っているのは、私だけでした。私は友人として、ラーチェル様のはしたない話を聞いてさし上げていましたから」

「そうなのですね」

「はい。それはいいのです。ラーチェル様の行動を、私は咎めません。けれど、オルフェレウス様のような立場のある方が、ラーチェル様と結婚するなんてお可哀想だと感じてしまって……それに、あのような、酒によって強引に迫るようなやり方で」

「そうですね」

「私、オルフェレウス様のことを素晴らしい方だと思っていますから、その名に傷がつくようなことは、よくないのではないかしらと思って……オルフェレウス様にはもっとふさわしい女性がいます」

「たとえば、あなたのような?」


 予想外の言葉に、ナターシャの心臓はどくりとはねた。

 思わず笑みたくなる衝動をなんとかやり過ごす。

 罠にかかったと確信した。オルフェレウスも、簡単に騙されてくれた。


 ナターシャは戸惑ったように視線をさまよわせて、気恥ずかしそうに頬を染めた。


「お戯を。いけません、オルフェレウス様。私には夫がいますから……」

「ルイ殿ですね」

「ええ。ですから、私はオルフェレウス様とは……あぁ、でも、女神様は意地悪です。心など移ろうものなのに、一度の恋しかしてはいけないなんて。私もオルフェレウス様と先に出会っていれば」

「……オランドル夫人。話はそれだけですか?」


 ナターシャは、オルフェレウスの胸に飛び込もうとした。

 よろめいたと見せかけて胸に抱かれる。

 これなら、お堅いオルフェレウスでも、偶然と言い訳をしてナターシャを抱きしめるはずだと考えた。

 けれど、甘い声で囁くナターシャとは反対に、オルフェレウスの声音は底冷えするような冷たいものへと変わっていく。


「オルフェレウス様、ですから、ラーチェル様は」

「なるほど、あなたはそうして皆を騙してきたと言うわけですね。妖精令嬢が聞いて呆れる。ミーシャ様は妖精の国からいらっしゃったが、あなたなどはミーシャ様の足元にも及びませんね」

「そ、そんな、ひどいです……」

「少なくともミーシャ様は人を騙したりはしませんので」

「騙すだなんて」

「ラーチェルのことは、私が一番よく知っています。今更あなたから聞くことなど何もないぐらいには」


 冷たい瞳、冷たい声音、冷たい言葉。

 ナターシャにはオルフェレウスが確かに、悪魔に見えた。

 こんなふうに誰かから一方的に責められたことなど、ナターシャは一度もなかった。


「あなたには礼を。そうして皆を騙してくれたおかげで、私はラーチェルと結ばれることができるようです。それだけはありがたいことです。では、仕事がありますので、これで」

「オルフェレウス様、私の話を聞いていましたか……?」

「もちろん、よく聞いていましたよ。下手な嘘に、真剣に耳を傾けると言うのは無駄な時間ですが、おかげであなたの醜悪さがよくわかりました。それでは」


 オルフェレウスはそれ以上ナターシャに何も言わずに、その場から立ち去った。

 残されたナターシャは、周囲に誰もいないのを確認すると、激しく地団駄を踏んだ。



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