ふたりで昼食を
リュシオンの部屋から出たラーチェルは、急ぎ研究室に戻ると荷物を持ってオルフェレウスの元に向かった。
研究棟を出て、城の中庭を突っ切るようにして作られている風の吹き抜ける回廊を抜けた先に、騎士訓練所がある。
柵で囲まれた広い訓練場の先に、王家の旗が掲げられた、白い柱が何本も並ぶどことなく神殿のような建物の、騎士団本部がある。
旗には王家の家紋である冠を被った牡鹿の絵が描かれている。
それから、女神ルマリエを模した彫刻が、その屋根には堂々と建立されている。
女神ルマリエは槍を空高く掲げ、二枚の翼を大きく広げた姿をしている。
美しく勇ましい戦女神である。慈愛と慈悲に満ちた女神は嘘と不貞を嫌う。
王国の教典は女神ルマリエを主神にするものである。それなので、特にルマリエの名を掲げる聖騎士団は、清廉潔白さが求められる。
妻となる者以外とは男女のふれあいを禁じられている──というのは表向きだ。
もちろん、最近ではそこまで厳しく教義を守っている者のほうが少ない。
──オルフェレウスを除いては。
そう、ラーチェルは思っているが、実際のところどうなのかまでは分からない。
好きな人がいたのだろうか。
恋人はいたのだろうか。
ラーチェルのように恋に破れたから、結婚相手は誰でもよかったのだろうか。
なんてことを考えてしまいそうになり、ラーチェルは疑問を頭の中から追い払った。
過去は誰にでもあると、オルフェレウスは言っていた。
ラーチェルにも過去があったように、オルフェレウスにも過去がある。
その過去にはラーチェルが入り込むことはできないのだ。大切なのは今だと考え直して、ラーチェルは少し緊張しながら騎士団本部の中に足を踏み入れた。
すれ違う騎士たちに笑顔で挨拶をすると、皆、一瞬驚いた顔をするものの「オルフェレウス様はあちらです」「団長に会いに来たのですね」と、優しく言葉を返してくれる。
「冷徹な悪魔が結婚するなんて、驚きです」
「団長は一生独身かと思っていましたからね」
「オルフェレウス様も人を愛することができるのかと思うと、感動します」
などと、本気なのか冗談なのか分からないことを言ってくる騎士たちの言葉に、くすくす笑っていると、背後に唐突に立つ人がいる。
背の高い男がラーチェルに影をつくった。ラーチェルと談笑していた騎士たちが、青ざめて慌てながら「失礼します!」と言って逃げるように去っていく。
「遅いから、心配になって迎えに来た。騎士たちと何を話していた?」
「オルフェ様のことについて」
「君は楽しそうだった、ラーチェル。……やはり、君をここに来させるべきではなかったな」
ラーチェルは背後に立っているオルフェレウスに向き直った。
いつも通りの無表情だが、どことなく不満げに眉を寄せている。迷惑という顔ではない。
表情の変化が少ないので分かりにくいのだが、それは最後に食べようとしていたお菓子を誰かに取られてしまったような表情である。
「遅くなって申し訳ありません。皆さんが、優しく声をかけてくださるものですから、つい」
「それは──君が、愛らしいからだ」
「ふふ、ありがとうございます。きっと違いますよ。オルフェ様のご結婚に、驚いているからです。その相手である私が、物珍しいのですよ」
オルフェレウスがラーチェルの荷物を取り上げた。
ラーチェルはお礼を言うと、遠慮がちにオルフェレウスに手を差し出す。
すぐにその手は取られて、繋がれた。ラーチェルが思っていた以上に強く手を握られたので、驚いた上に少し痛かった。
「昼食を持ってまいりました、オルフェ様。一緒に、中庭のテラスに行きませんか?」
「構わない」
「よかった。人の目が多いと、少し、恥ずかしいですから」
ラーチェルはオルフェレウスを中庭のテラスに案内した。
騎士団本部から出て、歩いて十分程度の場所である。
城の敷地は広く、城の中は迷路のように入り組んでいるが、外に出てしまえば案外分かりやすい。馬車や馬が通るために道も広く、すぐに目的地にたどり着けるように道が多く作られている。
城にはいくつもの庭園や、中庭と呼ばれる場所がある。騎士団本部に近い中庭には、テラスや日よけ、テーブルなどが置かれている。城で働く者たちが自由に使っていい場所だ。
王族や来賓などがくつろぐ庭園は、もっと城の奥にある。外周にある施設は案外自由に使うことができる。
これは、ルーディアスの鷹揚さもあってのことだ。
身分制度に厳しい王の治世のときは、庭師以外は庭に立ち入ることさえ禁じられていたらしい。
そうはいっても、昼休憩の時間に優雅に中庭で過ごす者は少ない。いるとしたら、侍女やメイドと秘密裏に逢引をする者ぐらいだが、今日はそれもいないようだった。
ラーチェルはオルフェレウスと、いくつかの椅子が置かれている丸テーブルに、向かい合って座った。
オルフェレウスから荷物を受け取ると、中に入っているクロスをテーブルに広げて、その上にランチボックスを置いた。
蓋をあけると、朝つめたときと同じように、綺麗に中身が詰まっている。
くずれていなくてよかったとほっとしながら、オルフェレウスの前にランチボックスをさしだした。
それから、ここに来る前に研究室で持ち歩き用のポットに紅茶をいれてきている。
カップも二つ用意してきていた。
飲み物を用意していたために、来るのが更に遅くなってしまったのである。
リュシオンとの会話が長引かなければ、オルフェレウスを待たせることもなかったのだがと、ラーチェルは反省しながら、ポットから紅茶をカップにそそいだ。




