悪魔的騎士団長、オルフェレウス・レノクス
ラーチェルは自分がしがみついている相手がオルフェレウス・レノクスだと理解して、大きく目を見開いた。
慣れない酒を一気飲みしたせいで頭の中がぱやぱやしていることは否めないが、オルフェレウスの顔を間近で見たせいで酔いが覚めた――とまではいかないまでも、僅かばかり残っていた理性が『何をしているの、私!?』と大慌てで己の行動を咎めにきている。
「オルフェレウス様、申し訳ありません。ラーチェルは酔っていて」
まるで保護者のように、ルイが穏やかな声音でオルフェレウスに謝罪をして、ラーチェルに手を差し伸べる。
――やっぱり、優しい。
年齢は同じなのに、いつも兄のように、落ち着きがあり頼りになるルイへの恋心を思い出しそうになってしまう。
せめて伝えることができていたら、その上で思い切りふられていたら、いつまでも引きずることなどなかっただろうに。
平静なら理性で抑えつけている感情が心の隙間から漏れそうになり、ラーチェルは差し出された手を取ることができない。
分かってはいるのだ。自分はなんて滑稽なことをしているのだろうと。
そもそも――どうしてオルフェレウスはあんなことを言ったのだろう。
ラーチェルのぼやけた頭でも「構いませんが」という言葉は理解できる。
それはラーチェルと結婚をしてもいい、という意味だ。
オルフェレウス・レノクス。彼は、聖ルマリエ騎士団の騎士団長である。
聖ルマリエ騎士団は、聖王ルーディアス直属の騎士団であり、王領の守護を一手に引き受けている存在である。
ルマリエとは、聖王に冠を授けたとされている女神の名だ。
その名を掲げた騎士団は、品行方正、質実剛健と言われていて、第一部隊から第十部隊まである百名以上が所属する騎士団の頂点にいるのが、オルフェレウスである。
彼は騎士団長であり、王弟でもあった。
自他共に厳しい男であり、笑った顔を誰も見たことがない。
悪魔と呼ばれるのは――敵には容赦がないのと同時に、味方にも容赦がないことに起因している。
城の中で唯一帯剣を許されているのは騎士団の者たちだけだ。
それ故、その規律はかなり厳しいものである。
万が一酒に酔って暴れたり、感情に流されて私闘などを行えば、大事になりかねない。
規律を破った者に対する厳罰には手心を加えるようなことはなく、訓練にも手を抜かず、厳しく恐ろしい男──という評判が、血も涙もない冷酷な悪魔という二つ名に繋がった。
悪い評判はない。むしろ、非の打ち所がないほどに遊びのない男なのだ。
酒に酔ったラーチェルの求婚に皆が青ざめたのは、ラーチェルのその態度はオルフェレウスの逆鱗に触れるのではと考えたからである。
ルイも同じように思っているようで、できるだけ穏便にこの場をおさめようとしてくれているらしかった。
ナターシャは大きな瞳をぱちぱちさせて、オルフェレウスとルイの顔を見比べている。
ともかく、謝らなくてはいけない。
いくらラーチェルが傷ついていたとしても、自棄になっていたとしても、それはラーチェル自身の問題であってオルフェレウスを巻き込んでしまったのは、ひたすらに申し訳ないばかりだ。
ラーチェルは、オルフェレウスの腕から自分の手を離そうとした。
けれどその手を、黒い皮手袋を嵌めた手に上から包み込むようにされて押さえつけられる。
あまり力を入れていないのだろうが、離れようとじたじたもがいても、重ねられた手はびくともしない。
ラーチェルの手などすっぽりと覆ってしまうぐらいに大きな手は、手袋越しでも皮があつく硬いことがわかる。
「私は、嘘が嫌いです。口にした言葉には、責任が伴います」
「は、ぅ、あ……」
なめし革のすこしざらりとした感触が、手の甲に触れて、ラーチェルは間抜けな声をあげながら口をぱくぱくさせた。
どう考えても、オルフェレウスはとてつもなく怒っている。
――怒っているのよね。
突然、よくわからない女に結婚すると言われたのだ。それは怒るだろう、オルフェレウスではなくとも怒る。普通なら。
「ルイ殿、ラーチェル嬢――いえ、ラーチェルと私は結婚することになりましたので、酔った妻を家まで送るのは夫の役目かと。それでは、失礼いたします」
「待ってください。オルフェレウス様、ラーチェルは傷ついていて、だから少し飲み過ぎてしまったんです。僕は彼女の友人ですから、あとのことは僕が引き受けます。お怒りは分かりますが、彼女を離してください」
「それはできかねます。妻を他の男に任せることはしません」
ラーチェルは、オルフェレウスに抱き上げられた。
それはまるで、姫を窮地から救う騎士そのものの姿である。
オルフェレウスの部下たちは驚きに目を見開き、壇上から舞踏会の様子を眺めていた国王ルーディアスは「おぉ……っ」と、感嘆の声をあげながら椅子から立ち上がった。
いつの間にやら音楽は鳴り止み、皆が美貌の悪魔と捕らえられた酔っ払いに視線をそそいでいる。
「おるふぇ、さま……申し訳ありません。わたし、お酒を……」
「そうですね。以後気をつけるように。あなたは私の妻になりましたので、このような醜態を人前でさらすことは、いけません」
「申し訳ありません、私、なんてことを……」
「それでは、行きましょうか、ラーチェル。どうやら飲み過ぎて、歩けないようですから」
てきぱきと、部下たちに後の指示を行い、オルフェレウスは大広間を後にした。
背筋を真っ直ぐ伸ばして颯爽と消えていく美貌の悪魔と、ただただ呆気にとられている酔っ払いの姿を、ルイやナターシャや、大広間にいる貴族たちは、唖然と見送ったのだった。
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