昼食の約束
オルフェレウスと並んで歩くだけで、ラーチェルは少し緊張した。
朝のまるで告白のような言葉は聞かれていなかっただろうかと考えてしまい、ちらりとオルフェレウスの横顔を見上げる。
頭が一つ分以上高い位置にあるオルフェレウスは、いつも背筋が真っ直ぐで、髪も服も綺麗に整っている。
隙のないその姿の横にいると、身が引き締まるような心持ちになった。
そういえば、ヴィクトリスが彼を『そびえたつ壁』と表現していたことを思い出す。
確かにオルフェレウスは大きい。
ラーチェルよりも肩幅も広いし腰の位置も高い。ラーチェルは小さい方ではない。顔立ちと同じように背丈も体型も十人並みといったところである。
もちろん、そこは公爵家の令嬢としてありがたいことに侍女たちによって磨いてもらってはいるが、磨いてやっと少し光る程度のものだ。
光っているのなら嬉しいが──どうなのだろう。
ラーチェルに比べてオルフェレウスは、こちらもヴィクトリスが言っていたように、とても顔立ちが整っている。
勇気を持って彼に贈り物をしたり、近づこうとした女性たちがいままでいたらしい。
ラーチェルは知らなかったが──この容姿と立場を考えれば、それは、女性たちから人気があるだろう。
「ラーチェル、私を見ながら歩いていると、柱にぶつかる」
「申し訳ありません、私、そんなに見ていましたか」
「謝罪は禁じたはずだ。見ることは別に構わない。……そうだな、別に見ていてもいい。私が、君がぶつからないように気をつけよう」
「えっ、あ……ありがとうございます、オルフェ様。私、考えごとをする癖がありまして。夢中になると、周りの音や景色も消えて、時間の感覚も消えてしまうようなのです」
「知っている」
幼い頃からの癖を話すと、オルフェレウスはどうしてか頷いて、ラーチェルの手を握った。
ラーチェルは驚き、まじまじとオルフェレウスの顔を見上げて、それから真っ赤になった。
「あ、あの」
「何か問題があるか」
「ない、です……」
問題はないのだが、オルフェレウスがそういうことをする人だとは思わずに、戸惑ってしまう。
それに、恥ずかしい。
だが、ラーチェルが何かにぶつからないようにと、オルフェレウスは言った。
だから手を繋いだだけだと、自分に言い聞かせる。
「昼は、君はどこで過ごしている?」
「私は、研究棟の食堂に行くことが多いです。時々は、ミーシャ様やシエラ姫と過ごすこともあります」
「シエラ姫に文字を教えているのだったか」
「はい。シエラ姫に頼まれて。ミーシャ様もご一緒しています。その代わり、ミーシャ様からはルキュラスの文字を教えていただいているのですよ」
ルキュラス王国とレノクス王国は、言語も文字も違う。
ラーチェルは教養の一環としてルキュラス語である程度の会話を行うことができたが、文字を書くまではできなかった。
「オルフェ様はどちらにいらっしゃるのですか?」
「普段は、あまり休憩をとらない」
「お食事は?」
「食べるときもあれば、食べないときもある」
「それではいけません、騎士というのは体が資本なのでしょう? 体に十分な栄養がいかないと、倒れてしまいます。植物だって、水と太陽と風がなければ枯れてしまうのですから」
それだけ忙しいということだろう。
けれど──心配だ。それに多忙なのにわざわざ調剤府まで足を運んでくれたのだろうか。
「オルフェ様、今日はお迎えにきてくださいましたが、今度からは私がオルフェ様をお迎えに行きますね。そうだわ、お弁当を用意します。そうしたら移動時間が少なく、一緒に食べられますし、それにオルフェ様の時間がとれないときは、お仕事の合間に食べられますでしょう?」
いいことを考えたと、ラーチェルは提案した。
昔から、手先が器用だった。香の抽出というのは繊細な作業で、少し料理にも似ている。
菓子作りや料理は本来ならば使用人の仕事ではあるのだが、クリスタニア公爵家においてはラーチェルがやりたいということを何でもやらせてもらうことができた。
咎められることもなければ、嫌な顔をされることもなかった。ありがたいことに。
せっかくならば自分で作りたい。オルフェレウスの役に立てるかもしれないことが嬉しかった。
「……君が、騎士団本部へと来るのか?」
「騎士団本部は、女子禁制だったでしょうか」
「そんなことはないが。……弁当というのは、軍用のレーションしか食べたことがない」
「軍用のレーション……」
「長持ちするように、乾燥させたパンや干し肉だな」
「それも美味しそうですが、それとは少し違うかなと思います。オルフェ様、約束です。お弁当、ご用意しますね」
「……あぁ。だが、いいのか、ラーチェル。君は忙しいだろう」
嫌がられるかもしれないと一瞬思ったが、そんなこともなく、オルフェレウスはあっさり頷いた。
「オルフェ様よりも忙しくありませんよ。調香府の仕事は、ゆったりしているのです。ですので、大丈夫です。忙しく時間がとれない時は、事前にお伝えしますね。オルフェ様も遠慮なくおっしゃってください」
「わかった」
「こうして、日々誰かと約束をするというのははじめてです。なんだか、楽しいですね」
「そうだな。私も、同じだ」
いつの間にか、手を繋いでいる恥ずかしさも緊張も消えてしまった。
もちろん繋がれた手の体温は、その感触は意識してしまうが──それ以上に、こうして言葉を交わすことができるのが嬉しかった。