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ラーチェルと同僚たち



 調香府は、ラーチェルを含めて四人の人間が働いている。

 人数が少ないのはあくまで調香府は研究室扱いで、そこでできた商品を量産して販売するのは別の場所だからである。


 そちらは製造所と呼ばれていて、城の敷地ではなく王都の中にある。

 そこで製造された商品が、国中に流通して売られるという仕組みになっている。


 調香府の職員は、調香府所長の、嫋やかな黒髪にぽってりとした唇が印象的な、妖艶な美女であるルルメイヤ。

 毒草を研究している、銀色の髪が美しい黙っていれば美少女に見えるヴィクトリス。

 動物の匂い袋について研究している、ぼさぼさの黒髪に眼鏡をかけているアベル。

 

 そして、ラーチェルの四人だ。


 それぞれが採取に出かけていて不在の時も多いが、今日は全員集まっている。


「ラーチェルが来るのを楽しみにしていたわ。何がどうなったのかを、きちんと説明して欲しいわね」


 いつもは所長用の椅子の前からあまり動かない、怠惰だと職員たちから評判のルルメイヤが、ラーチェルの傍までやってくると、その顔を覗き込むようにして言う。


「オルフェレウス殿下とは、その厳しさが悪魔とも呼ばれている、難攻不落の騎士団長。今まで、勇気を振り絞った女性たちの屍が、足元には死屍累々と転がっているほどです。贈り物は全ていらないと送り主の元にきっちりと返されて、その勇気は全て踏みにじられる。美しい悪魔ですね」


 ヴィクトリスが淡々と言う。

 彼女の声にはいつも抑揚がなく、その愛らしい顔も人形のように変化がない。

 けれど、早口で喋っているときは興味を持ち興奮しているときである。


「ラーチェルが殿下に求婚をしたと聞いた時はびっくりしたよ。でも、よかったね。お城の中は、君と殿下の結婚の話でもちきりだよ。なんといってもルーディアス陛下が浮かれていて、所構わず話して回っているからね」


 くすくす笑いながら、アベルが言った。

 彼は大抵楽しそうに笑っている。不機嫌そうな姿など一度も見たことがなかった。


「陛下は、そんなに?」

「うん。それはそれは嬉しいのだろうね。最愛の弟君の結婚だから。殿下はおいくつだったかな。確か、二十六歳? もう子供がいてもおかしくない年齢なのに、ずっと独り身だったからね」

「このままずっと独身なのかと、噂していたのよ」

「ラーチェルに結婚しようと言われて、あっさり頷くなんて。以前からラーチェルのことが好きだったのでしょうか。確かに酔ったラーチェルは可愛らしく、酔わなくても可愛らしいのですから、あっさり頷いてしまう気持ちはわかりますが」


 以前から好きだった──なんてことは、ないだろう。

 ラーチェルはオルフェレウスとは今まで挨拶を交わすぐらいしかしていない。

 幼い頃に面識があるらしいが、ラーチェルは覚えていないぐらいだ。

 オルフェレウスもなにも言っていなかった。忘れているか、たいしてラーチェルとは交流がなかったのだろう、きっと。


 その程度の関わりで、好意を持たれるとは思わない。

 オルフェレウスはラーチェルについては以前から知っていたと言っていた。

 悪人ではないとは、思ってもらっていたのだろうが。


「オルフェ様にとって都合のいい何かが私にあったのではないかと思うのですが、私にはよくわかりません」

「好きだとか、愛しているとか、そういう言葉はなかったのですか?」

「ま、まさか……!」


 ヴィクトリスに尋ねられて、ラーチェルは首を振る。

 オルフェレウスがそんな言葉を言うとはとても思えない。

 それに、殆ど交流のなかったラーチェルにそこまでの感情はないだろう。


「でも結婚はするんだよね?」

「はい。オルフェ様には助けていただきました。感謝をしていますので」

「感謝だけで結婚ができるの?」

「王国での婚姻は一度だけの絶対的なものだよ。感謝しているからと了承したら、後悔するんじゃないかな」


 ルルメイヤとアベルが顔を見合わせた。

 確かにそれはそうかもしれない。ラーチェルは困り果てて、職場の更衣室で着替えてきた白衣をぎゅっと握った。

 本当に、感謝だけだろうか。

 もちろん最初は戸惑った。なんて強引なのかと思った。今は、それだけではないのではないか。


「私は……はじまりは、唐突ではありましたが。オルフェ様と結婚したい、あの方を支えてさしあげたいと、今は思っています」


 ただ流されているわけではない。そこには自分の意志がある。

 嫌いな相手だったら──どんな手を使ってでも、ラーチェルは逃げていただろう。

 二度の失恋で、ラーチェルは恋愛には懲りている。

 そこまですぐに誰かを好きになるほど、恋愛がしたいと思っているわけでもない。


 それでもオルフェレウスから逃げたいとは思わない。

 誠実に向き合いたい、支えたいと感じるこの気持ちは、恋と信頼のはじまりではないのだろうか。


「ラーチェル」

「……っ、お、オルフェ様……っ、い、いつからそこに、どこから聞いて……っ」

「今来たばかりだが。今日は出勤だと聞いて、顔を見に来た。変わりはないか?」

「は、はい……」


 調剤府の入り口に、いつの間にかオルフェレウスが立っていた。

 軍服を着て真っ直ぐ立っている彼は、背が高く、頭が入り口の天井に近い。

 調剤府の扉はやや小さめだ。その代わり、中がとても広いのだが。

 そのせいで、オルフェレウスの頭は入り口にぶつかりそうなぐらいに見える。


「そうか。では、昼に。また、会いに来る」


 それだけを告げると、オルフェレウスは去っていった。

 ラーチェルは顔を真っ赤に染めながら、唖然とその背中を見送っていた。


「ずっと好きだったわけではないのですか、この様子で?」

「どうなのかしらね」

「殿下はラーチェルのことを大切に思っているようだよ。安心した」


 ──結婚したい。支えたいなどと言っているのを聞かれてしまったかもしれない。

 まだ、オルフェレウスには何も伝えていないし、数日過ごしただけだというのに。

 もしかして、軽薄な女だと思われただろうか。

 ラーチェルは、同僚の声も聞えないぐらいに、動揺していた。




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