理論で攻める男
彼女とどこか店に入ることは憚られ、適当な店で弁当を買うことにした。ビルの一角に飲食店が並んでおり、どこの誰でもが気軽に集まれるフリースペースが中央にある場所だ。見回した感じ同僚や会社の連中はいなさそうなので、安心して空いている席に二人で座った。
「……で、どうやってここまで来た。なんで場所が分かったのか教えてもらえるか」
自分の場所が分かるなんて、GPSでもつけられたのだろうか――。
彼女にも適当に弁当などを選ばせようとしたが、食欲がないのか選ぶ気配がなかった。――思い出せば朝食卓に並んでいたのはひとり分。昨日も飲み物を渡すも反応がなかったが、光合成で済むような感じの生命体なのだろうか。光合成という話は適当だが。
仮にそうであれば、人の見た目をしている謎の存在が目の前にいるということが少し恐ろしくも感じた。周囲の人からはきっと普通の女の子に見えているだろうに、すぐ隣に謎の生命体がいるなんて考えているやつはそうそうないだろう。――オカルト趣味でもあれば違うかもしれないが。
「鷹浜さんは大切な契約者です。いつでもどこにいらっしゃるか本が教えてくれます! あとこの通信端末で広告が見れなくなってしまったので、先輩から教えて貰ったこちらの作品投稿サイトを参照してみたんです。――いろんな作品を参照したのですが、『お昼を一緒に食べる』というイベントが楽しそうだと思ったので挑戦してみました」
この、と言いながら昨日も持っていたスマホを取り出して自慢げに見せた。――年齢制限がちゃんとかかっていることにほっとしたものの、他にも参考にできるものがあるのかと頭を抱える。
「というか、イベントってなんだ……。恋愛デスゲームの間違いじゃないのか」
『惚れたら負け』なんて言葉もあるが、『彼女に惚れると世界に終焉が』なんてどうかしている。
社会に擦れまくってそんな純粋さを失っているのにこのようなことに巻き込まれるなんて、人生どうなるか本当に分からないものだ。暖かさを失った弁当に箸を入れるも、口に運べばほのかな暖かさがまだ残っていたようだった。
「デスゲームなんかじゃありません! 好きな人と一緒になるというのは幸せなことだと思いませんか?」
真面目にそんなことを昼間から言われるのはむずがゆくなった。――この子がただの迷惑な電波ちゃんであってほしいと思ったが、昨日見せられた本のことや周囲の人間から不気味がられたことが夢でなければ、やっぱり彼女は普通の存在ではないのだろう。
「まだ好きになってないから、どちらかというと今は迷惑かな――」
さっきの同僚たちの様子を思い出し、もしかしたら彼女に有利に事が運ぶようになっているとかないだろうか。そういう不思議な力を持っているとなっても、今の状態に属性が増えるだけで特段驚かないだろう。
迷惑という言葉にショックを受けたのか、大きな目が一回り大きく見開かれ、口に手を当てて信じられないといった様子をしている。何を考えているのか読めないが、感情だけは豊かで分かりやすかった。彼女はなにか解決策を探そうとしているのか、ショックを受けながらも恐る恐るスマホを見つめ、何か調べ始めた。
「……それで同僚とか先輩とやり取りすることはできないのか?」
「世界が違うので、そいうことは……」
スマホから顔を上げる様子はなく、青い顔で何かを必死に探しているようだった。
「……こういう仕事? ――をするのは、初めてなのか?」
「はい……。今回が初めてで……、先輩たちからいろいろとご指導いただいたのですが、――どうにも私には向いてないようです……」
不安に歪んだ目に涙がたまり始めた。――言い過ぎたかと慌てて弁当を買った際についてきたナフキンを差し出す。紙だから涙を拭うには痛いかもしれないが、それ以外にぱっと渡せるものがなかった。
彼女の言うことがもし全部本当であれば、知識だけ与えられ、仕事が終わるまで知り合いとは会えず、慣れた場所に帰ることも出来ず、役目を終えるまで放置されるということだろうか。――やはりブラックじゃないかと言いたくなるが、追い打ちをかけるには気が引けた。
遅れて差し出された紙ナフキンを手にし、彼女は涙を拭い始めた。
「――食事とかはとらなくていいのか?」
「……はい、特に必要としません。――でも口にできないということもありません」
あまり元気のない声に気まずくなる。
「……朝食、うまかったよ。どうやって準備したのか知らないが、ありがとな」
顔を見ることはできなかったが、朝キチンと言えなかった礼を伝えた。
「料理は得意なのか? ――俺はご飯を炊くとか、味噌汁を作るとか、そういう簡単なことしかできない」
この空気の中弁当を口に入れるのがはばかれるため、箸で白米の上に載っている小粒梅をつつく。
「――さっきみたいに急にやって来られるのは驚くし困る。……せめてあんたのできることとか、何が好きだとか、――もっと自分のことを教えてくれないか? ……広告やらサイトやらで何か答えとか方法を探しているのかもしれないが、そこに俺はいないし、そこに書かれているのは俺の事じゃない」
行儀悪くつついていた梅干しを口に入れる。見た目と色通り、酸っぱいものだった。だが、この酸味が口に広がるのは、今の空気を打開してくれるような爽快感があった。
気を取り直して彼女を見据えた。先ほどの不安げな様子はなくなり、話をきちんと聞いてくれているようだった。
「昨日の今日で時間がなかったから、こうなったのは仕方ない。俺もあんたのことがまだよくわからないしな。――ただ、分からないことがあるならまず俺に聞いてくれ。それでも分からないときは話し合おう。――なんかうまくいかないときは調べてくれて構わないし、俺もどうしたらいいか考えてみるよ。……正直あんたの仕事を積極的に手伝いたい気持ちはないが、困らせたい訳でもないってことは分かってくれないか?」
「……確かに鷹浜さんについては、ここに載っていなかったですね。――勝手なことをしてごめんなさい」
手にしていたスマホを机の上に伏せた。手っ取り早く仕事を進めるためにやっていたことなのだろうが、安直な答えを求めることには同意できなかった。
「頼れるものが先輩の助言だけなんだろうが、実際に対面しているのは俺だ。――帰ってから話そうっていうのはそういうつもりだったんだが、今朝は時間がなくて説明不足だった。すまない。……明日から休みだから、その時ゆっくりお互いのことを話し合おう。分かり合える部分があればいいし、分かり合えないなら他にやり方があるはずだ」
正体がなんであれ、話が通じる相手ならやりようはあるだろう。――場所のせいか、彼女が姿勢を正しまっすぐこちらを向いているため、なんだか後輩に仕事を教えているような気分になる。こちらも背筋を伸ばし彼女を見た。
「一緒にいるつもりなら、そちらも歩み寄ってくれないか――。……目の前に人がいるのにひとりで飯を食うのは結構きついし、感想を共有できないのもつまらないもんだ」
肩を竦ませながらそう伝えた。
人間関係というものはすぐに互いを理解できなくても、関係を重ねることで少しずつ分かり合えるもだろう。言葉が通じても話が分からないやつなんて五万といる。――彼女がそういう手合いじゃないことを祈った。
「……俺にとって『付き合う』っていうのはそういう意味だ。急いで結論を出されるのは、正直好きじゃない。――手っ取り早く結論を出したいなら他を当たってくれ」
休憩時間も限られている。朝ほどではないものの、少し駆け足で食事をとった。――伝えるべきことは伝えた。その上で彼女が自分とどういう関係を築きたいのかが今後の鍵になるだろう。
机を挟んだ向こう側でずっと静かに話を聞いていた。考えてくれているならいいが、彼女が自分のことを優先したがるのであればこの関係はすぐにでも解消すべきだろう。
なにかためらうものがあるのか、徐々に視線が下へと沈んでいった。
「今すぐ結論を出すのが難しいなら、帰った時にでも――」
「――その、よく分からないんです」
絞り出すような一言が出て来た。
「……本来であれば、矢を使って相手に好意を持ってもらって、感情を高めれば仕事が終わると聞いていました。だから、矢がない今、どうしたらいいのか分からなくて……」
その矢を使用されなくてよかったと心の片隅でほっとした。――初めての現場で早々にイレギュラーに見舞われて、空回りしてしまうことなんてよくあるだろう。新人の頃の自分でもそういうことがあったなと思い出す。
「――ですが、大切なことは誰かに好意を持ってもらって、その感情エネルギーを使う、ということなので、契約した方に好きになってもらおうとばかり考えていました」
伏せられていた顔がこちらを向く。――不安そうな表情は相変わらずだ。
「私はクピドです。愛を持って接しているつもりでした。……でも鷹浜さんのこと、何も知らないって今のお話で気付きました。――だから、教えていただけませんか。鷹浜さんのことをきちんと愛するので、好きになってもらう努力がしたいです」
覚悟を決めた表情に変わる。きちんと対話しようとする意志が見えてほっとした。――しかし伝えられたセリフがまっすぐすぎて、少々眩しい。
くすぐったい気持ちをごまかすように視線が彷徨い、居心地の悪さを頭をかいて落ち着かせる。
「分かってくれればいい……。――改めてよろしくな」
「――はい! よろしくお願いします、鷹浜さん」
ぱっと笑顔に変わる様子を見て、胸をなでおろす。世界がどうのとかは今は置いて、この人物について理解してから、今後のことを腰を据えて考えればいいだろう。時間はありそうなのだから。