外堀を埋める女
始業時間には問題なく間に合い、無事にいつも通りの仕事が始まった。忙しさに昨日の事も今朝の事もすっかり忘れていたのだが――。
十二時を回ったころ、仲の良い同僚三人組が昼食休憩にオフィスを出るということで、一緒についていくことにした。他愛ない雑談やら仕事の愚痴やらを話しながら会社を出ると、
「お疲れ様です鷹浜さん!」
いつから待っていたのか、今朝も顔を合わせた彼女がいた。場所なんて教えていないのに、なぜここにいるのか――?
「知り合い? だれだれ――?」
同僚たちは突然現れた自分の知り合いに興味津々と言った様子で、自分と彼女を見比べながら話しかけた。――だが、突然のことに驚きすぎて反応が出来ない。
「はい、私は昨日から鷹浜さんとお付き合いをしているちくわと申します。どうぞお見知りおきを」
にこりと同僚たちに挨拶している。
「あ”!? 皆に見えてるの?!」
「見えてるもなにも、そこにいるじゃん」
普通に彼らと話す様子に、昨日の出来事は悪い夢だったんじゃないかと思い始めた。そういうドッキリでも仕掛けられていたのか――?
「つか、新しい彼女できたんか。よかったなぁ鷹浜ぁ!」
バシっと背中を思いきりたたかれ前のめる。――前の彼女とのことは彼らにも伝えていたため、彼女の今の言葉に祝福モードだ。
「どこで知り合ったの? というか、キミこの辺に勤めてるの?」
「――あんた、なんでここにいるんだ!?」
つい彼女に大声で問い質す。一同が驚いた様子でこちらを見るが、それどころじゃない。
「そろそろお昼かなと思って、近くまで来ちゃいました」
何が嬉しいのかニコニコと花でも飛んでいそうな笑顔を見せている。
「家の鍵どうしたんだよ――。預けた覚えがないんだが」
彼女が置いて行った鍵でも使ったのだろうか。こっちは受け取ってから既にどこに置いたかすら覚えてないのに、それを見つけて出て来たということだろうか。
「安心してください。セキュリティはばっちりです!」
「え、なに? もう同棲してるの? ――やるねぇ鷹浜くん」
「バッ、――違うわ! 帰るところがないってんで、昨日泊めただけで、付き合ってるっていうのも、コイツの茶番に付き合うって意味で……」
しどろもどろになりながら同僚たちに言い訳する。ーー流石に出会って数時間も経たぬうちに付き合うことになり、同棲までしているなんて話は荒唐無稽がすぎるし、かと言って世界を終わらせにきたなんてとんでもないことを口走られても困る。
「そんな! 付き合うって昨日おっしゃっていたのに……」
一気に表情が曇る彼女に、同僚たちの目線が痛く刺さる。
自分が天使だとか言われても困るし、昨日の出来事を知られるのもなんか困るし、もう彼女の存在全てが困る以外に形容し難くなりつつあった。
あそこで了承しなかったらもっとまずいことになってたかもしれないと説明したかったが、どこから手をつけていいか分からず、上手い言い訳も出てくる様子がなくもどかしかった。
「なんだ照れてるのか鷹浜」
「案外ウブなんだな鷹浜くん」
「こいつから前カノのこと忘れさせるなんてやるな君。ーー名前なんていうの?」
「鷹浜ちくわと申します」
「まさか電撃入籍……?」
同僚たちの言葉に気を良くしたのかご機嫌な様子を見せた彼女の発言に、神妙な顔で三人から見つめられる。
「籍を勝手に入れるな! たのむ、信じてくれ。本当にこいつとは何もないんだ!」
全身で訴えてみるも、彼らは俺よりも突如現れた彼女の話を信用するばかりで、ついにはせっかく彼女が来たんだからと彼女を自分のそばに押しやり、同僚三人だけでランチに行ってしまった。
「素敵な同僚さんですね。楽しい方ばかりで安心しました」
隣に立てて嬉しいのか、またニコニコと満面の笑みを浮かべ腕を絡ませてきた。
「……あんたって疫病神?」
「天使ですよ、鷹浜さん」
このやり取りも何度目か。だが動じることなく彼女からはこの関係に浮つく期待感を募らせているようでご機嫌な様子が伝わってきて、思わず脱力した。