紅の古刀
街外れの廃ホテルに俺は立っていた。
正面の自動ドアは中途半端に開き、足元のタイルはひび割れ、隙間から雑草が生えている。
学生が肝試しに好みそうな場所だと内心思いながら、耳の通信端末に手を当て、通話回線を開いた。
「目標の建物へ到着したぞ。綾羅木」
{こっちも配置についた。状況を開始しよう、燐}
通信端末から綾羅木と呼ばれた少年の声が合図を告げると玄関からホテル内へ踏み入れた。
ホテルのロビーは昼間とは思えない程薄暗い、視線を右へ移すと受付のカウンター、正面へ移すと2、3人掛けのソファーとテーブル、テーブルの上や足元には空き缶や煙草の吸い殻が転がっている。どうやら、ホテルに入る前の予想は当たっていて不良達の溜まり場になっていたのだろう。
そして、ロビーの奥、通常は光量を取り入れる為に窓となっている筈が、今は厚手のカーテンで閉じられて、全貌を把握できない状況となっていた。
俺は暗闇の先を照らそうと懐からライトを取り出そうとしたが、手を止めた。何故なら、暗闇の中、ゆっくりと立ち上がる影を捉えたからだ。思わず、懐から左手に持った布に覆われた長モノ、封を閉じている糸へ右手を滑らせ、それらを凝視する。
それは泥や埃で汚れ切った男達だった。共通性のない服装と髪型、大学生くらいの年齢の男達だが、顔には生気が全く感じられない上、猫背で足元も覚束無い夢遊病者のように見えた。数にして3人、このホテルを飲食をして遊んでいた者達だろう。
「こんな場所で遊ぶから、そうなる」
俺は愚痴るように呟けば、一歩前へ踏み込んだ。靴がロビーを踏む音が響くと男達は一斉に俺へと顔を向け、空腹に我を忘れて食料に群がる人達のように俺へ向かってくる。
「人食鬼の存在を確認した、やはり奴等が根城にしていることは間違いないな」
{もう助かる見込みはない処分しろ、燐}
「言われなくても!」
俺は通信端末で綾羅木と会話を続けながら、右手が長物を包んでいる布袋の封を解けば現れるのは日本刀、その柄を掴み、抜刀。
先頭を走っていた人食鬼の薄汚れた指先が俺の髪を掴もうとしたが、抜刀した刃が腕を通過。人食鬼の腕は慣性に従い、天井近くを舞い上がる。
俺は、そのまま返す刃で刀を振り落とし、人食鬼の右のこめかみから刃は侵入、顔を横断し、左の頬から通過した。
人食鬼の頭部が重力に従い、胴体から落下。糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちる様子をを確認する前に、二体目の人食鬼へ視線を移し一閃。首筋に刃が喰らい付き、胴体と分離、頭部が舞い上がり、地面に落下すると鞠のように跳ねた。
俺は三体目に視線を写すと懐から小型のナイフを取り出し、投擲。ナイフは男の眉間に突き刺さり、頭を大きく仰け反らせた。
その瞬間、頭部が発火。蝋燭のように燃える頭の人食鬼は膝から崩れ落ち、倒れた。
「茶番はこれくらいにしたらどうだ?」
俺は呆れたような口調でロビーの奥へ問いを投げ掛ける。問いを投げた先、蝋燭と化した人食鬼によって、光の入らない奥の光景が映し出されていた。
そこには最も奥のソファーには青年が座っていた。青年の服装はこの場所には似合わないようなスーツ、シャツは新品のように白く、気品に満ち、顔立ちはそれは誰が見ても振り向きそうな程、整っている。だが、病的な表情な程白い肌は青年の美貌を一段階、評価を下げていた。
そして青年は俺と同年齢程度の少女を抱き抱えていた。少女の意識がないのか、手と足は力なくぶら下がり、首筋には丸い傷穴が二つ、そこから鮮血が流れている。
「はぐれの吸血鬼か、こんな辺境にご苦労な事だな」
「そんな事はないさ、今は何処でも直ぐに飛んでいけるからな。便利な世の中だよ」
目の前の青年は人間ではない。人食鬼を従え、人の血を啜り、暗がりを好む性質、古来から吸血鬼と呼ばれる存在が俺の前で口元を歪めて笑っていた。
「しかし、もう追っ手が来るとは、この国のハンターは勤勉だな」
「それがこの国の特徴だからな」
こちらも不敵な笑みを浮かべて返す。古来、妖怪退治で有名な摂津源氏の流れを汲む武士団が時代と共に形を変え、あらゆる超常現象の管理下を置く組織へと変貌した。名を「テトラ」と呼び、俺はその実行物隊の一人と言う事だ。
「その刀で私を斬るのか、それよりも私がこの女の頭を潰す方が早いぞ?」
吸血鬼は刀を向けられているが、余裕の表情を浮かべたまま、吸血鬼の青年が少女の頭部を無造作に掴む。
僅かに力を入れたのか、少女が痛みで表情を歪めるのを様子を俺は舌打ちしながら、刃を下ろし、半身を引いた。俺が陰になっていたお陰で見えなかった玄関からの零れる光に、吸血鬼は忌々しく双眸を細める様子を俺は見逃さなかった。
「お前は何で俺が一人だけでここへ来たと思っているんだ?」
俺はうんざりした表情と共にため息混じりで、吸血鬼へ告げた。次の瞬間、銃声が燐の後方で響き渡る!吸血鬼は驚愕の表情と共に側頭部の皮膚を削り、鮮血が吹き上がった。あの一瞬で首を捻り、回避したようだが、その隙は逃さない!
俺は吸血鬼へ踏み込み、刀を一閃。右腕を手首から切断。少女の拘束を解き放つと、彼女を抱き抱え、距離を取る。更に追撃の銃声が響き、弾丸が吸血鬼を襲うが、相手は身を翻し回避。文字通り鬼のような形相で少年を睨み付けてきた。
「おのれぇ、こそこそと隠れて卑怯な奴らめ!」
「俺達は別に決闘をしにやってきたわけじゃないんだ。卑怯もクソもあるかよ」
吸血鬼の悪態に対して、俺は軽口を返す。
そして、負傷し、人質も駒も失った吸血鬼の輪郭が陽炎のように揺らぐのを確認し、すぐに叫ぶ。
「ならば私も早々に退散させて貰おう」
「綾羅木!やつが逃げるぞ!」
叫び終わるよりも早く、背後から追撃の銃弾が発射されるが、吸血鬼の肉体が煙のように霧散し、消滅。
足元に転がっていた吸血鬼の右腕も炭化し、崩れ去るのが確認できた。
「ちっ、状況終了だ。綾羅木、負傷者が居る、応援を呼べ!」
俺は吸血鬼を取り逃したことに舌打ちしながら、気を失った少女を抱き抱えたままホテルを去るのだった。