タンドリーチキンは突然に
二人のやりとりを気楽にお楽しみください。
夜7時のオフィス街、その闇はまだそれほど濃いものではない。特に俺たちのような裏家業の人間が馴染むほどの深い闇になるにはもう少し時間がかかるだろう。
俺と相棒のヤスはとあるビルの前にいた。7階建てでそれほどの大きさではないが、スタイリッシュで豪華な玄関や磨き抜かれたピカピカの全面ガラスは中々のクオリティを見せている。このビルにオフィスを持っている事業所はやはり中々のグレードということになりそうだ。
「イケメン口は…いや、正面口はまだ開いてるんですね」
ヤスの質問に俺は答える。ほぼ初対面とはいえ今晩の相棒であり、ある意味命を預ける相手だ。ちゃんと話を理解させておかなくてはならない。腕は間違いないらしいが心配な男だ。…まだ時間はある。
「ヤス、この7階建てのビルには12の会社の事務所が入居している。このビルのセキュリティはこうだ」
ビルは午後8時00分まで正面玄関が開いている。その時間が来ると警備会社が戸締まりをし、それ以降の出入りは裏口の非常階段側に回ることになるのだ。
「するとあと1時間でこのショーンペンの限界が…いや、正面の玄関が閉まるわけですね」
「…そうだ。それまではそこに合同で雇っている受付がいるし、もちろん24時間監視カメラが回っていて、俺たちが入っていけば目立つこと間違いないだろうな」
そうなのだ。正面突破は普通なら危険だ。
「おしっこ、ジョーで快感は…いや、非常階段は人がいないんですか?」
何がおしっこだ、この野郎。非常階段が無人だったら話は簡単だ。しかしもちろんそんなセキュリティはない。この裏口はまず警備会社の出すカードがないと開閉ができない。それで扉を開けるとビルの守衛が午後8時30分からそこを見守る。おまけに午後10時と0時、そして明け方のどこかで警備会社の見回りが行われる。むしろ昼より出入りは制限されるかもしれない。
「そしてもちろん、こちらも24時間監視カメラ作動中だ。エレベーターもな」
「結構厳しいヘビー体重…いや警備体制ですね。アニサキス…いや、兄貴」
そう、そこまで聞くとこのビルの3階にある黒々商事の事務所に忍び入るのは不可能に感じる。だが、俺には組織から受け取った貴重な情報が2つある。ひとつはお宝について、もうひとつは警備会社の情報だ。この黒々商事は大きな現金取引を2日後に控え、隠し金庫に相当の現金を置いているらしい。まあ、今どき現金取引という時点でこの会社の怪しさがわかるというものだ。ところでこいつ人を寄生虫呼ばわりしやがったな。
「そして、もうひとつ、セキュリティについてだ。今夜のみ、今夜のみのチャンスがある」
ヤスが眼をパチクリさせた。
「コンニャク何かいいわ…いや、今夜何か変わったことがお好み焼きですか?…いや、起こるんですか?」
「…そう、今夜は警備会社のセキュリティシステム点検があって、システムとカメラがほんの30分停止する。それが8時から8時30分の間、そして黒々商事は仕事の打ち上げで7時前には全員が退社する。ということは?」
「がまぐちのデイリーが…いや、裏口の出入りがその30分はノーチラス号ってことですね…いや、ノーチェックってことですね」
「そうだ。それでもその時間はいつもの黒々商事だったら、半数以上の社員が残業していて問題なかっただろう。だが今夜は無人のはずだ」
「でも、よいこ濱口から…いや、裏口から入っていっても他の会社の社員に見られたら、邪馬台国じゃないですか…いや、ヤバいんじゃないですか」
「…邪馬台国はおいといて、まず、この黒々商事、知っての通り闇金と地上げ中心のまともじゃない事業所だ。ここに入っていく連中と他の事務所の人間は関わり合いを避ける。それに黒々の連中はその現金の出所など警察には訴えにくいことがてんこ盛りだ。多分、通報しないとみた」
「鳴門巻きほど…いや、なるほど」
ヤスも組織から斡旋された解錠屋だが、やはり問題がある。主に俺が我慢できるかどうかだ。
「あまりにも多くの人間に目撃されたり不審に思われたり、まだ黒々商事に誰か居たり…要するにこれはマズいと思ったら、何もせずに出てけばいい」
「ラスクは意外と…いや、リスクは意外とスクナヒコナですね…いや、少なそうですね」
「そうだ。後はお前の技術とその、ナニだけだな」
「マカロニ煮てください…いや、まかいの牧場してください…いや、任せてください」
最悪の相棒、ヤスは自信ありげに笑った。俺も力なく笑うしかなかった。
時間がそこまでたっぷりあるわけではない。俺たちは目立たない程度の変装をする。といっても時節柄マスクはおかしくないわけで、そこはありがたい。俺はそれに加えて黒縁の眼鏡を、ヤスは自分の坊主頭に比較的ボリュウムのある天然パーマのカツラをかぶった。服装はこのオフィス街ではまったく目立たないであろう灰色のスーツだ。ここから3階の黒々商事事務所までは自然に振る舞うことが肝心である。
「ヤス、わかってるだろうが、他の社員を意識しないで入り口を突破するんだぞ」
「わかってますって。ナメネコの子をしごいちゃってる…いや、何年この仕事やってると思ってるんですか。兄貴こそあんまりC-1000-55でマッスルにムキムキで…いや、視線を真っ直ぐにしすぎて不自然にならないよう気をつけてください」
もう何を言ってるのかよくわからないが、それもそうだ。来客がまったく周囲に気を遣わないのも不自然だ。俺はさりげなくヤスと会話をしたり、出入り口をグルリと見回したりしながら堂々とビルに入った。俺たちの他にも結構人の出入りがあり、ほとんど目立たなかっただろう。
俺とヤスは予定通り5分後には黒々商事の事務所前に立った。
「ヤス、出番だ。5分以内にドアを開けろ」
「もうやってます。朝立ち前ですよ…いや朝飯前ですよ」
「…頼もしいな」
頼もしくないけどな。俺は周囲を伺いながら、その間に室内で使う道具を揃えておく。
3分もしないうちに『カチャリ』と音がしてドアの鍵が開いた。
「早いな」
確かに早い。感心して俺が呟くと、ヤスが得意そうに鼻を鳴らした。
「朝立ちだけにね。フフン。ファミチキが食べたいんだじょー…いや、旧式のシリンダー錠です。簡単にもほどがありますよ」
…意味がわからない。二人で事務所の中に入っていく。情報では赤外線などの防犯装置はない。次は一番奥の社長室、最後の関門はその中にある金庫ということになる。我慢するのだ。こいつはたぶん病気なんだ。冷静に、最後まで気を抜くな。
社長室の鍵も同じタイプでヤスはものの5分かからず解錠した。部屋の奥、大きなデスクのさらに奥に大金庫が見える。
「ヤス、いよいよ本番だ。…ここまでは我慢してきたが、この解錠だけは真面目にやってくれ。情報では解錠の手順を間違ったり、強引に開けたりすると即非常ベルが鳴り響いて警備会社が駆けつける。真剣に!シリアスに!…とにかくふざけないで取り組むんだ」
「何ですか。今までペンキ屋をやっていた…いや、適当にやってきたみたいじゃないですか。グッジョブですって…いや、大丈夫ですって。チンパンジーシナ半島くさい…いや、心配しないでください。チューチュートレインしてますよ…いや、集中してますよ、俺は」
「…始めてくれ。頭痛がする。もう喋るな」
「日本海です、オホーツク海です、東シナ海です…いや、了解です。マーカス・セミエン、マーカス・エバンズ…いや、任せといてください」
俺は金庫の前に座りこんだヤスの背中を見ながら、自分の怒りでブルブル震える手を押さえた。
ヤスが鼻歌交じりに金庫の解錠作業を始めた。大丈夫なのか。…大丈夫だ、組織は腕だけは確かだ、と太鼓判を押していた。落ち着け、落ち着け、俺。
「ここんとこを、こう入れて~、フフンフン、金庫破って禁固5年~、解錠解錠あしたのジョー、フフフンフン、こっちのダイアルをこっちに回して、こっちの恋のダイアル6700~、おっ、いけるかな、うん、もうちょいだ。カチカチカチのカチカチ山っと。常用漢字いい感じ~」
俺はすでに背中のホルダーに念のため入れてきた拳銃を手に安全装置を外していた。この馬鹿のせいで失敗したら、絶対まず殺す。有明コロシアム、絶対コロシアム。…なんだ、感染っている。
「開きましたよ。でもこれはオーシャンフロント・ヴィラ…いや、二重扉ですね。もう少し待ってください」
「…黙ってやれ。時間がないし、俺の精神的限界も近いんだ」
「おや、ジェンガが近い…いや、限界が近いんですか。…何の?」
「いい還元に…いや、いい加減にしろ。コロンブス…いや殺すぞ」
「兄貴も、親分子分ずいぶんブンブブンいい感じですね。この調子でフロウ&ライムをつけて乗ってきましょう。悪そな奴らはみんな友達です」
俺の中の馬鹿ダムが決壊した。
「…早く開けろケロケロ。カエルが泣いてるけどまだ帰らないぜ。デストラーデ、アミラーゼ」
ヤケクソになった俺が適当にリズムを刻む。いよいよ末期的だ。ヤスが応える。
「オウ、イェス。金庫の鍵開ける俺、禁固で泣く俺、カフェオーレ。手早く開けるぜ、アミラーゼ」
…アミラーゼを真似したな。何だか俺も出るドーパミン、このまま眠くなったら仮眠、ジャスミン、早く金庫開けないと大貧民。よくわからないけど聞こえるサイレン、俺に降りかかる試練、このままここにいたら逃げられん。
時間が掛かりすぎたことと無意識だったが事務所の中で大声を出したことで通報され、俺たちはあっけなくお縄になった。連行されるパトカーの中で俺はヤスをにらんだ。
「ヤス、お前のせいだぞ。せっかく最後の鍵までたどり着いたのに…」
「いやあ、兄貴も途中からノリノリだったじゃないですか。大概俺のダジャレでリラックスしてうまくいくのに、まさか一緒にラップし始める人がいるとは、山口さん…いや、ぐっさん…いや、誤算でした」
「俺だってやりたくてやったわけじゃない。怒りと焦り、インゲルメルリを抑えるために同調してみただけだ。同情するな。どうしょうもない」
「それにしても馬鹿なつかまりぶきさとし…いや、捕まり方しましたね。とんだクロレッツに…いや、黒歴史になりましたよ」
それまで黙って聞いていた隣の警官が俺たちを睨む。
「もう黙れ。だが取り調べでそれをやったら許さんぞ」
ヤスが思わず恐縮して背筋を伸ばす。
「素直にジンジャーとチャーシューを食べます…いや、事情聴取を受けます」
俺もうなだれる。
「俺ヘマして、ヤスに邪魔されて、警察にかまされて、すっかり意気消沈、警察だけにデ○チン。今後の人生考え直すいい機会、取り戻せ金塊、俺の心の変化奇っ怪」
警官が呆れて俺とヤスを交互に見て、ため息をついた。
「こんな馬鹿な強盗は初めてだ。天国へ行けよ。FOOL GO TO HEAVEN!」
言葉遊びを頑張ってやってみました。ラップなどやったことがないですけど、フリースタイルの人って凄いですよね。書いてみてこれを(いやこんなのダメダメですが)アドリブでやるなんて信じられません。