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あめのおと

作者: 花成実

あっさりとした詩的なものが書きたくて。

 雨が降る時「かたん」と音がすると言ったのは誰だっただろうか?

 たった今別れを告げた彼の声を聞きながら私は窓に目を向ける。

 かたん。

 と聞こえたから。

 さぁーっと清々しささえ覚えるような音を立てて雨が降る。


「レイン……どうして……」


 雨宿りに翔ぶ鳥の声を拾いながら彼に視線を戻すと彼は傘がないような顔をしていた。


「どうして? アース。あなたがそれを訊くの?」

「……サンディのことか……」

「彼女に言われたわ。彼を解放してあげてください! ですって」

「何を馬鹿な事を……」

「そうかしら?」


 ぴちょんと落ちる様になった雨垂れを聞いて私は微笑む。


「あなた達が同じ宿から出てくるのを見たわ」


 あれは朝露の光る白い日だった。


「あれはっ」

「あれは誤解? ではお屋敷の庭で口付けていたのは?」


 夕立が来るよと知らせに行ったのだけれど、とてもそんな事は言えずにそっと引き返したのを憶えている。

 びっちょりと濡れて戻って来た彼はひどく複雑そうな顔をしていたけれど。


「それも事故なんだ……」

「へえ……?」


 ピタピタと窓を打つようになった雨粒に皮肉に微笑む私の顔が沢山増える。


「でも、あなた私とは一度もキスしなかったわ」


 手が触れ合う事もほとんどなかった。

 抱き締めてくれる事もなかった。


「レイン……」

「今日の話はこれでおしまい。後日また書類を送ります」


 彼の目が何故か水溜りのようになったので私はなるべく優しく笑ってそう話を切り上げた。

 もう彼の顔は見ないでなるべく優雅に見えるように礼をしてそこを出る。

 土砂降りになった外は視界が悪くて少し寒くて。


「レイン様、せめてもう少し雨が弱くなるまでいらしてください。主は部屋に戻っていただきますし、例のご令嬢は部屋から出しませんので」


 気遣わしげに、それでいて少しおどけて、もう長い付き合いの老執事がそう言ってくれる。

 ドアを開けてくれている彼もこのままでは濡れてしまうだろう。

 私は苦笑してそれに甘える事にした。

 この天気では車を牽く馬が可哀想だ。


◇◆◇◆◇


 執事のタームは私とアースが婚約した時からの付き合いになる。

 絵に描いたような完璧な身のこなし、それでいて気安い言葉回しなども併せ持つ大変できた執事である。

 彼はほんの少し待つように私に言うと強い風が木の葉を揺らす間に戻って来て案内をしてくれた。

 再び通されたサロンにアースの姿はなく、私は座っているように勧められたソファに軽く腰掛けて息を吐いた。

 お茶を淹れてくれるというのを待ちながら雨粒が叩く窓に映った自分を眺める。

 雨雲のような薄ぼけた暗い色とやはり雲のような柔らかすぎて上手くまとまらない髪。

 晴れそうで晴れないあの空のようなブルーグレーの瞳。

 それぞれのパーツの形は悪くないはずなのだけれど今一つピンとこない容姿は雨の日のようで陰気だと陰口で聞く。


「カビが生えそう……か」


 誰もいないのをいい事に自嘲して呟けば息で曇った白さが本当にカビに見えて少しだけ眉を顰めた。

 傷付かないわけではないのだ。

 表に出さないだけ。サンディのように、不満で顔を顰める事はしないし、できない。

 サンディは輝く金髪と爽やかな青い目の娘だ。

 夏の空のようなコントラストの彼女はキラキラとよく笑い、その内にある感情をよく見せる。魅せる。

 何人の男性がヒマワリのように彼女を見つめ、そして萎れたのだろう。

 そしてアースも……


「だめね……」


 ほんのりと苦笑して頭を切り替える。

 もう終わるのだ。

 雨雲で薄暗くなった庭に打ち付ける雨は、素直に真っ直ぐに落ちて、大地の上を滑ってゆく。

 流れずに水溜りだらけにして、覆い尽くして、何も見えない濁った湖にしてしまえばいいのに。

 ──そんな風に真っ直ぐに盲目的に包み込めたら良かったのに。


◆◇◆◇◆


 タームが淹れてくれたお茶は馴染みのある私が一番好きなお茶だった。

 レディグレイ。まるで私のような名前のそのお茶。


「アース様もこれが一番好きなのですよ」

「……はじめて聞いたわ」


 茶葉の缶のラベルをなぞりながらタームが言うのに私はぼんやりと答える。

 今更、好みを知っても仕方がない。

 パシャパシャという雨樋を水が落ちる音が良く聞こえるようになってきたのは雨足が弱まってきたからだろう。

 そこに混じってくる少女の高い声。

 静かになると聞こえてくる、大きなはっきりとした高い声。

 彼女は声まで光のように突き刺さる強い娘。


「私は、だめね……」

「レイン様」

「ごめんなさいね。変な気まで遣わせてしまって」


 苦く笑えばタームは重く首を振った。


「はしたないなどと思わずにどうぞ聞いてください」


 雨の音ならずっと聞いている。

 静かに世界を煙らせて、木の葉から、屋根からリズミカルに滴る音。

 その静かな騒音の中に光のような声。


「これでアースは私と婚約できるわね?」


 息が思わず詰まった。


「どうしてそんな話になるんだ。私は君とは何もない。陛下御自ら頼むから預かっているだけだ」

「あらー? レイン様とは婚約破棄なさるのでしょう?」

「それと君とは関係ない」

「関係あるわ! あなたが独り身ならなぁって陛下はおっしゃってたもの!」

「だとしても! 私はレイン以外と結婚する気はない」


 思わず首を傾げる。

 若い男女が同室にいるのだからドアが開いているのだろう。

 おかげで話はここまではっきりと聞こえるのだけど。


「ターム。彼らはなんの話をしているの?」

「そうですね。強いて言えば今後のお付き合いについてでしょうか……」

「あの二人はもうそういう仲だったのではなかった?」

「少なくとも当家にいらっしゃる間は常にあのように、ご令嬢が言い寄るとアース様が逃げてらっしゃいますね」


 再度首を傾げる。


「キスしてたわ……」

「情けないですよね。不意打ちとはいえ奪われるような教育はしてなかったつもりなのですが。あれは教育係の私にも責任があるかと……申し訳ございません」


 ぴちょんぴちょんと水音が響く。


「朝に同じ宿から出てきたわ……」

「あれは、あちらのご令嬢が無断外泊なさったのを迎えに行っただけでですね。暴れるからと抑えていたところを見られてようで……全く間の悪い主人です」

「無断外泊?」

「ええ。まあ、少なくないですよ。陛下からお預かりしているお嬢様なのでその都度探し回るのですが、アース様以外が迎えに行くと先方の男性が離さないからとかなんとか言い出しましてね。結果アース様が毎回迎えに行くことになるのです」

「…………ええと……」


 理解が追いつかない。

 何人もの殿方が彼女に愛を囁いていたのは知っている。

 しかし宿とは……それは……。


「陛下からお預かりしたお嬢様……」

「はい。おかげさまで当家はいい迷惑です」


 きっぱりと言い切るタームは意地悪に笑った。


「レイン様。どうかアース様の話を聞いてやってください」

「でも……何も言ってくれないのよ」

「今までのヘタレっぷりは教育係であった私にも落ち度がありますな。申し訳ない」

「え? え?」


 タームに頭を下げられて思わず令嬢らしからぬ声がしまう。

 全て誤解と言われても──


「いい加減にしてくれ!」


 一際大きな声に思わず肩を竦めるとタームは苦く笑う。

 ずっと聞こえていた雨音が遠くなるように聞き耳を立ててしまっている。


「私はレインだけを愛している」


 夕立ちよりも大きく鼓動が鳴った。


「うそ……」

「叫ぶ前にご本人に伝えるべきでしょうに。ねぇ……」


 呆れたようにタームは言ってにやりと笑う。


「雨もだいぶ弱くなりましたな。……さあ、いかがなさいます?」


 慈雨と呼んでいい柔らかな雨が外に見える。

 晴れよりも雨がいいなんてこともあるのだろうか。

 水溜りにいくつもの丸が浮いていて、私は腰を上げた。


「彼と話を──」


拙いものをお読みいただき、ありがとうございました。

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