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普段よりも長く感じた冬もようやく終わり、エルフの里に春が到来した。未だ寒さは残っているものの、木々の香りを包んだ風が身体を温めてくれる。
「それじゃ、今日も狩りに行ってくるよ。ミーナ」
木造の家の玄関で眩しい朝日と美しい自然を背に、筋骨隆々とした男が朗らかに話し掛けて来る。
ミーナの視界には、今までと何一つ変わらない日常が映っていた。
「うん、行ってらっしゃい。アレク……」
だが、ミーナは陰気臭い顔をする。
普段は笑顔で交わしていた見送りの挨拶もどこか機械的で、元気に外へ駆けていく夫を白い目で見送っていた。
夫が視界から消えたのを確認して、そっと手を自身の首に添えれば、冷やかで硬い金属の感触を得る。
首に嵌められた金属の存在を感じる度に、悪い夢だと思いたかった一連の出来事が現実だと思い知らされ、どうしようも無い虚無感に苛まれるのだった。
襲撃から数ヶ月、里の内情は大きく変化していた。
まず、里に住まうエルフの数が大幅に減少した。
襲撃後、人間は重症を負ったエルフを貴重だからと言って懇切丁寧に治療してくれたのだが、襲撃で消えた命まで戻ってくる事は無かったのだ。
古老を中心に、数多のエルフがこの世を去った。
消えた命は、それだけでは無い。
避難民の一部であった、余りに年老いた老人や怪我で身体の一部が欠け身体を満足に動かせなくなったエルフ。戦力にも労働力にもならない彼らが、人間に「無能」だと断定され、人体実験と称した理不尽で間引かれたのである。
今や、里に残るエルフは襲撃前の七割にも満たなかった。
敵だ。悪魔だ。ミーナは何度も心中で人間を罵った。だが、ミーナには罵倒や不平不満を口に出す事が出来なかった。
他のエルフに至っては、惨憺たる扱いを受けているにも関わらず抵抗する様子も無く、寧ろ人間を慕っているようであった。
それが二つ目の変化。
再度気を失った後に目を覚ませば、同族達は大いなる自然を敬い、身を捧げ、共存する存在では無くなっていた。
人間の手によって思想や存在意義までも歪められ、悪魔じみた男を崇拝するようになってしまったのだ。
唯一の例外はミーナだ。
ミーナだけは、人間に歪められずに済んでいる。
しかし、首には銀色に光る円環――隷属を強制する首輪が嵌められ、反抗出来ない身にされていた。
最早、自然を慈しむエルフはミーナを除いてどこにも居ない。護りたかった里は、どこにも無い。
ここに在るのは、かの悪魔の事だけを考えて動く壊れた狂信者と、それらが住まう巣窟だった。
そして三つ目の変化は、族長としての仕事関連だ。
鉱脈採掘の奴隷
ミーナが一番族長の仕事に慣れているという実に合理的な理由で、襲撃後も族長としての役目を任されていた。だから、今日も無心で増築された中央の屋敷へ訪れる。
「おはようミーナ、今日も仕事頑張ってね〜。人間やエルフのホムンクルスをそろそろ生誕させる予定だから、その辺の準備もよろしく〜」
重い足取りで屋敷の一室に入ったミーナを笑顔で出迎えたのは、ツグミという名の人間だった。彼女の隣には研究対象らしき一人の女エルフも居る。
彼女はあの悪魔から信頼されている部下であり、この大きな屋敷を使ってエルフを中心とした研究を行っている。具体的に言えは、ホムンクルスの生産と不老不死の実現に関してだ。
ホムンクルスとは、子供の元であるジュセイランという物から作られる人工的な生命体で、シリンダーとやらの容器に数ヶ月入れるだけで勝手に大人まで成長するらしい。
そこから心臓を移植する事で、生命体として活動させる事も可能なのだとか。
何とも気味悪く、ふざけた話であった。人工的な生命体? 数ヶ月で成長? 自然の摂理に真っ向から反した、冒涜的な単語の数々。耳にするだけでもおぞましい。初めて詳細を聞いた時には、思わず吐きかけた程である。
この地でホムンクルスを増殖しようと言うのだから、地獄以外の何物でもない。きっと、大半のエルフ達は喜んで歓迎するのだろうけど。
そしてミーナは、ツグミから生誕したホムンクルスの分の食料や家等々、生活基盤を整えるのを任されていた。
聞くところによれば、エルフは肉体を研究に用いるだけなので生誕させる気は無いが、人間は何体かを生誕させて研究の助手や鉱脈の開拓に用いる予定らしい。
忌避感は当然ある。こんな忌々しい仕事など投げ出してしまいたい。が、逆らう術が無かった。
ミーナは素直に進捗を述べる。
「はい、その件に関しては問題ありません。既に準備が出来ていますので……」
「あり、もう大丈夫なの? ミーナは優秀だね〜」
(優秀……違うんだけどね……)
ミーナは胸中でツグミの勘違いを否定する。
ホムンクルスの分の食料や家は、襲撃で死んだエルフ達の分で賄えた。皮肉にも彼らが亡くなった事で、族長として管理するべき人員が減り、物資にも余裕が出来て、仕事が円滑に進むようになったのだ。
襲撃された一因が自身にもある事を思えば、とても褒められた事では無い。本来、責められて然るべきなのだ……。今までミーナの咎を責め立ててくれた人は、もうこの世には居ないのだが。
暗い思案に沈んだミーナを他所に、二人の会話が一区切り付いたと判断したのか、ずっとツグミの隣で黙って会話を聞いていた一人の女エルフがこちらに向かって喋り始める。
「そうそう、族長さん! 私もようやく、子を孕む事が出来たんですよっ!」
「うんうん、順調だね〜。これで里の女は皆、子を孕めたかな? その調子で次も頼むよ〜」
女エルフは誇らしげに腹を誇示し、ツグミも上機嫌で同調した。
男のエルフは、狩りをして食料の確保や魔物の間引きをしつつ、鉱脈の開拓をしてそこで得た鉱石を用いて里の防衛設備の強化を進める。
女のエルフは、里内で農作業や家事をして男エルフを支えつつ、子を成せる成熟した者は行為をして孕め。
それが悪魔からの指示だった。
「えぇ……良かったわね……」
「主様も喜んでくれる事でしょう! 私の子は普通に産むそうなので今すぐに第二子を孕めないですが、誠心誠意この子を頑張って育て上げますよっ!」
改造された女エルフは、その指示に喜んで従っている。生まれる子に対する愛情も、やはり無い。彼女に産み育てられる子が、ほんの少しだけ憐れだった。
果たして、そこまで子を増やして何に使うのか?
決まってる、不老不死に関する研究の為だ。まだ本格的には研究は始まっていないらしいが、今後エルフの身体に色々な事を好き勝手されるのだろう。
ミーナとしては、せめて我が子だけでも真っ当に扱われて欲しかったが、その願いは既に打ち砕かれている。ミーナの子を含む一部は、孕んだと分かった瞬間にジュセイランの状態で取り出され、シリンダーに入れられた。
人体実験で直ぐに肉体を使えるようにしたいから、とりあえずホムンクルスとして急成長させる。それがツグミの言い分だった。我が子はたったそれだけの理由で、真っ当に生きる道を閉ざされたのだ。
彼女の子は、エルフの子孫を残す為に取り出されず済んだのだろう。普通に産ませて貰えるだけでも些か羨ましかった。
が、そんな嫉妬の感情も無意味だ。どうせ生まれた子も、悪魔を崇拝する狂信者に成り下がるのだから。
ミーナは愛想の仮面でツグミ達との会話をやり過ごして、部屋を出た。俯きながら、長い廊下を弱々しく歩く。
思えば、襲撃以降本心から笑った覚えが無かった。
誰かと会話をしても、アレクと夫婦がましいやり取りをしても、彼らの心の奥底に住み着く悪魔が顔を覗かせてしまい、陰鬱な気分になってしまう。
目も当てられない変貌を遂げた里の惨状、そして、実の娘の異常性に気づけず容易に欺かれた愚図の証である首輪、その二つがミーナの心を蝕み続けていた。
いっその事、自分も彼ら狂信者の仲間入りした方がマシだった。襲撃で死んだエルフの霊魂に囚われる事も無く、複雑な感情を抱いて苦しみ続ける事も無い。その方がどんなに幸せだろうか。
そう考えたのは一度や二度では無い。
だが、悪魔とアンナはそれを許してはくれなかった。自ら命を絶ったり心を壊したりと、辛い現実から逃げる行為を隷属の首輪で制限された。
一応悪魔は人間なので寿命はかなり短いはずだが……不老不死になればそうとは限らない。あの悪魔ならば、不老不死を実現してみせるかもしれない。
そうなれば、残りの一生をこの現実と向き合いながら生きていく事になる。永遠に感じる程、長い生涯を。
それを人は……生き地獄と言うのだろう……。
「お母さん! 相変わらず辛気臭い顔してるねー!」
不意に正面から声を掛けられて、反射的に顔を上げる。
そこには、裏切った娘であるアンナが居た。蔑むような嘲笑うような、とても母親に向けるものでは無い視線を送っている。
「っ……」
襲撃後から彼女は悪魔の仲間に加わり共に行動しているのだが、定期的に里に戻って来ては襲撃に関する事を言ってトラウマを刺激し、ミーナの表情や反応を楽しむのだ。
母娘の関係は崩壊して、ミーナはアンナの戯具と化していた。
(もっとアンナを見て本性に気付けていたら、変わっていたのかな……)
気付けていれば、今程悲惨な状態になってなかったのでは無いだろうか。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。やってみなければ分からない事だ。もう手遅れなのだから、考えた所で何の意味も無いのだが。
「んー、返事は無し? まぁいいや。今日は揶揄いに来たんじゃなくて、報告をしに来たんだから」
「ほ、報告?」
何一つ大きな変化の無かった鬱々たる日々に初めての事案が起こって、ミーナは僅かばかりの希望を抱いた。
「うん。そろそろ人間の世界でも本格的に暴れるから、暫く里に顔を出せなくなるんだよねー。それを伝えに来たの!」
「そう……」
ミーナは口ごもる。抱いた希望は容易く消滅した。
本当に唯の、大した意味も無い報告だ。
彼女の事だから、外の世界でも沢山の人を苦しませようと動き回るのだろう。人間は敵対種族だから苦しませる分には悪くないはずなのに、何故か空虚な気分になる。
「良い顔してるねぇー! じゃ、そんな訳でお母さんも引き続きお仕事頑張ってね。そろそろ研究も本格的になるから、忙しくなるよー」
アンナは不安にさせる言葉を言い残して、そそくさと立ち去って行った。
見送る形で外を見れば、土からは新芽が生え木々は花を咲かせ、各々の植物が自由気ままに育っていた。
箱庭のような美しい自然で、襲撃で更地にされた跡形は残っていない。アンナが植物を操る素質を持っており、それで元通りにしてくれたのだ。父親は自身の能力に関して何も言わなかったが、きっと同じだったのだろう。
ミーナは立ち止まって、外に広がる風景を一望する。
平穏で、自由で、幸せだった……もう二度と戻る事の無い日常の記憶になぞらえながら。
孤独で、虚しくて、過去の思い出に囚われる……生き地獄が待つ未来から目を背けながら。
エルフ編、無事に完結です。
ここまで読んで下さった皆さん、良き年をお迎え下さい。
一月四日 後記
エルフ編はこれにて終了です。
次話からはスミア王国編・後編になります。
この度、総合評価が300ptを超えました。
ブックマークや評価ポイントを頂けて、大変励みになっております。感謝を申し上げます。
次の更新は三月末までには行う予定です。
この作品の今後の展開に関してですが、残り二章で打ち切ります。設定やプロットが崩壊した影響で、続きを書くのに限界を感じました。
エルフ編で終わっても良かったのですが、今後の構想をある程度練り直したのに、それを使わないのは勿体なく感じて、折角だから技量を鍛える為にも二章は書き上げようと判断しました。(決して手を抜くつもりはありません)
二章を書き終えたら、次作品に移行する予定です。
移行と言っても、物語の根幹や設定はある程度引き継ぎます。所謂リメイクですね。
今作の失敗を活かして、より良い作品にしていけたらなと思います。完結もしたいです。
このような終幕になり申し訳ございません。
ご理解の程、宜しくお願いします。
そして、今後とも暖かい目で見守って頂けると幸いです。
余談ですが、エルフ編は相当長いと感じられた方も居るのでは無いでしょうか。
実は、大密林編までの計80話を合わせても約20万字なのに対し、エルフ編は一章だけで約10万字もの文字数がありました。相当長かったです。
以上です。読者の皆様、お元気で。
三月十九日 後記
三月末までに更新を行う予定と述べましたが、筆者が多忙なのと慣れない分野に手出しした影響で筆が中々進まず、次話をいつ更新出来るか分からない状況です。(多忙と言っても、本を読んでばかりですが……。現実逃避かな?)
更新されてたらラッキー程度の感覚で、気長に待って頂けると幸いです。




