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私が他者と大きく異なる存在だと自覚した切っ掛けは、何だったろうか。
壊したい。殺したい。もがき苦しむ姿を見たい。嘆き悲しむ姿を見たい。何もかもを滅茶苦茶にしてやりたい……。
物心が付いた時から、物や生物を見る度に破壊衝動に駆られていた。大した理由も無く、極悪非道な真似がしたいと思っていた。
何故かは自分でも分からない。
普遍的な家庭環境で生まれ育って、大きな苦痛を伴う酷い怪我やトラウマになるような心的外傷を負う事も無かった。改めて人生を振り返って見ても、邪悪な欲望を持つ機会が何一つ思い浮かばない。
だが事実として、私は何かを見る度にソレを破壊する自身の姿が眼前に浮かび上がっていたのだ。
やがて、自分はそういう生物なのだと、自分自身の在り方を受け入れるようになっていた。
――その在り方を自分が受け入れようとも、社会は受け入れてくれるとは限らないのに。
母は教育熱心な人だった。
教育が子育てに重要な要素だと考えており、幼い私に物事の教えを説き、読書を推奨してくれた。母は私に賢くなって、何かを成す事を期待しているようだった。
そこで、私は理解した。否が応でもしてしまった。
自分が行おうとしている行為が、社会では容認されないと。倫理や道徳という、正邪や善悪の判断の基準になるものがあり、己の在り方は邪悪側に判別されているのだと。
未だ幼かった私は、酷く思い悩んだ。
この里にも同様に治安維持の為の規則がある。規則から外れた行為を犯せば、当然罰される。私がしたいと思う行為とそれによって受ける事になる罰が、明らかに割に合っていなかった。
自身の在り方が全てに否定されたようで悲しかった。寂しかった。自分の精神に至らぬ所があるせいだと、己を責めて泣いた事もあった。
行為と罰を天秤にかけながら長らく苦悩した末に、私は『子供の立場を利用して好き放題しつつも、超えてはならない一線は絶対に超えないようにする』という行動を取る事に決めた。
不審がられるだろうが誰にも迷惑を掛けなければ、まだ好奇心旺盛な子供の奇行だと容認されよう。だが、誰かに迷惑を掛けたり危害を加えたりする行為は、厳しく罰されるので控える。そう考えた訳だ。
それでも、幾つかの問題があった。
一つは、大人になると出来なくなる事。
大人になっても奇行を続けていれば、異端児として問題視される未来が見える。そこで関わらぬが吉と放置されるならまだ良いが、粛正などの名目で殺されては困る。それだけは避けたかった。
二つは……私が欲望を抑えきれない事だ。
物品や動物の死骸を壊すのも楽しいが、どうしても物足りない。同族達にも手を出したいという血腥い欲望が、日に日に増していた。今はまだ感情を押し殺して耐えれているが、それもいつまで保つか分からなかった。
かといって、里を荒らすような真似も出来なかった。
この里は平穏な癖して、手に負えない強者が多いから。千年以上の研鑽を積んだ老エルフが多く居て、どんなに鍛えようとも勝てる気がしない……年の功とはそういうものなのだろう。
唯一の可能性としては強力な素質を手中に収める事だが、それでも老エルフが数人束になるだけで敵わないと推察出来た。
――私は、どうすれば良いの?
――そうだ。大人になったら、里の外に出よう。
外の世界が現在どうなっているのかは分からない。だけど、どんな状況にも対応出来るように可能な限り強くなって、結界をいつでも密かに抜け出せるようにして、置き土産に数人の貧弱なエルフを殺して、この平穏で退屈な里からおさらばしよう……。
外の世界で上手く生きていけるかは分からない。だがきっと、ここに居るよりも好き勝手出来る。出来るはずだ。
私はそう自分に何度も言い聞かせた。言い聞かせて希望を見出せなければ、やってられなかった。
そうして私は、邪悪で猟奇的な本を読み漁ったり動物の死骸を好き勝手に弄ったりして欲望を適度に発散させつつ、強さを求める存在になった。
満たされない欲望を押し殺して空虚な人生を送る事を強いる、この社会の在り方に不満を抱きながら。
己の在り方を否定する倫理や道徳を破壊してくれるような、本に出てくる所の悪役の登場に恋焦がれながら。
――やがて、大きな転機が訪れる。
ある日、狩りから戻って来た父の様子がおかしかった。隠し事かと単なる好奇心から尾行してみれば、里の外で父が人間らしき部外者と接触し、何やら言葉を交わしていたのだ。
父の性格的に、部外者に対して友好的な態度を取るはずが無い。であれば、脅されているか操られているかだろう。
誰にも私の存在を悟られぬよう慎重に遠目で観察すれば、それが後者だと分かり、併せて里を襲撃しようと目論んでいる事も把握出来た。
……普通のエルフならば、この段階でエルフや森を護るべく、里の者達に人間という外敵の存在を知らしめるのだろう。人間達は隠密行動を取って不意打ちを狙っているようだったので、企みが明らかになれば大人しく引き下がると思われた。
しかしながら、私は普通のエルフでは無いのだ。
そんな下らない事をする訳が無く、その場でただひたすらに歓喜した。可能性が限りなく低いと分かっていながらも薄々期待していた、社会を破壊してくれるかもしれない存在が、遂に来てくれたのだから。喜ばない方が無理があるだろう。
かくして私は、人間に協力するべく動き始める。
協力したとしても、人間達が私を信頼して仲間に引き入れてくれるとも限らないし、外の世界と上手く繋げてくれる保証も無い。
だけど、里に人間の存在を知らしめた所で一時的に救世主だと褒め称えられるだけで、また冷やかで乾いた灰色の日常生活に戻るのだ。そうなる位ならば、多少の危険を承知で人間に賭けた方が良かった。
何より、私と同じく平然と暴力を振り撒く彼らならば、私の在り方を受け入れてくれるだろうと思えたのだ。
無論、人間が勝つと断言は出来ないので、勝った場合には少しでも信頼を勝ち取れるようにかつ、負けた場合にも私が不都合を被らないよう、上手く立ち回る。
そして、勝敗がどっちに転がろうと襲撃による騒動を利用しない手は無い。混乱に乗じて不意打ちをし、私の長年押し殺していた欲望を思う存分に発散させて貰った。
襲撃の結果は、無事に人間の勝利で終わった。
私も上手く立ち回った甲斐あって人間と良い感じに接触する事が出来、十全に警戒はされているものの、襲撃者を纏め上げる代表格の人物と会える所まで有り付けた。
――そうして私は、あの男と出会ったのだ。
代表格の人物はどんな人なのだろう? 代表格の人物が到着するまでの待ち時間に、私は考える。
主な情報源だった二人の男女から成る先遣隊は、代表格の人物を慕っている様子だったが、ご主人様と名を呼ぶだけで頑なにその人に関する情報を口にはしなかった。
決して他言せぬよう厳命されているのだろう。その用心深さのせいで、未だご主人様とやらの人物像は掴めていなかった。
もしかしたら、私に似た破壊衝動を擁している人かもしれない。何かを壊し、殺し、踏み躙らないとやってられない、無差別に暴力を振り撒く異常者。社会で言う所の屑。
そんな人ならば、私の在り方を理解し優しく受け入れて、楽しませてくれるのだろう。欲望を抑える必要の無い所へ、連れてってくれるのだろう。
いやいや、世の中はそうそう上手く行かないものだ。エルフの希少価値に目が眩んだだけの、他愛の無い悪人なのかもしれない。
強欲で常に何かを求め欲する人ならば、まだ楽しめそうだ。が、エルフを得ただけで満足するような悦楽の欠片も無いつまらない悪人であれば……その時は面従腹背。大人しく従う振りをして利益を貪り、どこかで裏切ってその者の全てを壊してやる。
私欲を満たす為の踏み台として使わせて貰おう。
抜け目無く反逆を視野に入れつつも、期待に胸を膨らませる。私は胸が高鳴っているのを感じながら、ご主人様とやらの到着を待った。
果たしてそこに現れた者は、想像を超える素晴らしい人物だった。
同時に複数人が姿を現したが、誰が主かは一目で分かった。一人だけ明らかに異質だったから。そしてその異質な者と目が合って……思わずゾクッと、背筋に冷たいものが走る感覚がした。
私を見つめるのは、闇を凝縮させたような真っ黒な瞳。その瞳の奥底に渦巻くは狂気と渇望、加えて僅かばかりの恐怖だった。
壊れて破綻した瞳に睨まれると、己が矮小な存在に思えて仕方が無い。
この男は、私とは格が違う。社会から否定なんて度合いでは無い、世界からも拒絶されてるような異物……別の世界から来た存在では無かろうか。
そう思える程に、異質で、狂っていたのだった。
私は、彼の異常性を恐れた。こんな常軌を逸した存在と関わって、無事で居られるとは思えなかった。
しかし、それと同時に……彼にどうしようも無く惹き付けられるものを感じた。
これだけの狂気を孕んだ者が、何を渇望し何をそこまで恐れているのか、どのようにして狂ったのか、どうしても気になったのだ。
私では到底推し量れない。聞いても、理解出来るか分からない。それでも、長らく傍に居れば見えてくるのでは無いだろうか……?
気が付けば、私の頭の中は彼の事で一杯になっていた。闇の瞳に魂まで射止められ、呼吸を忘れ、反逆の考えが吹き飛ぶ程に、私は彼の虜になった。
私を少しでも気に入ってもらう為に、本に登場した悪の令嬢を意識した丁寧な言葉遣いで、話し掛ける。
『あら、貴方がリーダーかしら? 初めまして、私はアンナよ。族長の娘をやっているわ――』
――――――――――――――――――――
「――うん、アンナの身体に異変は見られなかった。すこぶる健康体だ。これからも定期的に身体検査は行うから、きちんと協力するんだよ?」
「ありがとうございます。勿論、協力させて頂きます」
「後、繰り返し言ってる事だけど、体調に異変があれば直ぐに伝えてね? 変に強がらなくて良いから」
「重々承知しておりますわ、ご主人様」
慮るような柔らかい声に深々と頭を下げれば、自らが仕えることになった主が微笑んで、上機嫌に部屋から立ち去って行った。
「ふぅ……」
扉が閉まったのを確認して、アンナは大きく息を吐く。
その息には、安堵と興奮が入り交じっていた。
(定期的な身体検査、ね……)
周囲の環境が劇的に変化すると、病に冒されやすくなる。人間界特有の薬品系物質が、エルフの身体に何かしらの異常反応を引き起こす可能性がある。そもそも病に対する薬が、エルフに効果的なのかも分からない。
アンナは必要な人材なので、万が一があっては困る。だから、定期的に身体を調べる事で、身体に異常が起きた時にいち早く気付けるようにしよう。
それが主の言い分だった。
アンナはその言葉が、半分本当で半分嘘なのだと確信している。
自分が主達に信用されている……はずが無い。
相手からすれば私は、突如現れては仲間に加わらせてと懇願してきた不審な女エルフなのだ。母親や里を売り渡した事である程度の信用は得られたはずだが、まだ完全とは言い難い。あくまでも利用価値が高いから、仲間に加わる事が出来たに過ぎないのだ。
相手は私が寝返る事を想定し、警戒しているだろう。だからこそこの身体検査と称した肉体への施術は、何か別の目的もあるはずだった。
隷属の首輪も嵌めてあるのに、用心深い事だ。
(里にはその手の分野の学問書が無かったから、どんな対策をしたのか何が何やらサッパリ分からないわね……。けど、体内に何かを埋め込まれた位は考えるべきよね……)
常に居場所が捕捉されているかもしれない。
発した言葉も全て聞き取られているかもしれない。
裏切りを示唆する迂闊な行動を取れば、体内に埋め込まれた何かによって、殺されるしれない。
未知の分野だからこそ、悲観的な想像が幾らでも湧いて出てきた。
「……くすっ」
それでも、余裕の笑みが漏れた。
「それでこそ、私を従える主ってところね。安心して。貴方が永遠の生を求める限り、私は微塵も裏切る気は無いわよ」
結局、裏切ろうとしなければ対策は気に掛ける必要すら無いのだ。
彼が私以上の異常者なのは、嬉しい誤算だった。
目的が不老不死に至る事だったのが少々意外だが……誤差の範囲だ。彼は手段をあまり選ばない人のようだし、共に居て退屈はしないだろう。
この機会を、楽しまない手は無い。
喜色で綻んだ顔を扉に向けて、その奥にいるであろう主を想いながら、アンナは独言する。
「果たして、貴方はどんな結末を迎えるのかしらね? この目で見届けさせて貰うわ。ふふふっ……」




