聖女が死んだ後の物語
聖女が、死んだ。
自殺だった。
塔の最上階にある自室の窓から飛び降りたのだ。窓には落下防止策――あるいは逃走防止策――として、金属製の格子がはめこまれてあったが、それを彼女は一部壊して、五〇メルトルほど下の舗装された固い地面へと落下したのだ。
血だらけでぐちゃぐちゃになった聖女の死体を見ながら、第一王子であるアルフレッドは大きくため息をついた。
「どうして、こんなことに……」
彼女が死んだ理由の一端が自分にあることはわかっていた。彼女のことを婚約者として愛していたが、同時に奴隷のようにこき使っていたことも間違いない。胸が苦しくなった。
「我々が、彼女を自殺するほどまでに追い詰めてしまったのでしょうな……」
隣で大臣が呟くように言った。
聖女の死体は衛兵たちが綺麗に片づけた。国王である父からは、この悲惨な出来事についてすぐに忘れるように、と言われた。
その日の夜、アルフレッドは自室のベッドに仰向けになって、聖女――サラとの思い出の数々を思い返していた。
サラがこの世界に召喚されたのは、今からおよそ二年前のことだった。彼女は召喚魔法によって異世界から召喚されたのだ。聖女召喚の儀によって召喚された彼女は、確かに聖女としての力を有していた。
この国は数年前から、魔族という脅威にさらされている。魔族は人間よりも強力で、このままではこの国は魔族によって侵略されてしまう……。
そこで、国王は一縷の望みをかけて、多大なる犠牲を払って、聖女召喚の儀を行い――サラが召喚されたのだ。
サラは膨大な魔力を有していて、それを消費して、魔族の侵入を防ぐ巨大な結界を張った。結界をすり抜けて、国内に侵入した魔族を狩るために、毎日のように王国中のあちこちに派遣された。
それと同時に、第一王子であるアルフレッドの婚約者になり、世継ぎをつくることを、国王によって勝手に決められた。
サラは国王や王子や大臣たちの命令に素直に従った。
弱音や不満も一切吐かなかった――いや。
「ブラック企業で働いていたときみたいね……」
「ブラック企業?」
「いいえ。なんでもありません」
この世界にある言葉ではないので、言葉の意味は分からないが、あれはきっと不平不満の吐露だったのだろう。
サラをアルフレッドの婚約者にしたのは、一定の身分を与えて逃げられないようにするためだったのかもしれない。当人同士の意思など、まるで無視した形だ。しかし、アルフレッドはサラに好意を抱いていたし、サラもアルフレッドに対して好意を抱いていた。だから、二人が婚約したこと、それ自体は問題ない。
問題だったのは、やはり過酷すぎる労働環境、そして――。
「僕の浮気、か……」
サラのことを愛していた。それは間違いない。けれど、彼はサラ以外の女性も愛していた。相手は複数人いたが、問題だったのはおそらくキャロルだ。
キャロルは王族に次ぐ権力を持った大貴族の令嬢だ。彼女のことはサラと同等か、それ以上に愛していた。
キャロルは、アルフレッドがサラと婚約したことに対して腹を立てていた。もしかしたら、そのことで何か嫌がらせを行っていたのかもしれない。
それと、彼女はアルフレッドに『サラとの婚約を破棄するように』迫っていた。アルフレッドはそのことに対し、曖昧な態度をとり続けていた。けれど、気持ちは徐々に婚約破棄する方へと揺らいでいた。
サラとの関係を終わらせるつもりはなかった。しかし、彼女と結婚する必要はないのではないか、と思い始めていた。
そして、アルフレッドのその気持ちをサラは知ってしまった――。
結果、サラは絶望して自殺した。
実際のところはわからない。これはあくまでもアルフレッドの推測であり、推測でしかない。サラがどのような思いだったのかは、彼女にしかわからない。
「眠れない……」
アルフレッドはベッドから起き上がって、窓際へと向かった。カーテンを開けると、淡い月光が部屋の中に差し込んでくる。
窓から夜空を眺めて、それからなんとなく室内を見回した。ベッドサイドにあるローテーブル――いくつもの書類が積まれているそれに、見慣れない手紙が置いてある。
「なんだ、これ……?」
アルフレッドは手紙を手に取った。
『アルフレッド様へ』
サラの文字だった。
ドキッとしながら、手紙を開けて読む。
◇
アルフレッド様へ
この手紙をアルフレッド様が読んでいる頃には、私は既に死んでいるでしょう。私が自殺した理由は一つではありません。様々な要因があり、それらの蓄積によって、私は自ら死ぬことを選んだのです。
たとえば、過酷すぎる労働環境。
たとえば、アルフレッド様の女性関係。
私はアルフレッド様を愛していました。だから、国王様にアルフレッド様と結婚するように、と言われたことは決して苦痛ではありませんでした。むしろ、嬉しかった。
なのに……それなのに、あなたは私との婚約を破棄しようと考えていた。私ではなく、キャロルさんを選んだ。
それが、とてつもなく悲しかった。苦しかった。
引き金となったのは、その一件です。
私は異世界からむりやり連れてこられて、聖女という過酷な仕事を報酬なしに、有無を言わさず引き受けさせられた。それでも不平不満をほとんど言わずに、頑張ってこなしてきたのは、あなたのためだった。
あなたのために頑張って……それなのに、裏切られた。
だから、死ぬのです。
私は自らの――聖女としての役目を放棄して、死ぬのです。もう、この国がどうなろうと知ったことではないのです。魔族に侵略されようが、知ったことではないのです。
さようなら。
追伸。あの世でお会いしましょう。
◇
手紙を読み終えたアルフレッドは、涙を流しながら懺悔する。
「ごめん……ごめんよ、サラ……。僕が悪いんだ……どうか、許してくれ……」
しかし、サラは既に死んでしまった。
手紙をローテーブルに置くと、部屋に差し込む月光に導かれるかのように、窓のほうへとゆっくりと歩き出した。
アルフレッドの部屋の窓には、格子ははめ込まれていない。窓を開けると、冷たい夜風が一気に流れ込んでくる。窓枠に手をかけ、身を乗り出して下方を覗く。
ここからなら、確実に死ねる。
『あの世でお会いしましょう』
手紙の最後に、そう書かれていた。
死ねば、サラに再会することができるだろうか? 謝ることができるだろうか? 自分は許されるのだろうか……?
アルフレッドは窓枠に足をかけ、そして――。
「うわ……うわあああっ!」
飛び降りることが、できなかった。
自分にはそんな勇気も覚悟もないのだ。
自分はどうしようもなく臆病で、卑怯な人間だ。
アルフレッドは自己嫌悪に浸りながら、死んだサラに対して謝罪し続けるのだった――。
◇
その後。
新たな聖女を召喚すべく、聖女召喚の儀を何度かとり行ったが、それらが成功することはなかった。聖女にふさわしい力を有したサラを召喚できたのは、奇跡にも等しいことだったのだと、彼らは今になって理解した。
どうして、聖女を丁重に扱わなかったのか?
アルフレッド以外の人々も、今になって後悔した。
しかし、もう遅いのだ。
後悔したところで、懺悔したところで、死んだサラが蘇ることなどありえない。
聖女によって張られていた結界がなくなったことで、魔族の大群が王国へと侵入してきた。人々は必死に抵抗したが、魔族の強大な力を前にほとんどなすすべがなかった。
そして、王国は魔族によって侵略された。
王族や大貴族や大臣といった、国の中枢に居座っていた人々は、ことごとく処刑された。もちろん、第一王子であるアルフレッドも例外ではない。
アルフレッドは自らが処刑される瞬間まで、サラに謝り続けた。そして、同時に死ねば彼女と再会することができるのではないか、とも思っていた。
スパン、と首が刎ねられた。
そうして、王国は滅んだ。
聖女の死が、王国の死に直結していたのだ。
死んだアルフレッドが、あの世でサラと再会することができたのかどうかは――誰にもわからない。