4話 仲直り
"医務室なんて利用しない"
その決意は早々に打ち砕かれることとなった。
初めて医務室を訪ねてから約二週間後。
放課後の稽古中、鉄剣の一部が欠けて鋭利になり、運悪く右上腕のプロテクターがない所に当たってしまったのだ。そのままメーヴェの馬車に乗り屋敷に帰るつもりだったけれど、血が止まらず持っていたハンカチが赤く染まりきるほどであった。心なしか頭がフラフラする気もする。
"これはヤバいかも"
俺は不本意ながら医務室を訪ねた。
「どうぞー。あら」
先生は俺の顔を見て顔色を変えた。嫌な奴が来たとでも思ったのだろうか。
「坊や、顔色が良くないわ。今すぐ処置するわね」
「すみません。もう来るつもりはなかったんですが」
「こういう怪我のために医務室はあるんです。いらないプライドは捨ててしまいなさいな」
先生はそう言うと前回のように手際よく処置した。
先生に言われたとおりに腕を心臓よりも高く上げているからなのか包帯のおかげなのか血はみるみる止まっていった。
「ありがとうございました。あの、」
「この前はごめんなさい。私苛立っていて。八つ当たりみたいになってしまったわ。生徒にあたるなんて学校医失格ね。本当にごめんなさい」
俺が謝ろうとした時、なんと先生が先に謝ってきたのだった。
これには驚きを隠せなかった。
俺の知る多くの大人は自分がミスをしても認めようとしなかった。ましてや謝るなどしなかった。両親はそういうことができる人間だったが、それ以外では彼が初めてだった。
「そんな、大人が謝らないでください。こちらこそ、すみません。けんか腰になってしまって」
「大人だって過ちを犯したら謝らないといけないわ。特に教育に携わる人間はね」
「珍しい人ですね」
「そう教わってきたのよ。弁明させてもらうとね、あの時やたら医務室に来る人が多くて、大半が冷やかしに来てたの。あなたも怪我が軽かったからそうなのかなって。でもちょうど昨日、稽古長と話した時に自分が無理に勧めたんだって言っててあなたは違うんだってわかったの。本当にすみません。こちらから謝罪に伺うべきだったわ」
「そうだったんですね。すみません、こちらこそ、無神経に変な人だなんて言ったりして」
俺たちは互いに頭を下げ合う状態になってしまった。
こちらは頭は下げてても右腕は上げているので、少々変な感じになっていた。
「いえ。今では貴方はそういう意味で言ったわけではないってわかってます。はぁ。今すぐ故郷に帰ったほうがいいのかもしれませんね」
師匠に怒られるかしら、と先生は小さくつぶやきため息をもらした。
「いやいや、いくらなんでも早すぎるでしょう。もっと続けてくださいよ。まだ一ヶ月も経ってないでしょう」
せっかく和解できそうなのに辞められるのは嫌だった。
俺は無意識に彼を引き留めようとしていた。
「はい。すみません。お詫びに3つまで質問を受けますわ。答えられるかはわかりませんが」
先生は指を3本立ててそう言った。
突然のことに俺は何を質問していいかわからなくなってしまった。
「マグノーリエって"木蓮"って意味ですよね?聞かない名字ですけど、どちらの領土の出身なんですか?」
リズニアに多い苗字は鳥の名前か動物の名前だ。特に貴族は鳥の名前に集中している。一般市民は動物の名前でなければ地形などに関する名前が多いらしい。植物名が名字になる地方でもあるのだろうか。
「秘密です」
先生はふふっとにこやかに言った。
「そうですか。今いくつですか?」
「秘密です」
これも不発だった。確かに年を教えてくれる教員は少ない。これは明らかに間違った質問だった。くそ、2つも無駄にしてしまった。
3つ目は確実に答えてもらえるものにしたい。
「好きな食べ物は?」
「シュークリーム」
「そこは答えるんですか?!だったらもっとマシなこと聞けばよかった」
俺は左手で額を押さえた。
まぁすべて不発よりはマシか、と俺は小さくため息をついた。
「ふふ。秘密が多いほうがそそられるでしょう?」
先生は妖艶に笑った。
少しだけ、心臓がおかしな動きをした。
いや違う、ドキドキしたんじゃない。
絶対に違う。認めるものか。
俺は平然を装った。
「ほんとに読めない人ですね」
「そうかしら?お互い様な気がするけれどね。私からも一つよろしいですか?」
先生が俺に質問してくるとは思ってもいなかった。
どんなことを聞かれるのだろうと心臓はまた忙しく動き始めたようだった。
「特別ですよ」
俺がそう言うと、先生はふぅと一息おいた。そして徐ろに口を開いた。
「アリーシア様ってご存知?」
先生は真剣だった。
俺は予想もしないその質問に度肝を抜かれた。
「なぜそれを?」
「貴方の瞳の色が、そっくりだったもので。珍しい色でしょう?もしかしたら親戚なのかなと思いまして」
「あなた、もしかしてリズニア以外から来ました?いや、でも顔立ちはリズニア人ですよね」
俺とアリーシア様の関係を知らない人は、少なくともこの学園には居ないと思っていた。別に自分の家がすごいと言っているわけではなく、純粋にアリーシア様は国内でも非常に有名な方なのだから。多分、普通に暮らしている国民であれば誰もがその存在を知っているはずである。それなのに、この人は何なのだろうか。
「ちょっと生い立ちが特殊なんですの。で、答えは?」
「他の先生たちから聞いてないんですか?僕のこと」
「なんでしょう?貴族様相手の職業なので色々注意を受けたような気がするのですけれど、地位や権力と言ったものに疎くて」
先生は少し困ったように笑った。
間違いない。先生は俺のことを御三家メーヴェの次男として見ていない。
俺はそれを嬉しく思った。
俺はいつもそのレッテルを貼られ、様々な色眼鏡を通して見られてきた。
寄ってくる人間は俺の外側にしか興味がなかった。
唯一そんな必要がないのは同じような立場に居るフォルカーくらいで、だからこそ彼とは長い友人関係が続いている。
"もしかしたら先生は色眼鏡をかけずに俺を見てくれるんじゃないか"
そんな期待を抱いてしまった。
俺は少し考えた後に先生の問いに答えた。
「そうですか。じゃあお答えします。アリーシア様は、僕の父方の伯母です」
俺のその言葉に先生は柔らかく微笑んだ。
それはまるで探していたものを見つけたときのような、そんな笑顔だった。
心臓に、何かが刺さった気がした。
"あぁ、先生は俺をアリーシア様の甥という色眼鏡で見るのかもしれない"
そう思ったらさっきの期待が絶望に変わる気がした。
"だったら期待なんてしなければよかった。俺は馬鹿だった"
そんな俺の気持ちなど気づかない様子で先生は嬉しそうに言葉を紡ぐ。
「あぁ、なるほど。それで納得しました。やはり親戚だったからそのペリドットのような素敵な瞳をしてたんですわね。始業式で貴方を見かけて少し興味があったんですの」
始業式のとき、先生は俺を見て驚いていた。それは俺がアリーシア様に似ている瞳を持っていたからだった。
やっぱりこの人も俺の外側しか見てくれないのだ。
そう思うと心が苦しくなっていった。
「どうかしたの?顔色がまた悪くなってきたわ」
「いいえ。なんでもありません。伯母様は王族に輿入れされてるので僕もあまり会うことはないんですけどね。でもなぜアリーシア様のことを?それはもちろん王族ですから知らない国民のほうが少ないはずですが、貴方の聞き方はすごく不自然だ」
自分で言っている間に心の苦しさよりも、この不自然さはどこから来るものなのかが気になり始めた。
「それはまたの機会に。さぁ、お帰りくださいな、リット坊や」
先生は教えてくれなかった。でもまたの機会にと言ったのだ。俺はもう少しこの学校医と交流を持ちたいと考えた。
"この違和感の正体を知りたい"
こんな気持ちは多分、生まれてはじめてのことだった。
「わかりました。またお世話になりに来ます」
「怪我をしないように心がけてくださいませ。綺麗なお顔やお体が傷だらけにならないように」
「傷は勲章ですからね」
「むさいったらないですわね」
「うるさいですよ」
俺たちはくすりと笑い合った。
俺は医務室を後にした。
マグノーリエ先生は悪い人ではなかった。
それがわかって良かったとしよう。
俺は自然とにやけてしまう頬を叩いた。
◇
中央校舎の出入り口にフォルカーがいた。
「フォルカー、どうしたんだ?」
「君が怪我をしたって聞いたから心配で。でも取り越し苦労だったみたいだね」
フォルカーは稽古着のままだった。それだけ急いで駆けつけてくれたということなんだろう。
「ありがとう。その、心配してくれて」
「当たり前だよ。大切な大切なリットだからね」
「お前な」
俺はジト目でフォルカーを見た。周りには何人もの生徒がいるのだ。
"またいらない誤解をされる。ほら、また変な目線を受ける。最悪だ"
俺は小さくため息をついた。
「それにしても、随分とうれしそうだね」
フォルカーはニヤニヤしてこちらを見つめてきた。
「そうか?」
「ふーん。あの学校医か」
「な、なんで?!」
フォルカーは時々非常に鋭い指摘をする。野生の感か何かだろうか。
「君のことならなんでもわかるんだって。よかったね、仲直り出来て。いや、僕としては嬉しくないんだけど、君が嬉しそうにしてるのは嬉しいからさ」
「フォルカーって、エスパーか?もしくは野生の力?」
「いや、愛の力、かな」
彼は少し俯き照れたように言った。
ちなみにこれはちゃんと脳を経由した言葉だった。それは彼が照れている様子からわかるものだった。
「おい、さらっと言うなよ。まだ周りに人いるんだぞ」
「別に隠してるわけでもないからね。何ならここで君への愛を叫んでも僕は痛くも痒くもないし」
この発言は反射的に出てるものだ。ヘラヘラしてるのがその証拠である。
反射でこんなことを言うのだからこの男は恐ろしい。
「うわ。フォルカーって、その、ぶっ飛んでるよな」
「褒めてくれてありがとう」
フォルカーは満面の笑みを浮かべた。
「いや、褒めてないんだけどさ」
なぜだか、この日の夕日はやけに美しかった。
俺がその理由に気づくのはもう少し先の話。