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8話 あの人は誰

13の月11日目。

フランツとフォルカーと出かけてから4日が経った。

俺はマグノーリエ先生と一緒に歩いていた男が気になってしょうがなかった。


"付き合ってる人なんだろうか"


そう考えては頭を横に振った。

"俺に関係ないじゃないか。あの人が誰と付き合っていても"



どうしてこんなにも気になるのか、この時の俺には全くわからなかった。



そして考え事をしながら体育の授業を受けてはいけないことも、受け身を取りきれなかったときのフォルカーの技の威力も、俺はわかっていなかった。


「痛っ!」

「リット、ごめん!」


ドスンという鈍い音が格技場に響いた。

俺は天井を見上げていた。背中からの痛みで上手く呼吸ができない。


"苦しい"


俺は必死に息を吸おうと試みたが肺が空気を受け付けてくれない。それでも抗って空気を求め続けた。


"空気を取り込みたい"

それは俺に残っていた生きることに対する欲だった。

俺は思っていたよりも生きることに執着していたようだった。

頭の中でそんなことを冷静に考えている自分がいた。



体術演習で俺はフォルカーに思いっきり投げ飛ばされたのだ。

普段なら躱せる技をかわしきれなかった。


体育は隣のクラスの同性と一緒に行う。俺は3組、フォルカーは4組なので一緒に授業を受けることになるのだ。体術に関してフォルカーは異常に強いので、いつも俺が相手をさせられていた。俺でも敵わないのだけれど、他の生徒だと確実に医務室送りになってしまうためだった。



俺は背中から床に落ち、その後痛さのあまりうずくまってしまった。

痛みでうまく息ができなかった数秒がとても長く感じた。


「大丈夫か?!」

駆け寄ってきたのはこの授業を担当してるディルク・オッターという教員だった。刈り上げた金髪に暗い茶色の瞳を持った体格の良い20代後半ほどの先生である。この13の月から臨時で雇われている彼にとって、俺が初めてのけが人なのかもしれない。

それに続いてフォルカーも駆け寄ってきた。

「大丈夫、です。すみません」

俺はどうにかして言葉をひねり出した。

「背中だな?息はできるか?」

先生の問いに俺は首を縦に動かした。

「異常な痛みはあるか?」

俺は首を横に振った。骨折しているとかそういう痛みではない。

「わかった。医務室に連れてくぞ」

オッター先生が俺を背負おうとしたときフォルカーが言葉を発した。

「先生、僕が連れていきます。僕のせいですから」

フォルカーは青くなっていた。俺の不注意のせいなのに本当に申し訳ない。謝りたくてもうまく言葉が出ないのがもどかしかった。

「わかった。なるべく安静に運んでくれ」

先生の言葉にフォルカーははい、と答えると俺をひょいっと背負った。


「待っ、肩貸して、くれれば歩けるk」

俺は必死に言葉をひねり出したがフォルカーは聞き入れず歩き始めた。

「こっちのほうが早いでしょ。行くよ!」

フォルカーは駆け足で格技場を出た。

オッター先生や他の生徒の心配そうな顔が見えた。



フォルカーは学園の北側にある格技場から中央校舎まで走った。

揺れの振動が思ったほど来ないのは彼の身体能力の高さによるものなのだろうか。

「フォルカー、すまない。躱しきれなくて。いつもなら大丈夫なのにな」

俺はようやく声が出るようになり、彼の背中に向かって謝った。

「ううん、僕こそ君が少しうわの空だったから、気合い入れてやろうとしてはりきりすぎちゃったんだ。本当にごめん!」

俺はフォルカーの言葉に驚いた。

「気づいてたのか」

「君のことは何でもわかるんだって。その原因もね。後で白衣の人にちゃんと話きこう?」

どうやらフォルカーは超能力者らしい。

「俺は、別に」

「はっきり聞いといたほうがいいと思う。このままじゃリットまた怪我しちゃう。剣術だって刃引きしててもプロテクターつけてても危ないんだよ?怪我させた僕が言うのも変だけどさ」

フォルカーの声は少し震えてるように感じた。全くもって彼の言うとおりだった。

前日も危うく剣が顔に当たりそうになったのだ。もちろんプロテクターを着けているため直撃はなかったが、一つ間違えれば失明につながる危険性もあった。

「ごめん」

「リットは、こうやって誰かのことを考えちゃうの初めてなんじゃない?」

「それは」

「僕は嬉しいんだよ。いや、悔しさ9割って感じなんだけどさ。本当は僕のことを一番に考えてほしいけど、君が他の誰かに興味を持ったのって絶対良いことだと思うんだ」

「フォルカー。俺は別に興味なんて持ってない」

「はぁ。リットは自分にも無関心すぎるよ。もっと自分のこと見てあげてほしい」

「それができたなら、どんなによかったか」

俺はうつむいた。

俺は他人にも自分にも興味が持てなくて、何事にも執着できない人間なんだから。


「もう。僕たちまだ15だよ?これからこれから!」

フォルカーのその言葉に俺は返事をしなかった。

これから変われるなんてありえないと思ったのだった。



こうして俺たちは医務室についた。


フォルカーがドアをノックするといつものようにゆるい声が聞こえた。



「あら、フォルカーの坊っちゃんにリット坊やじゃない。あらやだ坊や、顔が白いわ」

先生は俺のことを見るとこちらに駆け寄ってきた。

「体術演習で僕が投げ飛ばしちゃったんです」

「俺の不注意なんです。多分打ち身だけだと思います」

フォルカーと俺は同時に言った。先生はどうにか聞き取ったようでフォルカーに俺をベッドに運ぶように指示した。

俺は先生によって上裸にされ、うつ伏せに寝かされた。

先生は背骨を上から順に軽く押さえて俺の反応を確かめた。

「背骨には影響なさそうね。首も腰も大丈夫そう。よかったわね、打ち身で済んで。念の為王国立病院に行く?」

「いいえ。しばらく様子を見てみます」

「わかったわ。2、3日は入浴はシャワーで済ませたほうがいいわ。温めないほうがいいの。何かあったらすぐここに来なさいね。紹介状書くから」

王国立病院はリズニア一の規模と技術を誇る病院であり、貴族御用達でもある。そのため、紹介状がないと診断まで恐ろしいほど時間がかかると言われていた。

ダリエの学校医だけあって、先生はそういう権限も持っているようだ。

「先生、僕はオッター先生にリットの無事を伝えてきます。また迎えにきますから、それまでリットの話を聞いてください」

「フォルカー、それは」

「リット。ちゃんと聞かなくちゃ」

「よくわからないけど、わかったわ。フォルカー坊っちゃん、よろしくね」

「あ、服は僕が着させますから!襲うのもなしですよ!」

「そんなことしないわよ!さっさと行きなさいな!」

先生は少しだけ頬を赤らめていた。



こうしてフォルカーは席を外したのだった。



俺はだいぶ動けるようになったので自分で体術着に袖を通した。



「話って何?」

先生は首をかしげた。俺は意を決して尋ねた。

「先生、先週の休暇日、商業区にいませんでした?」

「ええ居たわ。もしかして見かけたの?」

先生は少し顔を引きつらせた。

やっぱりあの人と特別な関係なのかもしれない。

「はい。その、男の人と一緒に居たので声はかけませんでしたが」

「あら、気を遣ってくれたの」

「お似合いでしたね。かっこいい人で」

「やだわ。そういうのじゃないの。彼はただの仕事仲間なのよ」

先生の言葉には偽りなどないように感じた。大人は誤魔化すのが上手い。でもこの人は嘘を付くのだろうか。

「じゃあ教員なんですか?」

あんな男は学園内で見たことがなかった。初等部の教員などだろうか。

「違うわ。んー、趣味仲間といったほうがいいわね」

「へぇ」

先生の趣味とは一体何なのだろうか。また新たな謎が生まれてしまった。


「彼、見た目は良いほうだと思うんだけど、中身に問題があるのよね。昔から」

「昔から?」

「同郷の出身なの。彼のほうが少し先輩なんだけどね」

同郷という言葉に胸が痛くなった。この時々訪れる痛みは一体何なのだろう。

「そうなんですか。幼馴染的な?」

「そんなに親しいものじゃないわ。もうほんとに、中身を見せてあげたいくらいだわ。イケメンの無駄遣いって感じなの」

先生は遠い目をした。


そんなふうに言われたらどれほどの中身なのか気になってしまうじゃないか。


「へ、へぇ。イケメンの無駄遣い、か」

「はぁ。やっぱり街に出るときは変装しないと厳しいかしらね。変に噂されるのも嫌ですし」

先生は小さくため息をついた。

「そのほうがいいと思います。先生は、その、目立ちますし」

先生は目を引く存在だ。容姿の美しさもそうだけれど、初めて見た人は"あの人は男なのか女なのか"と凝視してしまうのだ。この前街で見かけたときも多くの人が先生を見ていた。

普通の教員であればあんなに目立つことはないだろうに。

「坊やの聞きたかったことって、あの人が彼氏かどうかってこと?」

「べ、別にそんなんじゃないです!」

「まさか!あの男に惚れたりした?!」

「はい?!」

どうしてそんな思考になるのだろうか。

「坊や、悪いことは言わないわ。あいつは辞めておいたほうがいい。見た目に騙されてはいけないの」

先生は必死に俺を説得しようとした。あまりにも必死なので面白くなってしまい、俺はふふっと吹き出してしまった。

「なんでそんな話になるんです?」

「え、違うの?」

「違います。せ、先生の恋愛対象はやっぱり男の人なのかなって、単純な興味です。失礼な言い方かもしれませんが」

「あぁ、医務室をよく使う自分の身が危ないかもって思ったのね!」

先生は納得したように手をぽんと打って話を続けた。



いや、そんなことは全く思っていないのだけれど。



「前にもちらっと話したけど、恋愛対象は男性よ。でも仕事とはちゃんと線引してるわ。生徒は生徒だもの、心配しないでちょうだい」

「は、はい」

「世の中の教員の中には生徒に手を出そうなんて不届き者がいるみたいだけど、このダリエにはほとんど居ないんじゃないかしら?そんなことしたらどこから刺客を向けられるかわかったもんじゃないもの。あー怖い怖い」

先生は、しかも私なんてただの平民だもの、一捻りだわと笑顔で付け加えた。たしかに貴族の子息が通うこの学校でそんなことをすればただでは済まないだろう。

「僕はそんなこと」

「リット坊やは素敵な子だと思うけど、そういう対象じゃないから安心して医務室を利用してくださいな」


先生は爽やかな笑みを浮かべて言った。


非常に複雑だった。

いや、ここは本来であれば喜ぶべきところだろう。安心して医務室を使えると言ってもらってるのだから。


それなのにこのモヤモヤは何なんだろう。


「あら?まだ心配事でも?」

「いえ。その、色々わかってよかったです」

「どんな内容でも、知りたいって思う気持ちはとっても大切よね。知識を蓄えようと貪欲な人はそれだけで素敵だと思うの」

いきなりこの人はなんのことを言い始めるのだろう。意味がわからない。

「僕には無縁の話ですね」

「あら、坊やのことを言ったつもりなんだけれど」

「はい?」

先生は真剣な顔で言っていた。俺は知識に対して貪欲だったことなどなかった。卒なくこなしていれば勝手に結果がついてくるだけで、嫌だと思ったことなないけれど、意欲的だったことはない。

「わかってないならいいわ。ねぇ、リット坊や。街に出るなら女装と男装とどっちがいいかしら」

「そんなこと俺に聞かないでくださいよ」

「そうよね。んー、じゃあ次は女装してみるわ」

「宣言しなくていいですからね?!」

"ちょっと見てみたい"などと思ったのは絶対に言えない。



そんな会話をしていたところでドアがノックされフォルカーが戻ってきた。彼は俺を見るなり大声で叫んだ。

「戻りましたー、って!!なんでリット着替えてるの?!まさか先生が着させたの?!」

フォルカーはズンズンと先生に詰め寄った。俺はフォルカーをなだめに入った。

「動けるようになったから自分で着たんだ」

「えー。僕が着させてあげたかったのに。リットの素肌に触れる機会なんてめったにないしね」

「お前な!先生の前でなんてことを!」

「あら、やだ、二人はそんな関係なの?」

先生は嬉しそうにしていた。先生がこんなにウキウキしている姿は初めて見た。

「違います!」

「バレちゃったね」

俺たちは同時に言葉を発した。

俺はフォルカーの言葉に軽い苛立ちを覚えた。

「ふざけんなフォルカー!」

「もう、そんなムキにならなくても。冗談だよ、冗談」

「青春ね」

先生は涼しく笑っていた。

「先生まで乗らないでくださいね!」

「ってわけだから、先生。リットは渡さないからね」

「ふふ、何度言ってるのよ。そんな気ないから安心しなさいな」

「え?何度、、え?」

聞き間違いか?今何度と言わなかっただろうか。

「この子ったら怪我で私のところに来るたびにリットは渡さないって言っていくのよ。そろそろ受け入れてあげたら?」

先生はこんなに愛されて幸せね、なんてのんきなことを言っていた。俺は青ざめていくのがわかった。

「なんてことを!ぜ、絶対やだ!」

「ひどいー、こんなに一途なのに!」

「こっちの世界もなかなか良いわよ」

「先生?!フォルカーと同じこと言わないでくださいね?!」




このときの俺は知らなかった。

この小さな出来事が後の俺の人生を変えてしまうきっかけになってしまったことを。



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