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09 「我らの使命達成には、徹底的力闘こそ」

 三番街の噴水前広場でのパンの配給には、明確な秩序が存在する。


 まず、幾多の難関を乗り越えて、旅路の果て、ブラジウスにたどり着いた巡礼者たちへ。

 彼らは、私財を投げ打って冒険ともいえる旅に出た者たちだ。

 なにより、思っていたことを行動に移すことのできた、尊敬すべき人々だ。

 彼らが真っ先に施しを受けとるのは、非常に理にかなっている。


 次にパンを手にできるのは、修行中の僧侶であり、見習い騎士である。

 自らの時間の大半を、学問、あるいは武術の研鑽に彼らこそが次世代のブラジウスを背負って立つ若者であり、治安を維持する要になりうる存在だった。


 続いて、敬虔な祈りを欠かさない市民たちに配られる。

 名の通った彫刻家であり、教会のステンドグラスを納めたようなガラス職人であり、商いの元締たる交易商の面々だった。


 あるいは、日々の献身を欠かさない貴婦人である。

 上等な衣服に身を包んだ彼らは、教会から配られたそれを、食料というより洗礼を受けた聖なるものとして、大切そうに懐に包んでいった。


 次第に、来訪者の身につけているものの質が落ちていく。

 パン屋であり、鍛冶屋であり、床屋である。

 服装からは判断はつかないような、しかしブラジウスで日々の生活を営む、敬愛なる一市民である。


 羊飼いたちも、このなかに含まれている。

 厚手のローブをまとっていることから、彼らだけは服装でも判断することができた。

 彼らの使う怪しげな術――何もないように思われる平原から、飲み水と食べものを探し出す術――を持つ彼らは、ブラジウスに欠かすことのできない乳や肉、羊毛をもたらしている。

 彼らの献身は、ブラジウスの生活を豊かにすることに一役も二役もかっていた。


 つまるところ、布施は、教会から民衆への返礼としての意味合いが、色濃くあらわれているのである。


 そして、洗礼を受けたパンを受け取る人々の姿は徐々に引いていき、閑散としてくる。

 沢山のカゴに準備していたパンも、残りわずかとなる。

 広場に並んでいた最後の市民がパンを受け取り、広場を立ち去ったのを見届けてから、布施台の周りを守るように取り囲んだ。

 その様子を見届けてから、教会の鐘が打ち鳴らされる。


 途端に、広場の様子は一変した。


 今まで広場の外に追いやられていた『彼ら』は合図と共に広場になだれ込んだ。

 そして、施し台の周りを取り囲み、我先にと手に手を伸ばすのだった。

 他者を慮る様子はかけらもなく、とにかく自分こそがパンを手にすることを第一義に行動する彼らの必死さに、ディンは薄ら寒いものを感じずにはいられない。


「いつみても、哀しい光景だ」


 詰るでもなく、嘲笑するでもなく、ただ、目の前の現実を淡々と老人は述べた。


「たかだか、配給で配られるパンのひとかけらが、人を欲望の野獣に変える。

 彼らにとっては、人としての尊厳を守ることよりも、一口で無くなってしまうパンの方が大切なのだ。

 同じ人間として、とても哀しい」


 老人の悲哀に近しい感情には、ディンも深い共感を覚えずにはいられない。


 その場にいる人々は、まるで獣だった。

 欲望に身を任せ、教会への慈悲に、手を伸ばすだけの、理性なき獣だった。

 

 ボロをまとい、痩せ細った身体で、彼らは求める。


 ひとかけらのパンを。


 彼らは、決して求めない。

 貧困という、彼らが置かれた境遇から真に脱するためには、必ずみにつけなければならないはずの、知識や、教養や、誇り。

 そう言ったものを、彼らは求めないのだ。

 

 ディンは、ため息をついた。

 いつもと変わりない、ひとの欲望を見せつけられて、うんざりする。


 ただ、ディンは、すこしだけ、いつものディンではなかった。

 アシャを買ってから、ディンの世界は、ほんの少しだけ広がり、これまで見えていなかったものが見えるようになったのだ。

 だから、彼は、監視をする体を装いながら、広場を盗み見た。 

 三日にも満たない食いぶちと引き換えに、自らの春を売っていた少女を探して。


 残念ながら、少女の姿はどこにもない。

 もっとも、小さな少女が、目の前で浅ましく手を伸ばす者たちの間に入って、無事でいられるとは到底思えないので、それでよかったのかもしれない。


 彼女はいま、どうしているのだろう。

 また、お腹を空かせながら、自分を買ってくれる客を探しているのだろうか。

 少女の身の上を想像して、ディンは胸が締め付けれられる思いだった。

 しかも、嘆かわしいのは、少女の身の上だけではない。

 その金額で幼いその身体を買おうというものが、ブラジウスにいるという事実である。


 あまりにも、不条理で理不尽な世の中ではないか。

 こんな世界を、変えたいと思う。

 目の前で、欲望のままに行動する人々を含めて、正しく導きたいと願っている。


 もちろん、理不尽な世の中を変えるためには、行動が伴わなければならない。

 パンを差し出した、アシャのように。

 ディンは、思いきって尋ねてみた。


「先生、私たちのしていることは、本当に正しいのでしょうか」


 老人はあいも変わらず、広場の民衆を見つめている。

 パンを求めて手を伸ばす様は、見るものの想像力を掻き立てる。

 まるで、俺たちから目をそらすな、と叫んでいるかのようだ。

 目に見えるものは、ほんの一部にすぎないのなら……。

 ディンは、続けた。


「本当に、必要な人々のところへ、私たちの無償の愛は届いているのでしょうか」


 老人は、つかのま目を瞬かせた。

 そして、微かにディンの方をみやり、先ほどと変わらぬ淡々とした口調で、ゆっくりと話し始めた。


「お前は優しい。

 そして、貴き心の持ち主だ。

 だから、彼らを哀れな犠牲者に見立て、同情してしまうのだ。

 しかし、民衆は、お前がおもっているよりも、賢く、抜け目がない。

 お前は、この景色から何を感じるかね」


「ここでパンを求めるものは、物乞いの中では、比較的恵まれているのではないかと」


 老人は、深々とうなずいた。


「その通りだ。ここに集まるものは、比較的力が強く、自ら活動するだけの力がある。

 本当に施しが必要なのは、ここに集まってこれない者どもではないかと、お前は主張したいのだろう?」


 ディンは首肯した。


「では、逆に問うがね。お前が救いたいと願う弱き者たちは、その歳になるまで、どうやって生き延びてきたのだろうね」


 老人は穏やかな口調でいった。


「彼ら個々の力で生き残れないことは明らかだ。

 働き口にもならない幼子に、動けなくなった老人たち。

 しかし、彼らは確かに存在し、生きているではないか。

 この事実は、なんらかの相互ほう助機構が、物乞いたちのあいだに存在することを示唆している。

 彼らはおそらく、お前が想像しているほどには困ってはおらん。

 彼らは、彼らの生活に慣れておる。

 いくら我々が統制をかけたところで、それをすり抜けて必要なものを手に入れるだけのしたたかさをもっていることだろう」


 老人は滑らかな口調で続けた。


「では、如何とするか。

 彼らを生かしているであろう組織全体に、少しずつでも富を注ぐしかあるまい。

 どこで誰が苦しんでいるかは、貧困が身近にある彼らの方が詳しいだろう。

 彼らが十分すぎる程に富めば、やがて弱き者のところにも、富が行き渡るだろうて。


 例えるなら無数に折り重なった桶の一番高いところから、水を注いでいるようなものだ。

 ひとつの桶が満水になれば、水はこぼれ、別の桶が水を受ける。

 その桶もいっぱいになれば、さらに隣、あるいは下の桶へ。

 そうして絶え間なく水を注ぎ続けたならば、いつの日かは、最後の一つに至るまで、水に満たされることにもなろう。


 もちろん、お前が望むように、直接、一番下にあたる桶へ水を注げるのならば、それに越したことはないだろう。

 我らブラジウスに、あり余るほどの富と時間と人員があれば、それも可能になるだろう。

 だが、現実として、無数にいる弱き者のところへ、どうやって彼らの居場所を割り出し、救いの手を差し出せばいい?」


 ディンは想像した。

 あの少女は、今、どこでなにをしているか。

 彼女にパンをあげるにはどうすれば良いだろう。

 単にパンを手渡したとして、それが少女の口にはいる保証はどこにあるのだろう。

 自分たちが立ち去ったあと、奪われてしまうのではなかろうか。


 よしんば、少女が満足に食べられたとして、そのあとで妬まれ、いじめられない保証はどこにあるのか。

 彼女は、絶対的弱者である事実は、施しひとつで解決しうることではない。

 もし仮に、その少女を貧困から拾いあげられたとして、また別の少女が同じように助けなければならぬ。


 あるいは、施しを拒絶するような、兄妹の例もある。

 彼らに対して、俺は何ができるだろうか……。

 自分には、理想を形にするだけの道筋が、見えていないのだと、ディンは思い知った。


 ディンが、言葉を充分に理解するのを待って、老人は言葉を続けた。


「我々はさらなる力をつけねばならん。

 わたしはもう、老い先短い身の上だ。これからの時代を率いるお前こそ、目先の些事にとらわれることなく、着実に力をつけねばならん。

 そして、ブラジウスに貢献してくれたまえ。

 ブラジウスを更なる繁栄に導いてくれたまえ。

 そして、繁栄したブラジウスからこぼれ落ちる富でもって、民衆を救済することこそ、我らが使命。

 そのために、わたしのようなものを、上手に使いなさい」


 滑らかな口調で語ってきかせるような先生の口調に、ディンは悟る。

 自分考える程度のことは、すでに考え尽くしていることを。


 自分の考えが、いかに直情的で短絡的であるかを指摘された気がして、ディンは顔から火がでるほど恥ずかしかった。


「大局を見たまえ。

 それが、今のお前に必要なことだ。

 あまり、彼らに肩入れせんように。

 それではきっと、現実に裏切られる。

 今のお前では、全てを放り出して逃げ出してしまうのではないかと、不安になる」


「はい、先生」


「よく学べ、若人よ。我らの使命達成には、徹底的力闘こそ唯一の要諦なり」


「より多くの人々に、より多くの幸福を」


 ディンは、ブラジウスの経典に刻まれた言葉を口にした。

 自分の中でブラジウスへの貢献と、労働の意味が繋がった気がした。


「そして来たる日には、その理念に殉じるべし。

 我らの聖女が、理想に隷属し、艱難辛苦の道を歩んだように」

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