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48 「この船の上では、私が法律なんですよ」

 トトノ商会の貿易船は、奴隷を使い、最後の荷を積み込んでいた。

 塩漬けに薫製の肉に、蜂蜜に漬けた果実、硬く焼き固めたパンなど、これからの船旅に必要な食事である。


 まもなく出向である。

 やがて、ブラジウスの大聖堂から火の手があがった。喧騒が、山間にこだまする。手筈どおりにことは、街の様子から見てとることができた。


「うちの子たちは上手くやったようだね」


 楽しげな口調でいうのは、宮殿の主人エマである。


「そりゃあ、身のうちを好きに歩き回られちゃってる時点で、計画の成功は約束されたようなものでしょう」


 そう返すのは、エマの傍らに立つトトノ商会の主人、トトノである。

 トトノは普段のお仕着せではなく、取引に臨むときの一丁羅に身を包んでいた。


 二人は甲板に立ちながら、人々の混乱を興味深そうに眺めている。

 知らない者がみれば、親子連れにしか見えないこの二人である。

 だが、彼らこそが、ブラジウス炎上の元凶だった。


 宮殿の娼婦には、ブラジウスに恨みを抱くには十分すぎる動機があった。

 彼女たちは、接収されて、連れてこられた身の上であった。

 生き抜くため、また、身を守るために、自らを徹底的に磨きをかけ、価値を高め、人格をもった一個人として扱われるまでに上り詰めた、いわば叩き上げの集団だった。


 まもなく彼女らは、教会からの求めに応じて密会に出入りするようになり、資産をと信頼と、何よりも強力な『情報』を蓄えていった。


 男たちは、快楽を解放すると同時に、心も解放してしまうもので、重大な機密から、機敏な人間関係にいたるまで、思わず口を滑らせてしまうことも多々あった。


 それらひとつひとつは些細なものでも、それらを持ち寄れば全貌がみえてくるのである。

 それでいて、漏らした当の男たちは、教会の不利益になることは決して口にしていないから大丈夫だと思い込んでる始末である。


 加えて宮殿の女性たちは、決して男たちを怒らせることをしなかった。

 いや狩りもせず、むしろ大変好ましく思っている口ぶりで迫るのである。

 そして、欲望の一端を握られている男たちを操るのは、彼女たちにとって赤子の手をひねるようなものだった。


 密会の席では、監視の目も甘くなる。というより、上の立場の人間ほど監視の目を嫌う傾向にあり、監視はつけられていない。

 つまり彼女らは、密会のある夜は、ほとんど自由に歩きまわることができた。

 火元の元凶は彼女たちである。

 簡単な発火装置をつけ、各所に油の詰まった小樽を置いておいたのである。

 時がくると一斉に、出荷するようにしたのだった。

 ただ、教会を焼き落とすにしても、娼館だけでは手が足りない。というより、物資の調達ができなかった。


 そこでトトノ商会である。

 情報が武器であることを知っている商人と、娼館の相性は抜群である。

 調教の手練れなりなんなりは、餅は餅やであると。

 どちらからともなくはじまった共存関係は、当事者の気づかぬうちに相当強力なものになっていたのであった。

 

 もちろん、娼婦を供給する側のトトノ商会と供給される側の宮殿の間に遺恨がないとはいえない。

 宮殿の不満を一手に引きうけ、ブラジウスへと転嫁せしめたのは女傑エマの手腕である。

 とかく、商会と宮殿は手を組み、企ての結末を座して待っている立場であった。


 そして吉報は、向こうからやってくるものである。

 二人を結びつけた、張本人が、己の主人を引っさげてやってきたのである。


 積み込みを横目で眺めていたトトノ商会の現当主トトノは、坂を駆け下りる二人組をみつけると、待ち人を見つけた恋人さながらの笑みを浮かべた。

 だが、さらに後ろからは、何台もの馬車が猛烈な勢いで迫ってるのもみえた。


 まず、今回の仕掛け人たちを迎えることができたトトノは弾んだ声でいった。


「まずは、我らの雇い主のご到着です」

 

 だが、招かれざる客が到着したのも、ほとんど同時である。

 馬車を駆り、波止場へ乗り付けたのは、ディンの師匠である。

 ブラジウスの枢機卿たるディンの師を筆頭に、衛兵が次々に飛び出してくる。

 青ざめた顔の彼は、大股に船に歩み寄る。


 アシャがディンを庇うように立つ。

 表情を引きしめ、剣柄に手をかける。


 さらにその前にたったトトノは手のひらで制し、うやうやしく頭を下げた。


「閣下。これはご機嫌うるわしゅうございます」


 枢機卿は青い顔のまま要件を述べる。


「つい先ほど、うちの死刑囚が、君の船に乗り込むのを目撃してね。そうそう、ちょうど君の背後に隠れている彼だよ。その連れの女性も、此度の放火の重要参考人だ。ひきわたしてもらいたい」


「そんなもの、どこにおりましょう」


 トトノがとぼけた口調で答えるのに合わせて、枢機卿も好々爺のような笑みを浮かべる。


「それは如何なるご冗談かな、ご当主?」


 トトノは、誰にでも向ける完璧な笑顔を浮かべていった。


「なんと、先ほど捉えた密航者のことですか」


 トトノは白々しく、言葉を紡いでいく。

 彼の口調は、誰に対しても等しかった。

 時の権力者であっても、奴隷であっても同じ、丁寧に受け応えする。彼の態度が、相手の心を逆撫でするとわかっていても。


「しかし、引き渡せとは乱暴なことをおっしゃいますな。

 捉えた密航者は我が商会の奴隷となる。それが、海の上の掟です。この者らは、我が商会の所有物です。活かすも殺すも、売買するのも。

 この者たちの売り払い先はすでに決まっておりまして」


「詭弁だ。私の言葉は、教会の言葉だ。私に従わないのなら、貴君らの商売も難しくなるかもしれんぞ」


「権威を盾に取るとは、閣下らしくありませんね」


「くどい。これは我がブラジウスの進退に関わる重要な案件だ」


 枢機卿は、己の胸あたりまでしかない、小柄で若い商人を威圧するようにいう。

 トトノはわざとらしくため息をついた。


「そうですか。我が商会の財産に手を付けるとおっしゃいますか。閣下いえども、聞き捨てなりません」


 トトノがそういうと、我が意を得たりをばかりに、用心棒たちが短槍を構えた。

 枢機卿の連れてきた衛兵たちも、手に手に武器を構えた。


「私どもにも、立場というものがありまして。この船の上では、私が法律なんですよ」


 そういって、トトノは手を掲げた。あとは、それを振り下ろすのみである。

 そうなれば、甲板一面が、血の海に染まるだろう。


 ディンはたまらなくなった。

 目の前で行われる、自分の命に関わる取引である。

 それは、わかる。

 なぜ、このような事態になっているかはわからないが、これから血が流れようとしていることは理解できた。


 己の命を諦めることはできない。

 いまのディンの命は、アシャに拾ってもらった、アシャのために使わなければならない命だった。

 おいそれと投げ出すことはできないのだ。

 だが、事態を静観していられるほど、ディンは鈍感ではいられなかった。


 マキナのように流されなくてもよい血が、また流れることになることを静観できるほど、彼は達観できてはいなかったのだ。

 活路を求めて、思考が脳裏をかけめぐる。


 あと一押しが足りない。あと一歩が。

 最後の一押しは、教会で学んだ自分にしかできないはずのことが、あるのではないか。

 師に学び、教えに従っていたものだからこそわかる、なにかが。


 ディンは一歩、進みいでる。

 そして、先生、と呼んだ。

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