45 「わたしこそが、ブラジウスだ」
「処刑はなさねばならない。ひとの上には、等しく死をもたらさなければならない。ブラジウスの柱となり非業の死を遂げた魂を慰める、唯一の方法なのだ」
感情のこもらぬ、かすれた、抑揚のない声だった。
「それは呪いです」
アシャが否定する。
「これは福音だ」
処刑人が被り物の奥で笑った。
表情は見えない。
だが、些細ない息遣いが、あるいは微かな顔の傾きが、処刑人の感情をなによりも言い表しているようだった。
「わたしは、中立であらねばならぬ。わたしは、意思を持ってはならぬ。わたしは、恐怖そのものであらねばならぬ。
ブラジウスが、わたしを肯定したのだ。世間が、わたしに居場所を整えたのだ。お前たちが、わたしのような存在を求めたのだ」
「永遠に続く治世などありません。それは、すぐそこまで来ているのです。あなたもそれを受けいれ、変わらねばなりません」
「どうやって変われというのだ。
ひとは、私をみて、死を連想し、穢れを疎み、何事よりも遠ざけたいと願う、死、そのものだ。
死を、どのように肯定しろというのか」
処刑人が、手にした長刀をアシャに向ける。
旗を手にしたまま、アシャは悲しそうにいう。
「あなたほと、ひとに尽くしたいと願うひとはいなかったはずです」
「そうだとも。あたしは、あたしの仕事に誇りを持っている。
己の将来に女々しく悩む、恵まれた奴らとは違う。
わたしには選択肢がなかった。だから、人生を掛けたのだ。
生とはなにか、死とはなにか。
ひととして生まれ、土くれに変えるまで。
何がひとを生かし、死をもたらすのか。
人の腹を開いたときの、外気に触れる感覚。脈打つ臓器の鮮やかな色合い。
なぜ、こんなにも、ひとの身体は脈打つのか。
なぜ、こんなにも、ひとの身体は痛みに敏感なのか。
なぜ、こんな姿になってまでも、生きたいと願うものがいるのか。
そんな彼らが、必死になって死を乞い願うに足る要因。痛み。肉体的な、精神的な。
我が血肉とし、我が技術とし、我が同胞に還元しるう技術と成すにために、ひとの命を使い尽くすということ。
人の死は、無碍であってはならない。
この信念にしたがって」
そう言い捨てると、処刑人は、陽の光を受けて妖艶に輝く長物を片手に、アシャへと襲いかかった。
嵐のように襲いかかってくる剣技は、一息の間に繰り出される。
一度でも受け損なえば、それで終わりだった。
斬撃は絶え間なく、息をつくまもなく、永遠に続くかのようにも思われる。
ディンの目には、アシャの身体が、妙に緩やかに感じられた。
ぼんやりと、そよ風に優しく吹かれてでもいるかのように、身体が微かに傾いでゆく。
旗の重みを存分にに利用し、旗の竿を相手の剣筋に添えるように傾けることで、処刑人の剣技をことごとく受け流しているのだった。
アシャは見切っていた。
相手の剣筋はもとより、怒涛の連続攻撃には、仕掛ける側にも限界があることを。
人間である以上、必ず息が続かなくなるのだ。
攻める側も受ける側も、お互いに息が続かなくなるその瞬間が、唯一にして決定的な一撃の瞬間である。
アシャは、相手の呼吸の乱れを見事にとらえ、履いていた鞘から細身の剣を突き出した。
しかし、処刑人も只者ではなかった。
長年の修練によって身体に覚え込ませた本能的な反射速度でもって、アシャの繰り出した一撃をかわすことに成功する。
しかしアシャの速度が、一枚上手だった。眉間をかすめ、被り物だけを貫いたアシャの剣が、かの者の素顔を露わにする。
「そんな」
ディンの口から、思わずもれでた驚きの声。
当代一とも思える医療の腕を持ち、迷いのない迅速な治療で、幾人ものひとの命を救ってきた、街一番の医者であった。
シアモーション施療院で、街の恵まれざる者たちへ、無償に近い医療を施していた医師マキナは、なんとも言えない顔をディンに向けた。
泣き出しそうにさえみえる、幼い顔だった。
「笑うな。
お前は、物事を一面からしか見ていない。だから、騙されもするし、足元を救われもする。
ひとつ良いことを教えてあげよう。
あたしがここに存在していられたのは、それが社会にとって必要だったからだ。
あらゆるものと交換できる金はもとより、奴隷市場、潜りの医者、場末の娼館に、物乞いの少年少女。
ノマドと呼ばれる不幸な者たち。
この世に存在するものは、それがこの世で誰かにとって、必要だったからだ。
ありとあらゆるものが、だ」
「あなたは誰よりも優しいひとだ」
腹立ちまぎれにディンは叫んだが、マキナは動じなかった。平然といってのける。
「この街の暗部のすべてが、この双肩にのしかかる。
ブラジウスの暗部が。
市政の凋落が。
それらの顔役が、このわたしだ。
わたしこそが、ブラジウスだ」
マキナの答えに、ディンは大きくあえいだ。
ディンの嘆きの叫びと、アシャの一撃は、ほとんど同時だった。
処刑人マキナも、アシャに向かって猛然と突進した。
勝負はその一瞬で決した。
アシャが、そっと身を引く。そして、剣を軽く払った。
ぴしゃりと、血が処刑台に線を描いた。
それと同時に、マキナの身体から、膝の力がぬけていった。膝をつき、上体がゆっくりと傾いてゆく。
処刑台の上に倒れ伏し、動かなくなった身体から、みるみる赤い血が流れていく。
板の合わせ目から、彼女の血がしたたり落ちた。
マキナの突っ伏す様子は、首を切りおとされた死刑囚と大差ない。
アシャが剣を履き直すよりさきに、ディンはマキナに駆け寄った。
彼女の身体のそばに膝をつき、慎重な手つきで彼女を仰向けにしてやった。
マキナは、まだ息があった。
ディンと視線が交差し、彼女は小さく笑った。
喉をかすかに震わせ、かろうじて、ディンにだけ届く声でささやいた。
「わたしのように、なるな」
それが最後だった。
そこにあるのは、ただのひとの遺体である。
数刻前まで、自分がなるものだとばかり思っていた、亡骸である。
ディンはマキナの頬にてをあて、それから目をそっと閉じた。
それから、死闘を繰り広げた、もうひとりの女性をみあげた。
アシャは、ディンを無表情に見下ろしていた。
けれど、その目元に、かすかな陰りがみられるのを、ディンは認めた。
悲しんでいるのは、なにも自分ではないのだと、ディンは知る。
すると、悲嘆に暮れるのは今ではないのだと理解できた。
アシャが、ディンに手を差し伸べた。ディンは、ためらうことなく、彼女の手をとった。
彼女の手にした旗が振られた。
稀代の英雄を迎えるように、ふたたび民衆が二つにわれ、道が出来上がった。
アシャがディンに手を伸ばす。
差し出された彼女の手を、ディンは拒まなかった。
一緒に、民衆の間を歩いて行く。
息を詰まるような時間だった。
誰ひとりとして、微動だにするものはなく、彼らを阻むものはない。
アシャが歩みを進めるごとに、外套の袖が石畳の上をさらりと移動し、彼女の掲げた旗が、風もないのにはためいた。
宝石もなく、髪飾りもなく、両腕に腕輪をはめているわけでもない。
だが、その場の誰もが、彼女の姿の中に、忽然とした輝きをみた。




