44 ――このまま生きてゆくならば
誰かのために生きる。
貴様には分不相応な紋章だと、貴様には蛇と赤いマントがお似合いだと嘲笑を浴びても、手を伸ばすことを諦めなかった紋章。
杯とぶどうをあしらったそれは、目の回るような忙しさの合間合間に訪れる刹那の空白になると、いつもわたしに問うのである。
わたしが思想家であれば、いつまでも書き連ねられる無限とも思われる思考の渦にペン先を委ね、心ゆくまで自分の綴る文字の羅列に心を震わせるところである。だが、生憎のわたしは、書き付ける紙も羊皮紙も、ペンもペン先もインクももたず、従って、こうしてわたしが費やした思考はこの世に形を留められることなく、果てない時間の流れのって、浮かんでは霧散し、きらめいては燃え尽きて、有と無との間を行きつ戻りつしながら、忘却の彼方へとたゆたって行くのだろう。
わたしは、日が昇りってから日が暮れるまでの間を、文字通り身を焦がして走り回る。
ぶつかりそうなほどに肩を近づけながら通りを行き来する人々の往来をくぐり抜け、病に苦しむひとがあれば、駆けつけて治療し、すでに死の淵にあるあると聞けば、手を握りしめてこれを慰め人びとの往来が途絶えたがらんどうの通りの道中を、疲れはて痺れ切った足に鞭打ち、帰路につくのだった。
そうしてたどり着いた家の前で、鍵を探し、重く軋み声を上げる戸を押して、明かりをつけ、手土産にもらった飯を食い、まっぱになって身体の汚れを拭い、眠い目をこすりながら机に向かい、刹那とも呼ぶべきわずかな時間に、新たな知識を求めて本の海に潜り込む。
いつか役立つと信じて。
今日の出来事にひとつふたつの教訓を身に刻み、明日こそは自由に生きると決意を固め、あとは書を読むなり書くなり眠るなりという段取りだけを整えたところで、ふと考えてしまうのだった。
わたしは幸せなのだろうか、と。
何をばかなことを、という人がいるかもしれない。
自分のなせるだけの金を稼ぎ、誰に寄りかかることもなく生きている君はよくやったと褒めるものがいる。
地位も名誉もやり甲斐もある仕事だと、わたしの立場を羨ましがる友だちがいる。
あるいは、人並み以上に短時間で稼ぎを上げるわたしのことを、妬み嫉み呪うひとがいるかもしれない。
しかし、そんな敵意に違いない感情を向ける人が、果たしてこの世にどれだけいるというのだろうと考えると、わたしは途端に、いてもたってもいられなくなってしまうのだった。
わたしは医師として街に名が知られているわけでもなければ、ひとを動かすだけの事業を持っているわけでもないのだ。
徹頭徹尾、自己完結する技術の世界に身を置き、たまには顔をだせと催促する地域の寄り合いだけが、毎日の生活のなかで、わたしに微かでも関心を寄せる人間たちだ。
誤解なきよう付け加えることがあるとすれば、それなりの組織に所属している限りにおいては、仕事の同僚とでも表現すべき者どもが、わたしに親しげに話かける事も、ないでもない。
だが、究極的に、ひとは他人に興味がない。
街の往来も、客を呼び込む商人の声も、絢爛たる押しつぶされるほどに接近した人も、わたしを求める患者でさえも、極限まで発散させて、あるいは収束さえて考えるならば、わたしに興味はなく、わたしである必要もなく、わたしを求める理由もないののだから。
いや、無関心であれば、まだ良い方だ。
人々がわたしに寄せる感情を端的に表現するならば、恐怖、となるのだから。
だから、わたしは自問せざるを得ない。
わたしはいったい、なぜ生きているのだろう、と。
わたしの業。
鮮やかであると評され、あるひとは芸術的であると賛えるもの。
刹那の時間に隠と陽が入れ替わる所業は、確かにひとを惹きつける。
実のところ酷くいびつで、不恰好で、不安定なもであるにもかかわらず。
わたしがわたしと呼ばれるものは、なにに依存するのか。
血筋か、生まれか、地位か、立場か、蓄えた金か、誰か過ごして時間か。
わたしと会話をするとき、相手はわたしという外見を通して、何をみているのか。
実のところ、わたしはわたし自身をが幸せであるためには、わたし自身をがわたしを規定するしかないのではないか。
では、他人のために働いているわたしは、いったいなんのために生きているのか。
わたしの時間は有限である。限りある命である。
だというのに、わたしはわたしのために時間を使うことなく、わたし以外のわたしに無関心な誰かのために、わたしは命に勝るともおとらない時間という概念を費やしているのだ。
あるいは寿命と言い換えても構わない。
わたしにとって、真に価値があり、本来であれば何事にも代え難い宝物であるはずのそれを、わたし自身の望む技術をつけるためでもなく、わたしの夢へ到達するまでの足がかりにするでもなく、わたしが心からやりたいことをするでもなく、流されるままに労働を通し、通貨に換金しているのだ。
働けども働けども、わたしの仕事は変わることなく、日が昇る前に動き出し、日が沈んでからたっぷり動き回ってから終わる。
では、辞めようかと思い立つも、理性とも悪魔とも呼ぶべき冷静な自分が、感情の自分を叱りつける。
これ以上の罪を重ねて、明日からどうやって生きるのか、と。
わからない、と感情の自分が泣き叫ぶ。
ならばせめて、ひとのために生きてみよう、と冷静で冷酷で悪魔なわたしが肩を叩く。
だからこうして、眠い目のこすりながら、わたしは自分が何を成したいのかと自問するのだ。
そして毎日毎日、同じ結論にたどり着く。
単純な話、実のところ、わたしに成したい夢などない。
わたしの胸のうちは、とうの昔に空っぽになってしまっている。
だから、誰か他のひとが描いた、他人の成し遂げたい夢のために、汗水垂らして働いているのである。
あるいは、生きたいと願うひとのために、文字通り心身ともに擦り減らし、消耗しているのである。
理不尽な怒りに包まれ、己が意味もない怒りに震え、いつしかなんの感情も浮かばなくなるのだろう。
このまま生きてゆくならば。
この街で生きてゆくのならば。
いつのまにか、気づかぬうちに。
妙に小賢しく、少し先が見通せてしまうわたしの頭は、こういったろくでもない妄想を垂れ流しながら、今日も眠りにつこうとしている。
日々、焦りを抱え、消耗し、すり減った心の痛みが怒りに転換され、我が身から燃え上がる抑えぬ怒りに身もだえながら、わたしは浅い眠りにつきながら、祈るのだ。
明日なんてこなければいいのに。
他人に見られたならば、恥と羞恥とに身悶えすること請け合いの妄想も、モラトリアムの時間を過ごせばこそである。この点だけは、自らの発見を褒め称えたい。
医師を意味する杯とぶどうをあしらった紋章。
その背後に、黒いしこりのように、忽然と残る蛇の家紋。あるいは、業。
ひとをいくら救ったところで、背負いきれないほどの罪がわたしにのしかかる。
考えるのをやめてしまえば、楽になることはわかっている。だというのに、わたしは迷うことをやめらえない。
わたしが今日手にするべきは、命を救う小さな小刀か。
あるいは。




