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04 「女性の扱いがなってないですね?」

「お花はいかがですか」


 愛らしく着飾った少女が、道行くひとびとに声をかけていた。

 ディンも声をかけられるも、笑みを浮かべたままやり過ごす。


 客を呼び込む活気あふれる声、値切り交渉の商談に、石畳を叩く無数の足音。

 猿を従えた大道芸人に、帯刀した修道騎士たちの往来。

 灰色がかった壮麗な凱旋門をくぐりぬけると、これまでとはうってかわった喧騒に満たされている。

 

 曰く、息子の嫁がなかなか子どもを産んでくれなくてさ。

 歳もそろそろ若くないんだから、少しは焦りってものを感じてほしいのよ。

 その点、あなたのところは……。


 曰く、今日届いたばかりの果実はいかが……。


 曰く、このあいだの戦争で、感じのいい奴隷が入ってきたろ。

 あれで価格がまたさがったんだと。今がお買い得だそうだ……。

 

 曰く、お客さん、このクリームを月明かりに一晩かざして置くんだ。

 道満ちた月の力を得たこのクリームを塗っておくと、肌が若さをとり戻すって秘薬で……。


 曰く、人類の時代は終わりを迎えようとしている。

 人類はもう、自分で自分の発展を制御できないでいる。

 この乱立する宗教のなかで、正しき祈りを正しき相手に捧げなければ、人類は自滅へのみちを転がりゆくのみである……。


 人々の口上にのぼるうわさ話や客引きの声にと同時にやってきたのは、雑多な匂いの群れだった。

 軒先から漂うツンと鼻につく香辛料の薫り、肉の焼ける香ばしい匂い、あるいは、焼き立てのパンの香り。

 人々の営みが幾重にも折り重なって、ブラジウスの市場を形づくっている。


 ディンは、傍らの少女を盗み見る。

 肘を引かれた彼女は、白かった頬をあからめ、すっかり息を弾ませている。


 見たことのない街なみ、見たことのない喧騒、みたことのない食事による興奮が半分といったところだろうか。

 もう半分は、疲労のためである。

 杖にもたれかかり、足をやや引きずっている彼女は、道行くひとに幾度となくすれ違い、肩をぶつけ、あるいは追い抜かれている。

 彼女は額に汗を浮かばせながら、足を進めていた。

 ほとんど寝たきりだった足腰は、ゆっくりとしか動かないのだから、疲れるのは当然である。


 ディンは、そっと、肩を抱くように身を寄せた。

 少女の身体が、かすかにこわばるのが伝わってきて、ディンはなんとも言えない気持ちになった。


 彼女の歩みに合わせながらディンがなんとなく露店を眺めていると、店主が視線をみとがめ、顔をしかめながら声を掛けてくる。


「そこのノマドはあんたの連れか?」


 手癖の悪いガキどもの仲間じゃないだろうな。

 悪いが、店の側をうろちょろしないでくれ。


 店主はいかにも困っているという風を装い、ディンに苦言を呈していた。


 ディンの連れの服装はというと、胴から足元まで、繕いのある布一枚で、腰を紐でしぱっているだけである。確かに、ノマドと間違われても致し方ない装いである。


「さきに、君の服を買いに行こうか」


 ディンは頭をかきながら、少女にささやいた。

 彼女は、なにを言われたのかわからず、何度か瞬きをした。




「いらっしゃいませ? なにをお探しですか?」


 独特な発音の女性の店員が、来店したディンを認めて声をかけてくる。

 彼の連れてきた女性の身なりを認めて、店員は目を丸くした。

 物盗りか、あるいは物乞いか。

 心の中で警鐘がなり、それをさとられないように注意深く頭を下げた。

 が、すぐに職業意識が勝ち、彼女の身なりの悪さに顔をしかめた。


「ご主人、予算のほどは」


 店員は、にっこりと微笑みながら尋ねた。

 彼女に買い与える意外のことをするなら叩き出す、という無言の圧力を感じた。


「彼女に似合うものを」


 ディンの一言に、店員は満足げに頷くと、彼女の手を引き店の奥へ連れて行く。

 ディンが手持ち無沙汰に店を眺めていること数刻。


「どうですか、お兄さん?」


 店員が声をかける。

 少女は目を伏せながら、ゆっくりとディンの前に姿を表した。

 身につけているのは、静かな紫色一色のドレスだった。

 女性らしく綺麗に膨らんだ胸元。

 過酷な生活を覆い隠すようなゆったりと覆い隠し、足首まで続いている。

 ドレスの裾からは、彼女にぴったりの皮の靴が顔をのぞかせていた。


 ドレスにあわせて、持ち前の金髪を後ろでゆるく括っており、彼女の持ち前の輪郭があらわになっている。

 目が大きく、鼻筋がすらりとして、少しばかり痩けた頬でもわかる、あごのすらりとした細い線。


 整った容貌のなかでも、ひときわ印象的な、藍紫の双眸。

 彼女が瞬きするたびに、その色をのぞかせ、蠱惑的な光を撒き散らした。

 ディンは息をつかの間息をするのを忘れた。

 当の本人は、居心地のわるそうに肩をゆすり、腰をひねっている。


 彼女の挙動にあわせ、ふらりと広がった布地がゆらめき、今にも布がすれあう音がきこえてくるようである。


 金色の髪がしゃらりとゆれ、前髪が少女の額にふりかかる。

 彼女が髪をかきあげる仕草を眺めながら、ディンは、喉の奥が涸れていくのを自覚した。

 それを誰かに悟られることは、とても恥ずかしいことのように思えて、ディンはぶっきらぼうにいう。


「わからん。彼女に聞いてくれ」


 彼の口調は、自分で思っていた以上に強いものだった。

 すると、店員が不満げな声をあげる。


「女性の扱いがなってないですね? なんでもかわいいって言っておくのが定石ですよ?」


 なるほど、いわれて見れば確かに、街を歩く女性たちは、こんな身なりをしている。

 これがかわいい、ということなのだと、ディンは妙に納得した。

 しかし、なぜだか、彼女にかわいいと告げるのははばかられた。

 彼は、普段の説法に逃げ道をもとめ、もっともらしい言い訳を口する。


「俺がいいっていったら、彼女の意志を無視することになる気がするんだ。

 自由意志こそが、ブラジウスの素晴らしいところなんだから」


 商人は、乾いた笑い声をあげると、彼女の耳元でささやいた。


「あなたのご主人さまは相当もてないようですよ?」


 その声は、十分ディンの耳にも届いていたけれど、反論したところで墓穴を掘ることになると、彼は重々承知している。

 なにせ、女性と買い物をするなど、初めての経験なのだから。


「いくらですか?」


 店員は、顔に正直者以外の何物でもない、という笑顔をうかべ、値段を口にした。

 もちろん、ぼってなどいない。

 下手なことをして、将来の優良顧客をみすみす失うような真似をするつもりはない。

 

 ごくごく当たり前の金額を口にしていた。

 しかし彼にしてみれば、少々ならず高い金額。

 予算よりわずかに上、といったところを狙ってきていた。


 彼の迷いを取り払うように、店員は、律儀に内訳を計算してみせる。

 外套はいくら、シャツとズボンはいくら、と。


 ディンは観念して、財布の紐を開く。

 店員は、実に良い笑顔で彼にささやく。


「女性の口説き方に困ったら、いつでもいらしてくださいね?」

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