34 「人の死は、無下であってはならない」
正午を告げる鐘の音と共に、鉄門が開かれた。
馬車が広場を目指して駆け出した。
空は冴え渡り、程よい暖かさで、街の民衆が浮かれるにはうってつけの気候だった。
どの路地も、お祭りのような騒ぎだった。馬車は幾度か曲がり角を折れていく。
右へ。左へ。また、右へ。
およそ街の主要な通りを巡り、皆に今日の主役の顔見せを終えたあたりを見計らって、馬車は広場に到着した。
馬車を迎えたのは、割れんような歓声だった。
正面に本日の舞台があり、高い十字架がそびえ立っている。
広場を囲う居酒屋や数軒の宿には、人が押しかけており、特に見物に好位置である二階の窓のそばの席は、押し掛けた見物人で大人気だった。
場所代で稼ぎをあげられる主人たちにとっては、上乗の日に違いなかった。
しかして、民衆の熱狂とは対照的に、今日の主役は気の毒なほどに白い顔をしていた。
彼は名門貴族の出だというが、上着をぬぎ、髪はどうにかみられる程度に、短く刈りそろえられていた。
「必要ですか」
そういって、ディンは酢に浸した布を差し出した。
「いいや、結構。わたしにも意地がある」
その貴族は、弱々しい口調ではあったが、きっぱりとディンの申し出を断る。
ディンは静かに布を瓶にしまうと、いつでも渡せる旨を伝えて押し黙った。
その誇り高い貴族は、ディンにとって十二人目になる死刑囚だった。
彼の犯した罪は、ブラジウスに対する明確な反逆である。
彼はなんと、軍の副将という立場にもかかわらず、采配をふるわず、周辺国との戦を大敗せしめたのである。
大勢の兵が、戦場に倒れ、そのなかには、幾人もの貴族が含まれていた。
そのなかには、視察として従軍していたディンの同期も含まれていた。
救いがたいのは、そうした、立場の高い人間が軒並み死に絶えたにもかかわらず、彼だけがブラジウスへの帰還を果たしたことにあった。
彼が助かるのであれば、戦に直接関わらないような、例えば彼の同期や貴族たちは、死に面するような場面は起こり得なかったはずだった。
当然のことながら、子息を失った貴族たちは、そうなった事情と、やり場のない怒りをぶつけるための生贄を欲した。
そして査問会の場で、状況の説明等の質問には頑なに沈黙を守ったという。
召喚された彼の部下たちも、ことの詳細については一切ふれず、これといった進展もなく議会が行き詰まったところで、彼はいけしゃあしゃあと言い放ったという。
「全く、教会に尽くしたところで、この仕打ちとは」
この発言で、彼の反逆は決定的なものとなった。
その後の彼への対処は、議会の進捗とはうってかわった軽快なものだったと、ディンは聞かされている。
ディンが手にした情報といえば、その程度。
あとはやや神経質そうな、青い顔の貴族から、聴けることがあれば聴いてくれと言付けられたのみであった。
馬車に乗り込む前の、最後の懺悔の席でいくらディンが会話を振っても、やはり彼は沈黙を守っていたのであるが、砂時計の砂があとわずかで流れ落ちるといったところで、青年は静かに口をひらいた。
「私は何よりも、人が怖い」
どういう意味かと尋ねると、無知は力なのだといって笑われた。
彼の目は全くの正気であるところをみると、からかわれたようであった。
「あなたは本当に、ひとを殺したのですか」
「結果だけみればね。だが、私なりの正義を貫いた結果だということは、わかってほしい」
ブラジウスの若きエリートに言ってもせんなき事かもしれないが、と彼は付け加えて自重気味な笑みを浮かべた。
それが、ディンの目にした、彼の最初で最後の人間らしい表情だった。
いつもの要領で、赤き衣に身を包んだ処刑人があらわれ、当人の背丈ほどもある、反りの入った刃物を振り上げたところで、広場の興奮は最高潮を迎える。
血しぶきが舞い、ぼとりと物が落ちる音がし、処刑は終わった。
ディンはいくつかの祈りを唱え、来たときとは異なる華やかな馬車にのって、教会へと向かう。
道中、いつもの手帳をとりだし、名前の横に印をつけ、二言、三言書き連ねる。処刑後の、決まりきった作業である。
実のところ、あまり処刑に動揺しなくなっていた。
「先生、終わりました」
「ご苦労」
老人は、書物の手を止め、ディンをねぎらった。
ディンがチラリと目にしたそれは、またもや処刑の命令書であった。
指一本で人の生き死にを左右できる先生と、権力の名のもとに暴力を振るう赤い衣の処刑人と、他人の運命を弄ばれれる罪人。
そう、罪人の首を切り飛ばす片棒を担いだのだ。
けれど、ディンの目に映った彼は、ひと角の人物に見えた。
しっかりと教養を蓄え、死を正面からしっかりと捉え、受け止めていた。
死を前にして、凛としていることがどれほど難しいことか。
死刑囚を送り続けたディンだからこそ、身をもって理解できる。
そんな彼と、自分との間に、どんな違いがあるのか、ディンにはわからなかった。
「先生」
ディンは意を決して尋ねる。
「元帥は死を賜るほどの罪を犯したのでしょうか」
「立派な人物にみえたかね」
「ええ。少なくとも、死に向かう彼は、誇りを最後まで失わないように努めていたように見受けられました」
「そであろうとも。あの者には、ずいぶん期待していたのだから」
先生はそういうと、胸の前で十字をきり、黙祷を捧げた。
「人の死は、無下であってはならない。彼は、多くの同胞たちの魂の鎮魂のために、その生命を捧ぐのだ」
「死者のために、死ぬことがですか」
「少し違う。彼はブラジウスのさらなる繁栄のためでもある。
「そもそも、人は死ぬ。彼はブラジウスと共にある。
ブラジウスは永遠だ。
従って、彼も永遠だ。
彼は、彼自身の罪をその死でもって償うことで、英雄となる。
部下と魂をともにすると己に誓った英雄として、歴史に名を刻むのだ。
そして彼は、彼の後に続くものの礎となる。後に続く者が、迷うことなく、自信をもって次なる一歩を踏み出せるための墓標となる」
重々しく、先生はいった。
「幸いなことに、それが許されるだけの立場を、彼は得ていた。副将という立場には、それだけの価値があったのだ。
故に、今日、彼は、この先も繁栄する教会のために、恒久的な利益を期待され、殉教者となった
彼はブラジウスの正しさを、その身で示す立場になったのだ。彼の死に疑問を呈してはならない。
そうだろう、ディン」
「はい、先生」
立場こそが、我々を護る。
その立場を吹き飛ばす処刑こそ、権力の象徴。
そして自分は、あの権力をほしいままにするための立場を獲得するべく、競争しているのだと、ディンは改めて胸に刻み込んだ。
彼我の差は、立場の差。
それが、すべて。
あの刃物が振るわれる瞬間に、その場に居合わせたのは、首を差し出すものと、処刑を指先ひとつで処刑を中断できる権力者と。そして、何の責任も負わない代わりに、何の権限も持たない民衆である。
自分が、どの立場になりたいかと問われれば、答えは決まっている。
だから、自らの問いにたいする答えはこうだ。
馬鹿をいうな。
この人ひとりでは変えられぬ空気を生み出す力こそ、絶対的な正義なのだ。
先生のススメに従い、奴隷を買い、民衆に神の教えを説き、罪人の魂を見送った。
はじめは浮ついていて、まったく馴染むことはできそうにないと不安に思った日々もあったが、繰り返し唱えた言葉は、気づかぬうちに自分の考えに変わっていた。
ひとの死を見送るたびに、ディンは苦しいと感じる。
それは、己に対する試練であり、ブラジウスは試練を受け入れることを望んでいる。
ディンは変わることを是とし、そして着実に、本人が望むように変化しつつあった。
人の生き死にを左右できるほどの権力を目の前にして、何を迷う必要がある?
それでは、己はなぜ、『なぜ』と問うのか。
ディンは今までの自分を振り返る。
先生の元で学んでゆけば、俺は、教会で着実に、栄光への階段を登っていくことができる。
そのために、努力も重ねている。
誰よりも勉学に励み、身体を鍛えあげ、実力と実績と、信用を積み上げてきた。
ブラジウスの積み上げてきた、先日の積み上げてきた歴史の上に、俺の善行が積み重なり、やがて誰かの歴史になる。まことに結構なことじゃないか。
そうだとも。
自分は、何事よりもまず、信用を積み上げてきたではないか。
自分が、誰よりも権力を振るうに足る人物だと、証明し続けてきたではないか。
ディンは、身震いした。
背筋がぞくぞくとし、どうしよもない寒気に襲われた。
それは、他者から見れば武者震いにみえたことだろう。
希望と歓喜に満ち溢れた若者が、尊敬する上司に、期待の込められた言葉をかけられて、興奮が抑えられなくなったときに現れる武者震いに。
ディンは、自分の立てた仮説がとても気に入ったので、それを信じることにした。
ディンは自らを鼓舞する。
栄光を手に入れるために。
投資してきた時間を回収するために。
自分の存在が、正しい存在であるという証明のために。




