30 「完璧なシステムなんてない」
「ふざけるな」
ダランベールが立ち去ったあと、ディンは不機嫌さを隠そうともしなかった。
アシャには少年の様子を見てくるように言いつけており、今は施療院の二階にいるはずで、ディンが怒りを見せているのはマキナ医師にだけである。
せめて彼女の前では冷静でありたいという、ディンの意地でもあった。
猛るディンに、マキナは突き放すような口調で言った。
「完璧なシステムなんてない。ひとも、組織も、なにもかだ。ただそれだけのことだ。腐るな、ディン」
マキナは淡々と、ディンに現実を突きつける。
「ひとの群れなんてものは、どこまでいっても争いなんだ。お互いに、相手の人生にはかけらも興味がないくせにな。
宗教なんてものは、ひとを集める器に過ぎない。
ひとがあつまるならば、そこには秩序を敷く必要がうまれ、組合ができ、市政ができ、それらを結びつける商売が生まれる。
それらの目指すところは、己の組織の繁栄だ。
我々の獣じみた本能が、そうささやくのだからな。
群にこそ幸あれ、と。
元来人間という種は、組織を構成することでこの世への生存を許されてきた。
己の組織を栄えさせることは、己の存在価値を肯定してもらうこと以上に、外敵から身を守るために不可欠な事象だったのだ。
外的がいなくなった現在でも、人間は己自身に刷り込んできた、己の組織を繁栄させる、という本能を手放せずにいる。
その結果が、己の利権の拡大を求めて争う、組織の抗争だ。
人びとを導くと豪語するブラジウス教会の人間であろうと、人びとの社会秩序の維持者である市政のお偉い方であろうと、その根底にあるものは、生き残りたい、という本能のなせる業だ。
そんなこと、この街の大人なら、誰もが知っていることだ。
だから、理想と現実との差異に打ちひしがれる事はない。
肩の力を抜くことだ。人間なんぞ、所詮、その程度の生きものなのだから」
ディンはうつむき、考えこんだ。
「じゃあ、あんたは世の中を割り切って生きろというのか。あの男のように、ひとのを食い物にすることが、ひとの本能に沿う生き方だというのか」
ディンは吐き捨てるようにいった。
荒々しい怒りを向ける先がわからず、また、どうやって怒りをなだめれば良いのかもわからないでいるのだ。
「もちろん、そういう生き方を選択しても構わない。お前には、そういう生き方を選択できる立場にあるのだからな」
「マキナ。あなたには」
「失望したとでも? ディン、勘違いしてもらっては困る。そうしないだけの矜持をもって生きる選択肢もあると言いたいのだ」
何が楽しいのか、マキナ医師の口調は、いつにになく軽いものだった。
彼女は今や、ふんぞりかえって椅子に腰掛け、ともすれば酒瓶をあおっているだけの酔っ払いである。
賢しらに言葉を紡いではいるが、頬は酒精をおび、赤く染まっている。
そんな人物から、何を諭されるというのだろうか。
こちらは、怒りやり場に困っているというのに。悔し涙のひとつでも流してしましそうだというのに。
だが、ディンの視線が彼女の手元をとらえたとき、ディンはやっと、彼女の抱えていた感情に気がついた。
マキナ医師は、痛いくらいに、強く、強く、指の色がかわるくらいに握りしめていた。
「銀一枚」
マキナが笑いながらいった。
「どこも悪くない、健康そのものの子供の目をつぶす手術にかかる値段だ。消毒用の酒精と針と、技術料を盛りまくっての相場がこれだ」
マキナは笑いながら説明する。それは『事業』なのだと。
物乞いをさせて、上前をはねる仕事があるのだと。
ブラジウスは巡礼の街でもある。
敬虔な信徒が、巡礼のついでに、恵まれない人びとへお金を落としていく機会が、他の街と比較して各段に多いのだという。
そこに目をつけ、街道にノマドを配置する者が現れた。
ノマドが増えるごとに、ひとり当たりに施される額は小さくなる。
やがてノマドは飽和し、ただ座ってひとの情けを乞うだけは稼げなくなったという。
その中で、安定した稼ぎを得ていたのは、盲目だとか肘からさきが欠けているだとか、わかりやすく不幸なものたちであった。
ならば、少しでも収益を上げるよう、身体に不幸を施す者たちが出てくるのは、時間の問題だったに違いない。
そして苦痛と不便と将来にわたる不利益を自発的に受けにくるものが、自発的であることは稀であり、大抵の場合、立場の強い何者かに、脅され、だまされ、なだめすかされた末に、医師のもとにやってくるのだ。
もちろん、彼らの処置にかかった費用を負担するのも、彼ら自身である。
「施しで生きるなんぞ、そもそも稼げる額が小さいわけだ。手広くとりたてられるようになって初めて、この他人を食い物にする『事業』は成り立つわけだ。
だから、まとまった金をもった組織が、医師もノマドも巻き込んで事業を作り上げている。
この事業の唯一、優れているところは上前をはねる側の人間にとってみれば、微塵も働かずとも金を稼げることにある。
そして権力者という輩は、自分のために他人が働いてくれることが大好きだ。結果、市政の官僚までもを巻き込んだ一大事業のできあがりだ。
これから立派な若者になっていく子どもの未来を代償に、金を稼ぎだすことを思いついたろくでなしのおかげでな」
マキナはそういうと、再び酒瓶を口元へ傾けた。残念なことに、もう中身は一滴も残っていなかったらしく、彼女は悔しそうに顔をしかめると、瓶を机においた。
そして、ディンが暗い顔をして黙り込んでいるのをみて、何かしら説明する必要を感じたらしい。
「わたしの名誉のために付け加えておくが、馬鹿げた手術の片棒なんぞ担いではいない」
「そこを疑ってはいない。ただ、受けた衝撃が大きすぎて」
「こんな話、珍しくもなんともない。
痩せ細った女性に赤子を抱かせておけば収益が跳ね上がる思いついたやつは、天才的だな。
おかげで、赤子は銀三枚の価値を持つに至った。
ひとにはなし得ない、ひとを産み出すという母親の神秘に、値がつく世の中になってしまった。お前が尋ねてくる直前に、老婆とすれ違わなかったか?
あの婆さん、わたしの目の前で、赤子を売りやがった」
ディンは、目元を押さえ、深い、身体が縮んでなくなってしまうほど深い、ため息をついた。
このあたりの話、実際にあったりします。
この物語を書き始めた根幹です。書かずにはいられなかった。
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