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27 「あちきは、ここ以外に世界を知りませぬゆえ」


 ディンは、束の間、目をしばたたかせた。驚き、うろたえた。


「十やそこらの子と一夜を共にしろ、と」


「いいえ。言葉どおりの意味で捉えてくだされば結構です」


「私は、奴隷商ではありませんよ。それも子どもであればなおさらです」


 子どもはすぐに死んでしまう。

 労働力にもならないし、ほとんどの人間にとって、性の対象たりえない。

 子どもが育つまでの衣食住に関わる金額を積算すれば、大人の奴隷がもうひとりかふたりは買える計算になる。

 投資としても、人を使うという意味でも、子どもはその対象にはなり得ない。


「承知しておりますとも。ですから、お願いしているのです」


「理由をお尋ねしても」


 そういう類のことを冗談で口にする方のようには見えなかった。


「あれは、あなたに命を救われたと、そう聴き及んでおります」


「どなたのことでしょう」


「先日、大聖堂の建設現場で騒ぎになりましたでしょう? その際、あなたの活躍で助けられたと聞き及んでおります」


「いや、俺はたいしたことは……」


「旦那さま、あなたがどこまで出世を望まれるのかはわかりませんが、仮に頂点を極めたいと願うのであれば、つまらない卑下で自分の真価を曇らせてはなりませんよ」


 女主人はやんわりといった。

 ディンは困り果て、ちらりとアシャを見やるも、彼女は相変わらずの無表情。

 だが、取り立てて訂正するつもりもないようで、どうやら、全てを承知の上で、話を進めているようだった。


 同時に、背景もぼんやりと見えてきた。

 裏でアシャが動いていることは明白だった。

 片足を失った少年。彼の身元を調べ、身の振り方を考えてやっていたのだろう。


「あれは、わたしの『弟』は、一命を取り留めるために片足をうしなったのだとか。

 だとすれば、もう数日もしないうちに、必ず、あの子を買いたいと願うものが、旦那さまを訪ねて参ります。

 その者に売り渡す前に、旦那さまのお身内に加えていただきたく」


「こういってはなんですが、もともと少年の面倒を見ていたあなたが、引き取るのが自然な流れではありませんか。

 あなたはこのの街で、生活し、それなりに成功を納め、生活に貧窮しているようにも見えません。

 であれば、情を注いでくれるひとの側にいる方が、少年にとっては幸せなのでは」


「もちろん、あれにも芸は仕込んでおります。

 ですが、これから先、あれが成長し、己の立場をみることができるようになったとき、男娼としての道しか残されていないのは、あまりにも不憫ではないでしょうか。

 それも、容姿端麗であることが条件の、この仕事で片足を欠いているということが、どれほどの枷になることか」


「そうだとして『買う』というのは、ずいぶん性急な話ですね」


 奴隷と娼婦との間に、どれほどの違いがあるというのだろう。

 片足がない者が成長したとして、片足でなにができるというのか。


「もちろん、心得ております。

 しかし、あれは、外の世界に憧れていたのです。男の子ですから。

 幸運なことに、あれの目で感じたさまを表現できる子です。前を向いて歩くことができたのです。

 そして彼は、その足と引き換えに、自らの運命を変え得る出会いを得ました。

 あなた様は、彼の人生を変えることができるのです。その一助をおねがいいたしたく。

 もちろん、タダとは申しません。

 お礼としては些細なものですが、わたくしが一晩、お相手させていただきます」


 その声音はディンの男心をくすぐるような、絶妙な心地よさで、ディンの心をくすぐる。

 彼女はが、見目麗しく教養もある、とびきり最高級の娼婦だということを、ディンは強く意識した。

 一晩の灼だけで、一年の銀が飛ぶほどの売れっ子だとか。

 一晩を共にすれば、それこそ家が買えるほどの大金を稼ぐことができると聞いている。

 そんな人が、目をかけていた子どもを奴隷にするるというのが、どうしても腑に落ちないのである。


「アシャ、おまえか?」


 側に控えていたアシャはつぶやくような小声で、ええ、といった。


「悪い取引ではないと思いますが。主人さまのお好みにも全力で答えてくださるはずです」


「自由人であることを棄てさせてまでか」


「ええ」


 アシャは詫びれることなく、言ってのけた。


「主人さまであれば、悪くはなさらないかと」


「なぜそこまで、少年に肩入れするんだ」


「彼には才能があります。必ずや、彼は主人さまのお役にたつでしょう」


「天才は君ひとりで十分だ」


「わたしのようなまがい物ではない、本物の才能があるんです」


「では証明してみせろ。なぜ、ブラジウスのためになるのかと」


「ブラジウスの事は、わたしにはわかりかねます。ただ、主人さまの夢の一助になります。必ずや」


「言い切れるのか」


「言い切れます」


「なぜ」


「勘です」


「天才の勘か。だが、それはただの感情だ。

 あの少年だけでなく、この街には似たような境遇の子はいくらでもいる」


「では、わたしを買ったのは直感ではなかったと?

 わたしのように、絶え間ない暴力と先の見えない恐怖と戦っていたものは、ほかにもたくさんいたはずです」


 真摯な瞳で、アシャがいった。

 冷たく澄み渡り、挑発するようなきらめき。

 己の決断を信じて疑わない、力強さ。

 生来の、彼女の命の輝き。

 奴隷市で垣間見た、ディンの心を強く揺さぶる光だった。


 そうだ。

 俺は、彼女の、この瞳に感じ入るものがあって、彼女の購入を決めたのだ。

 そこには、根拠も打算もなく、ただ、直感のみが全てだった。

 

 結果はといえば。

 彼女のとの生活は驚きの連続だった。

 服を選ぶだとか、誰かと食事をするだとかが、楽しいことだとは想像できなかった。

 家に帰ればあかりがともり、暖かい食事が出てきて、共に食事ができるのだ。


 ディンの知らない科学の世界も垣間見た。

 ブラジウスとは異なる系統の学問があるということ。

 ブラジウスを離れ旅をしてみたいという、妙な夢も見つけた。

 出会ってまだ二ヶ月にも満たないというのに、アシャの居ない生活など想像もできない自分がいる。

 そのアシャが、直感を信じて欲しい、という。


「今日は引き上げる」


 考えを整理する時間が欲しかった。

 知りもしないひとの人生を左右する決断を、即断できるほど、ディンはまだ、割り切れていなかった。


「良いお返事を期待しております」


 女主人が、手元の鈴をならした。音もなく扉がひらき、女の子が顔をだした。

 立ち去る直前、ディンは迷いを口にした。

 そうしなければならないような気がして、我慢できなかった。


「やはり俺には理解できない。あなたが少年を養ってやればいい。それが、あるべき姿だ」

 そう言って立ち上がったディンに、女主人は静かにいった。


「あちきは、ここ以外に世界を知りませぬゆえ」


 あちき、自らをそう呼んだ娼婦は、憂いのような笑みを浮かべて、首をかしげてみせるのだった。

 彼女がはじめて明確に見せた本心は、苦笑だった。

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