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21 「わたしはあなたを助けたい」

 油が注してあるのだろう。

 極太の、恐ろしく重いその鉄格子は、音もなく開いた。


 湿気とカビ臭さに混じって、吐瀉物のような吐き気を催す臭いが、強烈にまとわりついてくる。

 ディンはまずとりかかったのは、仰向けにベッドに縛り付けられていた工匠の鎖を緩めることだった。


 彼は縛り付けられているものの、多少膝の自由がきくようになり、頭を左右に動かせるようになった。

 肘からさきも自由になった彼は、同じ姿勢で凝りかたまった肩をぽりぽりと鳴らしている。

 そうこうしている間に、ディンは手枷以外の拘束具を順に外していった。

 工匠は上体を起こし、ベッドの縁に腰かけた。縁は黒褐色に染まっていたが、工匠がためらっているようには、とても見えなかった。


「君、いくつだね。ずいぶんと若いくせに、良い格好をしているな」


 ディンは彼の言葉を黙殺しながら、机の上に道具を並べていく。

 それは巷では拷問具と呼ばれる類の道具である。


 拷問具。

 大多数の利益を追求するための道具である。

 人類が導き手を欲する弱者であるかぎり、ブラジウスは他者の幸福のために自らの幸福を犠牲にしてまでも、悪に手を染め、時には暴力をふるうことも厭わない。


 机に並べられた、足を不自然な形に拘束する器具や、多くひとの汗と涙と血をすった鞭や、身体のありとあらゆる箇所から肉をむしり取るペンチなどは、見る者の心を深く揺さぶるものである。


 ディンがそれらを並べるのは、交渉を有利に進めたいがためだった。

 予備審問とよばれる作法で、拷問具を見せつけ、その使用方法を事細かに説明し、想像せしめる。

 部屋の雰囲気も演出に一役買っており、気の弱いものなら罪を告白するという。


 ディン自身は、拷問具を使ったことはおろか、手にするのも始めてである。

 正直なところを告白すると、触ることすらおぞましい。

 被害者の無念さが伝わってくるような気さえするのだから。


「先ほどの尋問官もかわいらしかったが、君も大概だな。

 ちゃんと眠れているかね。身体の衰えかね。どうにも震えているようにみえるがな」


 ディンが内心吐き気を堪えているのを知ってか知らずか、工匠はあっけからんとした様子でいう。


「そんなくだらん道具で、わしが泣き叫んで、命乞いでもすると思い込んでおったのか。

 あいにく他人に羞恥をさらすのは、わしの趣味ではない。

 それに、老婆心ながら忠告するならば、おぬしの杓子定規な考えを、他人に当てはめるのはやめた方がいい。

 君のような、書が全てだと勘違いする者とは違う視点を、世の人々の多くは持っておるのだよ」


 工匠の話し方は、教師が物覚えの悪い教え子に手取り足取り教えるような口調である。

 そうして彼は、束の間思考をまとめるように、あごに手を当てた。


「何故に、これから凋落の一途を辿るであろうブラジウスで、出世をしたいと望むのか、と言うことをだ」


「ブラジウスの繁栄は、信仰の勝利によって勝ち取ったものです。

 これ無くして、ブラジウスの繁栄はありえません」


 思わず言葉が口をついて出た。

 工匠は、肘から先だけを動かすと、鷹揚な口調でいった。


「過去から積み上げた繁栄だけをみれば、確かにその通りだ。

 しかし、君。

 盲目な善意ある奉仕者と目的なき奴隷たちのみに偏っている国に、未来があると本当に思っているのかね」


「ブラジウスは、知識と技術を尊んでいます」


「建前としては、そうだろう。

 だが、足元はどうだ。今回の事故は、浮浪児の作業ミスで片付ける魂胆なのではないかと、わしはにらんでいるのだがね」


「いいえ。監督責任を怠ったあなたにこそ、罪が問われています」


「なるほど。

 では、技術を尊ぶといいながらその核となる人間に罪を着せようとする矛盾について、君の考えを聞こうか。

 技術を有する人間に対する報酬が処刑台だというのであれば、これからこの街は、知識人から距離を置かれる結果を招くのではないかね」


「ブラジウスのこれからを憂いてくださり、ありがとうございます。

 ただ、ブラジウスの盛衰について議論を深めるよりもまず、あなたの命が風前のともし火であり、私の一存で良くも悪くもなるということを、思い出した方がよろしいのではないですか」


「おっと、すまない。髭が思いのほか伸びてしまっていてね。もう二日ばかり立ってしまったのではないかね」


 工匠はしきりにあごに生えた無精髭を軽くなでてみせた。


「老い先短い身でありながら、二日も無駄に過ごしてしまったのだぞ。

 あまりの仕打ちではないか。気が立ってしまうのも、仕方のないことだと思わんかね。

 それに、ちゃんとわしもわきまえてはいる。わしは尋問される側で沈黙を守る定めがあり、君が尋ねる側で会話を引き出す役割だった。

 ではまず、そこに並べられた器具の使い方について、我が身をもって体験することになるのかな」


 工匠は矢継ぎばやに皮肉を打ち出してくる。

 ディンは努めてゆっくり息を吸い、たっぷり十は数えながら息を吐いた。

 工匠は、ディンを怒らせようとしていると気づいたからだった。交渉の場では、熱くなった方が負けるのだから。


「あなたが拷問ののち処刑台に登るか、賓客として再び迎えられるかの鍵は、あなた自身が握っています」


「わしに何を望むのかな」


「あなたの持てる知識のすべてを」


「馬鹿馬鹿しい。おいそれと学べるものではない」


「もちろんです。そうでなければ、あなた方のような職人の方々が、庶民の星だと崇められることはないでしょうから。わたしは、あなたの経験をお借りしたい」


 ディンは手短に工匠に伝えた。

 新しい建築技術に関する、理論を手にしていること。

 その理論は、今は仮設にすぎず、実証する術を探っていること。

 そして、その理論をもってして、ブラジウスの学者に、新説を打ち立てるということ。


「つけくわえるなら、わたしは個人的に、あなたの時間を買い取っているんです。

 わたしはあなたを助けたい。

 そして、あなたが衰退すると豪語したブラジウスで、人々を正しい方向へと導きたい。

 あなたにとって、悪い話ではないでしょう。

 命を永らえるどころか、建築業界にその名を刻むこともできるかもしれないのですから」


「それが、君の望みなんだね」


 工匠がつまらなそうにいった。

 ディンは工匠を真っ直ぐに見つめた。


「そうです」


「このブラジウスに尽くすことが正解だと?」


「もちろんです」


 工匠は始めて、ディンを上から下までながめまわした。


「権力は人を酔わせる。

 なにもかもに手が届くと思えるような万能感。

 その場を管理したいという欲求。

 自分こそが、誰よりもうまく人を使えるんだ、という驕り。

 未来を思い描くといいながら、実のところそれは、靴底でひとの顔を踏みにじっているにすぎないというのに」


 親方は、諭すようにいう。


「見えるものだけを信じるな、お若いの。

 君とわしでは、見ているものも、見えているものも、見たいと望んでいるものまで違う。

 お前さんが、自分の愚かな思考習慣に気づいてくれると嬉しく思うよ。ブラジウスの為にも、これからの君自身の為にも」


「あなたは、死にたいんですか?」


「折られた指の分くらいは、皮肉を言わせてもらっても構わないだろう?」


 そういって親方は、人を喰ったような笑みを浮かべてみせる。


 なんで助けたいとおもっちゃったのかな、とディンは心の底から後悔するのだった。

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