19 「好き好んで痛い思いをしたいだなんて、本当に人間なんですか?」
この仕事は、牢獄の中でもいちばん美味しい仕事だと、付き添いの衛兵は笑う。
なんでも、正午入りして、ぼけっとして一晩を過ごせば二日分の給金が出る美味しい仕事なんだとか。
落ち着きなく指遊びをしているディンを、見るに見かねて、といったところだった。
「尋問に当たる日もあるんじゃないですか」
「そういう連中は、別にいる」
「じゃあ、そういった連中ってのは、どんな連中なんでしょう」
年かさの衛兵が肩をすくめるだけで答えてくれることはなかった。
「変だなあ。
好き好んで痛い思いをしたいだなんて、本当に人間なんですか?
あまり時間はかけられないんです。まずは両の指からにしますよ。いいですね?」
そんな無邪気な声に、ディンは現実に引き戻された。
ロウソクの明かりだけが唯一の光源である、薄暗い地下牢の一室。
石造りの壁や床にはドス黒いシミがこびりついており、じめっと肌にまとわりつくような空気の中に、血の臭いが混じっているかのように錯覚させる。
部屋の中程に備え付けられた大きな板の上に、大の字に縛り付けられているのは、建設現場の工匠である。
そんな彼のそばに近づき、器具を取り付ける拷問人の姿がある。
飾り気のない革製の服に、腰に鈴をぶらさげ、顔全体を鉄の仮面で覆っている。
拷問人は、慣れた手つきで作業を終えると、レバーを操作する。
指の骨が折れる音が、奇妙なくらい部屋に響いた。
工匠は、一言も声を漏らさなかったが、額に浮かんだあぶら汗が、彼の苦痛を物語っていた。
彼ら二人は、幸か不幸かに関わらず、ある意味で相応しいい出で立ちをしている。
それだけであれば、ディンとしても受け入れることのできる光景だった。
しかし、先程から工匠に語りかけ、あるいは拷問人に指示を出しているものの存在が、陰鬱な空間に、輪を掛けて救い難い空気にしていた。
「全部折ってしまいましょう。
耳を削いで、鼻も潰しちゃいますか。それでも駄目なら、
少しずつ皮を削いでいきましょう。
大丈夫ですよ。人間って、案外死なないようにできていますから。
太い血管さえ傷つけなければ、皮なんていくらでもとっちゃえるんですよね」
楽しげな笑い声だった。
まだ声変わりもしていない、子どもの声。
なんの躊躇も迷いもなく大人の指をおり、無邪気にわらうのだ。
間違いなく、拷問部屋の支配者だった。
藍色の、動きやすそうな袖の短い服に、黒い革製の前掛けを着ていたその支配者は、男に可愛らしい笑顔をむけて付け加えるのである。
「もちろん、血まみれの体液まみれで、加えて死にたくてしょうがなくなってるんでしょうけどね」
数週間まえ感じた、暴力との違和感そのままである。
声の調子まで、そのままである。
拷問人はあくまでも、淡々と告げる。
「あんまりやりたくないんですよ、本心です。
男の悲鳴なんて聞いて、楽しめるわけないじゃないですか。
でも、親方さんの件でブラジウスさまからはたくさんお金をいただいてしまっているので、手を抜くわけにはいかないんですよ。
これも『契約』ですから」
商会でみっちり仕込まれた、来客を相手にするときの、はつらつとした表情。
仮面の下は、間違いなく、トトノ商会で丁稚をしていた少年だとディンは確信する。
計算珠を片手に、行商の見積もりをしているような。
いらっしゃいませ。ご用件をうかがっても?
なるほど、活きの良さそうなのが入ってますね。このくらいでいかがでしょう。
ええ、確かに。一理あります。それでは、このれくらいで。
まいどあり!
彼ら商人は、金でものを仕入れ、ものを運び、金に替える。
契約を取り交わし、相互に、あるいは一方的に利益を甘受できうように、神に誓う。
契約、という言葉の重み。
商人が見る世界、金が支配する世界では、金と、それらをやり取りする契約が絶対である。
金の価値を最大とみなし、できる限りの金額を、自分で支配できるようにと望む。
そして、金で交換できる対象は、物にとどまらない。
生き物、情報、人、信用。
そのいずれもが、金で手に入る対象足りうるのだ。
そして金は、時に命よりも重い。
彼ら商人のみる資本第一世界の原則は、人命すらも凌駕することを、かの少年は計らずも証明していた。
「じゃあ、早速続きを」
「まて」
拷問人の楽しげな鼻歌が、その日、初めてとまった。
「お兄さん。
あなたの業務は、わたしの行いを見届け、わたしの正しさを証明するための承認にすぎないんですよ。
拷問は、わたしの業務なんです。口を出さないでくれませんか」
「君の言を借りるなら、わたしが居なくては、本格的な尋問は始められまい。すこし、時間をくれないか」
「……わかりました」
彼は頭を下げると、革の前掛けを外した。
「よかったですね。親方さん。
痛い思いはお預けだそうですよ。まあ、すぐ戻ってくるんで、その間、じっくり考えてみてくださいな」
「それで、話というのはなんでしょう」
詰所に戻ったディンたちは、使い古した丸机に、相対する形で腰かけていた。
拷問人は、仮面をはずし、人付きのする笑みをうかべている。
やはり、トトノ商会の丁稚である。
彼は、すっかりくつろいだ様子で、詰所だけに、こっそり持ち込んだカードかなにかを、懐から取り出してきそうな塩梅である。
ディンは、得体のしれない胸のむかつきを、はっきり自覚することができた。
少年が親しみのかけらもない素ぶりだったなら、ディンにも理解できる。
暴力に慣れ親しんだだけの子どもが、快適な時間が中断されてしまったという、非常に理解しやすい原因が存在するからである。
あるいは、ディンにはなんの関心も抱いておらず、したがってなんの感情も持ち合わせてはいないという態度だったならば、教会の権威を楯に、状況の説明もなしに押し切ることも出来ただろう。
しかし、少年が浮かべていたのは笑みである。
いかにも、自分は丁寧に礼儀を仕込まれた商人の見習いであるという雰囲気である。
彼には自分がないのではないか。
そんな気がした。
四六時中、芝居をしていているような。
一瞬でも、被った仮面を外すことがあれば、我が身に危険がふりかかると、身がまえているかのような。
「君をとめた理由だが……」
ディンは言い淀んだ。
少年を呼び止めたのは、凄惨でえげつのない行為を、少しでも先伸ばしにしたかったからに他ならない。
自分が何を口にしたいのか、自分自身がわかっていない以上、なぜ呼び止めたのかを口にするのは難しい。 あるいは、言葉を紡いだとしても、それが説得力に欠き、少年に不信感を与えることは避けられないだろう。
ディンの感情は、とっくに察していたのだろう。少年は、気遣うような口調でいった。
「あなたはきっと、優しいひとなんですね。あのような場に居合わせるのは初めてですか。
それなら、ここでわたしが一仕事終えるまで、待っていてくださって構いませんよ。
地下への入り口は一箇所だけですし、ここにいるのはわたしとあなただけなのですから」
「そう、だな」
「見咎められたなら、気分が悪くなって休んでいたのだとでも、言えば良いでしょう。
初めてはどなたにとっても厳しいものです。誰も笑ったりしませんよ」
「だが……」
「では、厳しいことを申し上げます。わたしの時間は安くないのですよ。
このひとときの間に、銀貨十枚は稼いでみせます。あなたに、それを支払えますか」
明らかに、つきはなした言葉だった。
少年は言葉をきり、肩ごしに振り向いた。
彼の視線の先には、重い鉄の扉があり、地下へ続く階段がある。
早く現場にもどりたいのだけれど。
少年は感情を隠すつもりもないようだった。
ただ、ディンの立場を慮って、直接は言ってこないだけなのである。
あるいは、仕事に積極的であるという仮面を被っているのかもしれないと、ディンは思った。
彼の仮面は、拷問人であり、商人であり、あるいは契約を重んじる得体の知れない何者かである。
彼がディンに突きつけたのは、銀貨十枚という数字。
銀貨十枚。
その言葉が、ディンの頭の中で迷走していた思考の渦が、突如、目的を見定めたように走り出し、一定の方向に収束しはじめた。
ディンの頭に、アシャを買い取ったときの奴隷部屋と、そのときの少年の笑みがぼんやりと蘇る。
数少ないロウソクの明かり。
薄暗い部屋に鳴り響いた、空を切る音と、破裂音。
くぐもった悲鳴。
自分が、生唾を飲み込むときの音。
そして、彼女と視線が交差した瞬間に感じた、挑発するようなきらめき。
理不尽な暴力に対する怒り。
いわれなく拘束されることに対するいらだち。
生来の、彼女の命の輝き。
ディンの心を強く揺さぶった輝き。
ディンは、自分がある種の熱い想いに駆られるのを自覚した。
その輝きは、ディンのそばに寄り添い、知らず知らずのうちに、ディンの心の中に深く根付いている。
ディンは懐から、紙束を取り出した。
それは、アシャがまるまる一晩を費やし、書き記した、彼女の観ている世界の法則を示したものだった。
「親方の拷問される時間を買い取りたい」
「へえ」
少年は落ち着いた静かな声でいった。




