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18 「一晩いただけますか」

 壮麗な天井画。

 光をうけて、めくりめく首飾り髪飾りの輝き。

 巨大な大広間と、笑い合う人々。

 それらをディンが大広間を後にしたのは、空が夕焼けに染まるころだった。


 長く時間が過ぎたようだったのに、振り返った大聖堂から漏れ聞こえる騒ぎは、これからが山場といわんばかりに大きくなっていた。

 そびえ建つ尖塔が、さらなる高みを目指しているかのように、夕陽を一身に受け、誇らしげに輝いている。

 ブラジウスの繁栄は、その荘厳なたたずまいが雄弁に語っている。


 眼下に広がる街並みもまた、ブラジウスの誇りである。

 寸分の隙間もなく石畳の敷き詰められた目下の大通りを下ると、ブラジウス広場にたどり着く。

 広場では、一日の商売を終えた人々が、露店を片付けている。

 慣れた手つきで棚をたたみ、売れ残りの品をしまうと、軽口をたたき合いながら、街中へと消えていく。

 皆、胸を張ってあるいている。充実した人生を送っているのだろう。


 さらに大通りを下っていく。一の門を抜け、二の門をくぐり、下町へ下っていき、まもなく、凄惨な事故現場にたどりついた。

 突然に民家が途絶え、ぽっかりとあいた空間に、聖堂になり損なった廃材が、うず高く積み上げられている。

 事故の原因になった重機も、そのまま放置されていた。

 足元に、十字架と、多種多様な花が添えられている。

 ディンは、黙って手を合わせた。




 ディンが戸口に立つかどうかというあたりで、重厚な木製の扉が音もなく開き、家人が顔をのぞかせる。


「アシャ、出世をしたよ」


 ディンが留守の間、彼女は読書を楽しんでいたようで、机の上には、銀の燭台に灯されたロウソクと、開かれたままの本が置かれていた。


「おめでとうございます」


 ディンを認め迎えにでていた彼女は、わずかに口の端をゆがめてみせた。

 ディンの家を自分の居場所だと定めたようで、彼女は、気のおもむくままに書を読みふけるようのなった。

 

 良い兆候だった。


 堅苦しい礼服をアシャに預け、とるものもとりあえずディンは席についた。

 深く息を吐き、目元を押さえてうめき声をあげる。

 無性に泣きたい気分だった。


 主人の脱いだ服を片付け、彼女は無言で、水を差し出した。

 広げられた書物には、経世済民論とある。中華なる東方の国の書物だったように記憶している。


「世を経さめ、民を済う、か」


 自分自身が拠り所として作り上げたものの全てを一瞬にして奪われる者の、悲痛な叫びが、彼の脳裏にこだまする。

 ディンは、自分が心の奥底に閉じ込めていた暗い感情が、溢れ出してくるのを止められなかった。

 彼の良識だとか心の平穏だとかいった普段に彼を、何もかもを押し流していく。


 また、あの声を聞かねばならぬのか。


 あの恐怖感、喪失感、そして、虚脱感。己がなにものでもなく、誰にとっても無価値であるかのように錯覚する、強大な騒ぎと、血に濡れた刃。

 いくら学んでも、先は見えない。

 いくら出世しても、俺が背負う死者の数が減ることはない。


「俺はいったい、なにをやっているんだろうな」


 ディンは消え入りそうな声でつぶやいた。

 自分でもゾッとする、沈んだ声で。


 アシャが黙って、ディンの向かいに腰を下ろした。

 感情のない眼が、じっと自分を見つめている。

 自分のことに無関心な、ある種の傲慢さとさえ言えるほどの無感情なその瞳に、ディンは抗いきれないなにかを感じた。


「いつも、いつも。止せばいいのにと思う。でも、辞めることができない」


 気がつけば、そんな言葉が口をついていた。

 何を、とアシャが無言で問うた。


「その日処刑される者の犯した罪が、本当に死で贖わなければならないものかどうか。その検討だ」


 一度話し始めると、止まらない。

 感情に心を震わせながら、ディンは語った。


「今日で慣れるだろう。明日はもう心を動かされることはないだろう。

 一月後には、心を痛めることもなく、作業として取り組めるに違いない。

 延々と繰り返される死際の言葉が、俺を呪って死んだ彼らの悲鳴が、俺の心を捉えて離さないんだ。

 彼らは罪人だ。間違いなく、そのために選ばれる程に、残酷なことをしていたんだ。だから、命を奪われることは、仕方のないこと。

 理屈では、もちろん、俺だってわかっている。

 できることなら、そこで完結してしまったほうがいいことも。

 でも、仮に、仮にだ。俺にすがって泣いた連中のなかに、万が一にも、冤罪なり、なにかの勘違いで処刑台に送られるものがいたとしたら。

 その時に気づかなかったとしても、後から、彼か彼女かが無実だとわかってしまったのなら。俺は、どんな償いの言葉をかければいい」


 ディンは感情に任せて、がしがし髪をかき回した。


「ありえないなんてことは、ありえない。

 人間のすることだ。完璧はない。そもそも、我々は、聖女を火刑に処した原罪を背負っているのだから」


 息を荒くしながら、ディンは言い切った。感情に猛るふるえる指先で、杯をとると、一口含んだ。ひどく投げやりな動作だった。

 どのくらい時間が過ぎたのか。

 吐き出し切った仄暗い感情の隙間を埋めたのは、羞恥の念だった。

 やり場のない怒りは、自分の中に秘めておくべき事柄だったはずなのに。

 ディンは乾いた声で、努めて軽い口調でいった。


「アシャ。きみは俺を軽蔑するか?」


 彼女は笑わなかった。静かな口調でいう。


「主人さまが、やっと自分のことを話してくださった。それを私は、嬉しく思います」


 アシャはいう。


「主人さまは、司祭なのですか。それとも、処刑人なのですか」


「どちらでも、同じことだろう」


「その両者は、死に関わる点では似ています。

 ですが、役割は似て非なるものです。

 かたや、手続き通りにことを進める執行者。

 かたや、人に救済を与えんと身を粉にする聖職者。違いますか」


「そうかもしれない。だけど、やっぱり、その両者は、死にゆくひとにとって同じことだろう。

 どちらにしても、心をむき出しにして、命乞いをすることに変わりはない。

 その感情の矢面に立つことが、俺は辛くてならない。

 でも、どんな輩であれ、死の間際にいる人間に、軽い気持ちで向き合うことはできない。

 少なくとも、俺には。できたとしたら、それは、俺の心が死んだときだ」


「考えることを辞めたとき、ですね」


 彼女は意味深げにいった。


「的確な表現だな。でもって俺は、情けない男だ。

 時々、その時のことが思い出されて、いてもたってもいられなくなってしまう。

 俺の地位は、看取った遺体の山でできているんだとか、そういうことを考えてしまう。その人の命を代償にして、俺は出世したんだ、とかね」


「主人さまは、組織で上を目指すのだと、おっしゃった。進んで歯車になることで、より大きな影響力を持ちたいのだと。

 そう信ずるのであれば、なにを迷う必要があるのですか。

 命じられたことに対し、真摯に向きあい、苦しんでいるのであれば、それはあなたの業務に課せられた義務ですらあるのです。

 存分に、今の苦痛と向かえば良いのではないでしょうか。

 そして、もうたまらなくなってしまったときは、今みたいにわたしに思いの丈をぶつけてくださいませ。

 それを受け止めるのが、わたしの仕事でございましょう」


 わたしは、いっこうに構いませんから、アシャはいう。

 彼女が、高潔で崇高な人格者に見えた。

 ディンは、途端に自分が、とても情けない者のように思えた。


 彼女の言う通り、これは業務なのだ。

 俺は、とるべき道をとり、皆の嫌がることを進んでやってのけることで、今の地位を約束されたのだ。

 払うべき努力と、時間とを支払い、思う通りの人生を歩んできて、今の俺があるのだ。

 この苦しさも、辛さも、俺自身のものだ。


「それに、主人さま。あなたが地位を望むので荒れば、これからもっと多くの人を巻き込み、誰かを幸せにするのと同じくらい、ひとを不幸にするでしょう。

 たかだか二十人程度で、心を痛めていては、為政者は務まりませんよ」


 心に染み入る表現だった。

 たかだか二十人だと。

 立場があるということは、より多くのひとの喜怒哀楽にふれるだろう。


「とても、重みのある言葉だ」


 ディンはいった。


「当然です。わたしは、かつて聖女と呼ばれていたのですから」


 なかなか、含みのある表現をする聖女さまだと、ディンは苦笑する。

 それでも、彼女の言葉で楽になったことは間違いない。

 本当に聖女なのではないかと、疑ってしまうくらいに。


「ありがとう、聖女さま」


 そういって、ディンは笑みを浮かべてみせる。


「どういたしまして」


 淡々とした口調で、アシャは言った。


「君がどんな世界を見てきたのか、とても興味深いな。機会があればあれば、見てみたいものだ」


 海の向こう側からやってきた、目の前の少女の冒険譚について。

 彼女の聡明さは、ディンの見聞きしたことのないもので溢れている。

 それをいつか、見てみたい。

 ブラジウスに負けず劣らずの大聖堂だって、あるかもしれないのだ。


 ふと、ディンの脳裏に閃くものがあった。


「昨日の工事現場でみた聖堂について、覚えているか」


「ゴシック式の尖塔アーチのことですか? ええ。見事なものだと思いましたらけれど」


「知っているのか?」


「あまり詳しくはありませんが。これまでのアーチ形状と同じものでも、確かにより高くは組めるでしょうね」


「あれは、材料が足りなかったりするのか」


「あまり詳しくはありませんが。同じ材料で、より高くまで積み上げられると聞いています」


「それは、なぜ?」


「塔の重さを周りの塔が支える構造なので、高く積み上げることができるのだとか」


「それを、直感以外で説明できるかい」


 ディンは、はやる感情をおさえつけて、語って聞かせた。新工法と、その失敗について。

 ディンが何気なく口にした言葉が、男の罪を決定づけることになったことを。


「今日、荒れていた意味がやっと理解できました。

 その親方さんのことを告発したように感じて、罪の意識に苛まれていたのですね」


 ディンは、罰が悪そうに目をそらした。

 今日は、感情に振り回されっぱなしだったからだ。

 罪悪感に苛まれ、女性に当り散らしたかと思えば、こんどは彼女の知恵を借りたいと、話を急かしている。

 なんという情緒の不安定な、恥知らずな生き方なのだろう。

 でも、それがきっと自分なのだと、ディンは思う。


「カスチリアーノだったかな。でも、公式が……。

……だめね。第一法則を微分系で表すところに立ち返って、初めから導きださないと……」


 アシャは、すくっと立ち上がり、一言だディンに告げる。


「一晩いただけますか」


 凛とした態度で一礼すると、彼女は黒板の部屋へ駆け上っていった。


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