15 「悪くない手ですね」
「今回の拡張工事で、ブラジウス教会はピラミッドの高さを超えることを目指しているんだそうだ」
お菓子を食べにいったのに、大聖堂を見上げることになっている現場に疑問を抱きつつ、ディンはいった。
昨夜は話の流れで食事の約束を取り付けたディンは、昨晩の自分に感謝してもしたりないくらい、幸せな気分で朝を迎えていた。
アシャと美味しいもの、わた雪を食べに行くのである。
わた雪といえば、氷を薄くスライスして、みずみずしい葡萄なり柑橘類なりを乗せて食べる、今流行りの氷菓である。
子女の誰もが憧れる食べ物との触れ込みで、売上も上々らしい。
アシャも喜ぶに違いないと思っていたが、道中、話題にしてみても、反応はいまいちだった。
相槌をうつばかりで、ほどんど表情に感情をのせない女性ではあったが、流石に退屈しているであろうことは、察しがついた。
では、彼女が興味を示すものは、と手当たり次第に話題をふってみるも、すべて空振り。もはや破れかぶれな気持ちで、圧倒的に目立っていた建築途中の大聖堂の巨大な骨組みについて触れてみると、奇妙なことに、これが大当たりだった。
日はまもなく正午に差し掛かり、ちょっと小腹がすく時間帯。
なぜ工事、だとか、雰囲気もあったものじゃない、だとか、内心後悔の嵐が吹きまくディンであったが、負の感情はおくびにも出さず、アシャに語って聞かせる。
なにぶん、大聖堂の拡張はブラジウスの一大行事に位置付けられているので、教会の次世代を期待されるディンの元には、いくらでも情報が入ってくる。
話題には事欠かない。
「トトノ商会に頼んで、当代一と名高い工匠を招いて工事させてる。
なんでも、同じくらい巨大な大聖堂を二年十ヶ月で組み上げるって触れ込みらしい。
その工匠の考案した、鐘楼の上に尖塔を建てるって発想が近代建築の高さの限界を押し上げたとかなんとか。
高い尖塔が、今以上に巡礼者を驚愕させるだろうね。
皆、口々に言うよ、きっと。
人間の小ささを実感しましたって。
神秘と畏怖の念を誰もが平等に感じられるってことで、価値のある投資なんだと思う」
心の中で舌を出しながら、ディンはいった。
ディンは従順で秩序が好きな性格ではあったが、鈍くはない。
本来の分配者ならば、清貧をよしとし、贅沢を憎むべきなのだと、密かに思っている。
だから、流石に耳障りのいい言葉で、大金の使い道をごまかしているのだろうと、薄々検討はついている。
だが、それを口にしない思慮分別は備えていたし、いずれ自分のものとなるブラジウスが設備に投資することを、本当のところ憎からず思っていたのも事実である。
「公共事業としては、悪くない手ですね」
「どういうこと?」
「教会は、積極的な需要の増加を見込んでいるのでしょう?」
アシャはいう。
街には、働きたくても働き口のない人びとがいるのだ、と。
そのひとたちが正しく働くことによって、人びとの懐がうるおい、物を買う人が増え、市場がうるおうのだという。
いつになく饒舌な口調で、アシャは興味深い理論を述べる。
「もちろん、穴を掘れなどという暴論を語るつもりはありませんが、経済が停滞しているよりずっといいと思います。
欲を言えば権威以上に、路面や衛生面の整備に当てて欲しいところですが、金銭が集めにくくなりますからね。
職人組合なりギルドなりの既得権益層にお金を出してもらうには、悪くない手だと思います。雇用の狙いは、あの時の子どもたちでしょうか」
「あの時?」
「この間の、恵まれない子どもたちです」
ディンも、おそばせながら理解できてきた。
つまり彼女は、あの子どもたちに仕事を与えるにはどうすればよいか、という点で議論を進めていたのだ。
彼らを、財を喰らう消費者としてではなく、労働者として捉えている。
そう考れば、考えるほど、彼女は何だろうと
思考の海に沈みつつあったディンに、アシャがいぶしげに問うた。
「どうされました?」
「ああ。いい着眼点だと思って」
ディンは、それらしく頷くのがやっとだった。
「大理石の調達はどこからですか」
「確か、古代人の遺跡を切り崩すことで、まかなわれていると聞いている。経費を最大限に抑えるための、資材の効率的な運用なんだって」
アシャはしばし思案し、つぶやいた。
「費用対効果、ですか」
その声音が、これでの熱く語る彼女とはうってかわった沈んだものだった。
「ごめん、ひょっとして間違いを踏んでしまったかな」
ディンが恐るおそる問うと、アシャは静かに首をふった。
「いいえ。市場に正解なんてないですから。市場を知るのは、商人のみぞ知るというところでしょう」
そして、話は終わりだとばかりに、アシャはディンを見つめていったのである。
「お菓子を食べに連れて行ってくれるのでしょう?」
難しい話は、ここで終わりにしよう、ということらしい。
気遣われたかな、と思いつつも、彼女の案に乗っかることにした。
その時。
背後で物が崩れ去るごう音と、悲鳴があがった。
とっさに物陰に引きずり込まれ、ディンは面食らった。
アシャが、ディンを壁に押し付け、庇うように覆いかぶさったのだ。
そして自分は周囲を見渡し、状況を把握している。そして、事故が離れたところだと分かると、いてもたってもいられないといった表情で、ディンを見つめた。
「行こう」
現場は、控えめにいって凄惨というほかない様相だった。
最新の技術で製造されていた木製のクレーンが、土台から倒れ、アームが大聖堂の骨組みに、覆いかぶさるようにして倒れていた。
クレーンの動力たる巻上げ機につながれていた二頭の牛は、片方が哀れ犠牲者となり、もう片方は同僚が肉塊に成り果てたのをみて、悲痛な声でないていた。
人間の方も同様で、そこかしこで助けを呼ぶ声が飛び交っている。
尖塔の最初の一区画に作業中だったことも手伝い、そこを支えようと数多くの材木が縦横に交差していた。
それらが支えとなったために、絶妙なバランスを保ったまま、全損を免れているという状態だった。
つまり、完全に崩れ去るのは時間の問題という有様であった。
だというのに、粉塵の舞い上がる現場は、誰もが被害者という有様で、怪我人の救出もままらならない。
そうこうしているうちに、教区の担当者が駆けつけ、事情の説明を求めだした。
工事責任者と思しき職人然とした初老の男が、担当者を怒鳴りつけていた。
素人のあんたが、今現場をかき回さないでくれ、といった趣旨の話だった。
どう考えても、二次災害が起こり得る状況である。
ただでさえ責任を問われる立場であるのに、教会の偉いさんに怪我でもされたらたまったものではない。
男が渋い顔になるもの、当然といえた。
いたぞ、ひっぱりあげろ、という声。
足を下敷きにされた少年が見つかった。
ボロをまとった、日雇いの労働者である。
そのとき、頭上で異音がした。
見上げると、アームだか足場だかが重さに耐えかね、複雑に絡み合った縛めから逃れようと、互いに身動きしている音だった。
「逃げろっ」
誰がが叫んだ。
その声に弾かれたように、皆が走り出した。
瞬きする瞬刻、ディンは躊躇した。
脳裏に思考が駆け巡る。
少年を助ける方法はないものか。
そして、彼を助けられた場合に得られるものと、彼を助けられなかった場合に生じる不都合について。
俺が生き残った場合に、ブラジウスにもたらしうる栄光と、これから少年が社会に生み出すかもしれない付加価値。
それを天秤にかけ、ディンも逃げることを決断した。
それに、事故の直後、うまく逃げられなかった少年自身も、悪いのだ。だから、逃げるという選択は、正しい行いなのだ……。
もちろん、それらが言い訳であることは自覚していた。
しかし、自身の行動を正当化せずして、人を見捨てられるほどに、ディンは図太くはなかった。
「助けて……」
助けを求める少年の弱々しい声を、ディンは黙殺した。
少年を助けないということ。
今まで彼が学んできた『教育』は、すべて、彼の決断が正しいと支持している。
ディンは駆け出した。そして、誰とすれちがった。
アシャだった。
呼び止めるまもなく、彼女は、一本の棒を片手に、崩れ落ちそうな瓦礫に突進したのである。
全ての柱が崩れ落ちる瞬間、ディンは、瓦礫の向こう側で、彼女がその棒を刀のように一閃するのを目撃たのだった。




